わたしは絵がとくべつ好きなわけではない。
物心ついた頃には、画用紙になにかしらの絵を描いていたっけ。最初に色を意識したのは海の絵だった。空と海のちがいを表したくって色の違うクレヨンを手に取った。親はよく選んだねって褒めてくれた。かける言葉はちょっとした単純なものだったと思うけど、わたしにしてみればとても嬉しい出来事だった。
小学生に上がるとマーカーのセットをもらった。
クレヨンよりも大きな箱にわたしの瞳も大きく見開いていた。もう夢中、その色で一色だった。
当時は塗り絵も好きだったけど、塗り終わってしまったらすることがなくて寂しいからって下絵をそのまま模写するようになった。これで何回でも塗れるじゃない。
次第に道具も変わっていく。
線を描くときにボールペンじゃ消せないから鉛筆にしよう。
キャラクターの髪の毛にあるグラデーションを再現したいから色鉛筆にしよう。
最低限の宿題はやっても、それ以外の時間は絵を描くばかり。わたしの絵が上達にするにつれて親の不安も増えていった。
目が悪くなるから休憩しなさいとか、ほかに興味あることはないの、とか。
いつかはなぜか人形をプレゼントされたことがあった。でも、ピンクのお洋服がなんだか目について嫌だった。あまり好きな色じゃないし、女の子だからこの色という決めつけがきらいだった。
わたしは生地の上からかまわず青いマーカーで上塗りしていく。そしたらたくさん怒られた。
一度は学校に出す連絡帳に親の心配事が長々と書かれたらしい。でも、それを打ち消したのは担任の先生が書いた返信だった。
"お子さんの自主性があって素晴らしいですね。"
たったこれだけ。それで親もあまり言わなくなった。
中学校で美術部に入部したのは当然だったかもしれない。
でも、わたしはひとりで首を傾げた。小学校になかったからレプリカなんて初めて見るし、正確にデッサンするし。それでも、そこそこ上手にできていたから評価は良かった。
「あなたの良さなら展示会に出してみようかしら」
顧問に言われて活動するようになると、締め切りを意識するようになる。いつも上手く描けるようにならない。描いては消しての日々が続く。毎日遅くまで鉛筆を走らせる音だけが響いていた。この空間がいつも苦痛だった。
わたしはやっと気づいた。――塗るのが好きなんだ、自由気ままに描くのが好きなんだ。
高校になったら部活を選ぶことはしなかった。
けれども、クロッキー帳と鉛筆を鞄に入れているのは名残として残っている。でも、わたしもその意味が良く分からなかった。
・・・
こんなことを考えながら、わたしはテーブルに肘をついていた。
<カフェ・サクラ>の店内にいる客はわたしだけ。視界の隅では紅茶の湯気が躍っている。
一度開いたクロッキー帳はまたたたんでしまった。ほんとうはこの桜の木をスケッチしようと思っていた。けれども、あらためて見てみるとこの目で見ておきたかった・
まさしく映える空間だから。
「お客さまはいつも桜の木を見ていますね」
「ええ、何度見ても飽きないんです」
店員に声をかけられたわたしは、瞳を向けずに答えた。ほんとうに言葉の通り。
シンプルな構図ながらも見栄えのする空間。
派手な配色のひとつも無いのに魅了される空間。
あの日以来、お小遣いの一部を工面して、このカフェを訪れるようになった。大きな樹や窓の外の景色を眺めながら紅茶を飲むだけでも楽しいから。
ここは、わたしだけが知っている特別な場所だ。
「そういえば、なんで桜の木が置かれているんですか?」
わたしはふとした疑問を口にした。今まで感動してばかりだったから、まったく考えることはなかった。窓からは庭だって見えるのに、テラス席に植えたっていいのに、店内にモニュメントが置かれている。
ああ、と店員は一呼吸置いて教えてくれた。
「私が好きな花です。とはいえ、日本人ならではの花と言うべきではないでしょうか」
桜は、文字通り日本を代表する花だ。
花の色はほのかにピンク。淡紅色というそうだ。咲きだすと少しずつ赤味が増えていって、全体が赤くなると散ってしまう。この絶妙な色合いをみんなはなんて色で表現するだろう。夕方の空の色と桜の花は良く似ている。
こないだニュースでも開花予想をしていたっけ。
関東より西では3月下旬から4月半ばに咲くことが多いから、出会いや別れなど人生の転機に添える花として印象づけられている。
「桜は縁を結ぶ木ですから。このカフェに来てくれただけでも、人生の出会いなんじゃないでしょうか。"袖すり合うも他生の縁"なのかもって思いますから」
