「未香、パス出すよー!」
わたしはその声を聞いて、即座に足を止めた。
選手たちがつくる一瞬の動作の中で、わたしは杏ちゃんがどこにいるのか探して大きく腕を伸ばした。
体育の授業で行われているのは、女子たちがやっているバスケットボールだった。
施設の関係で女子と男子とが全員そろって体を動かすのは狭くて出来ないから、多くの男子が二階のスタンドからわたしたちの試合を見ていた。
3on3の直接対決だ。
たくさんの歓声とたくさんの足音が響く中、みんなは真剣に試合に取り組んでいた。
わたしは杏ちゃんの声なら明瞭に聞き取れる自信がある。先ほど、彼女はチームメイトから長めのパスをもらって、少ししたらこちらに向かって声をかけた形だった。
この距離なら、わたしがシュートを決めないと......。
けれども、あろうことかわたしがジャンプした寸前でカットされてしまう。
慌ててうろたえている中、杏ちゃんが奪い返した。その流れでこちらに向けて瞳を向ける。
ああ、わたしにパスを出すんだ。
その気づきから、一瞬で足を止めた。彼女が動かす手の先だけに視線を送る。
......ここからならいける。
わたしから見て、右足の空間が広く開いていた。
思った通りだった。彼女はこの場所を使って低い弾道のパスを投げる。しまったと敵チームの驚く声が響く。
杏ちゃん、えらいよ! うんと力を込めたわたしは勢いよくジャンプした。
......やっと入ってくれた。
もう残り少ない試合時間だから、わたしの入れたシュートが決定的な点数になるだろう。
そう浮かれていたら、後ろから別の選手とぶつかってしまった。べちんと音が響きそうな感じでその場に倒れ込んでしまう。
選手のみんなは次のシュートを入れたくて仕方がなかったから、もうここから離れてしまった。
のろのろと起き上がるわたしをたくさんの男子が嘲笑う。恥ずかしさを抱えつつも立ち上がるわたしは、ある一点の瞳に気づいた。
森野くんだ。彼だけは、やさしく見守っていた......。
体育館の入り口でわたしを待っていてくれたのは、杏ちゃんだった。
「お疲れさま!」
「いつもありがとう!」
こんなやり取りをするのはよくあること。わたしたちは揃って歩き出した。
いいパスだったね、完璧なシュートだったね、こんなことを話しながら更衣室に行く。体操服を脱ごうとするわたしに向かって、まだこちらに向かっている視線があった。
「ねえ、未香さん......」
彼女の瞳からテレパシーを感じる。はいはい。わたしは無言で鞄の中に入っているアイテムを差し出した。
「ああ、これが未香の香りかあ」
ああ、なんてフローラル。へんな台詞が聞こえる。ただの汗を拭くだけのシートなのに。わたしの耳は、聞こえているけれど聞こえないふりをした。
体育館を出たら、足元に小さな花が咲いているのに気づいた。
一輪だけ咲くその姿は、ひょろりと長い茎をしていて、まるでポーションミルクみたいな大きさの花をつけていた。不思議な花の色がかわいらしかった。
「私はみかんみたいな色を感じるな」
色の三原色というもので測ったことはないけれど、これはなに色だろう。
杏ちゃんが言うのはおもしろい感性だった。みかんだから柑橘系を感じるようで、だいぶオレンジ色を意識しているのかもしれない。
「ねえ、未香はどう思う?」
「わたしは......たとえば朱鷺の色とか?」
ええ、すごいじゃん。日本古来のものを思いつくなんて粋だねえ。そんなに視線を送らなくても。恥ずかしいわたしは、少しだけ視線をそらした。
・・・
帰る途中にその花をまたしても見つけていた。
一輪だけ咲くその姿は、ひょろりと長い茎をしていて、まるでポーションミルクみたいな大きさの花をつけていた。不思議な花の色がかわいらしかった。
きみならどう思うんだろう。その思いから、一緒に歩く彼に尋ねてみた。
「ねえ、これ何色だと思う?」
「そうだねえ、サーモンの刺身の色」
食い意地張ってるんじゃないんだからと、わたしは口に手を添えずに笑った。
今日はとても暑い日だった。まるで昨日の寒さが嘘のよう。ひっくり返った気温に、教室の中では窓を開けてほしいという意見と花粉が入るからいやだという声が対立していた。
