集合場所の連絡がきたのは五人のトークルームだった。
『駅前のカフェで』
良く五人で女子会をしていた場所だった。サエリ達は帰りのホームルームが終わると、四人で連れ立って下校していき、私は一人で追いかけた。
四人が談笑しながら歩いていくのを、私は少し後ろで眺めていた。お店に着いたら、さも五人で来店したかのように「佳純は何にするの」と注文を促されて、慌てて「アイスティーで」と答えた。おかげで噛んでしまい、四人はくすりと嘲笑した。
いつもは窓際の席に座るのに、今日は奥のテーブル席だった。
四人は詰めてソファー席に座り、私だけが椅子に腰かけた。注文したドリンクが届くまで無言だったことは、今日を除いて一度もない。四人はまるで私なんていないように、スマホに向き合っていた。
きっと、私を除いたトークルームで会話しているに違いない。
落ち着かなくて、テーブルの下で手を握ったり、さすったりして気を紛らわしていた。
ドリンクが運ばれ、みんなが一口ずつ飲む中で、私は自分のアイスティーのグラスを眺めていた。ぼんやり水滴を数えてしまうくらいには、沈黙が続いていた。
「心当たり、あるよね?」
口を開いたのは、奈々未だった。
顔を上げて彼女たちの顔を見ることはできなかった。うつむいたまま、「ごめん」と謝罪の言葉を口にした。
「なんで謝るの?」
強気に問い詰められて息をのむ。うまいいいわけが思いつかずに、閉口すると、もも恵が大きなため息をついた。
「何が理由かわからないのに、謝るのはどうかと思うよ」
また沈黙が訪れて、しばらくすると、沙菜が切り出した。
「小学校のとき、男巡って友情崩壊させたってマジ?」
四人の視線は冷ややかで、まるでナイフで突き刺すような鋭さを持っていた。
「入学した時から、ちょっとキョドってるなとは思ってたけど」
「そりゃあ、人づきあいも下手になるか」
「てか、私たちも自分の彼に手出されるかと思ったら気が気じゃないし」
「このタイミングで気づけて良かったよ、ホント」
「頼りにされていると思って調子に乗って、周り見えてなさすぎじゃない?」
「というか、わきまえなさすぎ?」
ウケるんですけどぉ、と笑いあう彼女たちに、何も言い返すことができない。
彼女たちの言う通りだ。あの時の私は、頼られていることにいい気になって、自分の行動は正しいと信じて疑っていなかった。結局は三人を傷つけ、そのことをトラウマにしている私は、傲慢なのかもしれない。
だから、もっと、もっと、自分の気持ちは隠さなければいけないと思った。誰にも悟らせないほどに、押し殺す必要があると思った。みんなに気に入ってもらえるように、みんなの望む「私」に慣れるように。「道」を、踏み外さないように。
そうやって信頼を得ることができれば、それまでの努力が私の味方になってくれるはず。そう信じて疑わなかった。
でも、どうやっても過去を変えることができないことを、忘れていた。
世間は案外狭いらしい。
誰からそんな話を聞いたかなんて、聞く気も起きなかった――それなのに。
「ま、これ教えてくれたの、沢見なんですけど」
耳を疑った。
「……沢見、くん?」
予想外の名前に困惑する。彼女たちに私の動揺は手に取るようにわかるのだろう。その目が、口が、意地悪に歪んでいく。
「少女漫画気取りか、っての」
「白馬の王子様だと思ってたのが、実は毒リンゴ持ってきたおばあさんだったって、どんな気持ち?」
「ねえ、こんな時にちょっと頭いいヒユとかしないで」
「あんたの方こそ、ヒユとかいう単語使わないで」
きゃらきゃら笑う彼女たちの声が、耳の奥で響く。耳を押さえたくても、体がこわばって、腕を動かせない。
「佳純さ、沢見くんと付き合ってんでしょ?」
どん、と心臓が大きく動いた。頭が真っ白になって思考停止寸前で持ち直す。
わずかな沈黙でも、肯定と捉えたらしい。
付き合ってない、まだ。そう口にする前に、さらに問い詰められる。
「私たちは友達だと思って、なんでも相談してきたのにさぁ」
「自分は内緒でこそこそやってんの、フツーにきもいんですけど」
「純情そうな顔して、意外とビッチ?」
「でも結果的に裏切られてるんだからさ」
きれいなアイメイクの施された目に、捕らえられた。
「みじめだよね」
信じてた。沢見くんはそんなこと、しないはずだって。
でも彼女たちが、私の小学校時代の同級生と接触する機会はほぼゼロに等しい。ならば、誰が私の過去の話を知っているかといえば、沢見くんしかいない。
ずっと、だまされていたの? でも、いつから?
