どうしてあのふたりは一緒にいたんだろう。
ずっとそんなことを考えていた。杏ちゃんに熱が下がったねと言われても、花蓮さんに川遊びでのことを打ち明けても、わたしはひとり寂しく過ごしていた。
花蓮さんは話を聞いてくれると言っていた。けれども、わたしは打ち明ける気にはなれなかった。自分の問題だから、と思う。
杏ちゃんが言っていたことはほんとうだろう。よく宿題を忘れる彼女のことだから、おそらく時間ぎりぎりまで忘れていて、慌てて近くにいた歩に声をかけた形だと思う。
人懐っこい声に言われたら誰だってノートを見せる。クラスメイトもみんな優しいから、彼女に協力的なんだ。それでいて彼女はそこそこの成績を収めている。
「ねえ、未香ぁ」
「はいはい」
今日も彼女は顔の前で手を合わせる。
これが、いつもの光景。わたしはもう無言でノートを貸すようになった。
こんなことを続けていて、杏ちゃんのためになるだろうか。
・・・
あくる日、わたしは杏ちゃんと一緒に帰宅している。
意気揚々と歩く彼女はまるで口笛でも吹いていそうな雰囲気だ。わたしは目の前だけを見つめて、少しばかり聞いてみた。
「楽しそうだね。なにかいいことでもあるの?」
「そうだよ、これから予約しているCDを買いに行くんだ!」
いいね、そういう回答。彼女の好きなアイドルはたくさんいるから、部屋にはあれこれとCDが増えていく。グッズが増えていく。
ちょっと不安を覚えたのはここからだった。
いざ話を聞いてみると、これから買いに行くのはわたしが知らないアーティストで、つい先日まで彼女も口にしていなかった名前だった。
「......ねえ、その歌手って有名なの?」
「有名かどうかじゃないんだよ、未香さん。興味あるなら聴いてみなきゃ分からないじゃん」
たしかにその通りだ。
新人歌手がデビューしたらすぐエンタメニュースに掲載されるし、配信アプリでもほかのアーティストがおすすめとして挙がるものだ。
でも、それでいいのだろうか。もう恐る恐る尋ねるしかなかった。
「ねえ、杏ちゃんさ。そういうのって家でずっと聴いてるの?」
ここで、わたしははじめて彼女の顔を見た。きょとんとした表情でこちらを見つめ返している。
「別にずっとじゃないよ、ドラマも見なきゃだし」
話題がドラマの話にスイッチした。
主演の俳優がかっこいいとか。毎回引きのあるサスペンスが見てて楽しいとか。けれども、そのどれもがわたしの耳をすり抜けていく。
......そう、それだからだよ。
「ねえ、杏ちゃん!」
気がついたら口にしていた。わたしの思いはとどまることを知らないで、どんどん口にしてしまっていた。
「勉強しようよ。楽しいのはわかるけど、杏ちゃんのためにならないよ」
「何言ってるの? 私だってこなしているじゃない。全部やってたら間に合わないだけだよ」
「間に合わせようよ......。それがわたしたちの仕事だよ」
言葉を間違えた。けれども、わたしはなにも気づくことはなかった。
「未香さ、わたしもう仕事してるんだよ。親を手伝ってて、その休憩で曲を聞いたっていいじゃない」
花蓮さんと同じようなことを言う。けれども、仕事と勉強を両立させる彼女とはだいぶ姿が違っていた。
「なにを急に言い出すと思ったら......。私が勉強してないと思ってるんでしょ!」
「そんなことはないよ。でもさ、いつもノートを見せてもらってばかりじゃん」
クラス変わったら見せてあげられないよ。つい早口で告げる。
「いいでしょ別に! みんな優しいもん」
クラスメイトが迷惑してるんじゃないかと思ったのだろう。わたしはそこまで言うつもりはなかったけれど、どこかでボタンの掛け違いが起きている。
わたしたちがケンカするなんてはじめてだった。
一呼吸おいて、杏ちゃんがわたしの頬を朱色に染める。
