「俺とデートしてください!」
昼休みの中庭。取り囲むようにそびえ立つ校舎にこだまする俺の声。これは儀式みたいなものだ。或いは様式美。隣町に先月開園したとかいう遊園地のチケットを差し出した目前には、今まで何人もの告白を斬り捨てて来た先輩。そうやって無数に積み重ねられて来た屍の山を賑やかす一つに俺も名を連ねようと。これはそういうイベント……のはずだった。
「……いつ?」
「へ?」
予め決められていたはずの負けイベントを消化しようとしていた俺に、全く想定してなかった言葉が突き刺さり反射的に生返事をしてしまう。今の俺はいつにも増して間抜けな顔をしているだろう。あまりにも無惨なストーリーに、ショックで幻覚でも見てしまっているのかもしれない。そうとしか考えられなかった。
「だから、いつ?」
しかしそれが聞き違いでも幻覚でもないと証明するように、先輩は至って冷淡な声でそう繰り返した。その切れ長な目から突き刺すように向けられた視線は、俺を全く捉えていないにも関わらず。
そうして俺はフリーズしかけた頭を振り絞りながら、なんとか予定されていなかったはずの言葉を紡ぎ出した。
「……えっと、次の日曜日……?」
「そう。じゃあ日曜日のお昼に。その駅の前でいいわね」
先輩は事務的にそう言い残すと、長く下ろした髪の毛をなびかせてあっさりと立ち去ってしまった。一歩、一歩と踏み出すたびにコツコツと音を立てながら。俺と同じ上靴を履いているはずなのに、一体どこからあんな音が出ているのだろう。
そうやって先輩がいなくなると、教室のベランダから観覧していたあちこちの見物人たちがザワザワと音を立て始める。困惑を隠し切れないと言ったように。いつも通り負けイベを観覧しに来たつもりだったのだろうから当然だ。無惨な撃沈という用意されていた結末が訪れず、収拾の付け所を見失ってしまったのだろう。俺だって意味がわからない。
結局俺はそんな観客たちに軽く一礼をすると、逃げるように校舎へと駆け戻っていった。こんな空気のまま衆人の目に晒されては堪ったものじゃない。
*
「おいおい、どうなってんだよ!」
教室に戻ると開口一番、梅ちゃんが俺に駆け寄って大きな声を出した。クラスメイトたちの視線がヒソヒソと俺に注がれている。
「どうって言われても……」
「なんであの人がオッケーしてんだよ! おかしいだろ!」
そんなの俺が一番聞きたい。何がどうなっているのか。俺が一番理解できていないのだ。
長阿弥朝衣。実りの杜学園高等学校三年B組。図書委員会所属。帰宅部。だいたいわかっている情報はそれくらい。そんな彼女を一言で表すならクールでミステリアス。教室ではいつも一人で、最低限の会話しかしない。頭からつま先まで一本の芯が通されているかのように、ピンとした姿勢でただ静かに座っている。長いまつ毛に縁取られた切れ長の瞳で、いつも刺すようにどこか遠くを見つめて。そして何よりこの学校で一番と言っていいほど美しい。一切着崩していないはずの制服も、彼女が着ると何かの衣装のように様になって見えるほど。それが長阿弥先輩。
そんな彼女は毎週のように誰かに呼び出されては、無惨な告白劇を披露している。野球部のエース、サッカー部のキャプテン、芸能活動のようなものをしているというモデルの先輩、生徒会長等々、誰が前に立とうと彼女が首を縦に振ることは決してない。そうしてその中の一人に俺もなるはずだったのが先刻。何故か彼女は俺の誘いに初めて、頷きというモーションが実装されていたことを見せたのだ。運動ができるわけでも、勉強ができるわけでも、容姿が整っているわけでも、権力があるわけでもない俺と何故かデートをしてくれるらしい。全く持って意味がわからない。
「俺だって何がなんだかわからないよ。だいたい梅ちゃんがいけって言うから……」
「星夜がシュレディンガー長阿弥のこと気になるって言ったんだろーが!」
俺の責任転嫁に梅ちゃんはすぐ反論を唱える。確かにそうなのだけど、まさかこんなことになるなんて思うはずがないだろう。ダメ元というよりダメで当然、ダメ当で俺は告白劇を演じる一人になろうとしただけなのだ。何よりあの秘密に少しでも近づくために。
長阿弥先輩はいつも左手に手袋をしている。その白く細い手首まで覆い尽くす、革製の真っ黒な手袋。それを先輩は学校にいる間、常に装着している。授業中はもちろん、食事や体育の時間まで。長阿弥先輩は片時たりともその手袋を外さない。何故いつも手袋を付けているのか、その手袋の中の左手がどうなってるのか。この春に入学してからまだ半年も経っていない俺たち一年生はもちろん、三年間共に学園生活を過ごして来た先輩たちまで、誰一人として一切知らないのだ。知り得ない。全てが謎に包まれている。
だからシュレディンガー長阿弥。誰も知らない手袋の先に何があるのか。酷い火傷の跡を隠しているんだとか、とんでもない刺青が入っているんだとか好き勝手に飛び交う噂の真偽も、実際に見てみなければ何もわからない。そんな風に誰も観測できないそこには、噂されているすべての可能性が重なって存在している。シュレディンガーの猫と掛けたその安直な言説がいつしか広まり、俺たちが入学した頃にはもう誰もがその異名で彼女を呼んでいた。深く人と関わろうとしない彼女では、その噂を否定する人もいなかったのだろう。
俺はそんな長阿弥先輩の左手が気になってしかたがなかった。深く閉ざされた黒に包まれた左手。そのぼんやりとした輪郭の向こう側には一体何があるのか。誰も知らない隠された秘密。深い夜の底に沈められた秘密。誰の目にも触れたことのない宝石のような秘密。じっと息を潜めて、その時を待ち侘びている秘密。そこにはただ身体の一部があるわけではなくて、何かこの世界の秘密全てのようなものが隠されているのではないかと、そんな風に思えてならなかった。それを暴いた時に自分は一体何を思うのか。どうしても知りたい。一度そう思うと、長阿弥先輩の左手が頭から離れなかった。
そうやって何かしら関わりを持てないかと、面白半分の梅ちゃんに背中を押されるまま遊園地のチケットを片手に告白劇団員に立候補した結果、何故かあまりにも呆気なく通り抜けてしまった。観測するまでもなくNOしかないと思っていたイベントだったが、ちゃんとYESと重なり合って存在していたらしい。本当に意味がわからないし未だ半信半疑とは言え、とにかくこのチャンスをふいにするべきではないのは確かだ。
そうして未だワーワーと騒ぎ立てている梅ちゃんを尻目に俺は、来たる日曜日にその秘密を暴いて見せようと静かに決意をするのだった。
*
本当に長阿弥先輩はやって来るのか。何か壮大なドッキリでもかけられているんじゃないかと。そう未だ数日前に起きたことを信じられずにいながらも、「お昼」という先輩の漠然とした指定を漏らさないように、朝の九時から遊園地に隣接した駅でその時が来るのを待つ。そうやってだいたい一時間くらいした頃、長阿弥先輩は間違いなく俺の目の前に姿を現した。余計な杞憂だったとあっさり告げるように。
「……待たせたかしら? 私の方が早く着くと思っていたのだけれど。ごめんなさい」
「い、今来ました! だから大丈夫っす!」
「そう。ならよかった」
いつもの制服ではなく白いワンピースを身に纏った長阿弥先輩は、やっぱり淡々とそう言った。なんだか少し意外なチョイスだが、やはりその左手はいつものように黒い手袋で固く閉ざされている。
「あの! すごい、似合ってます、その服」
「……うん。行きましょうか」
この数日間考えに考え練習していた会話の糸口も、先輩の手にかかれば一言で一刀両断。やはり一筋縄でいくわけはなさそうだ。まあそんなの、普段の先輩を見ていれば想像せずともわかっていたことだが。
そうして徒歩五分の遊園地まで歩く道中、「車道側を歩くんだ。車道側を歩くんだ」と確認するように言い聞かせて自然に取ろうと、何なら手でも繋げないだろうかと考えていたその位置も、先輩は決して譲ってはくれなかった。自分の左側には絶対に誰も通さないといった様子で。手持ち無沙汰になった右手を揺らしながら、本当に大丈夫なんだろうかと始まる前から暗雲立ち込めるデートは始まった。
*
耳から耳を突き抜けていくような悲鳴が渦巻く空の上で、長阿弥先輩だけがいつも通り。叩きつけるような風で靡いた髪を辿ると、平然と澄ました顔でじっと一点を見つめている。
そのままコースターは一番高い山のてっぺんまで来て、あとはもう落ちていくだけ。ふと下を見ても何もかもがゴマ粒のようにしか映らない。そんな崖っぷちでも長阿弥先輩は微動だにせず、微かな声どころか息遣いすら漏らす気配は全くなかった。本当にどこまでも徹底している。鉄仮面のように。
落ちる。そう思った瞬間にはもう内臓が浮き上がっていた。身体中から全ての臓物が飛び出していくようなそんな速度に、俺も含めあちこちから上がる絶叫。ただ一人隣に座す長阿弥先輩を除いて。横目でチラリと見た先輩は、目を閉じることなくやはりここではないどこかを見つめている。感情ごとどこかに脱ぎ捨ててしまったみたいだ。
まあ、何でもいい。俺の目的は先輩の表情を崩すことじゃない。その手袋の秘密を暴くことだ。この坂を降りたら最後に待っているのは着水ポイント。そう、このジェットコースターは一度乗ったらびしょ濡れになって降りるしかないともっぱらのアトラクションなのだ。服にはビニールのカバーをかけてもらったが、あの手袋を守ることはできない。しかも最も水がかかるという最前列に座れるよう計算をして列に並んだ。作戦は完璧。早々に手袋の中身を拝ませてもらおう。
降り落ちるコースターの中意気揚々とその時を待ち、そうして俺たちは水の奈落へと突進していった。
「……お疲れ様です」
「ええ。お疲れ様」
先輩の顔にはあまりにも飄々と、いつも通りの表情が張り付いている。俺の足はまだ少し震えているというのに。
「あの、ごめんなさい。髪。いきなり濡れちゃいましたね」
「そうね。……大丈夫よ。一番人気のアトラクションなのでしょう?」
先輩はそのパックリと割れてしまった前髪を整えながら、事も無げに流した。所々水の被ったその黒髪は、しっとりと艶めいている。それだけ。肝心のその手元に目をやっても、そちらは全くの無傷。一体どうなっているんだ。どこまでも冷静な先輩と同じように、その手袋は深く黒くそこに在り続けている。全く濡れた様子もなく。
女の子は絶対に崩れない無敵の前髪を作るのに毎朝忙しいらしいが、長阿弥先輩のそれは全て左手の手袋に注がれているのだろうか。あれだけの豪風と水飛沫に晒されても、強固に守られた砦のように一切崩れる気配がないのだからそうとしか思えない。
「……あの! お昼食べませんか? あそこのハンバーガーが名物みたいで」
しかし、それもまた想定の範囲内だ。元々そう簡単に倒せる敵だとは思っていない。そうしてさっさとプランBに移行しようと、俺はその店を指差すのだった。
*
「お待たせしました〜。クラウンパークバーガーです」
顔の半分ほどあるそのハンバーガーを見ても、長阿弥先輩は眉一つ動かさない。店員が放つ満点の笑顔にも、凪のような顔で少し会釈を返すだけだ。崩れてしまった髪の毛を後ろで一つに結んだその頭で。
「先どうぞ!」
近くのテラス席に移動すると、俺はそう先輩に促す。「せっかくだから名物の超巨大ハンバーガーを半分ずつ食べませんか?」と、もしかしたら断られるかもしれないと思っていた提案にも先輩は特に異を唱えることなく順調に事は進んだ。
「……いいのかしら? 柚木くんが先に食べたら?」
「いいんです! 先輩が食べてください!」
