「俺、由希くんがうさぎさんになってるところが見たい」
「‥‥はい?」
秋晴れで気持ちいい青空の下、先輩は真剣な面持ちで言い放った。
昼休みの屋上にはちらほら人がいるので、あまり大きな声でそういうことを言わないでほしい。
先輩は僕のことになると、少々周りの目を気にしすぎないところがある。
「だから、由希くんがうさぎさんになってるところが見たいんだって」
どこから突っ込めばいいんだろう。
うさぎさんって、なに。
どちらかというと、先輩のほうが似合いそうだ。
「来週の日曜日、テーマパーク行こう」
有無を合わせない笑顔で先輩は微笑む。
僕は素直に首を縦に振るしかなかった。
◆
「かっ、可愛い‥‥! このカチューシャ、由希くんのために作られてるじゃん!」
「先輩、写真撮りすぎです!」
入園してすぐに買った、淡いピンクのもふもふしたウサ耳を着けると、先輩はかれこれ十分も僕の写真を撮り続けている。
僕たちが訪れたのは『アニマルランド』というテーマパークで、ここには様々な種類のつけ耳が売っている。
先輩も黒のウサ耳を選んでつけているけれど、宇佐美先輩が着けるとなぜか色っぽく見えるのは僕だけだろうか。
僕のウサ耳は先輩が折り曲げて、垂れた形になっている。
可愛い系の耳を着けられることを予想して、今日の服装は甘めにしてきた甲斐があった。
今日は大きなフリルの襟がついた黒のトップスに、白いふわふわのカーディガンを合わせた。
下は同じく黒のショートパンツに、今流行りの白いレースタイツと少し長めの白い靴下を合わせ、ブーツを履いてきた。
先輩はやっぱりシャツを着ていて、今日は黒のシャツの中に白いタートルネックを合わせて、下はグレーのダメージジーンズを履いている。
スタイルが良いから、シンプルな服装が逆に先輩の造形美を際立たせていた。
先輩もブーツを履いてきてくれて、色で合わせたシミラールックコーデだ。
せっかく合わせたのだから、一緒に写真を撮りたいのに先輩は僕の写真ばかり撮っている。
「先輩、一緒に撮りましょうよ」
「ん〜、写真は全然良いんだけどさ。由希くんっていつまで俺のこと先輩って呼ぶの? 俺、君の彼氏なんだけどなあ」
目の前の黒いうさぎは、スマホを手に持ったまま期待した目で僕を見てくる。
絶対、動画撮ってるじゃん‥‥!
僕が名前を呼ぶところを、思い出として残しておきたいのだろう。
バレないようにやらないところが、先輩らしくて憎めない。
先輩はすっと僕に近づいて、耳元に顔を寄せた。
「由希、俺の名前呼んでよ」
掠れた甘い声が身体中に響いて、抗えない。
「彗、くん」
「なあに、由希」
先輩は顔を綻ばせて、僕のことを見つめる。
「今日は彗くんとたくさん写真が撮りたいです」
先輩のシャツの裾をきゅっと掴んで、上目遣いでお願いした。
「だめだ、限界オタクだからそういうあざといのは破壊力がすごくて思考停止しちゃう」
「もうっ、限界オタク禁止です!」
「ええっ由希が可愛いのが悪いんじゃん。とりあえず、あと二十枚だけ写真撮っていい?」
「だめ! ほら、行きますよ!」
僕が手を差し出すと、長くて骨ばった指が絡んでくる。
「怒ってる由希も可愛いね」
弾んだ声に、僕も表情を和らげる。
先輩が喜んでくれるなら、結局なんだっていいんだ。
「彗くん、あそこのお花がたくさん咲いてるところで写真撮りましょう」
歩いている途中に見つけた花壇の前で先輩と写真を撮る。
先ほどの仕返しと言わんばかりに僕もたくさん先輩の写真を撮った。
少し照れている先輩の顔が愛おしい。
「由希、そんなに俺の写真いらないよ」
「いります。彗くんフォルダーに追加します」
「そんなフォルダー作ってるんだ。知らなかった」
あっ、と口元を抑える。
僕も大概先輩のことが大好きすぎる。
結局僕らは似たもの同士だ。
「由希も俺の限界オタクなんだね」
「ぐう‥‥否めないです」
「はは、も〜、可愛いなあ!」
先輩に引き寄せられて、ほっぺをむにっと片方の手で掴まれ、その様子を写真に撮られる。
「可愛すぎて、食べちゃいたい」
「う、うさぎは、草食なんですよ!」
付き合ってから、たまに先輩は僕のことをぎらりとした瞳で見つめることがある。
熱が籠った視線に、体温が上がった。