体育の授業が終わったあとの時間帯だから、なおさらなんだろうなあ。どちらの政党でもないわたしはその様子を眺めるだけにしておいた。
その代わりに、日直当番だったから日誌に少し書いてみた。
"気温差の激しい日々が続いています。教室が暑いのも分かりますが、わたしは花粉症ではないのでくしゃみをする生徒が可哀想なのも感じます。どう折り合いをつければいいんでしょうか"
そして、日誌を先生のところに届けにいったら歩と鉢合わせした。何気なく一緒に学校を出て、一緒に歩いていく。
のどが渇いて仕方なかったわたしは自販機でお茶を買った。
そしたら足元に名前も知らない花があることに気づいた形だった。
・・・
歩がサーモンが好きなんて、ちょっと意外だった。
「意外かな。普通に味がしっかりしているからいいかなって」
そうなんだ。わたしはどちらかといえば鯛とかの方が好きだ。さっぱりとした味わいだし、わずかに桜色が差す切り身がもう美しいし。
ふっと笑ってしまった。つい楽しくなったから、あれこれ聞いてみたくなった。
「歩って、朝ごはんはパンなのお米なの?」
「パンだよ。昼もコンビニのよく買ってるじゃん」
「ああ、たしかに。わたしは朝食パンにジャムだけど、お昼はお弁当だし」
今日のお弁当は鮭を焼いたやつだった。それだけ聞くと地味だけど、ほかの副菜には野菜がたくさん使われる。これが我が家の味。
「それでさ、目玉焼きにはなにかける?」
「ソースかな。未香は?」
「だいたいはしょうゆだよ。でも、なにもかけないときもあるよ」
なにもかけない? 疑問を口に出さない代わりに、彼の目がこちらを向く。
「じゃあ、アジフライにも?」
「それはソー......」
......ソースと言いかけて、口ごもった。実はほんとうになにもかけないことの方が多い。
「......じゃあ、プリンにしようか。わたし硬いのが好きなんだよね」
「どっちでもいいなあ」
慌てて話題を変えたものの、不意打ちをくらってしまった。
プリンはスイーツの中でも最高級な美味しいやつなんだよ。チェスでいえばクイーンだ。こんな大事なことに理解を示さないなんて。
またしても、沈黙が流れる。
こらえきれなくなったわたしは、その場で大きく笑い出した。
「......ちょっと未香」
「ごめんごめん、楽しくなっちゃって」
困ったように苦笑いをする彼の横で、わたしは慌ててお茶を流しこんだ。
こんなに一緒にいるのに、食の好みなんて話したことがなかった気がするから。こんなにも好みが外れていることなんて思わなかったから。
歩のおうちはどんな料理が並ぶんだろうか、考えてるうちに彼が続きを話してくれた。
「俺のところは共働きだから、ほとんどが惣菜なんだ」
ああ、そうなんだっけ。
「そうそう。どっちも仕事好きだから、母親だけいったん辞めてて去年から仕事復帰だよ」
なるほど。専業主婦な我が家とはちがう。
「そういえば、よく鍵を首からぶら下げてたよね」
ああそれ、と彼は苦笑いだ。
「ほんとうは鍵っ子がすることだけどね。母親が心配性だから下げられてただけ」
小さい頃に彼のおうちに遊びに行ったことはないから、お母さんとは会ったことはない。それでも、彼はよくこちらに来てくれて、そのたびにお茶をご馳走してもらっていたっけ。
「......じゃあ、今度お昼にお弁当作ってもいいかなあ」
「......いや、悪いって」
わたしは思わず口にしていた。
きみに我が家の伝統的な食事を食べてほしかったから。野菜が少ないかもしれないと、勝手に心配していたから。
彼の返答を、わたしはどういう風に受け止めていただろうか。
・・・
歩がこちらを向いた。しっかり、わたしの瞳を見つめるように。
「ほんとうに、未香は強くなったね」
......え? 今なんて言った? わたしは彼を見つめたまま、目をぱちくりする。
「え、いや......。つい言っちゃった」
なぜ言った側が恥ずかしそうにしてるんだ。そっぽを向いて、しどろもどろにしている。
わたしだってうろたえていた。
ふたりそろって、変な空気を作り出してしまっていた。
「......ちゃんと言ってよ、なんのことなのよ」
「ほらほら、もう最近は寝込まないから、ちゃんと学校にも来てるし」