先に食べてもらわないと俺の計画が意味を成さなくなる。別に間接キスを狙っているとか、そんなのじゃない。というか、そんなことより先輩が俺の名前を知っていたということに驚きだ。そりゃもちろん普通ならデートする相手の名前を知っているのは当然だけど。ここまでの先輩と俺には全くデートという雰囲気はない。最低限の会話こそしてくれているが、それだけ。本当になんで先輩は今日俺と一緒に遊園地なんかに来てくれたのか。謎は深まるばかりだ。
何にせよ俺は俺の目的を果たせればそれでいい。この超巨大ハンバーガーはもちろん片手で食べるなんてできるわけもなければ、あの手袋をつけたまま上手く食べるのは相当難しいだろう。もし片手に手袋を背負ってこんなものを食べたとしたら、手袋ごと汚れてしまうこと必至。どう転ぼうと手袋を外さなきゃいけなくなると、これが俺のプランBだ。
そうして先輩が「それなら」とハンバーガの包みに手を伸ばした。掌を優に超える大きさのパンズからこれでもかと溢れるベーコン、レタス、トマト、オニオンリング、そして特大パティ。そもそも手袋とか関係なくどうやって食べるんだよと言うような代物だ。どう考えても俺の目論見通り行くだろうという確信を持って見つめる最中、先輩は手袋をつけたままハンバーガーにかぶりついた。
それはなんだか魔法のようだった。洗練された手つきで細い指を踊らせて、少しでもバランスが崩れたらぐしゃぐしゃに崩れてしまうであろうハンバーガーを器用に持ち上げる先輩。顔を少し逸らしながら、とてもとても小さい口で一口、また一口と齧る。それでは一向に量は減らないだろうというようなその一口で、何故か具材たっぷりのハンバーガーの質量はどんどん削られていった。レタスのシャキシャキとした音、トマトの果汁が滲む音、オニオンリングのザクザクとした音。その小さな口で全ての音が順番に奏でられる。その所作はとてもジャンクフードを食べているとは思えないほど至って上品で、ゆったりとしたリズムであるにも関わらず、クラウンなんて大層な名前を冠しているはずのハンバーガーは確かに形を変えて行った。
「……うん。ごちそうさま」
気づけばあっという間に半身を失ったハンバーガーをテーブルに置くと、先輩は静かにそう呟いた。一切の汚れを持たない手袋で、ハンバーガーの包みを折り曲げながら。
またしても俺の敗北のようだ。そうして俺は先輩に渡されたそれを口に入れる。こぼれた。半分しかないのに。半バーガーなのに。なんなんだ本当に。
*
結局あれからメリーゴーランド、お化け屋敷、回転ブランコ、コーヒーカップと、計画した通りにどんどん回って行ったが、先輩は手袋を外す素振りすら見せはしなかった。
長阿弥先輩の左手は、怪盗の前に立ちはだかる金庫のように、どんな時でもあまりにも強固に守られている。まさに難攻不落。本当にどうしようもない。
もう手袋のことなんて忘れて、学校一の美人と過ごせるデートなんてひとときをただただ純粋に楽しむべきなのではないか。そんな考えが頭を過りながらも、やっぱりどうしても諦め切れない。そんな狭間で揺れていると、突然隣からその声が聞こえた。
「……ねえ、ちょっと行きたいところがあるのだけれど。いい?」
「えっ、はい。もちろん……?」
それは思いも寄らない一言だった。思わず言葉に詰まってしまうくらい。そもそも今日、先輩から話しかけて来てくれたのも初めてなのではないか。ここまで俺が何か話せば必要最低限ではあるものの会話を返してくれていた。しかし本当にそれだけで、先輩はこの一応はデートとされているものを少しでも楽しんでくれているのかずっと疑問だった。というか楽しめているわけないだろうとしか思えなかったが、この遊園地の中に先輩のお眼鏡に適うものがどうやらあったらしい。晴天に雷が落ちたような衝撃だ。これでその「行きたい場所」がお手洗いとかだったら腰を抜かしてしまうけど。それでもその可能性の方が高いのではないかと思えてしまう。しかし、先輩が告げたその場所は、確かに遊園地のアトラクションの一つだった。
「すごいっすねこれ。本当に穴が空いてるみたいです」
「ええ。そうね」
先輩がまじまじと視線を落とす。その切れ長の目はしっかりと目の前のそれを捉えていて、そんな先輩の姿は今日初めて見た。ここまで先輩は俺の隣にずっといたはずなのに、ずっと本当はどこか他の場所にいるようなそんな不思議な感覚があったのだ。その先輩が確かに今ここにいる。
行きたいところがあるという先輩にくっついて足を進めると、遊園地の開演記念で特別開催されているトリックアート展に辿り着いた。『ルビンの壺』や『妻と義母』といった様々な騙し絵だったり、『エイムズの部屋』や角度によって錯視を引き起こすアナモルフォーシスなど、多種多様なトリックアートを体験することのできる特設展だ。中でも一番人気なのはSNSに投稿できるフォトスポットで、場所によってはそれこそ外のアトラクションのように行列ができているのだが、先輩の興味は実際に今肉眼で見て体験できるものに注がれているようだった。
「でもなんか意外でした。先輩がこういうのに興味あるって」
平面に描かれているにも関わらず、一度足を踏み入れたら吸い込まれてしまいそうな落とし穴の上に飛び乗ってそう訊ねる。ちゃんと床があると頭ではわかっていても、一瞬心臓がギュッと掴まれたような、そんな風に身が竦んでしまった。ゲームのアバターを高いところからわざと飛び降りさせた時みたいだ。
「……妹が騙し絵とかそういう絵本が好きで、昔よく一緒に見ていたの」
妹と一緒に絵本を見る先輩。俺の知っている先輩からでは、あまり想像できない姿だ。そもそも先輩に妹がいるなんて話は聞いたことがない。もしかしたら俺以外誰も知らないんじゃないだろうか。そう思うとなんだか少し嬉しいと、小さくガッツポーズを作ってしまった。
「もしかして、ここが気になってたから俺と遊園地に来てくれたんですか?」
そう考えるとわりとだいたいのことに合点がいく。俺が遊園地のチケットを差し出したから、いつもなら造作なく振り払われるはずだった手を取ってくれたと。
「……そうかもしれないわね」
なんだか煮え切らない答えだ。まあもしそうなんだとしたら、バイト先から優待チケットをもらって来てくれた梅ちゃんに感謝しなければならないかもしれない。
そうやって心の中で梅ちゃんに手を合わせていると、突然その声が耳を刺した。
「——きゃっ」
「大丈夫っすか……!」
黒と白のタイルが交互に敷き詰められている中で、所々うねるようにそのタイルを変形させ地面が歪んでいると錯視させるトリックアート。それで平衡感覚を無くすという展示の中にいつのまにか入っていたらしい。そんなトラップに注文通り引っかかってしまった先輩。なんだか本当にここに入ってからの先輩は、なんとなくそれまでと違う何かを感じさせた。
俺は地面に尻餅をつく先輩に自然と手を差し出したが、先輩は「……ええ。ありがとう」と一言だけ断って、何もなかったと言うように自分の手で立ち上がる。そんな風にいつも通り平然と涼しい顔をしていたが、心なしかばつが悪そうに目線が動いていたことを俺は見逃さなかった。なんだかかわいい。あと転んだ時の声もかわいかった。俺しか知らない先輩の一面ということにしておこう。
そうやってトリックアート展にいる間、先輩の目にはいつもとは違う何か光のようなものが常に灯されていた。
*
「今日はありがとう。……楽しかった」
トリックアート展を出ると、先輩はすぐにそう言った。それは敗北へのカウントダウン。結局手袋を巡る秘密の輪郭すら触れられないまま終わるのか。頭の中でそう警告の鐘が鳴り響いたような気がして、パニックになってしまう。どうしよう、どうしようとその言葉だけが頭の中をぐるぐると渦巻いて、気がついたら俺はとんでもないことを口走っていた。
「あの! えっと……蟹! 蟹……食べに行きませんか? 剥くやつ」
意味がわからない。本当に自分の口がそう動いたのか信じられないくらいに無茶苦茶だ。蟹なんて難解な食べ物を食べるとなったら、流石に手袋を外さざるを得ないのではないかと。頭が正常な判断をできなくなっているとしか言いようがなかった。
そうして先輩はこんな不可解の極みのようなことを言う男を前にして、一体どんな顔をしているのだろうと恐る恐る視線を上げる。
「……ごめんなさい。あまり持ち合わせがないし、そういうお店もこの辺りにはないんじゃないかしら?」
しかし先輩はそんな俺の常軌を逸した誘いにも、至極真っ当な答えを返してくれた。手袋に包まれた左手を顎に当てて、真面目に考え込むようなようなポーズを取っている。
先輩は毎週のように敢行される告白を無惨にも斬り捨てて来た。だけど、思えば毎回律儀に半ば告白スポットと化したあの中庭まで赴いて、しっかりと本人を前に断っているのだ。あんな衆人環視に晒される場所になんか行かないで、無視してしまえば済む話なのに。それなのに先輩はどこか違う場所を見ながらも、しっかり一つ一つの告白を真摯に断っている。感情なんてどこかに捨て去ってしまったように見える先輩だけど、それでもちゃんと向き合って考えていてくれたのかもしれない。きっと今みたいに。
そう思うと途端に自分のふざけた提案が恥ずかしくなって、俺は目を伏せて俯いてしまう。すると、視界の外で一つ大きく息を吐くような音が聞こえて、そうして心なしか温度が上がったようなそんな先輩の声が確かに俺の耳に届いた。
「……ねぇ、最後にあれ乗ってみない?」
顔を上げて視界に捉えた先輩の指の先では、すっかり暗くなった夜空を照らすように眩い光を放つ大きな観覧車がゆっくりと回っていた。
*
想像するよりも大きな音を立てて乗降口に滑り込んで来たゴンドラに、先輩はすいすいと乗り込んで行った。おずおずと後に続く俺に出現した二択。正面か隣か。一応デートと冠しているのだからどうだとか頭の中で呟きながら、結局俺は先輩の正面に腰を落とした。そうして扉が閉められて、作られた密室が夜空に向かって浮き上がっていく。
狭く小さい箱の中に、先輩と俺二人きり。ゴンドラの動く音に紛れて、確かに自分の鼓動を感じる。先輩はまたいつものように澄ました顔を崩さない。そうしてゆっくり、ゆっくりと上へ運ばれていくゴンドラの中で、息を潜めるような無言の時間が流れた。
二人だけの世界でどこを見ていいのかわからなくなって、目を泳がせながら時より先輩に目をやる。空中から見える夜の景色と先輩を交互に。そうしてそよ風にすら追い越されそうなくらいノロノロと進んで行くゴンドラが、ようやく四分の一程度進んだかというその時、その日初めて俺と先輩の視線が重なった。まじまじと俺を見つめて来る先輩。どこを見ているかわからなかったその目が、確かに俺に向けられていた。
「そんなにこの手袋が気になる?」
先輩がゆっくりと口を開いたその瞬間、心臓を鷲掴みにされたかのように時が静止する。何もかも見透かされているような、そんな気分にどことない居心地の悪さを感じざるを得ない。声帯ごと握り潰されたように声を出せずにいる俺に、先輩はゆっくりと言葉を重ねた。
「ねぇ、見たい?」
「……はい」
妖艶に全身を撫で回すようなその声にもういっそと、俺は本心を腹から吐き出し口にする。深く閉ざされた黒のその先に何があるのか、それだけをずっと……。
「いいよ」
先輩はそうあっさりと一言。ただそれだけを口にして、左手の甲を差し出すように俺の前へ伸ばした。どこまでも果てしなく底知れない黒。そこはこの世界から断絶された場所。白雪姫の眠る森のように。人間が決して足を踏み入れてはいけない魔の国のように。そこに踏み入る許可をもらったということなのだろうか。先輩が発したたった三文字の言葉に、意識を保てないくらい心臓が騒めき立った。
