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『佳純にちょっと話あるんだけど、放課後時間つくって』
 サエリから個人的なメッセージが来たのは、帰宅してからのことだった。こちらの予定は関係なく、それが決定事項のような書き方だった。
『どうしたの?』
 そうやって返信したけど、『直接話がしたいから』と内容は教えてくれなかった。
 当然眠れるはずもない。心当たりがありすぎて、どのことについての話なのか悶々と考えてなかなか寝付けずに、気が付いたら部屋の中が窓から入る朝日で明るくなっていた。
 朝ごはんもそこそこに、フォンダンショコラの入った紙袋を携えて登校すれば、嫌な予感は的中した。
結局朝の登校時にお返しを渡すと決心していたのに、「おはよう」と声をかけても、四人からの返事はなかった。私を一瞥しただけで、スマホを注視するばかり。
 話をする、しない、の選択権は私にあると思っていたのは、驕りだったらしい。休み時間になっても、サエリ達は四人で集まって話をするのに、私がその輪に加わろうとすると散ってしまう。お昼休みになっても、私はもも恵からも、奈々未からも、沙菜からも話しかけられることはなかった。教室はそんな私たちの険悪な雰囲気を遠巻きに眺めている。それがどうしようもなくいたたまれなくて、私は一人トイレにこもってお弁当を平らげた。
 三月になって席が離れた沢見くんはなんとなく察したようで、時折目が合った。
『大丈夫?』
 訴えてくる視線に、くじけそうになりながらもなんとか自分を保って、大丈夫だと答える代わりに笑って見せた。
(大丈夫、大丈夫。)
 胸の内で、まじないのように唱える。
 しかし、どんなに決意しても、昨日今日とすぐには強くなれない。
タイムリミットがすぐそこに迫った掃除時間、一人階段の掃きを掃除をしながら、渦巻いた不安や焦りなどから、ぽろりと本音がこぼれ落ちた。
「死にたいかもしれない」
 口にし出すと、ますますその気になってしまいそうになる。
あまりに大きな決断の前に、足がすくんでしまう。掃除をしなければいけないのに、階段途中の踊り場で動けなくなった。
 誰かと話しをするということが、こんなにも覚悟がいるなんて、知らなかった。
 箒を支えにしゃがみこむ。窓からの光を受けて階段に映っていた等身大の影が小さくなったのを見て、そのまま消えてしまえたら楽なのに、とそんな考えがよぎる。
 すると、ギャラリーの通じる扉が開く音がした。立ち上がって取り繕おうと思うのに、うまく立ち上がれない。誰が来たのかわからないけれど、もうどうにでもなれと半ば投げやりになりながら、固く目を瞑った。
 その人は、何も言わず、私を抱きしめてきた。
良く知るその体温に顔を上げると、沢見くんが私の前にしゃがみこんでいた。
 ――怖い?
 その問いかけに、素直に頷く。
 怖い。
何を言われるか、怖い。
今までの関係が崩れるのが、怖い。
 いつまでもぬるま湯につかっていたかったわけではないけれど、終わりが目の前に迫っていると知ったら、手放すのをためらってしまうくらいに、怖い。
 感情が昂って、目頭が熱を持つ。徐々に涙の膜で、沢見くんが見えなくなる。
 目を閉じると、頬をいくつもの涙がすべって、そして――唇に温かいものが触れた。
 驚いて目を開けると、いつかのように言い知れぬ熱のこもった、けれどどこか思いつめたような瞳とかち合う。今度はこちらをうかがうように唇を寄せられ、私は受け入れるように目を閉じた。
 ふわりとせっけんのにおいが鼻先をくすぐって、確かな柔らかい熱が唇から伝わってくる。お互いの吐息を交換するようにわずかに口を開けて、また少し長く重なる。
 どちらともなく離れて、お互いの顔が見える距離で目を開けた。
 沢見くんの瞳はおびえるように揺れていた。死にそうだと私のことを語ったことが思い出される。一瞬でも負の感情に支配された自分が、情けなく感じた。
 それが彼に伝わったのか、沢見くんは「それでもいい」と言うように頬の涙をぬぐってくれる。
本当に人の心の機微に聡いのだ、この人は。
「私の声を食べて、沢見くんがしゃべれるようになったらいいのに」
 沢見くんは優しい吐息をこぼして笑った。くしゃくしゃと私の頭をなでて、また抱きしめてくれた。
『僕の『言葉』をあげるから。辛島さんはちゃんと『声』にしておいで』
 勇気づけてもらっても、あとからあとからあふれる不安はぬぐえない。それでも、ひとりきりで堕ちていきそうだったさっきよりは、だいぶ落ち着いていた。
「沢見くん」
 沢見くんは、私の涙をぬぐっていた手をとめて首を傾げた。
「私、手話の勉強するね」
 あくまで「普通」に近づきたい沢見くんの気持ちは、そのままに。彼が広げてくれた世界を、もっと知りたいから。そんな私の思いは、きちんと彼に伝わったようで、沢見くんはもう一度、優しいキスをくれた。