「どうだった?」
わたしが職員室を出ると、近くで待っていた人物から視線を注がれる。そわそわしながら待ってくれていたのは杏ちゃんだった。
最近は進級を控えた面談が行われていた。放課後に先生と一人ずつ数分話す程度なのは分かっていてもある程度は緊張してしまう。わたしがなにを言われるのかはだいたいの察しがついていた。
「まあね、思っていた通りだったよ」
「そっかあ、じゃあやっぱり......?」
彼女はその疑問をまっすぐにぶつけてくる。痛いくらいの視線に、少し避けてしまった。
「そ、もったいないってさ」
ああ、そうなんだと相づちを打つ彼女は、自分のことのようにしょんぼりしていた。自分の面談は上手くいくだろうに、いろいろと気を遣ってくれる子だ。
「次、来てるかー?」
あ、と呼ばれた杏ちゃんは中へ入っていった。
わたしが言われたことは、ほんとうに予想通りだった。
成績は悪くない。点数は平均的ながらも問題なく進級できるだろう。
けれども、この時期を迎えているというのに、やりたいことが決まっていないのはもったいない。
せめて、選びたいコースがひとつでもあればアドバイスができるのに。
たとえば美術なんてどうだろうか。せっかく腕があるんだから。
わたしは先生の言うことひとつひとつに、神妙な面持ちで返事をするしかなかった。
今すぐ決めないとタイミングにはなっていないが、ここまで考えていない生徒も珍しいとのことだった。
だって、運動部の子は皆オリンピックを目指すだろうか。
だって、好きで選ぶのが部活じゃないだろうか。
だって......。
・・・
進路指導室に行ってみる。
そこにはたくさんの冊子やパンフレットが置かれている。ずらりと陳列されている姿に目をくらいながらも、一番手前にあったものを開く。
とある大学の案内だった。幅広い学科の紹介とともに、"教育の良さがあなたを待っている"などとキャッチコピーが載っていた。
ふうん、と息を出しながら眺めてみても、なんだか実感が湧かなかった。
小さい頃には将来やりたいことはありますか? ってよく聞かれていたっけ。
そしたらクラスメイトの男子が、真っ先にサッカー選手になりたいって言っていた。とても食い気味に発言していたからよく覚えている。
たしかに体育の授業ではいちばんに活動していたし、プロユースから声がかかったかどうかは知らないが、市が運営するサッカー部にも所属していた。本当に身体を動かすのが好きな子だと、わたしもよく思っていた。
でも、彼は彼。自分は自分だ。
幼いながらにもそんな考え方を持っていたから、わたしは皆のことを尊敬の目で見つめているだけだった。絵を描くのは趣味のレベルのままだった。
もともとこの部屋に来る生徒は少ない。
三年生がよく訪れる場所だから、もう進路が決まっていては用無しだろう。人気のない中は、なんだかひんやりとしていた。
......あ。
部屋の隅にあるパンフレットに気づいた。その表紙には二次元で書かれたキャラクターが載っていた。タッチは決してマンガ調ではないけれど、ちょっと気になった。
実は、一度だけマンガを描いてみたことがある。ノートのはじっこにコマとキャラクターを描いただけだった。決してネームなんて完璧なものではなかった。
けれども、近くにいた子に見つかって、"マンガ描くんだ、すごい!!"って大声で言われてしまった。褒められると思っていたら、すぐ教室の中に広がってしまって、恥ずかしさを覚えてしまった。
それきり教室で描くことはしなかった。家でちょっとだけ描いたことはあったけど、すぐに机の奥のほうに閉まってしまったっけ。
どうか見つかりませんように......。
ふっと気づいたことがあった。
マンガという言葉が、次の言葉へとつながっていく。絵がない文学の世界に行ってみたいなって思った。
その気づきは、まるで頭の中にあるもやが晴れていくよう。
さあ、帰るまで時間あるから図書館に寄ろうかな。
ドアノブを握ろうとしたタイミングで、ドアが思いっきり開かれる。思わず前のめりになったわたしは目の前にいた生徒にバウンドするように倒れ込んだ。
歩だった。
「未香、だいじょうぶ?」
「だいじょうじゃないわよ、なんで急に扉を開けるのよ」
恥ずかしさが裏返しになって、ついラフな口調になってしまった。
お互いにごめんと謝ると、ちょっとした沈黙。
わたしも図書館に行くのを忘れて、彼の方を見ていた。この部屋に来るということは、なにか悩んだりしているのだろうか。
彼はスポーツの類はあまりしない。本を読んでいることのほうが多い。決してクラスの中心人物ではないけれど友人はいるし、先生からの信頼は厚い。
いつもその姿を眺めながら、どんな本を読んでいるのだろうといつか聞いてみたかった。
......そうだ、せっかくだから今聞こう。
「ねえ、歩っていつも本を読んでいるじゃない。今はなにを読んでいるの?」
彼がわたしの方を向いた。そのまま少し硬直したと思ったら、正直に答えてくれた。
「......指南書」
「......え?」
手ほどきする本。なんの? なんのために?