その黒に俺は恐る恐る手を近づける。この空をなぞるゴンドラのようにじわじわと。指先がその黒に触れた瞬間、吸い込まれてしまいそうなくらい引き寄せられていく。そこにあるべき温度はない。そうして微かに乱れる呼吸のままに、両手にそっと力を入れて確かにその黒を暴き出す。先輩の肌に沿ってゆっくりと、導かれるようにその黒を滑り落とした。ちょうどゴンドラがこの夜の頂点に辿り着いたその時。
——白い。雪のように真っ白な手。細く長い指に、透けるように繊細な爪、しなやかな曲線を描く甲。傷一つない淡雪のような手がそこにはあった。
思わず顔を上げると、また先輩の目に視線が吸い込まれていく。先輩は口角を持ち上げて微かな笑みを見せた。誰も見たことがないようなそんな微笑み。そうして先輩は差し出していた手をゆっくり引き上げて、重なった視線を遮るように掌を開いた。
「……あみ……だくじ?」
見たままのそれが、自然と口を衝いて出る。確かな困惑を孕みながら。
——あみだくじ。そこに合ったのは、馴染み深いそれだった。指の付け根から手首に向けて二本の線が引かれていて、右の線の上に小さく丸印が書かれている。ここを辿れと言うように。そうして指定された通りにあみだを進んで行った先にはアルファベットで『NO』の二文字。一体なんなんだこれは。これが先輩の秘密……? ずっと追い求めていたそれを飲み込み切れない。
俺が戸惑いを隠せずに呆然としていると、先輩は掲げていた腕を下ろして突き刺すような低いを声を出した。
「妹が書いてくれたの。これ」
「……妹さんが?」
想定の外から飛び出て来た人物に、先輩の言葉をそのまま繰り返す。
「そう。もう二度と会うことのできない妹が」
それは暗く、どこまでも冷たい声だった。
*
「妹は子供の頃から病気でよく入院していたの」
先輩がそう語り出す。伏せた目に陰を落としながら。
「……私もよくお見舞いに行って、一緒に絵本を読んだり。制限された中でだけど、いい姉妹をやれていたと思う。家族も……特にお母さんなんかは一日のほとんどを病院で過ごすくらい付きっきりで、最初はそうやって上手く回っていたの」
含みを感じさせるような冷たい声。全てが凍え切ったように。
「だけど、病気は一向に良くならなくて、そんな生活がいつまでも続くうちに母までどんどんやつれていって……。ううん、言い訳かなそんなの。私がワガママだったの。だから言った。『あの子ばっかりずるい』って。そう言ってしまったの。母と、あの子の目の前で」
最低な一言。そう先輩は言った。絶対に言ってはいけない言葉だと。
「それから母は家にいる時間を増やしてくれた。私と一緒にいる時間を。嬉しかった。また母と夜ご飯を一緒に食べられて、嬉しかった。そのせいであの子を独りにしてしまっているのに」
もっと自分にも構って欲しかった。妹ばっかりお母さんと。もっと私を見て欲しい。まだ小学生だった先輩のそんな気持ちは、責められることなのだろうか。だけど、それは他でもない先輩が一番……。
「もしかしたら母も疲れていたのかもしれない。私がワガママを言ってから母が病院に行く時間がみるみる減っていって、それで怖くなったの。私はとんでもないことをしてしまったんじゃないかって。私のせいであの子は……。そう思ったら恐ろしくてたまらなくなって、あの子の顔を見るのが怖くなった。そうやって私はなんだかんだ言い訳をしながら、あの子のお見舞いから逃げ続けて、そうしているうちに気づいたら数年が経ってた」
淡々と連ねられていく言葉の節々に、確かな痛みが顔を覗かせた。先輩は自分を傷つけるように、言葉を吐き出している。
「その頃にはもう母もめっきり病院に行くことが減って、私たちはあの子のことを忘れたみたいに生きてた。辛い現実に見て見ぬふりをして目を背けて。あの子はずっと独りで戦っていたのに」
もうやめてくれ。いくらそう願っても、その口は動き続ける。この傷が癒えることはあってはならないのだと。
「それでもずっと苦しかった。最低なことをしてしまったんだってずっと苦しくて。それで三年前、私が中学校を卒業した時に一人であの子の病院に行ったの。自分が楽になりたいからって。どこまでも最低でしょう?」
そんなことを言って、じゃあ、それなら楽になれたのか? その答えは決まっている。
「久しぶりに見たあの子は大きくなっていたはずなのになんだか小さく見えて。少しでも触れたら壊れてしまうんじゃないかってくらい脆い薄氷みたいに。それで本当に怖くなって、泣きそうになって、それで全部全部謝った。今までのこと、あの時のこと全部。一方的に。自分勝手に」
今壊れそうなのはきっと……。
「そうやって泣きじゃくる私を見てあの子は、サインペンで掌にこれを書いたの。無言で。最初は意味がわからなかったけれど、あの子が書いたあみだくじを辿ってそこにあった文字を見て私は……。ああ、一生許されないことをしたんだなって。ずっと私のこと恨んでたんだなって。突きつけられたその事実がどうしようもなく苦しくて、怖くなって、取り乱して、また病室から逃げ出した」
傷だらけの声色はどんどん滲んでいって、聞いているだけで苦しくなるくらいにボロボロだった。
「それから三日後だった。あの子にもう二度と会えなくなったのは。容態が急変したって、そう……。——私はもう二度とあの子に謝れない。二度と許されることはない。だからこのあみだくじを毎日上からペンでなぞるの。絶対に消えないように。自分がしたことを絶対に忘れないように。私がしたことは一生消えないから」
*
観覧車から降りた先輩は夜の底に沈むように、深く暗い闇に溶け込んでいた。その左手に付け直された手袋は、一切の光を遮断するようにどこまでも黒に縛り付けられている。いつものように無表情で感情を脱ぎ捨てたようにどこか遠くを見ているそんな姿は、ツギハギだらけの身体でなんとか立っているだけなのだと、今ならそうわかるのに。それなのに俺はそんな先輩にかける言葉を持ち合わせていない。なんて言えばいいのかなんて、何一つわからなかった。
「……今日はありがとう。そしてごめんなさい。さっきのことは全部忘れて構わないから。——それじゃあ、さようなら」
そう夜に消えていく先輩の背中に、俺は何もできない。
最低だ。どうして知りたいなんて思ってしまったんだろう。暗い闇の中に封じ込められた秘密を。誰にも触れられたくなかったはずの過去を。俺は自分の好奇心を満たすためだけ、ただそれだけのために無神経にこじ開けて、土足で踏み荒らして。
まだあの手袋の感触が指先に残っている。闇の底に沈めていたはずの秘密を無理やり引きずり出したあの感触。酷く脆い鍵を乱暴に壊して。自分の欲求のためだけに。先輩の傷を抉って。それで一体何を得られたと言うのだろう。
先輩のことが知りたかった。いつも所在無げにどこか遠くを見つめている先輩と、同じ景色を見てみたかった。ただそれだけだったのに。臆病で素直になれない俺は、なんだかんだと理由をつけて、正当化して、結局先輩を傷つけたんだ。
誰も知らない先輩の秘密を知って、優越感に浸ろうとでもしていたのだろうか? 俺だけが先輩のことを知っていると。そんなことのために俺は……。
いくら後悔したってもう取り返しはつかない。癒えることなんてない先輩の傷跡を、俺はまた爪を立てて切り裂いた。その痛みが消えることなんてない。
結局、拭いきれない後悔は家に帰ったそのあとも、一晩中決して消えることなくこのどうしようもない頭の中を渦巻き続けた。
*
カーテンから漏れ出す淡い光が朝を告げても、心が晴れることはない。突っ伏した机から身体は全く動こうとせず、足に力を入れようとしても砂粒を握るように漏れ出していくだけだった。
朝早くから仕事に出かけていく母親の支度する音が、下の部屋から微かに鳴り始める。昨晩、夜遅く酷い顔をして帰って来た俺に、母親は何も言わなかった。いつもなら起こしに来ていたかもしれないその大きな声も、今日は聞こえない。俺にだけ向けられたその優しさが、今はどうしようもなく苦しかった。
そうしてそのまま家から出た母親の鍵をかける音が耳を貫いて、それでもまだ俺の身体は動かない。後悔だけが燃え燻る身体で、ただぼんやりと。カーテンの向こう側に見える光が俺を置き去りにするように、どんどん高く角度を変えていっても俺の時間はずっと止まったままだった。
*
それは窓なんか開けていないのに風でも吹いたのかどこかから飛んで来て、机に伏せた俺の頬を確かに撫でた。昨日の遊園地のパンフレット。俺を猜疑するように見つめて来るそれを手で払いのけると、ふわりふわりと落ちていく。そうして床の上でぐにゃりと曲がったそこには、昨日見た『ルビンの壺』が描かれていた。砂時計のような形をした壺と、向かい合った二人の顔。注視する部分によって姿を変える絵。
あそこにいる時の先輩は、心無しかほんの少しだけ楽しそうだった。もしずっとあんな風にいてくれたら。あんな風にいられたら。それでも先輩の心には決して消えることのない傷が……。
そうやって昨日唯一先輩と心から一緒に過ごせたような、そんなあの場所のことを思い出していると、突然一つの可能性が頭を過った。それはカンダタの糸のような本当に細く薄い蜘蛛の糸。そんな藁にも縋るような可能性。だけど、そんな吹けば消えてしまいそうな灯だとしても、それでも一度そう思うと身体中が熱を持ったようにその灯に照らされるそんな感覚があった。全身の細胞が弾けるように騒めき立って、いてもたってもいられなくなるような。どうしてもその糸を掴みたいと、腐っていた身体が熱を持って動き出す。
気づくと俺は部屋を飛び出て、無我夢中で駆け出していた。
*
走る。ひたすら追い縋るように足を交互に漕ぎ出す。呼吸が浅くなって、心臓の鼓動が強く打ち鳴り出して、全身に血液が駆け巡っていく。今にも破裂してしまいそうな身体を投げ出して、ただ前に進んだ。
下校途中の人混みを掻き分けて反対に。流れる汗を追い越すように、風を切って。きっとそれはとても不格好で、みっともなくて、それでもぐちゃぐちゃに揺れる身体を必死に運んでいく。
ようやく辿り着いた校門には、ジャージのまま帰ってしまう人がいないかどうかとかそんなのを見張っている生活指導の先生。昨日着ていた私服のままの俺を止めるその声も、全部振り切って。熱を帯びた足を前へ、前へと蹴り出す。
一秒でも早く——。この衝動に身体を預けて。ただそれだけだった。
*
「柚木くん……?」
誰もいない無機質な放課後の教室。茜色が射す通路兼ベランダ側の席。その一番後ろの隅っこ。そこに先輩は一人で座っていた。呼吸もままならないまま扉を開けた俺に気がつくと、少しだけ驚いたように目を見開いて。
「……あのっ! すみませんでした!」
静まり返った教室を俺の声が切り裂いた。
「昨日は本当に……馬鹿で、無神経で、何も考えないで先輩のこと……。本当にごめんなさい」
まず、ちゃんと謝らないと。それは自分勝手な謝罪なのかもしれないけど、それでもちゃんと。ここまで走る最中、ずっとそう思っていたから。
そう教室の床が見えなくなるまで頭を下げて数秒、先輩が椅子を引いて立ち上がる音が聞こえて俺は身構える。
「……いいのよ。私の方こそごめんなさい。意地悪だったわよね、あんなこと。だから本当に忘れて欲しいの。私の言ったことなんか忘れて、君は——」
「違うんです。俺は、俺は先輩のことが気になって。先輩のことが知りたくて。それなのに正面からその気持ちを認められなくて。それで変な口実を盾にして、無遠慮に踏み込んで、本当に最低でした。本当に、本当にごめんなさい」