私を好きだと言って、キスをくれた沢見くんのことを信じたい。
信じたいと思うのに、私の過去を知る人が沢見くん以外に思いつかない。
その名前は、私を絶望のどん底に突き落とすのに、十分だった。
視界がだんだんとぼやけて、膝の上で組んだ手に、ポタリと涙が落ちていく。
「あとさぁ」
まだ、何かあるのだろうか。そんなに私のことが嫌いなら、もう放っておいてくれないだろうか。これからは、今まで以上に、決して出しゃばらずに、一人陰を歩いていくと約束するから。
誰かの特別になりたいなんて、望んだりしないから。
「何が許せないって、私たちにあげようとしてたチョコレート、沢見にあげたでしょ」
にわかに、一寸の光が差した。そのまま深海に沈んでいきそうだった私の意識は、その言葉で浮上する。
「……うそ」
「え?」
掌で涙をぬぐい、視界が鮮明になる。
「沢見くんが言ったって、それ、嘘だね」
表情こそ崩沙菜かったものの、明らかに彼女たちの瞳に動揺が現れた。
「私たちのこと、疑うってわけ?」
「疑うっていうか、それは嘘だって、はっきりわかる」
「どうしてよ」
「だって私、沢見くんにチョコレートをあげてないから」
サエリが肩をこわばらせたのが分かったけれど、私は正面に座る奈々未から順に彼女たちの顔を見た。
おそらく私たちが話しているのを聞いたのはサエリだろう。迂闊だったと今更後悔する。
「なんで、沢見とイイカンジになってること、私たちに黙ってたの?」
やや間があって、サエリに問いかけられる。その目は怒りで真っ赤になっていた。
「ねえ、佳純。私たち、友達だったはずなのに、どうしてそんなに隠し事が多いの?」
その声はほとんど叫びに近かった。店内の視線が私たちに向き、すみません、と謝る。隣に座るもも恵が、サエリをなだめていた。その光景を見て、みんなはサエリが沢見くんに告白したことを知っているのだと、なんとなく確信した。
「サエリの言う通りだよ。佳純って、一度も私たちに自分の話をしてくれたこと、なかったよね」
「私たちは、結構なんでも、今までこうしてなんでも相談してきたっていうのに」
「佳純はいつもいつも、ただ黙って、ニコニコ、適当な相槌打ってるだけだったよね」
もも恵が、沙菜が、奈々未が、矢継ぎ早に彼女たちの思いを私にぶつけてくる。
彼女たちの目は、疑惑に満ちていた。
「一度だって、私たちのこと、信用してくれたこと、ある?」
私はやっぱり、黙ることしかできなかった。
入学してこれまでの約一年間、ずっと一緒に過ごしてきた。学校ではもちろん、授業中にもメッセージのやり取りをして、放課後は集まって、自宅に帰ってからも。四六時中スマホは自分の手の中にあった。仲は、よかった、と思う。
でも、同じグループ内なのに、何かあればすぐに他人のあしざまにいう彼女たちが嫌だった。そんな彼女たちたちに気を使いすぎて、嫌われないように振舞う自分も嫌だった。
そして何より嫌だったのは、そんな彼女たちを見て「自分は違う」と彼女たちを見下すような気持ちを持っていた、自分自身だ。
もっと最初からそんな自分に気づけていれば、私たちの仲はこんなにも複雑なことに葉、ならなかったのだろうか。
「ねえ、聞いてる?」
呼ばれてハッとなる。
「ご……」
ごめん、と言いそうになって「聞いてる」と言い直す。
「嘘だ。別のこと考えてたでしょ」
「ううん、ちゃんと考えてたの」
「何を」
「私はずっと、自分に自信がなかったことを」
私はまっすぐ彼女たちを見つめた。
「みんなのことを信じることができなかった自分が、大嫌いだったことを」
サエリが大きくため息を吐いた。
「そういうところがムカつくんだよ。自分だけ『いい子』ぶってさ」
「ホントそれな。本心いわないのなんて、美徳じゃないよ」
続く奈々未の言葉には、同意する。私も、もし同じグループにこんな奴がいたら、苛立ちを隠せていたかどうかは疑問だ。自分の言いたいことだけを全部言って、都合の悪いことには口を閉ざす、悲劇のヒロイン面をする奴なんか。
だから、変わりたかった。
「私はさ」