......他生? 知らないことわざが出てきて、つい聞き返してしまった。
「はい。道を行くときに見知らぬ人と袖が触れる。それは前世からの因縁なのでは、という考え方ですね」
その言い回しはいかにも日本らしいなって思う。そういえば、桜にまつわる雅な言葉ってたくさんある。
「そうですね、桜吹雪とか花筏とかありますよね。満開の桜そのものが美しいのに、散りゆく姿に儚さや潔さを重ねて愛でる。素晴らしい感性だと思います。もちろん葉桜なんてのもお洒落で、陰と陽のある桜らしいとは思うのですが。いざ散ってしまうと寂しいから、ずっと咲いていてほしいっていう願いからです」
「ほんとうにそうですね......」
わたしも頷いて返した。いざ口にして思うのは、こんな素晴らしい光景が散ることなく見れるんだ。改めて実感できるんだ。
また桜の木を眺めてみた。
そういえば、お人形さんのピンクは嫌いなのに、この色はずっと見ていられる。心が惹かれているんだろう。
写真を撮りたいなって思う。クロッキー帳に収めてみたいと思う。
けれども、この美しさをそっくりそのまま残せるだろうか。なんだかはばかられてしまって。だからわたしはカフェに足繫く通うようになった。
ずっと、この光景を見ていたいから。
なるほどと感心して、最後の質問を重ねてみた。
「じゃあ、店長さんの趣味なんですね」
「うーん、そうですね。もともと私の趣味で始めた、道楽的な店です。とはいえ私は花見自体はあまりしませんし、お酒がそんな飲めないので、たとえば雪見酒みたいなことだって......」
おや、あまり期待しない答えが返ってきた。
「......それでも、このモニュメント自体は友人が出してくれたアイデアです。このお店の目玉にしたい、心落ち着くところにしたい。そう彼女は言ってくれました」
「ご友人なのですね」
ここで、店員はもともと丸い目をさらに丸くした。
「ええ、あなたも一度は会っていますよ」
「......え?」
わたしが面食らったところで、ドアチャイムが鳴る。
小気味いい音に彩られて、亜麻色のポニーテールに淡いベージュのコートを着た人物が入ってくる。
花蓮さんだった。
物心ついた頃には、画用紙になにかしらの絵を描いていたっけ。最初に色を意識したのは海の絵だった。空と海のちがいを表したくって色の違うクレヨンを手に取った。親はよく選んだねって褒めてくれた。かける言葉はちょっとした単純なものだったと思うけど、わたしにしてみればとても嬉しい出来事だった。
小学生に上がるとマーカーのセットをもらった。
クレヨンよりも大きな箱にわたしの瞳も大きく見開いていた。もう夢中、その色で一色だった。
当時は塗り絵も好きだったけど、塗り終わってしまったらすることがなくて寂しいからって下絵をそのまま模写するようになった。これで何回でも塗れるじゃない。
次第に道具も変わっていく。
線を描くときにボールペンじゃ消せないから鉛筆にしよう。
キャラクターの髪の毛にあるグラデーションを再現したいから色鉛筆にしよう。
最低限の宿題はやっても、それ以外の時間は絵を描くばかり。わたしの絵が上達にするにつれて親の不安も増えていった。
目が悪くなるから休憩しなさいとか、ほかに興味あることはないの、とか。
いつかはなぜか人形をプレゼントされたことがあった。でも、ピンクのお洋服がなんだか目について嫌だった。あまり好きな色じゃないし、女の子だからこの色という決めつけがきらいだった。
わたしは生地の上からかまわず青いマーカーで上塗りしていく。そしたらたくさん怒られた。
一度は学校に出す連絡帳に親の心配事が長々と書かれたらしい。でも、それを打ち消したのは担任の先生が書いた返信だった。
"お子さんの自主性があって素晴らしいですね。"
たったこれだけ。それで親もあまり言わなくなった。
中学校で美術部に入部したのは当然だったかもしれない。
でも、わたしはひとりで首を傾げた。小学校になかったからレプリカなんて初めて見るし、正確にデッサンするし。それでも、そこそこ上手にできていたから評価は良かった。
「あなたの良さなら展示会に出してみようかしら」
顧問に言われて活動するようになると、締め切りを意識するようになる。いつも上手く描けるようにならない。描いては消しての日々が続く。毎日遅くまで鉛筆を走らせる音だけが響いていた。この空間がいつも苦痛だった。