身勝手で自己満足の謝罪だとしても、その口を止めることはできなかった。
「……うん。大丈夫。そんな風に言ってくれて、私には分不相応なくらい。だから君はもう大丈夫。君は私とは違うから。ちゃんと謝ってくれて、それでもうおしまい。私は怒ってないから、だから君は忘れていいの」
俺の罪を取り除くように、全てを許して心をほどいてくれるようなその先輩の言葉は、同時に自分自身を責め続ける刃のように思えた。だから俺は言わなきゃいけない。
「それで……あの……俺にこんなこと言う資格ないかもしれないけど、それでもどうしても先輩に伝えたいことがあって。だから……」
無神経にその扉を開けてしまった以上、ヘラヘラ笑って引き下がるなんてできない。だからその一言を。俺はそう覚悟を決める。
「もう一度見せてもらえませんか。左手」
凍りついたように教室の空気が止まる。窓越しに外で騒ぐ生徒たちの声だけが響く教室。俺の胸で動く心臓だけが一定のリズムを取り続けていた。だけどここで止まるわけにはいかないから。だから俺は先輩の目を真っ直ぐ見つめる。
虚を突かれたように二回、小さく瞬きをした先輩と今日初めて目が合った。確かに俺を見据えている。そうして数秒、視線を逸らすように顔を俯かせると、先輩は一つ大きく息を吐いた。深い落胆を示すように。
一言も発さずに冷ややかな目で左手の手袋を掴み、指先に力を入れて一気に引っぱった。火花を散らすように勢いよく外したそれを、無造作に机へと放り投げる。そうして俺の前にまた、昨日のようにその掌を突きつけた。
「……はい。昨日と一緒。これが私の罪。あの子が私をずっと恨んでたっていう刻印。もうわかったでしょう?」
その突き放すような声は俺に向けられたものなのか、それとも自分自身に向けられたものなのか。今なら少しだけわかる。
昨日と同じ二本のあみだくじ。小さな丸印からそれを辿って、行き着くのはあまりにも残酷な『NO』の二文字。それが先輩の罪。他でもない先輩自身が決して許さない罪だと言うなら、俺はやっぱりそれを言わなきゃいけないと思った。だから俺は震える拳を握りしめながら、ゆっくりと唇を動かす。
「……それ、逆だと思うんです」
小刻みに引き攣る唇で、俺は確かにそう声を出した。無表情を貫く先輩が、一瞬目を細めて眉間に皺を寄せる。何を言っているのか、意味がわからないと。だから俺はそのまま言葉を紡ぎ続ける。
「先輩はそれを妹さんが自分を恨んでた証拠って言ったけど、俺は逆だと思うんです」
「逆って……そんなわけ。あの子が書いたの。『NO』って。これが何よりの——」
「それが逆だと思うんです」
「何言って……」
「その文字が表してるのは、『NO』じゃないのかもって」
「だから……何言ってるの。書いてあるじゃない。こんな簡単な二文字。それ以外に何が……」
困惑を孕んだその声色には、涙のようなものを感じた。本当は絶叫しているような、ずっと苦しみを抱えて来た声。それを解きほぐせるかなんてわからないけど、それでも一つ新しい選択肢を提示できたら。その一心で俺は、その可能性を口にした。
「それ『NO』じゃなくて、『ON』じゃないかって思うんです。全部反対かもしれないって」
俺は先輩の方に一歩踏み出して、その左手をそっと掴んだ。魂ごと奪われたように、空っぽの手。質量を伴わないその手。それをゆっくり慎重に折りたたんで、指先が床を指すように先輩の方へ掌を向けた。
「このあみだくじ、本当はこの向きで見るものだと、そう思いませんか? 全部ひっくり返すんです。そうしたら、ほら」
『NO』の文字を上下逆さまにひっくり返したらその文字は『ON』。それはつまり『ここから』。本当はこうやって上になった『ON』の文字から始めろ言っているのではないかと。
そうやって俺は先輩の手に書かれたあみだを丁寧になぞっていく。
「こんな風に本当は『ON』の文字から始まって、辿り着くのは小さな丸印。妹さんが言いたかったのは、許さないとか恨んでるとかそんなんじゃなくて。むしろ真逆。本当は……」
丸。小さく、だけど確かに想いを伝える丸印。『いいよ』と。
「違う! そんなわけない。だってあの子は」
声を荒げた先輩なんてもちろん初めて見た。口調も崩れて感情的になっている。きっと先輩はそれほどまでにずっと自分のことを。
「妹さんは病室のベッドで、先輩が差し出した手にこれを書いたんですよね?」
「……そうよ。だからそれは、私を絶対に許さないって言うために——」
「そういう時普通は、指先を相手に向けて手を出すはずです。そこに何か書こうとしたら、手首の方が上になると思いませんか?」
正面から差し出された誰かの手に何かを書くなら、そうなるはずだ。もちろん普通なら見やすいように向きを考えて、わかりやすく書くかもしれないけど。多分それはきっと……。
「でも……文字だってこのままでなんの違和感もなく読めるじゃない! 形とかも全く崩れてない。全部こじつけだよ。いいの。私のために無理をしてそんなこと言ってくれなくても……」
「騙し絵の絵本をよく一緒に読んでた」
「……えっ」
「そう言ってましたよね。妹さんと一緒に、よく絵本を読んでたって。だから妹さんはわざとどちらから見ても違和感がないように、そう書いたんだと思うんです。それこそ騙し絵みたいに」
それが俺の答え。あのトリックアート展のパンフレットを見た時に、頭の中を過った可能性。一縷の光。
「……なんで。なんでそんな……」
「先輩と一緒にまたそうやって遊びたかったから。全部水に流して、また一緒に。そういう妹さんなりのメッセージだったんじゃないかと俺は思います。勝手にですけど」
実際、これはトリックなんて言えるほど、そんなに難しいものでもない。少し考えれば、違和感を持ってその仕組みにすぐ気づけるようなものだったはずだ。先輩の妹だって、そんな風に軽い気持ちでこれを書いたんじゃないだろうか。すぐに気づいてもらえるだろうと。そうして二人で笑い合って、答え合わせをすればいい。その機会が訪れることはないなんて、当然思ってもいなかったのだ。
それに先輩が今までずっと気づけなかったのは、誰よりも先輩自身が自分のことを許せなかったから。自分は絶対に許されないことをしたんだと、そんな罪の意識が認知を歪めたのではないか。そしてその日を最後にもう二度と会えなくなってしまったことで、真相が解き明かされる日は来なくなってしまった。それでもう絶対に謝罪を受け入れてもらえることはないんだと罪悪感がより一層増し、妹は自分のことを恨んでいたに違いないと、そう思い込み続けてしまったんだ。都合のよすぎる解釈もしれないけど、俺はそう思いたかった。
「でも、でもやっぱり本当はどうかなんてわからない。もう確かめられないんだから。だからやっぱり、私は許されちゃいけないの! 一生背負わなきゃいけない十字架。だから私は……」
もう確かめられない。そうだ。先輩の妹はもうどこにもいない。本心なんてもう誰も知り得ない。もうどうしようもない。だから。だったら——。
「どっちの可能性もあるって、両方同時に存在してるんだってそう思えませんか?」
真相はもうわからない。誰にも観測できない。だから両方の可能性が重なって存在していると。
「先輩のことを恨んでいたかもしれない妹さんも。先輩とまた一緒に笑い合いたいと思っていたかもしれない妹さんも。どっちも本当なんだって。どっちもあり得たかもしれないんだって。そう思ってあげられませんか? どっちの妹さんのことも引きずって生きていけばいいと思うんです。どっちの妹さんも大切にして、そうやって生きていきませんか?」
それはあの猫のように。
先輩の妹は先輩のことを恨んでいたかもしれないし、また一緒に遊びたいと思っていたかもしれない。それだけじゃなくて、多少なりとも先輩に恨みがあって、それでもやっぱりまた一緒に。そのためにちょっと意地悪な騙し絵を書いて、それで全て水に流したら仲直りしようと思っていた、そんな可能性だってあるかもしれないのだ。
世の中、全てのことに白と黒がつくわけじゃない。どうしようもなく許せなくて、叫びたいくらいの恨みがあって、それでもそれ以上に大好きで、一緒にいたい。そんな相反する感情の中で揺れながら、一つを選べるわけでも、明確な答えがあるわけでもなく、矛盾を抱えながら、それでもどうにか自分の想いを言葉にしようと生きていくのが人生なんじゃないだろうか。
だからきっと全部嘘じゃない。色々な感情を全部抱えて、混ぜ合わせて、それがきっと本当の姿。全部本当の先輩の妹。そうやってグラデーションの中で生きているのが人間だから。
「何それ……。そんなこと言って……そんなの、ずるいよ……」
先輩の瞳から一筋の涙が確かに流れている。ぐちゃぐちゃに崩れた鉄仮面の向こう側に、溢れんばかりの感情を着て。それは初めて見る先輩。やっと見せてくれた先輩の剥き出しの心。長阿弥朝衣の感情。俺が本当に知りたかったのは手袋の秘密とかそんなんじゃなくて……。
きっと先輩はどこまで行っても、結局自分のことを許せはしないだろう。それなら全ての可能性を引きずって、生きていけばいい。生きていかなきゃいけない。だってどれだけ苦しいことがあっても、それでもどうしようもなく人生は続いていくから。
こんな世界じゃ真実なんてわからないことの方が多くて、釈然としないことだらけで、それでも生きていかなきゃいけないなら。それなら、全部の可能性を抱えて進むしかないんだ。
先輩の左手を握った。冷たい。どこまでも冷え切っている。だけどそれは、確かな温度がそこにあるということだった。
*
「結局先輩が俺とデートしてくれたのって、あのトリックアート展があったからなんすか?」
隣をひょこひょこと歩く先輩に俺はそう訊ねる。ようやく手に入れた車道側の位置から。
「……そうね。あの子と昔そんな絵本を見たなって思っていたのだけれど、一人じゃ行きづらい場所だったから」
「やっぱりそうなんすね」
自分が特別選ばれたわけではないと、まあそんなことはわかっていたけど、改めてそう聞かされるとなんだか少し残念だ。
「あとは、貴方が少しだけあの子に似ていたから。柚木くんの笑った顔が、少しだけあの子みたいだって。そんな気持ちもあったかも」
それはなんて言っていいかわからないけど、まあ少しだけ喜んでおこう。
「……それと——。いえ、それくらいね」
続けて何かを口にしかけた先輩は、一瞬考え込むとそう目を逸らした。
「えっ。なんですか。言ってくださいよ」
「なんでもないわ」
「いや絶対なんかあるでしょ! 隠さないでくださいよ〜」
「いいでしょう。別に。なんでも」
薄々感じてはいたけど、なかなか強情な人だと思うこの人は。
「ダメです! 教えてください」
そうしてしつこく問い詰めると先輩は観念したようにため息を吐いて、小さく本当に消え入るような声を出した。
「……声。いい声をしてるなって思ったから。貴方の。それだけ」
ぶつぶつと吐き出された思わぬ答えに一瞬身体が止まってしまう。そうして先輩のその声を咀嚼していると、口元が自然にニヤけていった。そっか。俺って声がいいんだ。そんなの考えたこともなかった。
「貴方も結構意地悪ね。よくないわよそういうの」
立ち止まった俺の方を向いて、先輩はそう咎める。その顔が少し紅潮していることを俺は見逃さない。先輩は口をもごもごさせながら抗議の視線を浴びせると、「早く行きましょう」とまた歩き出す。
そうして俺の右手からは、確かに火照ったその熱と鼓動が伝わって来るのだった。