しゃべれなくて良かった、と笑う沢見くんの顔が脳裏に浮かんだ。
「ある一人を除いたグループを作って、その人の悪口でもりあがるの、すごく嫌だったの」
長い間一緒にいれば、それなりに不平不満は生まれるだろう。それでも、わざわざ誰かを省いたグループを作って話す理由は何なのか。それが分からなくて、いつも怖かった。だってそうじゃない話だって五人のグループではできていたのに、誰かがかけるとその「悪意」は始まるのだ。
「バッカじゃないの」
サエリが吐き捨てるように言った。
「悪口なんて、ただのコミュニケーションみたいなものでしょ」
目の前に、分岐点が現れて、私はようやく理解した。
「あんただって聖人君子じゃないんだから、先生のことだるいとか、誰のことが嫌いだとか、思うことあるでしょうよ」
それはある、とはっきり断言できる。誰だって愚痴をこぼしたくなることの一度や二度はあるに決まっている。私の過去語りだって、同じだと思う。吐き出したいこと、たくさんある。誰かをうっかり悪くいってしまうこともあるだろう。そうなるのはある程度は仕方がないと思う。人間だれしもが持つ感情だから。
けれど、人をあしざまに言ってつながる輪を、私は大事したいと思えなかった。
結局私は怖かっただけだ。みんなの言う通り、いい子でいたかっただけ。彼女たちの輪の中にいれば自分の「いい子像」は保たれる。そこに安らぎを見出していた。それが最善だと信じて疑わなかった。
そんな醜い私は、もう自分の人生にいらないのだ。
「あるよ、思うこと」
鬼の首を取ったように、彼女たちは意地悪な笑みを深める。
「でも、だからって、みんなとはもう一緒にいれない」
私の発言にみんな、「はあ?」と嫌悪をむき出しにする。
「あんた自分が何言ってるのかわかってんの?」
「わかってる。申し訳ないと、思う。こんな身勝手なこと」
だったら馬鹿正直に言うな、ってそんな声も聞こえてくるようだ。
話し合えば分かり合えるとか、そんなうまい話なんてない。どれだけ意思疎通を図ったとしても、お互いに理解できない部分は必ず存在するだろう。それを許容できるかできないかが、長く続く親交のカギなのだろう。
ただ私は、彼女たちと価値観が違う。だからこれ以上傷つけあう前に、離れる。その選択肢を取ろうとしているだけ。
「誰も知り合いのいない高校入学当時に声をかけてくれたこと、本当に感謝してる。仲良くしてくれてうれしかった。たくさんの楽しい思い出もある。……でも」
これだけは言っておかないといけない。
「私はもうこれ以上、あなたたちと友達ではいられない」
私たちの周りだけ、障壁で囲われたように音をなくした。
「なに、それ」
彼女たちの唇がわなわなと震えている。
蔑むような視線が突き刺さる。
「本当に、ごめん」
無理にわかってもらわなくてもいい。この感情は、私のものだから。
「みんなのこと、好きだったよ」
「口だけではなんとでもいえるよね」
「だって、私のこと、今日までハブらなかったじゃん」
ぐっと言葉に詰まったのを見て、胸が締め付けられるようだった。
本当はたぶん、優しい人たちなのだと思う。その証拠に、私の前では私の悪口を一切言わなかったし、他の誰の目の前でも、その人の悪口は決して言わなかった。彼女たちが会話するのは、あくまでスマホの中だけ。トークルームを間違えることだって、一度もなかった。
私の存在がきっと彼女たちを悪者に仕立て上げたのかもしれない……なんて悲劇ぶってみる。
持っていた紙袋の中から、朝渡しそびれたフォンダンショコラを取り出し、一人ひとりの目の前に、ラッピングしたフォンダンショコラを置く。今朝渡しそびれたものだ。
「なにこれ」
「バレンタインデイのお返し」
四人はそれぞれに見比べている。お互いにどうするのか様子を窺っている。
いつかのように、捨てられるかもしれない。目の前で、握りつぶされるかも。
これは、私のはただの自己満足だから、彼女たちがそうするのであればその選択を尊重しようと思う。
「これが佳純の本心ってわけ?」