ああ、そういうこと。幼い頃はすぐに熱を出して寝込んでいたことがあった。
なんのおかげだろうか。少しだけ考えたけれど、わたしは思ったことを口にするしかなかった。
「......それは、成長するたびに体が丈夫になるからね」
......ほら、カルシウム入ったココアのおかげ? なんとなく思いついた嘘を並べていく。こんなこと、思わなかったらいいのに。
そろそろ行こうか。歩き出す彼の姿に、わたしは語りかける。
「ねえ、歩は知ってたりする? ......桜の木の下ってなにが埋まっているの?」
「そりゃもちろん、死体だよ」
その言葉を聞いて、歩いていた足が動けなくなってしまった。
どうしたのという彼の言葉がわたしの耳をすり抜けていく。
ほんとうに掘り起こしたら死体があって。思わず後ずさりするわたしを見上げていたら、腕を伸ばして足を掴んできたら。
嫌な想像ばかりが頭を駆け巡る。顔が青白くなって、呼吸が浅くなる。もうその場に立ち尽くしているだけで限界だった。
そのキーワードが、心を穿つ。
鍵の形へと成していくと、わたしの胸に侵入して扉を開けてしまった。
必死に隠していた記憶が、目覚めてしまった。
――わたしは、人を殺したことがあるんだ。
・・・
次の日、わたしは泣いた......。
よりによって、見てはいけないものを見てしまって、まったく想像のひとつもしてなくて。
放課後、わたしはホームルームが終わると同時に教室を出ていって。
そのまま一心不乱に街中を駆けていく。
温かい春の風が包み込んでいるなんて気付く余裕もなかった。
<カフェ・サクラ>の前に着いたら、もうわたしの限界は一杯だった。
ティーカップにぎりぎりまで注いだ紅茶のよう。少し歩くとすぐにあふれ出してしまう感情のまま、わたしは力任せに扉を開いた。
ただひとつ、安心したいからって。それだけだった。
店員さんや花蓮さんが心配そうに様子をうかがう中で、わたしはなにも言うことができない。声を上げて、その場で泣きだしてしまった。
サービスで出してもらった飲み物なんて気にならない。泣きじゃくれたわたしは、席に座った途端に眠りについてしまった......。
わたしはその声を聞いて、即座に足を止めた。
選手たちがつくる一瞬の動作の中で、わたしは杏ちゃんがどこにいるのか探して大きく腕を伸ばした。
体育の授業で行われているのは、女子たちがやっているバスケットボールだった。
施設の関係で女子と男子とが全員そろって体を動かすのは狭くて出来ないから、多くの男子が二階のスタンドからわたしたちの試合を見ていた。
3on3の直接対決だ。
たくさんの歓声とたくさんの足音が響く中、みんなは真剣に試合に取り組んでいた。
わたしは杏ちゃんの声なら明瞭に聞き取れる自信がある。先ほど、彼女はチームメイトから長めのパスをもらって、少ししたらこちらに向かって声をかけた形だった。
この距離なら、わたしがシュートを決めないと......。
けれども、あろうことかわたしがジャンプした寸前でカットされてしまう。
慌ててうろたえている中、杏ちゃんが奪い返した。その流れでこちらに向けて瞳を向ける。
ああ、わたしにパスを出すんだ。
その気づきから、一瞬で足を止めた。彼女が動かす手の先だけに視線を送る。
......ここからならいける。
わたしから見て、右足の空間が広く開いていた。
思った通りだった。彼女はこの場所を使って低い弾道のパスを投げる。しまったと敵チームの驚く声が響く。
杏ちゃん、えらいよ! うんと力を込めたわたしは勢いよくジャンプした。
......やっと入ってくれた。
もう残り少ない試合時間だから、わたしの入れたシュートが決定的な点数になるだろう。
そう浮かれていたら、後ろから別の選手とぶつかってしまった。べちんと音が響きそうな感じでその場に倒れ込んでしまう。
選手のみんなは次のシュートを入れたくて仕方がなかったから、もうここから離れてしまった。
のろのろと起き上がるわたしをたくさんの男子が嘲笑う。恥ずかしさを抱えつつも立ち上がるわたしは、ある一点の瞳に気づいた。
森野くんだ。彼だけは、やさしく見守っていた......。
体育館の入り口でわたしを待っていてくれたのは、杏ちゃんだった。
「お疲れさま!」
「いつもありがとう!」