昼休みの中庭。取り囲むようにそびえ立つ校舎にこだまする俺の声。これは儀式みたいなものだ。或いは様式美。隣町に先月開園したとかいう遊園地のチケットを差し出した目前には、今まで何人もの告白を斬り捨てて来た先輩。そうやって無数に積み重ねられて来た屍の山を賑やかす一つに俺も名を連ねようと。これはそういうイベント……のはずだった。
「……いつ?」
「へ?」
予め決められていたはずの負けイベントを消化しようとしていた俺に、全く想定してなかった言葉が突き刺さり反射的に生返事をしてしまう。今の俺はいつにも増して間抜けな顔をしているだろう。あまりにも無惨なストーリーに、ショックで幻覚でも見てしまっているのかもしれない。そうとしか考えられなかった。
「だから、いつ?」
しかしそれが聞き違いでも幻覚でもないと証明するように、先輩は至って冷淡な声でそう繰り返した。その切れ長な目から突き刺すように向けられた視線は、俺を全く捉えていないにも関わらず。
そうして俺はフリーズしかけた頭を振り絞りながら、なんとか予定されていなかったはずの言葉を紡ぎ出した。
「……えっと、次の日曜日……?」
「そう。じゃあ日曜日のお昼に。その駅の前でいいわね」
先輩は事務的にそう言い残すと、長く下ろした髪の毛をなびかせてあっさりと立ち去ってしまった。一歩、一歩と踏み出すたびにコツコツと音を立てながら。俺と同じ上靴を履いているはずなのに、一体どこからあんな音が出ているのだろう。
そうやって先輩がいなくなると、教室のベランダから観覧していたあちこちの見物人たちがザワザワと音を立て始める。困惑を隠し切れないと言ったように。いつも通り負けイベを観覧しに来たつもりだったのだろうから当然だ。無惨な撃沈という用意されていた結末が訪れず、収拾の付け所を見失ってしまったのだろう。俺だって意味がわからない。
結局俺はそんな観客たちに軽く一礼をすると、逃げるように校舎へと駆け戻っていった。こんな空気のまま衆人の目に晒されては堪ったものじゃない。
*
「おいおい、どうなってんだよ!」
教室に戻ると開口一番、梅ちゃんが俺に駆け寄って大きな声を出した。クラスメイトたちの視線がヒソヒソと俺に注がれている。
「どうって言われても……」
「なんであの人がオッケーしてんだよ! おかしいだろ!」
そんなの俺が一番聞きたい。何がどうなっているのか。俺が一番理解できていないのだ。
長阿弥朝衣。実りの杜学園高等学校三年B組。図書委員会所属。帰宅部。だいたいわかっている情報はそれくらい。そんな彼女を一言で表すならクールでミステリアス。教室ではいつも一人で、最低限の会話しかしない。頭からつま先まで一本の芯が通されているかのように、ピンとした姿勢でただ静かに座っている。長いまつ毛に縁取られた切れ長の瞳で、いつも刺すようにどこか遠くを見つめて。そして何よりこの学校で一番と言っていいほど美しい。一切着崩していないはずの制服も、彼女が着ると何かの衣装のように様になって見えるほど。それが長阿弥先輩。
そんな彼女は毎週のように誰かに呼び出されては、無惨な告白劇を披露している。野球部のエース、サッカー部のキャプテン、芸能活動のようなものをしているというモデルの先輩、生徒会長等々、誰が前に立とうと彼女が首を縦に振ることは決してない。そうしてその中の一人に俺もなるはずだったのが先刻。何故か彼女は俺の誘いに初めて、頷きというモーションが実装されていたことを見せたのだ。運動ができるわけでも、勉強ができるわけでも、容姿が整っているわけでも、権力があるわけでもない俺と何故かデートをしてくれるらしい。全く持って意味がわからない。
「俺だって何がなんだかわからないよ。だいたい梅ちゃんがいけって言うから……」
「星夜がシュレディンガー長阿弥のこと気になるって言ったんだろーが!」
俺の責任転嫁に梅ちゃんはすぐ反論を唱える。確かにそうなのだけど、まさかこんなことになるなんて思うはずがないだろう。ダメ元というよりダメで当然、ダメ当で俺は告白劇を演じる一人になろうとしただけなのだ。何よりあの秘密に少しでも近づくために。
長阿弥先輩はいつも左手に手袋をしている。その白く細い手首まで覆い尽くす、革製の真っ黒な手袋。それを先輩は学校にいる間、常に装着している。授業中はもちろん、食事や体育の時間まで。長阿弥先輩は片時たりともその手袋を外さない。何故いつも手袋を付けているのか、その手袋の中の左手がどうなってるのか。この春に入学してからまだ半年も経っていない俺たち一年生はもちろん、三年間共に学園生活を過ごして来た先輩たちまで、誰一人として一切知らないのだ。知り得ない。全てが謎に包まれている。
だからシュレディンガー長阿弥。誰も知らない手袋の先に何があるのか。酷い火傷の跡を隠しているんだとか、とんでもない刺青が入っているんだとか好き勝手に飛び交う噂の真偽も、実際に見てみなければ何もわからない。そんな風に誰も観測できないそこには、噂されているすべての可能性が重なって存在している。シュレディンガーの猫と掛けたその安直な言説がいつしか広まり、俺たちが入学した頃にはもう誰もがその異名で彼女を呼んでいた。深く人と関わろうとしない彼女では、その噂を否定する人もいなかったのだろう。
俺はそんな長阿弥先輩の左手が気になってしかたがなかった。深く閉ざされた黒に包まれた左手。そのぼんやりとした輪郭の向こう側には一体何があるのか。誰も知らない隠された秘密。深い夜の底に沈められた秘密。誰の目にも触れたことのない宝石のような秘密。じっと息を潜めて、その時を待ち侘びている秘密。そこにはただ身体の一部があるわけではなくて、何かこの世界の秘密全てのようなものが隠されているのではないかと、そんな風に思えてならなかった。それを暴いた時に自分は一体何を思うのか。どうしても知りたい。一度そう思うと、長阿弥先輩の左手が頭から離れなかった。
そうやって何かしら関わりを持てないかと、面白半分の梅ちゃんに背中を押されるまま遊園地のチケットを片手に告白劇団員に立候補した結果、何故かあまりにも呆気なく通り抜けてしまった。観測するまでもなくNOしかないと思っていたイベントだったが、ちゃんとYESと重なり合って存在していたらしい。本当に意味がわからないし未だ半信半疑とは言え、とにかくこのチャンスをふいにするべきではないのは確かだ。
そうして未だワーワーと騒ぎ立てている梅ちゃんを尻目に俺は、来たる日曜日にその秘密を暴いて見せようと静かに決意をするのだった。
*
本当に長阿弥先輩はやって来るのか。何か壮大なドッキリでもかけられているんじゃないかと。そう未だ数日前に起きたことを信じられずにいながらも、「お昼」という先輩の漠然とした指定を漏らさないように、朝の九時から遊園地に隣接した駅でその時が来るのを待つ。そうやってだいたい一時間くらいした頃、長阿弥先輩は間違いなく俺の目の前に姿を現した。余計な杞憂だったとあっさり告げるように。
「……待たせたかしら? 私の方が早く着くと思っていたのだけれど。ごめんなさい」
「い、今来ました! だから大丈夫っす!」
「そう。ならよかった」
いつもの制服ではなく白いワンピースを身に纏った長阿弥先輩は、やっぱり淡々とそう言った。なんだか少し意外なチョイスだが、やはりその左手はいつものように黒い手袋で固く閉ざされている。
「あの! すごい、似合ってます、その服」
「……うん。行きましょうか」
この数日間考えに考え練習していた会話の糸口も、先輩の手にかかれば一言で一刀両断。やはり一筋縄でいくわけはなさそうだ。まあそんなの、普段の先輩を見ていれば想像せずともわかっていたことだが。
そうして徒歩五分の遊園地まで歩く道中、「車道側を歩くんだ。車道側を歩くんだ」と確認するように言い聞かせて自然に取ろうと、何なら手でも繋げないだろうかと考えていたその位置も、先輩は決して譲ってはくれなかった。自分の左側には絶対に誰も通さないといった様子で。手持ち無沙汰になった右手を揺らしながら、本当に大丈夫なんだろうかと始まる前から暗雲立ち込めるデートは始まった。
*
耳から耳を突き抜けていくような悲鳴が渦巻く空の上で、長阿弥先輩だけがいつも通り。叩きつけるような風で靡いた髪を辿ると、平然と澄ました顔でじっと一点を見つめている。
そのままコースターは一番高い山のてっぺんまで来て、あとはもう落ちていくだけ。ふと下を見ても何もかもがゴマ粒のようにしか映らない。そんな崖っぷちでも長阿弥先輩は微動だにせず、微かな声どころか息遣いすら漏らす気配は全くなかった。本当にどこまでも徹底している。鉄仮面のように。
落ちる。そう思った瞬間にはもう内臓が浮き上がっていた。身体中から全ての臓物が飛び出していくようなそんな速度に、俺も含めあちこちから上がる絶叫。ただ一人隣に座す長阿弥先輩を除いて。横目でチラリと見た先輩は、目を閉じることなくやはりここではないどこかを見つめている。感情ごとどこかに脱ぎ捨ててしまったみたいだ。
まあ、何でもいい。俺の目的は先輩の表情を崩すことじゃない。その手袋の秘密を暴くことだ。この坂を降りたら最後に待っているのは着水ポイント。そう、このジェットコースターは一度乗ったらびしょ濡れになって降りるしかないともっぱらのアトラクションなのだ。服にはビニールのカバーをかけてもらったが、あの手袋を守ることはできない。しかも最も水がかかるという最前列に座れるよう計算をして列に並んだ。作戦は完璧。早々に手袋の中身を拝ませてもらおう。
降り落ちるコースターの中意気揚々とその時を待ち、そうして俺たちは水の奈落へと突進していった。
「……お疲れ様です」
「ええ。お疲れ様」
先輩の顔にはあまりにも飄々と、いつも通りの表情が張り付いている。俺の足はまだ少し震えているというのに。
「あの、ごめんなさい。髪。いきなり濡れちゃいましたね」
「そうね。……大丈夫よ。一番人気のアトラクションなのでしょう?」
先輩はそのパックリと割れてしまった前髪を整えながら、事も無げに流した。所々水の被ったその黒髪は、しっとりと艶めいている。それだけ。肝心のその手元に目をやっても、そちらは全くの無傷。一体どうなっているんだ。どこまでも冷静な先輩と同じように、その手袋は深く黒くそこに在り続けている。全く濡れた様子もなく。
女の子は絶対に崩れない無敵の前髪を作るのに毎朝忙しいらしいが、長阿弥先輩のそれは全て左手の手袋に注がれているのだろうか。あれだけの豪風と水飛沫に晒されても、強固に守られた砦のように一切崩れる気配がないのだからそうとしか思えない。
「……あの! お昼食べませんか? あそこのハンバーガーが名物みたいで」
しかし、それもまた想定の範囲内だ。元々そう簡単に倒せる敵だとは思っていない。そうしてさっさとプランBに移行しようと、俺はその店を指差すのだった。
*
「お待たせしました〜。クラウンパークバーガーです」
顔の半分ほどあるそのハンバーガーを見ても、長阿弥先輩は眉一つ動かさない。店員が放つ満点の笑顔にも、凪のような顔で少し会釈を返すだけだ。崩れてしまった髪の毛を後ろで一つに結んだその頭で。
「先どうぞ!」
近くのテラス席に移動すると、俺はそう先輩に促す。「せっかくだから名物の超巨大ハンバーガーを半分ずつ食べませんか?」と、もしかしたら断られるかもしれないと思っていた提案にも先輩は特に異を唱えることなく順調に事は進んだ。
「……いいのかしら? 柚木くんが先に食べたら?」
「いいんです! 先輩が食べてください!」