どうなってもしらないぞ、言外含んだその言い方に、私は強い意志を持って頷いた。
「うん」
私の答えに、張りつめていた空気は少しずつ無に帰していく。みんなの感情の昂ぶりも収まっていくようで、背もたれに身体を預けていった。
「なんか、佳純って、思ってたのと、全然違った」
「そう、かな」
「沢見と二人、変人同士でお似合いなんじゃない?」
「こんな意味わからない人間、こっちから願い下げだよ」
サエリがそう言って席を立つ。それに続いてみんなもぞろぞろと、私の方なんて見向きもせずに、お店を出ていった。
テーブルの上に、私の作ったフォンダンショコラを残したまま。
たたきつぶされなかったのは、彼女たちのやさしさ。お返しができなかったのは、残念だ。
深呼吸を一つする。緊張を、すべて吐き出すように。フォンダンショコラを紙袋の中にしまい、氷の解け切ったアイスティーを一気に飲んで、私も店を出た。
三月も中旬。桜の木には今にも咲きそうなふっくらとした蕾がついている。真冬のように、心から冷えるような寒さはない。もう吐息だって、白くはならない。
私が立っている場所は大通りで、街灯であたりは明るいけれど、月だけはそこに輝いてすぐに見つけることができる。
きっと今の私なら、一人でも立てる。トロッコに乗って目的地に着くまでぼんやりするのではなく、広大な海を自分の船のかじを取って、どこまでも進んでいける気がした。
こんなに清々しい気持ちなのに、地面がぐらぐら揺れているように思えて心もとない。
車のヘッドライトで光の斑らができる真っ黒い歩道を一人、歩いて行く。
自動車の走行音。
すれ違う人の話し声。
建ち並ぶ店の中から聞こえる音楽。
すべてに焦燥感を駆り立てられる。
このままどこにもたどりつけなかったら、どうしよう。
また、一人ぼっちになってしまった。
そう思った時だった。
『辛島さん』
夜明け前の一番暗いときに現れる導のような、「声」が聞こえた。
顔を上げると、喧噪の中に沢見くんが立っているのを見つけた。少し慌てたような、心配するような表情。
『ごめん。やっぱ気になって、様子見に来ちゃった』
階段でのやり取りのあと、心配だからついてくるといった沢見くんに、また明日学校で、と格好つけたのに。
(沢見くんには、敵わない。)
私は彼に駆け寄って、その胸に飛び込んだ。
安堵のため息のように、飛び出した感想は
「寂しい」
だった。
ずっと一緒に過ごしてきた人たちとの決別は、自分が望んだこととは言え、やっぱり寂しい。だってこの一年間、彼女たちはずっと私の居場所だったのだ。
『お疲れさま』
そう言って、ぎゅーっと強く抱きしめると、沢見くんはぱっと離れていく。
やっぱり往来の中での抱擁は、恥ずかしいものがあったのだろう。耳を真っ赤にした沢見くんにつられて、私も我に返って、静かに赤面する。
「それでね、フォンダンショコラ、残っちゃった」
気を取り直して、フォンダンショコラの入った紙袋を掲げてみる。沢見くんは何とも言えない表情をしていたけれど、それがありがたかった。
「だから、やけ食いするの手伝ってくれない?」
『いいよ。もちろんだよ』
紙袋の中から一つを取り出して、沢見くんに渡す。私も一つ取り上げて、ラッピングを解いた。カップから外し、息を止めて、豪快に一口を頬張る。もうすっかり冷えてしまっているから、中のチョコレートレートは溶けだしてこない。咀嚼すればするほど、チョコレートの甘ったるさが口の中に残る。
止めていた呼吸を再開すると、チョコレートの匂いが肺いっぱいに入って、鼻を抜けていく。
久しぶりに作ったチョコレートのスイーツは、ほんのりしょっぱかった。
『駅前のカフェで』
良く五人で女子会をしていた場所だった。サエリ達は帰りのホームルームが終わると、四人で連れ立って下校していき、私は一人で追いかけた。
四人が談笑しながら歩いていくのを、私は少し後ろで眺めていた。お店に着いたら、さも五人で来店したかのように「佳純は何にするの」と注文を促されて、慌てて「アイスティーで」と答えた。おかげで噛んでしまい、四人はくすりと嘲笑した。