今度はこちらが固まってしまった。どうしようかと思っていたら、彼は続きを話してくれた。その雰囲気はちょっと気恥ずかしそうだ。もしかしたら、わたしだから答えてくれたのだと思う。
「......さっき面談で、将来小説を書いてみたいっていったら、難しいって言われた」
「怒られたの?」
「そんな感じじゃないよ。そしたら、この部屋で大学を探しなさいって言われた」
なるほど。そういう経緯があったわけか。
「......そんな大学なんてあるの?」
「普通だったら専門学校だね。でも小説を書く授業ばかりで、なんだかおもしろそうだとは思えなくて」
「え、いいじゃん。書きたい放題じゃん」
わたしはなにも知らないから、ついいろいろ話してしまう。手を止めた彼はいろいろ教えてくれた。
「別に学校に行ったからってデビューできるわけじゃない。それに一作書いたからって次から次に発表できるわけじゃない」
「......あ、そうなんだ」
ついうつむいてしまう。これまた恥ずかしさの裏返し。
「先生になんて言われたの?」
「小説だけで食べていくのが難しいっていうこと。今では別の仕事をしながら書くのが普通だし、色んなことに興味を持ったり知っていないといけないし」
なるほど。たとえばフランス革命がどうやって起きたか言えないといけないんだろう。
「じゃあ大学に行きながら応募してみるって感じだね」
「そう」
小説の公募なんてどんな種類があるんだろうと、テレビで取り上げている大きな小説賞を思い出してみる。彼もそういうところに出すのだろうか。
「そうだね、そういうのも夢だけどいろいろ探してみないとなんとも言えないかな」
わたしはあまり読書家ではない。本屋に行っても背表紙をなんとなく眺めて終わってしまうし、学校の図書館で思い出したように借りるのが普通だし。ほんとうに縁のない世界だった。
「ねえ、聞いても良いかなあ。なんで小説家になりたいの?」
歩は少し真顔になって、少し照れくさそうに教えてくれた。
「......そりゃ、いっぱい読んでみると書きたくなるものだよ」
そういうものなんだ。
小説を書きたいというとても大きな夢を語る彼に、羨望の気持ちでいっぱいだった。
「......未香はどうするの?」
急に呼びかけられてびっくりした。ちょっとした沈黙が流れる中、わたしは自分を指さしてしまった。
「わたし?」
「そう」
彼も自分のことを指さす。
「......い、イラストレーターかな」
嘘だ、嘘を言っちゃった。仕草には表さなかったけれど、内心は頬を指でかいている。
「いいじゃん。お互いに個性で勝負する仕事好きだね」
伝わったかどうかわからないけれど、褒めてくれた。ちょっとだけ恥ずかしい。
ほんとうにどうしようか。わたしは一人だけ置いてけぼりだった。
わたしが職員室を出ると、近くで待っていた人物から視線を注がれる。そわそわしながら待ってくれていたのは杏ちゃんだった。
最近は進級を控えた面談が行われていた。放課後に先生と一人ずつ数分話す程度なのは分かっていてもある程度は緊張してしまう。わたしがなにを言われるのかはだいたいの察しがついていた。
「まあね、思っていた通りだったよ」
「そっかあ、じゃあやっぱり......?」
彼女はその疑問をまっすぐにぶつけてくる。痛いくらいの視線に、少し避けてしまった。
「そ、もったいないってさ」
ああ、そうなんだと相づちを打つ彼女は、自分のことのようにしょんぼりしていた。自分の面談は上手くいくだろうに、いろいろと気を遣ってくれる子だ。
「次、来てるかー?」
あ、と呼ばれた杏ちゃんは中へ入っていった。
わたしが言われたことは、ほんとうに予想通りだった。
成績は悪くない。点数は平均的ながらも問題なく進級できるだろう。
けれども、この時期を迎えているというのに、やりたいことが決まっていないのはもったいない。
せめて、選びたいコースがひとつでもあればアドバイスができるのに。