こんなやり取りをするのはよくあること。わたしたちは揃って歩き出した。
いいパスだったね、完璧なシュートだったね、こんなことを話しながら更衣室に行く。体操服を脱ごうとするわたしに向かって、まだこちらに向かっている視線があった。
「ねえ、未香さん......」
彼女の瞳からテレパシーを感じる。はいはい。わたしは無言で鞄の中に入っているアイテムを差し出した。
「ああ、これが未香の香りかあ」
ああ、なんてフローラル。へんな台詞が聞こえる。ただの汗を拭くだけのシートなのに。わたしの耳は、聞こえているけれど聞こえないふりをした。
体育館を出たら、足元に小さな花が咲いているのに気づいた。
一輪だけ咲くその姿は、ひょろりと長い茎をしていて、まるでポーションミルクみたいな大きさの花をつけていた。不思議な花の色がかわいらしかった。
「私はみかんみたいな色を感じるな」
色の三原色というもので測ったことはないけれど、これはなに色だろう。
杏ちゃんが言うのはおもしろい感性だった。みかんだから柑橘系を感じるようで、だいぶオレンジ色を意識しているのかもしれない。
「ねえ、未香はどう思う?」
「わたしは......たとえば朱鷺の色とか?」
ええ、すごいじゃん。日本古来のものを思いつくなんて粋だねえ。そんなに視線を送らなくても。恥ずかしいわたしは、少しだけ視線をそらした。
・・・
帰る途中にその花をまたしても見つけていた。
一輪だけ咲くその姿は、ひょろりと長い茎をしていて、まるでポーションミルクみたいな大きさの花をつけていた。不思議な花の色がかわいらしかった。
きみならどう思うんだろう。その思いから、一緒に歩く彼に尋ねてみた。
「ねえ、これ何色だと思う?」
「そうだねえ、サーモンの刺身の色」
食い意地張ってるんじゃないんだからと、わたしは口に手を添えずに笑った。
今日はとても暑い日だった。まるで昨日の寒さが嘘のよう。ひっくり返った気温に、教室の中では窓を開けてほしいという意見と花粉が入るからいやだという声が対立していた。
体育の授業が終わったあとの時間帯だから、なおさらなんだろうなあ。どちらの政党でもないわたしはその様子を眺めるだけにしておいた。
その代わりに、日直当番だったから日誌に少し書いてみた。
"気温差の激しい日々が続いています。教室が暑いのも分かりますが、わたしは花粉症ではないのでくしゃみをする生徒が可哀想なのも感じます。どう折り合いをつければいいんでしょうか"
そして、日誌を先生のところに届けにいったら歩と鉢合わせした。何気なく一緒に学校を出て、一緒に歩いていく。
のどが渇いて仕方なかったわたしは自販機でお茶を買った。
そしたら足元に名前も知らない花があることに気づいた形だった。
・・・
歩がサーモンが好きなんて、ちょっと意外だった。
「意外かな。普通に味がしっかりしているからいいかなって」
そうなんだ。わたしはどちらかといえば鯛とかの方が好きだ。さっぱりとした味わいだし、わずかに桜色が差す切り身がもう美しいし。
ふっと笑ってしまった。つい楽しくなったから、あれこれ聞いてみたくなった。
「歩って、朝ごはんはパンなのお米なの?」
「パンだよ。昼もコンビニのよく買ってるじゃん」
「ああ、たしかに。わたしは朝食パンにジャムだけど、お昼はお弁当だし」
今日のお弁当は鮭を焼いたやつだった。それだけ聞くと地味だけど、ほかの副菜には野菜がたくさん使われる。これが我が家の味。
「それでさ、目玉焼きにはなにかける?」
「ソースかな。未香は?」
「だいたいはしょうゆだよ。でも、なにもかけないときもあるよ」
なにもかけない? 疑問を口に出さない代わりに、彼の目がこちらを向く。
「じゃあ、アジフライにも?」
「それはソー......」
......ソースと言いかけて、口ごもった。実はほんとうになにもかけないことの方が多い。
「......じゃあ、プリンにしようか。わたし硬いのが好きなんだよね」
「どっちでもいいなあ」
慌てて話題を変えたものの、不意打ちをくらってしまった。
プリンはスイーツの中でも最高級な美味しいやつなんだよ。チェスでいえばクイーンだ。こんな大事なことに理解を示さないなんて。
またしても、沈黙が流れる。