いつもは窓際の席に座るのに、今日は奥のテーブル席だった。
四人は詰めてソファー席に座り、私だけが椅子に腰かけた。注文したドリンクが届くまで無言だったことは、今日を除いて一度もない。四人はまるで私なんていないように、スマホに向き合っていた。
きっと、私を除いたトークルームで会話しているに違いない。
落ち着かなくて、テーブルの下で手を握ったり、さすったりして気を紛らわしていた。
ドリンクが運ばれ、みんなが一口ずつ飲む中で、私は自分のアイスティーのグラスを眺めていた。ぼんやり水滴を数えてしまうくらいには、沈黙が続いていた。
「心当たり、あるよね?」
口を開いたのは、奈々未だった。
顔を上げて彼女たちの顔を見ることはできなかった。うつむいたまま、「ごめん」と謝罪の言葉を口にした。
「なんで謝るの?」
強気に問い詰められて息をのむ。うまいいいわけが思いつかずに、閉口すると、もも恵が大きなため息をついた。
「何が理由かわからないのに、謝るのはどうかと思うよ」
また沈黙が訪れて、しばらくすると、沙菜が切り出した。
「小学校のとき、男巡って友情崩壊させたってマジ?」
四人の視線は冷ややかで、まるでナイフで突き刺すような鋭さを持っていた。
「入学した時から、ちょっとキョドってるなとは思ってたけど」
「そりゃあ、人づきあいも下手になるか」
「てか、私たちも自分の彼に手出されるかと思ったら気が気じゃないし」
「このタイミングで気づけて良かったよ、ホント」
「頼りにされていると思って調子に乗って、周り見えてなさすぎじゃない?」
「というか、わきまえなさすぎ?」
ウケるんですけどぉ、と笑いあう彼女たちに、何も言い返すことができない。
彼女たちの言う通りだ。あの時の私は、頼られていることにいい気になって、自分の行動は正しいと信じて疑っていなかった。結局は三人を傷つけ、そのことをトラウマにしている私は、傲慢なのかもしれない。
だから、もっと、もっと、自分の気持ちは隠さなければいけないと思った。誰にも悟らせないほどに、押し殺す必要があると思った。みんなに気に入ってもらえるように、みんなの望む「私」に慣れるように。「道」を、踏み外さないように。
そうやって信頼を得ることができれば、それまでの努力が私の味方になってくれるはず。そう信じて疑わなかった。
でも、どうやっても過去を変えることができないことを、忘れていた。
世間は案外狭いらしい。
誰からそんな話を聞いたかなんて、聞く気も起きなかった――それなのに。
「ま、これ教えてくれたの、沢見なんですけど」
耳を疑った。
「……沢見、くん?」
予想外の名前に困惑する。彼女たちに私の動揺は手に取るようにわかるのだろう。その目が、口が、意地悪に歪んでいく。
「少女漫画気取りか、っての」
「白馬の王子様だと思ってたのが、実は毒リンゴ持ってきたおばあさんだったって、どんな気持ち?」
「ねえ、こんな時にちょっと頭いいヒユとかしないで」
「あんたの方こそ、ヒユとかいう単語使わないで」
きゃらきゃら笑う彼女たちの声が、耳の奥で響く。耳を押さえたくても、体がこわばって、腕を動かせない。
「佳純さ、沢見くんと付き合ってんでしょ?」
どん、と心臓が大きく動いた。頭が真っ白になって思考停止寸前で持ち直す。
わずかな沈黙でも、肯定と捉えたらしい。
付き合ってない、まだ。そう口にする前に、さらに問い詰められる。
「私たちは友達だと思って、なんでも相談してきたのにさぁ」
「自分は内緒でこそこそやってんの、フツーにきもいんですけど」
「純情そうな顔して、意外とビッチ?」
「でも結果的に裏切られてるんだからさ」
きれいなアイメイクの施された目に、捕らえられた。
「みじめだよね」
信じてた。沢見くんはそんなこと、しないはずだって。
でも彼女たちが、私の小学校時代の同級生と接触する機会はほぼゼロに等しい。ならば、誰が私の過去の話を知っているかといえば、沢見くんしかいない。
ずっと、だまされていたの? でも、いつから?
