それからの僕は、ただ時間に流されるだけの日々を過ごした。
 朝が来て、夜が来る。
 目を覚まして、飯を食い、学校へ行く。
 ただ、それだけのことを、機械的に繰り返していた。
 何をしても、何を考えても、すべてが空虚だった。
 授業の内容も、隣の席のやつの話す言葉も、ただ耳を通り過ぎていく。
 まるで、自分だけが別の時間の流れに取り残されたようだった。
 それでも、日常は止まってはくれない。
 葵がいなくても、クラスメイトたちは変わらず笑い、先生たちは変わらず授業を進める。
 季節は移り変わり、枯葉が舞っていた街路樹には、新しい葉が芽吹いていた。
 僕は、ただ黙ってそれを眺めていた。

***

 僕は、あの日、彼女に宣言した通り、川越高校に進学した。
 勉強に熱中することもなく、部活に情熱を燃やすこともなく、ただ時間に押し流されるように、日々を過ごした。
 放課後、クラスメイトたちが楽しそうにカフェへ向かうのを横目で見ながら、僕はまっすぐ家に帰る。
 帰ってもやることはない。
 スマホの画面を無意味にスクロールし、眠くなったら寝る。
 そんな毎日だった。
 将来の夢なんて、とうの昔に見失っていた。 

***

 高校三年になっても、僕の中の虚無感は、いささかも変わらなかった。
 進路指導が始まる。
 先生は「どこを受ける?」と聞いてきた。
 僕には、特に行きたい大学なんてなかった。
 だから、コスパだけを重視して、名古屋市内の中堅レベルの私立大学を選んだ。そして、推薦入試で合格した。
 ただ、それだけのことだった。

***

 大学に入っても、僕の中の虚無感は消えなかった。
 講義に出る。
 レポートを書く。
 単位を取る。
 そんな日々が続く。
 でも、それらは僕にとって、ただの作業にすぎなかった。
 気づけば、葵のことを考える時間は減っていた。
……いや、本当は、考えないようにしていたのかもしれない。
 彼女のことを思い出すたび、胸の奥がひどく痛むから。
 だから、僕は意識的に、記憶を封じ込めるようになった。
 彼女と過ごした夏の日々も、夜の砂浜も、すべて。
 でも、それで本当に忘れられるわけがなかった。

 日々の生活に意味を見出せないまま、時間だけが過ぎていった。
 アルバイトも適当に選び、居酒屋のホールやコンビニのレジ打ちを転々とした。
 働いている間だけは余計なことを考えなくて済んだが、終わった後の虚しさは変わらなかった。
――そんな僕が、何となく塾講師と家庭教師のアルバイトに行き着いたのは、ほんの些細なきっかけだった。
 時給がそこそこ良かったこと。
 座ってできる仕事だったこと。
 そして、心のどこかで「誰かに何かを教える」という行為に、漠然とした興味があったこと。
 その興味の正体に、最初は気づかなかった。
 でも、あるとき、授業の合間に生徒の一人が「先生はどうして塾講師をやってるんですか?」と何気なく尋ねてきた。
 その瞬間、記憶の奥から、ある夏の日の景色が鮮やかに蘇ってきた。
「……じゃあ、英語はどこで躓いた自覚がある?」
「うーん、最初から躓いてたと思うけど……三人称単数とかが未だに意味が分からない。何で一人なのに三人称なの?」
「……ああ、それはね、自分視点で見て『三人目』って意味なんだよ」
「例えば——俺視点だと、俺が一人称で、私のI。で、葵が二人称。あなたのYou。で——」
「あそこにいるおじさんが、三人目の『三人称』。彼だからHe。こんな感じで、俺と葵以外の誰かは、全部三人称になるんだよ」
「……えっ? めっちゃ分かりやすいんだけど」
 葵が目を輝かせる。
 表情がぱっと明るくなり、彼女は嬉しそうに笑った。
 その瞬間、僕の胸の奥で、温かい何かが弾けた気がした。
……きっと、あの感覚が、僕の中にずっと残っていたのだろう。
 誰かに何かを教えて、それが相手の中に届いたときの感覚。
 僕が塾講師や家庭教師のアルバイトを選んだのは、意識していたわけじゃない。
 けれど、心のどこかで、あの夏の日の経験が僕の進む道に影響を与えていたのかもしれない。
 それでも。
 僕は学校の教師になろうとは思わなかった。
 決められたカリキュラムをなぞるだけの授業。
 テストの点数を上げることだけが目的の教育。
 そんなものに、意味はあるのか?
 葵と過ごした時間には、もっと自由で、生き生きとした学びがあった。
「こうしなきゃいけない」という型にはまらず、ただ純粋に「教えることの楽しさ」があった。
 だから、大学では教職課程を取らなかった。
 教師にならなくても、誰かに何かを教えることはできる。
 僕は、もっと自由な形で、教育に関わりたかった。
 それでも。
 大学を卒業したあとも、僕には特に夢や目標がなかった。
「教師にならない」と決めたはいいが、人に何かを教えること以外にやりたいこともなかった。
 結局、周囲の流れに押されるように、他業種の企業に就職した。
 どこにでもある普通の会社。
 特に興味もなく、情熱もない仕事。
 ただ、淡々と働いた。
 与えられた業務をこなし、決められた時間に帰る。
 給料をもらい、最低限の生活を送る。
……それだけの毎日。
 それでも、唯一変わらなかったのは、副業として続けていた家庭教師の仕事だった。
 生徒の横で、問題の解き方を教えるときだけは、不思議と心が穏やかになった。
 ほんのわずかでも、生徒が「わかった!」と笑顔を見せてくれると、どこか懐かしい気持ちが胸に広がった。
 その瞬間だけ、僕は唯一、彼女と繋がっていられる気がした。