こらえきれなくなったわたしは、その場で大きく笑い出した。
「......ちょっと未香」
「ごめんごめん、楽しくなっちゃって」
困ったように苦笑いをする彼の横で、わたしは慌ててお茶を流しこんだ。
こんなに一緒にいるのに、食の好みなんて話したことがなかった気がするから。こんなにも好みが外れていることなんて思わなかったから。
歩のおうちはどんな料理が並ぶんだろうか、考えてるうちに彼が続きを話してくれた。
「俺のところは共働きだから、ほとんどが惣菜なんだ」
ああ、そうなんだっけ。
「そうそう。どっちも仕事好きだから、母親だけいったん辞めてて去年から仕事復帰だよ」
なるほど。専業主婦な我が家とはちがう。
「そういえば、よく鍵を首からぶら下げてたよね」
ああそれ、と彼は苦笑いだ。
「ほんとうは鍵っ子がすることだけどね。母親が心配性だから下げられてただけ」
小さい頃に彼のおうちに遊びに行ったことはないから、お母さんとは会ったことはない。それでも、彼はよくこちらに来てくれて、そのたびにお茶をご馳走してもらっていたっけ。
「......じゃあ、今度お昼にお弁当作ってもいいかなあ」
「......いや、悪いって」
わたしは思わず口にしていた。
きみに我が家の伝統的な食事を食べてほしかったから。野菜が少ないかもしれないと、勝手に心配していたから。
彼の返答を、わたしはどういう風に受け止めていただろうか。
・・・
歩がこちらを向いた。しっかり、わたしの瞳を見つめるように。
「ほんとうに、未香は強くなったね」
......え? 今なんて言った? わたしは彼を見つめたまま、目をぱちくりする。
「え、いや......。つい言っちゃった」
なぜ言った側が恥ずかしそうにしてるんだ。そっぽを向いて、しどろもどろにしている。
わたしだってうろたえていた。
ふたりそろって、変な空気を作り出してしまっていた。
「......ちゃんと言ってよ、なんのことなのよ」
「ほらほら、もう最近は寝込まないから、ちゃんと学校にも来てるし」
ああ、そういうこと。幼い頃はすぐに熱を出して寝込んでいたことがあった。
なんのおかげだろうか。少しだけ考えたけれど、わたしは思ったことを口にするしかなかった。
「......それは、成長するたびに体が丈夫になるからね」
......ほら、カルシウム入ったココアのおかげ? なんとなく思いついた嘘を並べていく。こんなこと、思わなかったらいいのに。
そろそろ行こうか。歩き出す彼の姿に、わたしは語りかける。
「ねえ、歩は知ってたりする? ......桜の木の下ってなにが埋まっているの?」
「そりゃもちろん、死体だよ」
その言葉を聞いて、歩いていた足が動けなくなってしまった。
どうしたのという彼の言葉がわたしの耳をすり抜けていく。
ほんとうに掘り起こしたら死体があって。思わず後ずさりするわたしを見上げていたら、腕を伸ばして足を掴んできたら。
嫌な想像ばかりが頭を駆け巡る。顔が青白くなって、呼吸が浅くなる。もうその場に立ち尽くしているだけで限界だった。
そのキーワードが、心を穿つ。
鍵の形へと成していくと、わたしの胸に侵入して扉を開けてしまった。
必死に隠していた記憶が、目覚めてしまった。
――わたしは、人を殺したことがあるんだ。
・・・
次の日、わたしは泣いた......。
よりによって、見てはいけないものを見てしまって、まったく想像のひとつもしてなくて。
放課後、わたしはホームルームが終わると同時に教室を出ていって。
そのまま一心不乱に街中を駆けていく。
温かい春の風が包み込んでいるなんて気付く余裕もなかった。
<カフェ・サクラ>の前に着いたら、もうわたしの限界は一杯だった。
ティーカップにぎりぎりまで注いだ紅茶のよう。少し歩くとすぐにあふれ出してしまう感情のまま、わたしは力任せに扉を開いた。
ただひとつ、安心したいからって。それだけだった。
店員さんや花蓮さんが心配そうに様子をうかがう中で、わたしはなにも言うことができない。声を上げて、その場で泣きだしてしまった。
サービスで出してもらった飲み物なんて気にならない。泣きじゃくれたわたしは、席に座った途端に眠りについてしまった......。