私を好きだと言って、キスをくれた沢見くんのことを信じたい。
信じたいと思うのに、私の過去を知る人が沢見くん以外に思いつかない。
その名前は、私を絶望のどん底に突き落とすのに、十分だった。
視界がだんだんとぼやけて、膝の上で組んだ手に、ポタリと涙が落ちていく。
「あとさぁ」
まだ、何かあるのだろうか。そんなに私のことが嫌いなら、もう放っておいてくれないだろうか。これからは、今まで以上に、決して出しゃばらずに、一人陰を歩いていくと約束するから。
誰かの特別になりたいなんて、望んだりしないから。
「何が許せないって、私たちにあげようとしてたチョコレート、沢見にあげたでしょ」
にわかに、一寸の光が差した。そのまま深海に沈んでいきそうだった私の意識は、その言葉で浮上する。
「……うそ」
「え?」
掌で涙をぬぐい、視界が鮮明になる。
「沢見くんが言ったって、それ、嘘だね」
表情こそ崩沙菜かったものの、明らかに彼女たちの瞳に動揺が現れた。
「私たちのこと、疑うってわけ?」
「疑うっていうか、それは嘘だって、はっきりわかる」
「どうしてよ」
「だって私、沢見くんにチョコレートをあげてないから」
サエリが肩をこわばらせたのが分かったけれど、私は正面に座る奈々未から順に彼女たちの顔を見た。
おそらく私たちが話しているのを聞いたのはサエリだろう。迂闊だったと今更後悔する。
「なんで、沢見とイイカンジになってること、私たちに黙ってたの?」
やや間があって、サエリに問いかけられる。その目は怒りで真っ赤になっていた。
「ねえ、佳純。私たち、友達だったはずなのに、どうしてそんなに隠し事が多いの?」
その声はほとんど叫びに近かった。店内の視線が私たちに向き、すみません、と謝る。隣に座るもも恵が、サエリをなだめていた。その光景を見て、みんなはサエリが沢見くんに告白したことを知っているのだと、なんとなく確信した。
「サエリの言う通りだよ。佳純って、一度も私たちに自分の話をしてくれたこと、なかったよね」
「私たちは、結構なんでも、今までこうしてなんでも相談してきたっていうのに」
「佳純はいつもいつも、ただ黙って、ニコニコ、適当な相槌打ってるだけだったよね」
もも恵が、沙菜が、奈々未が、矢継ぎ早に彼女たちの思いを私にぶつけてくる。
彼女たちの目は、疑惑に満ちていた。
「一度だって、私たちのこと、信用してくれたこと、ある?」
私はやっぱり、黙ることしかできなかった。
入学してこれまでの約一年間、ずっと一緒に過ごしてきた。学校ではもちろん、授業中にもメッセージのやり取りをして、放課後は集まって、自宅に帰ってからも。四六時中スマホは自分の手の中にあった。仲は、よかった、と思う。
でも、同じグループ内なのに、何かあればすぐに他人のあしざまにいう彼女たちが嫌だった。そんな彼女たちたちに気を使いすぎて、嫌われないように振舞う自分も嫌だった。
そして何より嫌だったのは、そんな彼女たちを見て「自分は違う」と彼女たちを見下すような気持ちを持っていた、自分自身だ。
もっと最初からそんな自分に気づけていれば、私たちの仲はこんなにも複雑なことに葉、ならなかったのだろうか。
「ねえ、聞いてる?」
呼ばれてハッとなる。
「ご……」
ごめん、と言いそうになって「聞いてる」と言い直す。
「嘘だ。別のこと考えてたでしょ」
「ううん、ちゃんと考えてたの」
「何を」
「私はずっと、自分に自信がなかったことを」
私はまっすぐ彼女たちを見つめた。
「みんなのことを信じることができなかった自分が、大嫌いだったことを」
サエリが大きくため息を吐いた。
「そういうところがムカつくんだよ。自分だけ『いい子』ぶってさ」
「ホントそれな。本心いわないのなんて、美徳じゃないよ」
続く奈々未の言葉には、同意する。私も、もし同じグループにこんな奴がいたら、苛立ちを隠せていたかどうかは疑問だ。自分の言いたいことだけを全部言って、都合の悪いことには口を閉ざす、悲劇のヒロイン面をする奴なんか。