僕だってなにも知らないわけじゃない。
先輩がそういうことをしたいんだろうな、と予想はついている。
「ふふ、ゆっくりしていくから、安心して」
僕の手を繋いで、また歩き出す。
僕は頬を赤く染めて「でも、いつかは食べられちゃうんですね」と答えた。
「うん、俺、男の子だから」
ぺろりと舌舐めずりをした先輩に、心臓が大きく跳ねて早鐘を打つ。
先輩には、叶わない。
優しいけれど、たまに顔を覗かせる男らしさみたいなものに僕は翻弄されっぱなしだ。
周りにたくさん人がいるのに、先輩のことしか考えられない。
「ゆっくり、ですよ」
「うん、由希がいいって言うまで待つよ」
風が吹いて、先輩のきらきらした髪をそっと撫でた。
少し眩しくて、僕は目を細める。
いつか先輩に僕は食べられちゃうらしい。
でも、心の奥で少し期待している僕がいる。
『アニマルランド』にはメリーゴーランドやティーカップがあり、僕たちは目についたアトラクションに次々と乗った。
メリーゴーランドでも、ティーカップでも先輩は相変わらず動画を撮っていて、先輩の三半規管の強さに驚く。
降りてから「気持ち悪くならないんですか」と聞くと「可愛い瞬間を逃したくなくて集中してたらいけた」と返ってきた。
その後もパレードを見て楽しんだり、小さなジェットコースターにも乗るとあっという間にお昼の時間になった。
僕たちは売店のハンバーガーを買うために、列に並んだ。
僕の後ろに並んだ先輩が後ろから覆い被さってきて、一緒に先輩のスマホを眺める。
ふわりと、いつもの香水が香った。
「わ、彗くん写真撮るの上手ですね」
「ありがとう。被写体がいいからだよ」
入ってすぐ撮ってもらった写真はどれも盛れていて、SNSにアップしたくなる人の気持ちが分かった。
僕もスマホを取り出して、先輩の写真を見せ合う。
しゃがんで微笑んでる先輩の写真がお気に入りだ。ハートマークをタップして、お気に入りに登録する。
「あ、お気に入りにしてくれてる。嬉しい」
「正直、今日のビジュアル好みすぎて全部お気に入りにしたい気持ちを抑えてます」
「奇遇だね、俺も。ショートパンツにレースタイツなんて度肝抜かれたよ、やられた。由希ってライブの時も、いつもお洒落して来てくれてたよね」
仲良くなる前からちゃんと見てくれていたんだと、胸にあたたかいものが広がる。
「彗くん、あのお面の中でもファンのこと見えてたんですね」
「もちろん。隠してるからこそ、逆にファンのみんなのことをちゃんと見たいって思ってたしね」
「じゃあ、前に一応ボーカルやってるって、言ったのはなんでですか」
ずっと、「一応」という言葉が胸のしこりになっていた。
僕は彗くんの歌声が大好きだからこそ、負い目を感じているような表現が悲しかったのだ。
「お面を外すまでは、俺は自分のことを半人前だって思ってたんだ。だから自信を持ちきれなくて、一応って逃げてた。でも今は、もうそんな気持ちないよ」
先輩はスマホをスクロールして、一枚の写真を見せてくれる。
「新しい宣材写真を撮ったんだ。もう俺は、自分の顔を隠さない。たとえ母さんからまた酷いことを言われても、俺は立ち向かうって決めた」
画面の中の先輩は、力強い瞳で微笑んでいる。
横に並んでいる櫂くんたちも、心なしか誇らしげだ。
「これから忙しくなって、会える時間が減るかもしれない。でも覚えていて、」
僕は咄嗟に口を開いた。
「ーー君が一番大切なんだ、ですよね」
一瞬目を見開いてから、先輩は頭をくしゃりと撫でた。
「正解。よく出来ました」
「僕もやっぱり限界オタクなんですかね」
「否めないね」
見つめあって、ふはっと笑い合う。
先輩といれば、どこにいても、なにもしていても笑顔になれる。
ハンバーガーは違う味を買って、半分ずつ分けっこした。
その後は買い物をしたり、ゆっくりベンチに座って話したり。
夜は花火を見る予定で、場所取りをするためにまた移動する。
日が暮れてきて、遠くにオレンジ色の空が見えた。道の端に移動して、空を見つめている先輩の横顔を撮る。
満足して写真を眺めていると、先輩を呼ぶ声が聞こえた。
「あれ?! 彗じゃん!」
「えー! 偶然! 写真撮ろうよ」
駆け寄ってきたのは、制服姿で猫のカチューシャをつけている女の子二人組。