たとえば美術なんてどうだろうか。せっかく腕があるんだから。
わたしは先生の言うことひとつひとつに、神妙な面持ちで返事をするしかなかった。
今すぐ決めないとタイミングにはなっていないが、ここまで考えていない生徒も珍しいとのことだった。
だって、運動部の子は皆オリンピックを目指すだろうか。
だって、好きで選ぶのが部活じゃないだろうか。
だって......。
・・・
進路指導室に行ってみる。
そこにはたくさんの冊子やパンフレットが置かれている。ずらりと陳列されている姿に目をくらいながらも、一番手前にあったものを開く。
とある大学の案内だった。幅広い学科の紹介とともに、"教育の良さがあなたを待っている"などとキャッチコピーが載っていた。
ふうん、と息を出しながら眺めてみても、なんだか実感が湧かなかった。
小さい頃には将来やりたいことはありますか? ってよく聞かれていたっけ。
そしたらクラスメイトの男子が、真っ先にサッカー選手になりたいって言っていた。とても食い気味に発言していたからよく覚えている。
たしかに体育の授業ではいちばんに活動していたし、プロユースから声がかかったかどうかは知らないが、市が運営するサッカー部にも所属していた。本当に身体を動かすのが好きな子だと、わたしもよく思っていた。
でも、彼は彼。自分は自分だ。
幼いながらにもそんな考え方を持っていたから、わたしは皆のことを尊敬の目で見つめているだけだった。絵を描くのは趣味のレベルのままだった。
もともとこの部屋に来る生徒は少ない。
三年生がよく訪れる場所だから、もう進路が決まっていては用無しだろう。人気のない中は、なんだかひんやりとしていた。
......あ。
部屋の隅にあるパンフレットに気づいた。その表紙には二次元で書かれたキャラクターが載っていた。タッチは決してマンガ調ではないけれど、ちょっと気になった。
実は、一度だけマンガを描いてみたことがある。ノートのはじっこにコマとキャラクターを描いただけだった。決してネームなんて完璧なものではなかった。
けれども、近くにいた子に見つかって、"マンガ描くんだ、すごい!!"って大声で言われてしまった。褒められると思っていたら、すぐ教室の中に広がってしまって、恥ずかしさを覚えてしまった。
それきり教室で描くことはしなかった。家でちょっとだけ描いたことはあったけど、すぐに机の奥のほうに閉まってしまったっけ。
どうか見つかりませんように......。
ふっと気づいたことがあった。
マンガという言葉が、次の言葉へとつながっていく。絵がない文学の世界に行ってみたいなって思った。
その気づきは、まるで頭の中にあるもやが晴れていくよう。
さあ、帰るまで時間あるから図書館に寄ろうかな。
ドアノブを握ろうとしたタイミングで、ドアが思いっきり開かれる。思わず前のめりになったわたしは目の前にいた生徒にバウンドするように倒れ込んだ。
歩だった。
「未香、だいじょうぶ?」
「だいじょうじゃないわよ、なんで急に扉を開けるのよ」
恥ずかしさが裏返しになって、ついラフな口調になってしまった。
お互いにごめんと謝ると、ちょっとした沈黙。
わたしも図書館に行くのを忘れて、彼の方を見ていた。この部屋に来るということは、なにか悩んだりしているのだろうか。
彼はスポーツの類はあまりしない。本を読んでいることのほうが多い。決してクラスの中心人物ではないけれど友人はいるし、先生からの信頼は厚い。
いつもその姿を眺めながら、どんな本を読んでいるのだろうといつか聞いてみたかった。
......そうだ、せっかくだから今聞こう。
「ねえ、歩っていつも本を読んでいるじゃない。今はなにを読んでいるの?」
彼がわたしの方を向いた。そのまま少し硬直したと思ったら、正直に答えてくれた。
「......指南書」
「......え?」
手ほどきする本。なんの? なんのために?