だから、変わりたかった。
「私はさ」
しゃべれなくて良かった、と笑う沢見くんの顔が脳裏に浮かんだ。
「ある一人を除いたグループを作って、その人の悪口でもりあがるの、すごく嫌だったの」
長い間一緒にいれば、それなりに不平不満は生まれるだろう。それでも、わざわざ誰かを省いたグループを作って話す理由は何なのか。それが分からなくて、いつも怖かった。だってそうじゃない話だって五人のグループではできていたのに、誰かがかけるとその「悪意」は始まるのだ。
「バッカじゃないの」
サエリが吐き捨てるように言った。
「悪口なんて、ただのコミュニケーションみたいなものでしょ」
目の前に、分岐点が現れて、私はようやく理解した。
「あんただって聖人君子じゃないんだから、先生のことだるいとか、誰のことが嫌いだとか、思うことあるでしょうよ」
それはある、とはっきり断言できる。誰だって愚痴をこぼしたくなることの一度や二度はあるに決まっている。私の過去語りだって、同じだと思う。吐き出したいこと、たくさんある。誰かをうっかり悪くいってしまうこともあるだろう。そうなるのはある程度は仕方がないと思う。人間だれしもが持つ感情だから。
けれど、人をあしざまに言ってつながる輪を、私は大事したいと思えなかった。
結局私は怖かっただけだ。みんなの言う通り、いい子でいたかっただけ。彼女たちの輪の中にいれば自分の「いい子像」は保たれる。そこに安らぎを見出していた。それが最善だと信じて疑わなかった。
そんな醜い私は、もう自分の人生にいらないのだ。
「あるよ、思うこと」
鬼の首を取ったように、彼女たちは意地悪な笑みを深める。
「でも、だからって、みんなとはもう一緒にいれない」
私の発言にみんな、「はあ?」と嫌悪をむき出しにする。
「あんた自分が何言ってるのかわかってんの?」
「わかってる。申し訳ないと、思う。こんな身勝手なこと」
だったら馬鹿正直に言うな、ってそんな声も聞こえてくるようだ。
話し合えば分かり合えるとか、そんなうまい話なんてない。どれだけ意思疎通を図ったとしても、お互いに理解できない部分は必ず存在するだろう。それを許容できるかできないかが、長く続く親交のカギなのだろう。
ただ私は、彼女たちと価値観が違う。だからこれ以上傷つけあう前に、離れる。その選択肢を取ろうとしているだけ。
「誰も知り合いのいない高校入学当時に声をかけてくれたこと、本当に感謝してる。仲良くしてくれてうれしかった。たくさんの楽しい思い出もある。……でも」
これだけは言っておかないといけない。
「私はもうこれ以上、あなたたちと友達ではいられない」
私たちの周りだけ、障壁で囲われたように音をなくした。
「なに、それ」
彼女たちの唇がわなわなと震えている。
蔑むような視線が突き刺さる。
「本当に、ごめん」
無理にわかってもらわなくてもいい。この感情は、私のものだから。
「みんなのこと、好きだったよ」
「口だけではなんとでもいえるよね」
「だって、私のこと、今日までハブらなかったじゃん」
ぐっと言葉に詰まったのを見て、胸が締め付けられるようだった。
本当はたぶん、優しい人たちなのだと思う。その証拠に、私の前では私の悪口を一切言わなかったし、他の誰の目の前でも、その人の悪口は決して言わなかった。彼女たちが会話するのは、あくまでスマホの中だけ。トークルームを間違えることだって、一度もなかった。
私の存在がきっと彼女たちを悪者に仕立て上げたのかもしれない……なんて悲劇ぶってみる。
持っていた紙袋の中から、朝渡しそびれたフォンダンショコラを取り出し、一人ひとりの目の前に、ラッピングしたフォンダンショコラを置く。今朝渡しそびれたものだ。
「なにこれ」
「バレンタインデイのお返し」
四人はそれぞれに見比べている。お互いにどうするのか様子を窺っている。