わたしはやっと気づいた。――塗るのが好きなんだ、自由気ままに描くのが好きなんだ。
高校になったら部活を選ぶことはしなかった。
けれども、クロッキー帳と鉛筆を鞄に入れているのは名残として残っている。でも、わたしもその意味が良く分からなかった。
・・・
こんなことを考えながら、わたしはテーブルに肘をついていた。
<カフェ・サクラ>の店内にいる客はわたしだけ。視界の隅では紅茶の湯気が躍っている。
一度開いたクロッキー帳はまたたたんでしまった。ほんとうはこの桜の木をスケッチしようと思っていた。けれども、あらためて見てみるとこの目で見ておきたかった・
まさしく映える空間だから。
「お客さまはいつも桜の木を見ていますね」
「ええ、何度見ても飽きないんです」
店員に声をかけられたわたしは、瞳を向けずに答えた。ほんとうに言葉の通り。
シンプルな構図ながらも見栄えのする空間。
派手な配色のひとつも無いのに魅了される空間。
あの日以来、お小遣いの一部を工面して、このカフェを訪れるようになった。大きな樹や窓の外の景色を眺めながら紅茶を飲むだけでも楽しいから。
ここは、わたしだけが知っている特別な場所だ。
「そういえば、なんで桜の木が置かれているんですか?」
わたしはふとした疑問を口にした。今まで感動してばかりだったから、まったく考えることはなかった。窓からは庭だって見えるのに、テラス席に植えたっていいのに、店内にモニュメントが置かれている。
ああ、と店員は一呼吸置いて教えてくれた。
「私が好きな花です。とはいえ、日本人ならではの花と言うべきではないでしょうか」
桜は、文字通り日本を代表する花だ。
花の色はほのかにピンク。淡紅色というそうだ。咲きだすと少しずつ赤味が増えていって、全体が赤くなると散ってしまう。この絶妙な色合いをみんなはなんて色で表現するだろう。夕方の空の色と桜の花は良く似ている。
こないだニュースでも開花予想をしていたっけ。
関東より西では3月下旬から4月半ばに咲くことが多いから、出会いや別れなど人生の転機に添える花として印象づけられている。
「桜は縁を結ぶ木ですから。このカフェに来てくれただけでも、人生の出会いなんじゃないでしょうか。"袖すり合うも他生の縁"なのかもって思いますから」
......他生? 知らないことわざが出てきて、つい聞き返してしまった。
「はい。道を行くときに見知らぬ人と袖が触れる。それは前世からの因縁なのでは、という考え方ですね」
その言い回しはいかにも日本らしいなって思う。そういえば、桜にまつわる雅な言葉ってたくさんある。
「そうですね、桜吹雪とか花筏とかありますよね。満開の桜そのものが美しいのに、散りゆく姿に儚さや潔さを重ねて愛でる。素晴らしい感性だと思います。もちろん葉桜なんてのもお洒落で、陰と陽のある桜らしいとは思うのですが。いざ散ってしまうと寂しいから、ずっと咲いていてほしいっていう願いからです」
「ほんとうにそうですね......」
わたしも頷いて返した。いざ口にして思うのは、こんな素晴らしい光景が散ることなく見れるんだ。改めて実感できるんだ。
また桜の木を眺めてみた。
そういえば、お人形さんのピンクは嫌いなのに、この色はずっと見ていられる。心が惹かれているんだろう。
写真を撮りたいなって思う。クロッキー帳に収めてみたいと思う。
けれども、この美しさをそっくりそのまま残せるだろうか。なんだかはばかられてしまって。だからわたしはカフェに足繫く通うようになった。
ずっと、この光景を見ていたいから。
なるほどと感心して、最後の質問を重ねてみた。
「じゃあ、店長さんの趣味なんですね」
「うーん、そうですね。もともと私の趣味で始めた、道楽的な店です。とはいえ私は花見自体はあまりしませんし、お酒がそんな飲めないので、たとえば雪見酒みたいなことだって......」
おや、あまり期待しない答えが返ってきた。
「......それでも、このモニュメント自体は友人が出してくれたアイデアです。このお店の目玉にしたい、心落ち着くところにしたい。そう彼女は言ってくれました」
「ご友人なのですね」
ここで、店員はもともと丸い目をさらに丸くした。
「ええ、あなたも一度は会っていますよ」
「......え?」
わたしが面食らったところで、ドアチャイムが鳴る。
小気味いい音に彩られて、亜麻色のポニーテールに淡いベージュのコートを着た人物が入ってくる。
花蓮さんだった。