ああ分かった。こう告げる彼女が表情を作っていた。茶化したい、その一心だった。
「......もしかして、森野くんと一緒にいるところを見たからでしょ。なに慌ててるのさ、あの日たまたま近くにいたから頼んだだけだよ」
まあ、たしかにイケメンだよねえ。とまたしても間延びしたような声でしゃべる。
「ち、ちがうって!! 杏ちゃんやめてよ、わたしは歩のことなんて......」
調子を崩したわたしが出まかせを言ってしまう。しかしながら、この態度が彼女を刺激する。
「まあ、未香さんったら、顔を赤くしてさ。なに本気になってるのよ」
心の芯を握られた感覚。わたしの口からは何も言いだすことができなかった。
一回宿題を忘れちゃえば良いんだよ。先生に叱られてももう知らないから。
こう言い切って立ち去っても良かったのに、いざ言おうとしてもなにも口にできなかった。
なんできみが私の心配をするのさ。その言葉が胸を貫く。彼女の言いたいことも分かる。けれども、わたしの思考回路はめちゃくちゃだった。心配とやきもちがごっちゃになっている。
空気が足りない金魚のように、わたしは口を開いては閉じてをくりかえしていた。
お互いに無言が続く。
・・・
「未香、落ち着きなって」
わたしの手を掴んでこちらを見下ろす姿があった。歩だった。
お前たちがケンカするなんて、らしくないよ。こう言葉をかけられて、わたしたちはお互いに口を閉じた。うつむいたまま、なにも喋れなかった。
「ほら、行こうよ」
そう言って、歩は歩き出した。――わたしの手を離して。
なんで、なんでふたりが歩いて行くの? 歩が杏ちゃんをエスコートするの?
なにが起きているんだか分からない。
わたしはここから動けなかった。不安に縛り付けられたように、足元を掴まれているように。
そよ風がわたしの髪を揺らす。それは絆を吹き飛ばそうとする嵐みたいだった。
わたしは、またしても置いてけぼりだ。
ずっとそんなことを考えていた。杏ちゃんに熱が下がったねと言われても、花蓮さんに川遊びでのことを打ち明けても、わたしはひとり寂しく過ごしていた。
花蓮さんは話を聞いてくれると言っていた。けれども、わたしは打ち明ける気にはなれなかった。自分の問題だから、と思う。
杏ちゃんが言っていたことはほんとうだろう。よく宿題を忘れる彼女のことだから、おそらく時間ぎりぎりまで忘れていて、慌てて近くにいた歩に声をかけた形だと思う。
人懐っこい声に言われたら誰だってノートを見せる。クラスメイトもみんな優しいから、彼女に協力的なんだ。それでいて彼女はそこそこの成績を収めている。
「ねえ、未香ぁ」
「はいはい」
今日も彼女は顔の前で手を合わせる。
これが、いつもの光景。わたしはもう無言でノートを貸すようになった。
こんなことを続けていて、杏ちゃんのためになるだろうか。
・・・
あくる日、わたしは杏ちゃんと一緒に帰宅している。
意気揚々と歩く彼女はまるで口笛でも吹いていそうな雰囲気だ。わたしは目の前だけを見つめて、少しばかり聞いてみた。
「楽しそうだね。なにかいいことでもあるの?」
「そうだよ、これから予約しているCDを買いに行くんだ!」
いいね、そういう回答。彼女の好きなアイドルはたくさんいるから、部屋にはあれこれとCDが増えていく。グッズが増えていく。
ちょっと不安を覚えたのはここからだった。
いざ話を聞いてみると、これから買いに行くのはわたしが知らないアーティストで、つい先日まで彼女も口にしていなかった名前だった。
「......ねえ、その歌手って有名なの?」
「有名かどうかじゃないんだよ、未香さん。興味あるなら聴いてみなきゃ分からないじゃん」
たしかにその通りだ。
新人歌手がデビューしたらすぐエンタメニュースに掲載されるし、配信アプリでもほかのアーティストがおすすめとして挙がるものだ。