 プロの家庭教師として独立することになったのは、様々な経験を経た末の決断だった。
 会社員としての毎日は、ただ時間に追われるだけの生活で、朝、決まった時間に起き、満員電車に揺られ、オフィスに向かう。
 PCの前に座り、無機質な資料を作り、会議に出る。
 昼休みにはコンビニで買った弁当を無言で食べ、定時を迎えれば、疲れた体を引きずるようにして帰宅する。
 誰かの役に立っている実感もなく、ただ業務をこなすだけの日々。
 何かが足りなかった。
 このまま何年も、何十年も続けていく未来を想像すると、息が詰まるような感覚に襲われた。
 けれど、そんな僕の生活の中で、唯一心が動く瞬間があった。
 それは、家庭教師の仕事をしているときだった。
 仕事を終えた後、スーツを脱ぎ捨て、カジュアルな服に着替える。
 資料をカバンに詰め込み、生徒の家へ向かうため電車に乗る。
 仕事帰りの疲れたサラリーマンたちとは違い、僕はどこか軽やかな気持ちで座席に身を預けていた。
 生徒の家に着くと、いつも不安そうな表情を浮かべていた子が、僕の説明を聞くうちに少しずつ表情を変えていく。
 ペンを握る手が震えていた子が、正解を導き出した瞬間、ぱっと顔を輝かせる。
「先生! これ、わかった!」
 その言葉を聞くたびに、僕の胸の奥で何かが熱くなった。
 あの夏の日、葵に英語を教えたときと同じ感覚だった。

***

 気づけば、会社の仕事よりも、生徒と向き合う時間の方が楽しくなっていた。
 誰かの役に立っている実感があった。
 生徒の成長を間近で感じることができた。
――この仕事なら、自分にしかできないやり方で、人の人生に関われるかもしれない。
 そんな思いが、僕の中で次第に大きくなっていった。

***

 決断したのは、ある雨の日だった。
 会社帰り、濡れたアスファルトの上を歩きながら、ふと、電車の窓に映る自分の顔を見た。
 疲れ果て、どこか虚ろな表情をしている自分。
……このままでいいのか?
 そう思った瞬間、足が止まった。
 スマホを取り出し、電車の中で「個人事業主 家庭教師 開業」と検索する。
 画面には、開業届の出し方や、集客の方法が並んでいた。
 知らない世界だった。
 不安もあった。
 でも――。
 やってみよう。
 そう心の中で呟いた瞬間、雨の冷たさとは違う、妙な熱が胸の奥に広がっていった。

***

 そこからの行動は、驚くほど早かった。
 まずは、個人のホームページとブログを開設した。
「プロ家庭教師」として、どんな指導をするのか、自分なりの教育理念を言葉にしてまとめた。
 SNSでも少しずつ発信を始め、勉強のコツや受験対策について投稿した。
 最初は手探りだった。
 フォロワーもほとんどいない。
 ブログのアクセス数も、一桁の日が続いた。
 それでも、不思議と焦りはなかった。
 会社の仕事では感じることのできなかった「生きている実感」が、そこにはあったから。

***

 そして、ある日。
 ブログの問い合わせフォームに、一通のメッセージが届いた。
『中学三年生の娘の家庭教師をお願いしたいのですが、一度体験授業を受けられますか?』
 画面を見た瞬間、心臓が跳ねた。
 初めての正式な依頼。
 目の前の世界が、少しだけ色を変えたような気がした。
 相手は、中学三年生の女の子。
 名前は、中村翠(なかむらみどり)。
 事前に、保護者と電話で簡単な打ち合わせを行った。
 話しぶりから、教育熱心な母親の姿が浮かぶ。
 娘の学力に不安を抱え、藁にもすがる思いで依頼をしてきたのだろう。
「どんな先生なのか、一度お会いしてお話を伺えればと思います」
 穏やかながらも、少し慎重な声色。
 当然だろう。
 家庭教師は、子どもの教育に深く関わる仕事だ。
 信用されなければ、依頼には繋がらない。
 電話を終えた後、僕は深く息を吐いた。
 いよいよ、ここからが本番だ。