今度はこちらが固まってしまった。どうしようかと思っていたら、彼は続きを話してくれた。その雰囲気はちょっと気恥ずかしそうだ。もしかしたら、わたしだから答えてくれたのだと思う。
「......さっき面談で、将来小説を書いてみたいっていったら、難しいって言われた」
「怒られたの?」
「そんな感じじゃないよ。そしたら、この部屋で大学を探しなさいって言われた」
なるほど。そういう経緯があったわけか。
「......そんな大学なんてあるの?」
「普通だったら専門学校だね。でも小説を書く授業ばかりで、なんだかおもしろそうだとは思えなくて」
「え、いいじゃん。書きたい放題じゃん」
わたしはなにも知らないから、ついいろいろ話してしまう。手を止めた彼はいろいろ教えてくれた。
「別に学校に行ったからってデビューできるわけじゃない。それに一作書いたからって次から次に発表できるわけじゃない」
「......あ、そうなんだ」
ついうつむいてしまう。これまた恥ずかしさの裏返し。
「先生になんて言われたの?」
「小説だけで食べていくのが難しいっていうこと。今では別の仕事をしながら書くのが普通だし、色んなことに興味を持ったり知っていないといけないし」
なるほど。たとえばフランス革命がどうやって起きたか言えないといけないんだろう。
「じゃあ大学に行きながら応募してみるって感じだね」
「そう」
小説の公募なんてどんな種類があるんだろうと、テレビで取り上げている大きな小説賞を思い出してみる。彼もそういうところに出すのだろうか。
「そうだね、そういうのも夢だけどいろいろ探してみないとなんとも言えないかな」
わたしはあまり読書家ではない。本屋に行っても背表紙をなんとなく眺めて終わってしまうし、学校の図書館で思い出したように借りるのが普通だし。ほんとうに縁のない世界だった。
「ねえ、聞いても良いかなあ。なんで小説家になりたいの?」
歩は少し真顔になって、少し照れくさそうに教えてくれた。
「......そりゃ、いっぱい読んでみると書きたくなるものだよ」
そういうものなんだ。
小説を書きたいというとても大きな夢を語る彼に、羨望の気持ちでいっぱいだった。
「......未香はどうするの?」
急に呼びかけられてびっくりした。ちょっとした沈黙が流れる中、わたしは自分を指さしてしまった。
「わたし?」
「そう」
彼も自分のことを指さす。
「......い、イラストレーターかな」
嘘だ、嘘を言っちゃった。仕草には表さなかったけれど、内心は頬を指でかいている。
「いいじゃん。お互いに個性で勝負する仕事好きだね」
伝わったかどうかわからないけれど、褒めてくれた。ちょっとだけ恥ずかしい。
ほんとうにどうしようか。わたしは一人だけ置いてけぼりだった。