先に食べてもらわないと俺の計画が意味を成さなくなる。別に間接キスを狙っているとか、そんなのじゃない。というか、そんなことより先輩が俺の名前を知っていたということに驚きだ。そりゃもちろん普通ならデートする相手の名前を知っているのは当然だけど。ここまでの先輩と俺には全くデートという雰囲気はない。最低限の会話こそしてくれているが、それだけ。本当になんで先輩は今日俺と一緒に遊園地なんかに来てくれたのか。謎は深まるばかりだ。
何にせよ俺は俺の目的を果たせればそれでいい。この超巨大ハンバーガーはもちろん片手で食べるなんてできるわけもなければ、あの手袋をつけたまま上手く食べるのは相当難しいだろう。もし片手に手袋を背負ってこんなものを食べたとしたら、手袋ごと汚れてしまうこと必至。どう転ぼうと手袋を外さなきゃいけなくなると、これが俺のプランBだ。
そうして先輩が「それなら」とハンバーガの包みに手を伸ばした。掌を優に超える大きさのパンズからこれでもかと溢れるベーコン、レタス、トマト、オニオンリング、そして特大パティ。そもそも手袋とか関係なくどうやって食べるんだよと言うような代物だ。どう考えても俺の目論見通り行くだろうという確信を持って見つめる最中、先輩は手袋をつけたままハンバーガーにかぶりついた。
それはなんだか魔法のようだった。洗練された手つきで細い指を踊らせて、少しでもバランスが崩れたらぐしゃぐしゃに崩れてしまうであろうハンバーガーを器用に持ち上げる先輩。顔を少し逸らしながら、とてもとても小さい口で一口、また一口と齧る。それでは一向に量は減らないだろうというようなその一口で、何故か具材たっぷりのハンバーガーの質量はどんどん削られていった。レタスのシャキシャキとした音、トマトの果汁が滲む音、オニオンリングのザクザクとした音。その小さな口で全ての音が順番に奏でられる。その所作はとてもジャンクフードを食べているとは思えないほど至って上品で、ゆったりとしたリズムであるにも関わらず、クラウンなんて大層な名前を冠しているはずのハンバーガーは確かに形を変えて行った。
「……うん。ごちそうさま」
気づけばあっという間に半身を失ったハンバーガーをテーブルに置くと、先輩は静かにそう呟いた。一切の汚れを持たない手袋で、ハンバーガーの包みを折り曲げながら。
またしても俺の敗北のようだ。そうして俺は先輩に渡されたそれを口に入れる。こぼれた。半分しかないのに。半バーガーなのに。なんなんだ本当に。
*
結局あれからメリーゴーランド、お化け屋敷、回転ブランコ、コーヒーカップと、計画した通りにどんどん回って行ったが、先輩は手袋を外す素振りすら見せはしなかった。
長阿弥先輩の左手は、怪盗の前に立ちはだかる金庫のように、どんな時でもあまりにも強固に守られている。まさに難攻不落。本当にどうしようもない。
もう手袋のことなんて忘れて、学校一の美人と過ごせるデートなんてひとときをただただ純粋に楽しむべきなのではないか。そんな考えが頭を過りながらも、やっぱりどうしても諦め切れない。そんな狭間で揺れていると、突然隣からその声が聞こえた。
「……ねえ、ちょっと行きたいところがあるのだけれど。いい?」
「えっ、はい。もちろん……?」
それは思いも寄らない一言だった。思わず言葉に詰まってしまうくらい。そもそも今日、先輩から話しかけて来てくれたのも初めてなのではないか。ここまで俺が何か話せば必要最低限ではあるものの会話を返してくれていた。しかし本当にそれだけで、先輩はこの一応はデートとされているものを少しでも楽しんでくれているのかずっと疑問だった。というか楽しめているわけないだろうとしか思えなかったが、この遊園地の中に先輩のお眼鏡に適うものがどうやらあったらしい。晴天に雷が落ちたような衝撃だ。これでその「行きたい場所」がお手洗いとかだったら腰を抜かしてしまうけど。それでもその可能性の方が高いのではないかと思えてしまう。しかし、先輩が告げたその場所は、確かに遊園地のアトラクションの一つだった。
「すごいっすねこれ。本当に穴が空いてるみたいです」
「ええ。そうね」
先輩がまじまじと視線を落とす。その切れ長の目はしっかりと目の前のそれを捉えていて、そんな先輩の姿は今日初めて見た。ここまで先輩は俺の隣にずっといたはずなのに、ずっと本当はどこか他の場所にいるようなそんな不思議な感覚があったのだ。その先輩が確かに今ここにいる。
行きたいところがあるという先輩にくっついて足を進めると、遊園地の開演記念で特別開催されているトリックアート展に辿り着いた。『ルビンの壺』や『妻と義母』といった様々な騙し絵だったり、『エイムズの部屋』や角度によって錯視を引き起こすアナモルフォーシスなど、多種多様なトリックアートを体験することのできる特設展だ。中でも一番人気なのはSNSに投稿できるフォトスポットで、場所によってはそれこそ外のアトラクションのように行列ができているのだが、先輩の興味は実際に今肉眼で見て体験できるものに注がれているようだった。
「でもなんか意外でした。先輩がこういうのに興味あるって」
平面に描かれているにも関わらず、一度足を踏み入れたら吸い込まれてしまいそうな落とし穴の上に飛び乗ってそう訊ねる。ちゃんと床があると頭ではわかっていても、一瞬心臓がギュッと掴まれたような、そんな風に身が竦んでしまった。ゲームのアバターを高いところからわざと飛び降りさせた時みたいだ。
「……妹が騙し絵とかそういう絵本が好きで、昔よく一緒に見ていたの」
妹と一緒に絵本を見る先輩。俺の知っている先輩からでは、あまり想像できない姿だ。そもそも先輩に妹がいるなんて話は聞いたことがない。もしかしたら俺以外誰も知らないんじゃないだろうか。そう思うとなんだか少し嬉しいと、小さくガッツポーズを作ってしまった。
「もしかして、ここが気になってたから俺と遊園地に来てくれたんですか?」
そう考えるとわりとだいたいのことに合点がいく。俺が遊園地のチケットを差し出したから、いつもなら造作なく振り払われるはずだった手を取ってくれたと。
「……そうかもしれないわね」
なんだか煮え切らない答えだ。まあもしそうなんだとしたら、バイト先から優待チケットをもらって来てくれた梅ちゃんに感謝しなければならないかもしれない。
そうやって心の中で梅ちゃんに手を合わせていると、突然その声が耳を刺した。
「——きゃっ」
「大丈夫っすか……!」
黒と白のタイルが交互に敷き詰められている中で、所々うねるようにそのタイルを変形させ地面が歪んでいると錯視させるトリックアート。それで平衡感覚を無くすという展示の中にいつのまにか入っていたらしい。そんなトラップに注文通り引っかかってしまった先輩。なんだか本当にここに入ってからの先輩は、なんとなくそれまでと違う何かを感じさせた。
俺は地面に尻餅をつく先輩に自然と手を差し出したが、先輩は「……ええ。ありがとう」と一言だけ断って、何もなかったと言うように自分の手で立ち上がる。そんな風にいつも通り平然と涼しい顔をしていたが、心なしかばつが悪そうに目線が動いていたことを俺は見逃さなかった。なんだかかわいい。あと転んだ時の声もかわいかった。俺しか知らない先輩の一面ということにしておこう。
そうやってトリックアート展にいる間、先輩の目にはいつもとは違う何か光のようなものが常に灯されていた。
*
「今日はありがとう。……楽しかった」
トリックアート展を出ると、先輩はすぐにそう言った。それは敗北へのカウントダウン。結局手袋を巡る秘密の輪郭すら触れられないまま終わるのか。頭の中でそう警告の鐘が鳴り響いたような気がして、パニックになってしまう。どうしよう、どうしようとその言葉だけが頭の中をぐるぐると渦巻いて、気がついたら俺はとんでもないことを口走っていた。
「あの! えっと……蟹! 蟹……食べに行きませんか? 剥くやつ」
意味がわからない。本当に自分の口がそう動いたのか信じられないくらいに無茶苦茶だ。蟹なんて難解な食べ物を食べるとなったら、流石に手袋を外さざるを得ないのではないかと。頭が正常な判断をできなくなっているとしか言いようがなかった。
そうして先輩はこんな不可解の極みのようなことを言う男を前にして、一体どんな顔をしているのだろうと恐る恐る視線を上げる。
「……ごめんなさい。あまり持ち合わせがないし、そういうお店もこの辺りにはないんじゃないかしら?」
しかし先輩はそんな俺の常軌を逸した誘いにも、至極真っ当な答えを返してくれた。手袋に包まれた左手を顎に当てて、真面目に考え込むようなようなポーズを取っている。
先輩は毎週のように敢行される告白を無惨にも斬り捨てて来た。だけど、思えば毎回律儀に半ば告白スポットと化したあの中庭まで赴いて、しっかりと本人を前に断っているのだ。あんな衆人環視に晒される場所になんか行かないで、無視してしまえば済む話なのに。それなのに先輩はどこか違う場所を見ながらも、しっかり一つ一つの告白を真摯に断っている。感情なんてどこかに捨て去ってしまったように見える先輩だけど、それでもちゃんと向き合って考えていてくれたのかもしれない。きっと今みたいに。
そう思うと途端に自分のふざけた提案が恥ずかしくなって、俺は目を伏せて俯いてしまう。すると、視界の外で一つ大きく息を吐くような音が聞こえて、そうして心なしか温度が上がったようなそんな先輩の声が確かに俺の耳に届いた。
「……ねぇ、最後にあれ乗ってみない?」
顔を上げて視界に捉えた先輩の指の先では、すっかり暗くなった夜空を照らすように眩い光を放つ大きな観覧車がゆっくりと回っていた。
*
想像するよりも大きな音を立てて乗降口に滑り込んで来たゴンドラに、先輩はすいすいと乗り込んで行った。おずおずと後に続く俺に出現した二択。正面か隣か。一応デートと冠しているのだからどうだとか頭の中で呟きながら、結局俺は先輩の正面に腰を落とした。そうして扉が閉められて、作られた密室が夜空に向かって浮き上がっていく。
狭く小さい箱の中に、先輩と俺二人きり。ゴンドラの動く音に紛れて、確かに自分の鼓動を感じる。先輩はまたいつものように澄ました顔を崩さない。そうしてゆっくり、ゆっくりと上へ運ばれていくゴンドラの中で、息を潜めるような無言の時間が流れた。
二人だけの世界でどこを見ていいのかわからなくなって、目を泳がせながら時より先輩に目をやる。空中から見える夜の景色と先輩を交互に。そうしてそよ風にすら追い越されそうなくらいノロノロと進んで行くゴンドラが、ようやく四分の一程度進んだかというその時、その日初めて俺と先輩の視線が重なった。まじまじと俺を見つめて来る先輩。どこを見ているかわからなかったその目が、確かに俺に向けられていた。
「そんなにこの手袋が気になる?」
先輩がゆっくりと口を開いたその瞬間、心臓を鷲掴みにされたかのように時が静止する。何もかも見透かされているような、そんな気分にどことない居心地の悪さを感じざるを得ない。声帯ごと握り潰されたように声を出せずにいる俺に、先輩はゆっくりと言葉を重ねた。
「ねぇ、見たい?」
「……はい」
妖艶に全身を撫で回すようなその声にもういっそと、俺は本心を腹から吐き出し口にする。深く閉ざされた黒のその先に何があるのか、それだけをずっと……。
「いいよ」
先輩はそうあっさりと一言。ただそれだけを口にして、左手の甲を差し出すように俺の前へ伸ばした。どこまでも果てしなく底知れない黒。そこはこの世界から断絶された場所。白雪姫の眠る森のように。人間が決して足を踏み入れてはいけない魔の国のように。そこに踏み入る許可をもらったということなのだろうか。先輩が発したたった三文字の言葉に、意識を保てないくらい心臓が騒めき立った。