でも、それでいいのだろうか。もう恐る恐る尋ねるしかなかった。
「ねえ、杏ちゃんさ。そういうのって家でずっと聴いてるの?」
ここで、わたしははじめて彼女の顔を見た。きょとんとした表情でこちらを見つめ返している。
「別にずっとじゃないよ、ドラマも見なきゃだし」
話題がドラマの話にスイッチした。
主演の俳優がかっこいいとか。毎回引きのあるサスペンスが見てて楽しいとか。けれども、そのどれもがわたしの耳をすり抜けていく。
......そう、それだからだよ。
「ねえ、杏ちゃん!」
気がついたら口にしていた。わたしの思いはとどまることを知らないで、どんどん口にしてしまっていた。
「勉強しようよ。楽しいのはわかるけど、杏ちゃんのためにならないよ」
「何言ってるの? 私だってこなしているじゃない。全部やってたら間に合わないだけだよ」
「間に合わせようよ......。それがわたしたちの仕事だよ」
言葉を間違えた。けれども、わたしはなにも気づくことはなかった。
「未香さ、わたしもう仕事してるんだよ。親を手伝ってて、その休憩で曲を聞いたっていいじゃない」
花蓮さんと同じようなことを言う。けれども、仕事と勉強を両立させる彼女とはだいぶ姿が違っていた。
「なにを急に言い出すと思ったら......。私が勉強してないと思ってるんでしょ!」
「そんなことはないよ。でもさ、いつもノートを見せてもらってばかりじゃん」
クラス変わったら見せてあげられないよ。つい早口で告げる。
「いいでしょ別に! みんな優しいもん」
クラスメイトが迷惑してるんじゃないかと思ったのだろう。わたしはそこまで言うつもりはなかったけれど、どこかでボタンの掛け違いが起きている。
わたしたちがケンカするなんてはじめてだった。
一呼吸おいて、杏ちゃんがわたしの頬を朱色に染める。
ああ分かった。こう告げる彼女が表情を作っていた。茶化したい、その一心だった。
「......もしかして、森野くんと一緒にいるところを見たからでしょ。なに慌ててるのさ、あの日たまたま近くにいたから頼んだだけだよ」
まあ、たしかにイケメンだよねえ。とまたしても間延びしたような声でしゃべる。
「ち、ちがうって!! 杏ちゃんやめてよ、わたしは歩のことなんて......」
調子を崩したわたしが出まかせを言ってしまう。しかしながら、この態度が彼女を刺激する。
「まあ、未香さんったら、顔を赤くしてさ。なに本気になってるのよ」
心の芯を握られた感覚。わたしの口からは何も言いだすことができなかった。
一回宿題を忘れちゃえば良いんだよ。先生に叱られてももう知らないから。
こう言い切って立ち去っても良かったのに、いざ言おうとしてもなにも口にできなかった。
なんできみが私の心配をするのさ。その言葉が胸を貫く。彼女の言いたいことも分かる。けれども、わたしの思考回路はめちゃくちゃだった。心配とやきもちがごっちゃになっている。
空気が足りない金魚のように、わたしは口を開いては閉じてをくりかえしていた。
お互いに無言が続く。
・・・
「未香、落ち着きなって」
わたしの手を掴んでこちらを見下ろす姿があった。歩だった。
お前たちがケンカするなんて、らしくないよ。こう言葉をかけられて、わたしたちはお互いに口を閉じた。うつむいたまま、なにも喋れなかった。
「ほら、行こうよ」
そう言って、歩は歩き出した。――わたしの手を離して。
なんで、なんでふたりが歩いて行くの? 歩が杏ちゃんをエスコートするの?
なにが起きているんだか分からない。
わたしはここから動けなかった。不安に縛り付けられたように、足元を掴まれているように。
そよ風がわたしの髪を揺らす。それは絆を吹き飛ばそうとする嵐みたいだった。
わたしは、またしても置いてけぼりだ。