どこかで見たことのある顔だ。
「山本と岩瀬じゃん。確かに偶然だね」
「ね! 学校以外で会うことないもんね。彗、テーマパーク苦手って言ってたのにいるからびっくりしたよー」
学校というキーワードにピンとくる。
二人は先輩とよく話している、同級生だ。
ていうか、今テーマパーク苦手って聞こえた気がする。僕は少し距離をとって様子を伺う。
「ていうか、彗一人じゃないよね? 誰と来たの?」
岩瀬さんは辺りをきょろきょろ見回して「あっ!」と声を上げた。
「君が噂の由希くん?! やばっ、彗が話してた通りめちゃくちゃ可愛い顔してんじゃん‥‥! 君も一緒に写真撮ろうよ!」
「へっ?」
ピンクのマグネットネイルをした岩瀬さんの手が伸びてくる。
先輩はその手を掴み「だめ、俺のだから」と少し低い声と笑顔を浮かべた。
「わお、ガチ惚れなんだね」
「やばい、見てた私が一番キュンキュンしてる」
「ごめんな。由希のことになると、俺ちょう心狭くなっちゃうの。写真はいいけど、由希の隣は俺ね」
きゃー! と黄色い歓声があがる。
先輩は特に気にせず、四人並んで何枚か写真を撮った。
「明日学校行ったらみんなに、彗の由希くんはお触り禁止だよって伝えておくね!」
「おー、よろしく。ついでに俺の知らないところで話しかけたりしないでっていうのも追加しといて」
「任せて!」
ひらひら手を振って、先輩は賑やかな二人を見送る。
僕は赤く染まった頬を手のひらで覆って、固まっていた。
「な、なんっ、今のなんですか!」
「あー、そういえば学校で由希の話してるのあんまり伝えてなかったね。ごめん、付き合えたのが嬉しすぎてみんなに自慢してたんだ。俺の恋人、すげえ可愛いでしょって。‥‥でも、こんな風にバレるのめっちゃ恥ずかしいわ」
先輩はその場にしゃがみ込んで、下を向いている。
僕も目線を合わせるためにしゃがんで、赤くなっている先輩の顔を覗き込んだ。
「ごめん、勝手に話してたの嫌だった?」
か細い声が聞こえてくる。
「驚きましたけど、お友達に話してくれて嬉しかったです」
「うわ‥‥優しすぎる、天使じゃん。でも次からはちゃんと聞くね、本当にごめん。後もう一個打ち明けると、櫂も前から由希くんの顔知ってたんだ」
「カフェに来た時の反応から、薄々そうかなって思ってました」
「だよねえ、バレてるよねえ。櫂にもキーホルダー拾ってもらった日に、もしかしたらライブに来てくれた子と同じ学校かもって、嬉しくて話しちゃったんだよね。ごめん、気をつける」
あまりにも先輩がたくさん謝るから、僕は気にしないでくださいと気持ちを込めて、彼の頬にキスを落とした。
「僕のことを誰かに話してくれるのは、間接的にすごく好きだって言われてるみたいで、ちょっぴり恥ずかしいけど嬉しいです。だから気にしないでください」
面と向かって伝えるのは案外恥ずかしい。
辺りが暗くなり始めていて、きっとあまり顔は見えなかっただろう。
たまには暗闇も悪くないと安心していると、先輩の背後に花火が上がり始めた。
「わ、花火上がりましたね」
僕が立ち上がると、後ろから先輩に抱きしめられる。
「由希のことになると、自分でも知らない自分がどんどん出てくるんだ。テーマパークだって本当は人混み嫌いで苦手なのに、君とは行きたい。プライベートなこと話したくないのに、君のことは自慢したくなる。ーーねえ、由希、大好きだよ」
振り返ると、花火の光が先輩によって遮られる。
僕たちの唇が重なった。
「たくさん人がいるけど、我慢出来なかった。‥‥もう一回してもいい?」
僕は小さく頷いて、そっと目を閉じた。
キスの雨が降り注ぐ。
花火の音が心臓に響いて、鼓動と混ざり合う。
人が沢山いたってもう関係ない。
だって、きっと、みんなは花火を見ているはずだ。
僕だけが先輩を見つめている。
今はそう、思いたかった。
唇が離れると、先輩は花火を見つめながらぽつりと呟いた。
「‥‥由希と一緒に水族館に行きたい」
僕はばっと顔を上げて、先輩の手を握った。
「一緒に、行きましょう」
夜空に、花火の残り火が泳いでいる。
ゆらゆらと夜空を揺蕩い、ゆっくりと消えるを繰り返すそれを、僕は切ない気持ちで見つめた。
水族館に行ったら、僕は先輩に話したいことがある。