その黒に俺は恐る恐る手を近づける。この空をなぞるゴンドラのようにじわじわと。指先がその黒に触れた瞬間、吸い込まれてしまいそうなくらい引き寄せられていく。そこにあるべき温度はない。そうして微かに乱れる呼吸のままに、両手にそっと力を入れて確かにその黒を暴き出す。先輩の肌に沿ってゆっくりと、導かれるようにその黒を滑り落とした。ちょうどゴンドラがこの夜の頂点に辿り着いたその時。
——白い。雪のように真っ白な手。細く長い指に、透けるように繊細な爪、しなやかな曲線を描く甲。傷一つない淡雪のような手がそこにはあった。
思わず顔を上げると、また先輩の目に視線が吸い込まれていく。先輩は口角を持ち上げて微かな笑みを見せた。誰も見たことがないようなそんな微笑み。そうして先輩は差し出していた手をゆっくり引き上げて、重なった視線を遮るように掌を開いた。
「……あみ……だくじ?」
見たままのそれが、自然と口を衝いて出る。確かな困惑を孕みながら。
——あみだくじ。そこに合ったのは、馴染み深いそれだった。指の付け根から手首に向けて二本の線が引かれていて、右の線の上に小さく丸印が書かれている。ここを辿れと言うように。そうして指定された通りにあみだを進んで行った先にはアルファベットで『NO』の二文字。一体なんなんだこれは。これが先輩の秘密……? ずっと追い求めていたそれを飲み込み切れない。
俺が戸惑いを隠せずに呆然としていると、先輩は掲げていた腕を下ろして突き刺すような低いを声を出した。
「妹が書いてくれたの。これ」
「……妹さんが?」
想定の外から飛び出て来た人物に、先輩の言葉をそのまま繰り返す。
「そう。もう二度と会うことのできない妹が」
それは暗く、どこまでも冷たい声だった。
*
「妹は子供の頃から病気でよく入院していたの」
先輩がそう語り出す。伏せた目に陰を落としながら。
「……私もよくお見舞いに行って、一緒に絵本を読んだり。制限された中でだけど、いい姉妹をやれていたと思う。家族も……特にお母さんなんかは一日のほとんどを病院で過ごすくらい付きっきりで、最初はそうやって上手く回っていたの」
含みを感じさせるような冷たい声。全てが凍え切ったように。
「だけど、病気は一向に良くならなくて、そんな生活がいつまでも続くうちに母までどんどんやつれていって……。ううん、言い訳かなそんなの。私がワガママだったの。だから言った。『あの子ばっかりずるい』って。そう言ってしまったの。母と、あの子の目の前で」
最低な一言。そう先輩は言った。絶対に言ってはいけない言葉だと。
「それから母は家にいる時間を増やしてくれた。私と一緒にいる時間を。嬉しかった。また母と夜ご飯を一緒に食べられて、嬉しかった。そのせいであの子を独りにしてしまっているのに」
もっと自分にも構って欲しかった。妹ばっかりお母さんと。もっと私を見て欲しい。まだ小学生だった先輩のそんな気持ちは、責められることなのだろうか。だけど、それは他でもない先輩が一番……。
「もしかしたら母も疲れていたのかもしれない。私がワガママを言ってから母が病院に行く時間がみるみる減っていって、それで怖くなったの。私はとんでもないことをしてしまったんじゃないかって。私のせいであの子は……。そう思ったら恐ろしくてたまらなくなって、あの子の顔を見るのが怖くなった。そうやって私はなんだかんだ言い訳をしながら、あの子のお見舞いから逃げ続けて、そうしているうちに気づいたら数年が経ってた」
淡々と連ねられていく言葉の節々に、確かな痛みが顔を覗かせた。先輩は自分を傷つけるように、言葉を吐き出している。
「その頃にはもう母もめっきり病院に行くことが減って、私たちはあの子のことを忘れたみたいに生きてた。辛い現実に見て見ぬふりをして目を背けて。あの子はずっと独りで戦っていたのに」
もうやめてくれ。いくらそう願っても、その口は動き続ける。この傷が癒えることはあってはならないのだと。
「それでもずっと苦しかった。最低なことをしてしまったんだってずっと苦しくて。それで三年前、私が中学校を卒業した時に一人であの子の病院に行ったの。自分が楽になりたいからって。どこまでも最低でしょう?」
そんなことを言って、じゃあ、それなら楽になれたのか? その答えは決まっている。
「久しぶりに見たあの子は大きくなっていたはずなのになんだか小さく見えて。少しでも触れたら壊れてしまうんじゃないかってくらい脆い薄氷みたいに。それで本当に怖くなって、泣きそうになって、それで全部全部謝った。今までのこと、あの時のこと全部。一方的に。自分勝手に」
今壊れそうなのはきっと……。
「そうやって泣きじゃくる私を見てあの子は、サインペンで掌にこれを書いたの。無言で。最初は意味がわからなかったけれど、あの子が書いたあみだくじを辿ってそこにあった文字を見て私は……。ああ、一生許されないことをしたんだなって。ずっと私のこと恨んでたんだなって。突きつけられたその事実がどうしようもなく苦しくて、怖くなって、取り乱して、また病室から逃げ出した」
傷だらけの声色はどんどん滲んでいって、聞いているだけで苦しくなるくらいにボロボロだった。
「それから三日後だった。あの子にもう二度と会えなくなったのは。容態が急変したって、そう……。——私はもう二度とあの子に謝れない。二度と許されることはない。だからこのあみだくじを毎日上からペンでなぞるの。絶対に消えないように。自分がしたことを絶対に忘れないように。私がしたことは一生消えないから」
*
観覧車から降りた先輩は夜の底に沈むように、深く暗い闇に溶け込んでいた。その左手に付け直された手袋は、一切の光を遮断するようにどこまでも黒に縛り付けられている。いつものように無表情で感情を脱ぎ捨てたようにどこか遠くを見ているそんな姿は、ツギハギだらけの身体でなんとか立っているだけなのだと、今ならそうわかるのに。それなのに俺はそんな先輩にかける言葉を持ち合わせていない。なんて言えばいいのかなんて、何一つわからなかった。
「……今日はありがとう。そしてごめんなさい。さっきのことは全部忘れて構わないから。——それじゃあ、さようなら」
そう夜に消えていく先輩の背中に、俺は何もできない。
最低だ。どうして知りたいなんて思ってしまったんだろう。暗い闇の中に封じ込められた秘密を。誰にも触れられたくなかったはずの過去を。俺は自分の好奇心を満たすためだけ、ただそれだけのために無神経にこじ開けて、土足で踏み荒らして。
まだあの手袋の感触が指先に残っている。闇の底に沈めていたはずの秘密を無理やり引きずり出したあの感触。酷く脆い鍵を乱暴に壊して。自分の欲求のためだけに。先輩の傷を抉って。それで一体何を得られたと言うのだろう。
先輩のことが知りたかった。いつも所在無げにどこか遠くを見つめている先輩と、同じ景色を見てみたかった。ただそれだけだったのに。臆病で素直になれない俺は、なんだかんだと理由をつけて、正当化して、結局先輩を傷つけたんだ。
誰も知らない先輩の秘密を知って、優越感に浸ろうとでもしていたのだろうか? 俺だけが先輩のことを知っていると。そんなことのために俺は……。
いくら後悔したってもう取り返しはつかない。癒えることなんてない先輩の傷跡を、俺はまた爪を立てて切り裂いた。その痛みが消えることなんてない。
結局、拭いきれない後悔は家に帰ったそのあとも、一晩中決して消えることなくこのどうしようもない頭の中を渦巻き続けた。
*
カーテンから漏れ出す淡い光が朝を告げても、心が晴れることはない。突っ伏した机から身体は全く動こうとせず、足に力を入れようとしても砂粒を握るように漏れ出していくだけだった。
朝早くから仕事に出かけていく母親の支度する音が、下の部屋から微かに鳴り始める。昨晩、夜遅く酷い顔をして帰って来た俺に、母親は何も言わなかった。いつもなら起こしに来ていたかもしれないその大きな声も、今日は聞こえない。俺にだけ向けられたその優しさが、今はどうしようもなく苦しかった。
そうしてそのまま家から出た母親の鍵をかける音が耳を貫いて、それでもまだ俺の身体は動かない。後悔だけが燃え燻る身体で、ただぼんやりと。カーテンの向こう側に見える光が俺を置き去りにするように、どんどん高く角度を変えていっても俺の時間はずっと止まったままだった。
*
それは窓なんか開けていないのに風でも吹いたのかどこかから飛んで来て、机に伏せた俺の頬を確かに撫でた。昨日の遊園地のパンフレット。俺を猜疑するように見つめて来るそれを手で払いのけると、ふわりふわりと落ちていく。そうして床の上でぐにゃりと曲がったそこには、昨日見た『ルビンの壺』が描かれていた。砂時計のような形をした壺と、向かい合った二人の顔。注視する部分によって姿を変える絵。
あそこにいる時の先輩は、心無しかほんの少しだけ楽しそうだった。もしずっとあんな風にいてくれたら。あんな風にいられたら。それでも先輩の心には決して消えることのない傷が……。
そうやって昨日唯一先輩と心から一緒に過ごせたような、そんなあの場所のことを思い出していると、突然一つの可能性が頭を過った。それはカンダタの糸のような本当に細く薄い蜘蛛の糸。そんな藁にも縋るような可能性。だけど、そんな吹けば消えてしまいそうな灯だとしても、それでも一度そう思うと身体中が熱を持ったようにその灯に照らされるそんな感覚があった。全身の細胞が弾けるように騒めき立って、いてもたってもいられなくなるような。どうしてもその糸を掴みたいと、腐っていた身体が熱を持って動き出す。
気づくと俺は部屋を飛び出て、無我夢中で駆け出していた。
*
走る。ひたすら追い縋るように足を交互に漕ぎ出す。呼吸が浅くなって、心臓の鼓動が強く打ち鳴り出して、全身に血液が駆け巡っていく。今にも破裂してしまいそうな身体を投げ出して、ただ前に進んだ。
下校途中の人混みを掻き分けて反対に。流れる汗を追い越すように、風を切って。きっとそれはとても不格好で、みっともなくて、それでもぐちゃぐちゃに揺れる身体を必死に運んでいく。
ようやく辿り着いた校門には、ジャージのまま帰ってしまう人がいないかどうかとかそんなのを見張っている生活指導の先生。昨日着ていた私服のままの俺を止めるその声も、全部振り切って。熱を帯びた足を前へ、前へと蹴り出す。
一秒でも早く——。この衝動に身体を預けて。ただそれだけだった。
*
「柚木くん……?」
誰もいない無機質な放課後の教室。茜色が射す通路兼ベランダ側の席。その一番後ろの隅っこ。そこに先輩は一人で座っていた。呼吸もままならないまま扉を開けた俺に気がつくと、少しだけ驚いたように目を見開いて。
「……あのっ! すみませんでした!」
静まり返った教室を俺の声が切り裂いた。
「昨日は本当に……馬鹿で、無神経で、何も考えないで先輩のこと……。本当にごめんなさい」
まず、ちゃんと謝らないと。それは自分勝手な謝罪なのかもしれないけど、それでもちゃんと。ここまで走る最中、ずっとそう思っていたから。
そう教室の床が見えなくなるまで頭を下げて数秒、先輩が椅子を引いて立ち上がる音が聞こえて俺は身構える。
「……いいのよ。私の方こそごめんなさい。意地悪だったわよね、あんなこと。だから本当に忘れて欲しいの。私の言ったことなんか忘れて、君は——」
「違うんです。俺は、俺は先輩のことが気になって。先輩のことが知りたくて。それなのに正面からその気持ちを認められなくて。それで変な口実を盾にして、無遠慮に踏み込んで、本当に最低でした。本当に、本当にごめんなさい」