いつかのように、捨てられるかもしれない。目の前で、握りつぶされるかも。
これは、私のはただの自己満足だから、彼女たちがそうするのであればその選択を尊重しようと思う。
「これが佳純の本心ってわけ?」
どうなってもしらないぞ、言外含んだその言い方に、私は強い意志を持って頷いた。
「うん」
私の答えに、張りつめていた空気は少しずつ無に帰していく。みんなの感情の昂ぶりも収まっていくようで、背もたれに身体を預けていった。
「なんか、佳純って、思ってたのと、全然違った」
「そう、かな」
「沢見と二人、変人同士でお似合いなんじゃない?」
「こんな意味わからない人間、こっちから願い下げだよ」
サエリがそう言って席を立つ。それに続いてみんなもぞろぞろと、私の方なんて見向きもせずに、お店を出ていった。
テーブルの上に、私の作ったフォンダンショコラを残したまま。
たたきつぶされなかったのは、彼女たちのやさしさ。お返しができなかったのは、残念だ。
深呼吸を一つする。緊張を、すべて吐き出すように。フォンダンショコラを紙袋の中にしまい、氷の解け切ったアイスティーを一気に飲んで、私も店を出た。
三月も中旬。桜の木には今にも咲きそうなふっくらとした蕾がついている。真冬のように、心から冷えるような寒さはない。もう吐息だって、白くはならない。
私が立っている場所は大通りで、街灯であたりは明るいけれど、月だけはそこに輝いてすぐに見つけることができる。
きっと今の私なら、一人でも立てる。トロッコに乗って目的地に着くまでぼんやりするのではなく、広大な海を自分の船のかじを取って、どこまでも進んでいける気がした。
こんなに清々しい気持ちなのに、地面がぐらぐら揺れているように思えて心もとない。
車のヘッドライトで光の斑らができる真っ黒い歩道を一人、歩いて行く。
自動車の走行音。
すれ違う人の話し声。
建ち並ぶ店の中から聞こえる音楽。
すべてに焦燥感を駆り立てられる。
このままどこにもたどりつけなかったら、どうしよう。
また、一人ぼっちになってしまった。
そう思った時だった。
『辛島さん』
夜明け前の一番暗いときに現れる導のような、「声」が聞こえた。
顔を上げると、喧噪の中に沢見くんが立っているのを見つけた。少し慌てたような、心配するような表情。
『ごめん。やっぱ気になって、様子見に来ちゃった』
階段でのやり取りのあと、心配だからついてくるといった沢見くんに、また明日学校で、と格好つけたのに。
(沢見くんには、敵わない。)
私は彼に駆け寄って、その胸に飛び込んだ。
安堵のため息のように、飛び出した感想は
「寂しい」
だった。
ずっと一緒に過ごしてきた人たちとの決別は、自分が望んだこととは言え、やっぱり寂しい。だってこの一年間、彼女たちはずっと私の居場所だったのだ。
『お疲れさま』
そう言って、ぎゅーっと強く抱きしめると、沢見くんはぱっと離れていく。
やっぱり往来の中での抱擁は、恥ずかしいものがあったのだろう。耳を真っ赤にした沢見くんにつられて、私も我に返って、静かに赤面する。
「それでね、フォンダンショコラ、残っちゃった」
気を取り直して、フォンダンショコラの入った紙袋を掲げてみる。沢見くんは何とも言えない表情をしていたけれど、それがありがたかった。
「だから、やけ食いするの手伝ってくれない?」
『いいよ。もちろんだよ』
紙袋の中から一つを取り出して、沢見くんに渡す。私も一つ取り上げて、ラッピングを解いた。カップから外し、息を止めて、豪快に一口を頬張る。もうすっかり冷えてしまっているから、中のチョコレートレートは溶けだしてこない。咀嚼すればするほど、チョコレートの甘ったるさが口の中に残る。
止めていた呼吸を再開すると、チョコレートの匂いが肺いっぱいに入って、鼻を抜けていく。
久しぶりに作ったチョコレートのスイーツは、ほんのりしょっぱかった。