身勝手で自己満足の謝罪だとしても、その口を止めることはできなかった。
「……うん。大丈夫。そんな風に言ってくれて、私には分不相応なくらい。だから君はもう大丈夫。君は私とは違うから。ちゃんと謝ってくれて、それでもうおしまい。私は怒ってないから、だから君は忘れていいの」
俺の罪を取り除くように、全てを許して心をほどいてくれるようなその先輩の言葉は、同時に自分自身を責め続ける刃のように思えた。だから俺は言わなきゃいけない。
「それで……あの……俺にこんなこと言う資格ないかもしれないけど、それでもどうしても先輩に伝えたいことがあって。だから……」
無神経にその扉を開けてしまった以上、ヘラヘラ笑って引き下がるなんてできない。だからその一言を。俺はそう覚悟を決める。
「もう一度見せてもらえませんか。左手」
凍りついたように教室の空気が止まる。窓越しに外で騒ぐ生徒たちの声だけが響く教室。俺の胸で動く心臓だけが一定のリズムを取り続けていた。だけどここで止まるわけにはいかないから。だから俺は先輩の目を真っ直ぐ見つめる。
虚を突かれたように二回、小さく瞬きをした先輩と今日初めて目が合った。確かに俺を見据えている。そうして数秒、視線を逸らすように顔を俯かせると、先輩は一つ大きく息を吐いた。深い落胆を示すように。
一言も発さずに冷ややかな目で左手の手袋を掴み、指先に力を入れて一気に引っぱった。火花を散らすように勢いよく外したそれを、無造作に机へと放り投げる。そうして俺の前にまた、昨日のようにその掌を突きつけた。
「……はい。昨日と一緒。これが私の罪。あの子が私をずっと恨んでたっていう刻印。もうわかったでしょう?」
その突き放すような声は俺に向けられたものなのか、それとも自分自身に向けられたものなのか。今なら少しだけわかる。
昨日と同じ二本のあみだくじ。小さな丸印からそれを辿って、行き着くのはあまりにも残酷な『NO』の二文字。それが先輩の罪。他でもない先輩自身が決して許さない罪だと言うなら、俺はやっぱりそれを言わなきゃいけないと思った。だから俺は震える拳を握りしめながら、ゆっくりと唇を動かす。
「……それ、逆だと思うんです」
小刻みに引き攣る唇で、俺は確かにそう声を出した。無表情を貫く先輩が、一瞬目を細めて眉間に皺を寄せる。何を言っているのか、意味がわからないと。だから俺はそのまま言葉を紡ぎ続ける。
「先輩はそれを妹さんが自分を恨んでた証拠って言ったけど、俺は逆だと思うんです」
「逆って……そんなわけ。あの子が書いたの。『NO』って。これが何よりの——」
「それが逆だと思うんです」
「何言って……」
「その文字が表してるのは、『NO』じゃないのかもって」
「だから……何言ってるの。書いてあるじゃない。こんな簡単な二文字。それ以外に何が……」
困惑を孕んだその声色には、涙のようなものを感じた。本当は絶叫しているような、ずっと苦しみを抱えて来た声。それを解きほぐせるかなんてわからないけど、それでも一つ新しい選択肢を提示できたら。その一心で俺は、その可能性を口にした。
「それ『NO』じゃなくて、『ON』じゃないかって思うんです。全部反対かもしれないって」
俺は先輩の方に一歩踏み出して、その左手をそっと掴んだ。魂ごと奪われたように、空っぽの手。質量を伴わないその手。それをゆっくり慎重に折りたたんで、指先が床を指すように先輩の方へ掌を向けた。
「このあみだくじ、本当はこの向きで見るものだと、そう思いませんか? 全部ひっくり返すんです。そうしたら、ほら」
『NO』の文字を上下逆さまにひっくり返したらその文字は『ON』。それはつまり『ここから』。本当はこうやって上になった『ON』の文字から始めろ言っているのではないかと。
そうやって俺は先輩の手に書かれたあみだを丁寧になぞっていく。
「こんな風に本当は『ON』の文字から始まって、辿り着くのは小さな丸印。妹さんが言いたかったのは、許さないとか恨んでるとかそんなんじゃなくて。むしろ真逆。本当は……」
丸。小さく、だけど確かに想いを伝える丸印。『いいよ』と。
「違う! そんなわけない。だってあの子は」
声を荒げた先輩なんてもちろん初めて見た。口調も崩れて感情的になっている。きっと先輩はそれほどまでにずっと自分のことを。
「妹さんは病室のベッドで、先輩が差し出した手にこれを書いたんですよね?」
「……そうよ。だからそれは、私を絶対に許さないって言うために——」
「そういう時普通は、指先を相手に向けて手を出すはずです。そこに何か書こうとしたら、手首の方が上になると思いませんか?」
正面から差し出された誰かの手に何かを書くなら、そうなるはずだ。もちろん普通なら見やすいように向きを考えて、わかりやすく書くかもしれないけど。多分それはきっと……。
「でも……文字だってこのままでなんの違和感もなく読めるじゃない! 形とかも全く崩れてない。全部こじつけだよ。いいの。私のために無理をしてそんなこと言ってくれなくても……」
「騙し絵の絵本をよく一緒に読んでた」
「……えっ」
「そう言ってましたよね。妹さんと一緒に、よく絵本を読んでたって。だから妹さんはわざとどちらから見ても違和感がないように、そう書いたんだと思うんです。それこそ騙し絵みたいに」
それが俺の答え。あのトリックアート展のパンフレットを見た時に、頭の中を過った可能性。一縷の光。
「……なんで。なんでそんな……」
「先輩と一緒にまたそうやって遊びたかったから。全部水に流して、また一緒に。そういう妹さんなりのメッセージだったんじゃないかと俺は思います。勝手にですけど」
実際、これはトリックなんて言えるほど、そんなに難しいものでもない。少し考えれば、違和感を持ってその仕組みにすぐ気づけるようなものだったはずだ。先輩の妹だって、そんな風に軽い気持ちでこれを書いたんじゃないだろうか。すぐに気づいてもらえるだろうと。そうして二人で笑い合って、答え合わせをすればいい。その機会が訪れることはないなんて、当然思ってもいなかったのだ。
それに先輩が今までずっと気づけなかったのは、誰よりも先輩自身が自分のことを許せなかったから。自分は絶対に許されないことをしたんだと、そんな罪の意識が認知を歪めたのではないか。そしてその日を最後にもう二度と会えなくなってしまったことで、真相が解き明かされる日は来なくなってしまった。それでもう絶対に謝罪を受け入れてもらえることはないんだと罪悪感がより一層増し、妹は自分のことを恨んでいたに違いないと、そう思い込み続けてしまったんだ。都合のよすぎる解釈もしれないけど、俺はそう思いたかった。
「でも、でもやっぱり本当はどうかなんてわからない。もう確かめられないんだから。だからやっぱり、私は許されちゃいけないの! 一生背負わなきゃいけない十字架。だから私は……」
もう確かめられない。そうだ。先輩の妹はもうどこにもいない。本心なんてもう誰も知り得ない。もうどうしようもない。だから。だったら——。
「どっちの可能性もあるって、両方同時に存在してるんだってそう思えませんか?」
真相はもうわからない。誰にも観測できない。だから両方の可能性が重なって存在していると。
「先輩のことを恨んでいたかもしれない妹さんも。先輩とまた一緒に笑い合いたいと思っていたかもしれない妹さんも。どっちも本当なんだって。どっちもあり得たかもしれないんだって。そう思ってあげられませんか? どっちの妹さんのことも引きずって生きていけばいいと思うんです。どっちの妹さんも大切にして、そうやって生きていきませんか?」
それはあの猫のように。
先輩の妹は先輩のことを恨んでいたかもしれないし、また一緒に遊びたいと思っていたかもしれない。それだけじゃなくて、多少なりとも先輩に恨みがあって、それでもやっぱりまた一緒に。そのためにちょっと意地悪な騙し絵を書いて、それで全て水に流したら仲直りしようと思っていた、そんな可能性だってあるかもしれないのだ。
世の中、全てのことに白と黒がつくわけじゃない。どうしようもなく許せなくて、叫びたいくらいの恨みがあって、それでもそれ以上に大好きで、一緒にいたい。そんな相反する感情の中で揺れながら、一つを選べるわけでも、明確な答えがあるわけでもなく、矛盾を抱えながら、それでもどうにか自分の想いを言葉にしようと生きていくのが人生なんじゃないだろうか。
だからきっと全部嘘じゃない。色々な感情を全部抱えて、混ぜ合わせて、それがきっと本当の姿。全部本当の先輩の妹。そうやってグラデーションの中で生きているのが人間だから。
「何それ……。そんなこと言って……そんなの、ずるいよ……」
先輩の瞳から一筋の涙が確かに流れている。ぐちゃぐちゃに崩れた鉄仮面の向こう側に、溢れんばかりの感情を着て。それは初めて見る先輩。やっと見せてくれた先輩の剥き出しの心。長阿弥朝衣の感情。俺が本当に知りたかったのは手袋の秘密とかそんなんじゃなくて……。
きっと先輩はどこまで行っても、結局自分のことを許せはしないだろう。それなら全ての可能性を引きずって、生きていけばいい。生きていかなきゃいけない。だってどれだけ苦しいことがあっても、それでもどうしようもなく人生は続いていくから。
こんな世界じゃ真実なんてわからないことの方が多くて、釈然としないことだらけで、それでも生きていかなきゃいけないなら。それなら、全部の可能性を抱えて進むしかないんだ。
先輩の左手を握った。冷たい。どこまでも冷え切っている。だけどそれは、確かな温度がそこにあるということだった。
*
「結局先輩が俺とデートしてくれたのって、あのトリックアート展があったからなんすか?」
隣をひょこひょこと歩く先輩に俺はそう訊ねる。ようやく手に入れた車道側の位置から。
「……そうね。あの子と昔そんな絵本を見たなって思っていたのだけれど、一人じゃ行きづらい場所だったから」
「やっぱりそうなんすね」
自分が特別選ばれたわけではないと、まあそんなことはわかっていたけど、改めてそう聞かされるとなんだか少し残念だ。
「あとは、貴方が少しだけあの子に似ていたから。柚木くんの笑った顔が、少しだけあの子みたいだって。そんな気持ちもあったかも」
それはなんて言っていいかわからないけど、まあ少しだけ喜んでおこう。
「……それと——。いえ、それくらいね」
続けて何かを口にしかけた先輩は、一瞬考え込むとそう目を逸らした。
「えっ。なんですか。言ってくださいよ」
「なんでもないわ」
「いや絶対なんかあるでしょ! 隠さないでくださいよ〜」
「いいでしょう。別に。なんでも」
薄々感じてはいたけど、なかなか強情な人だと思うこの人は。
「ダメです! 教えてください」
そうしてしつこく問い詰めると先輩は観念したようにため息を吐いて、小さく本当に消え入るような声を出した。
「……声。いい声をしてるなって思ったから。貴方の。それだけ」
ぶつぶつと吐き出された思わぬ答えに一瞬身体が止まってしまう。そうして先輩のその声を咀嚼していると、口元が自然にニヤけていった。そっか。俺って声がいいんだ。そんなの考えたこともなかった。
「貴方も結構意地悪ね。よくないわよそういうの」
立ち止まった俺の方を向いて、先輩はそう咎める。その顔が少し紅潮していることを俺は見逃さない。先輩は口をもごもごさせながら抗議の視線を浴びせると、「早く行きましょう」とまた歩き出す。
そうして俺の右手からは、確かに火照ったその熱と鼓動が伝わって来るのだった。

