わたしは、今まで何着の制服を着てきただろう。
物置を開けて、そんなことを思い出した。つい衣替えをしている手が止まる。
小学校はもちろん私服だった。みんなみたいにファッションやプチプラに興味がなくて、パンツルックスだったら歩きやすいなと思った程度だった。
それが、中学校に行くとちょっとした違和感を覚えるようになる。歩くたびにスカートが揺れるし、足が肌寒いし。もちろんどんな中学校にも私服で行けるところなんてないから仕方ないのかもしれない。
それでも、人気の私学だと改めて実感するのはやはり制服のかわいらしさ。細かなブルーグレー色のチェック柄とパフスリーブのセーラー服を着たいっていう子がたくさんいたっけ。
それでも、入学できるのはほんの一握りだった。
大学までのエスカレーター式。小学校の進路では必ず声が上がるような人気校だ。そんな学校だからかもしれないけれど、入学試験のレベルが高かった。学年で何人も挑む子がいたけれど、半分以上は落ちてしまう。
はじめて着た日は、嬉しさと気恥ずかしさが混ざったような表情で写真に撮ってもらったっけ。わたしはどうしても、この学校に行きたかった......。
せっかくだから、この制服を出してみようか。
壁に制服をかけてビニールの包装を開けてみる。どこも痛んでなくて、ほんとうに丁寧に着てたんだなって思う。みんな元気いっぱいだったから、入学して一年もたたないうちに汚してしまっていた。そんな子を見るたびに、もったいないなって思っていた。
そして、今。わたしはその制服を着ていない。
となりにかかっているのは通っている高校のものだ。紺色のブレザーに青いスカート、赤いリボン。シンプルな組み合わせはとくべつ上品なデザインではないけれど、清潔感あふれる高校生だなって思う。
ほんとうのところはわからないけれど、学校側は誠実な心を育むためとか言われているらしい。
母親に言わせたら、特徴が無いのが特徴のデザインだということらしい。学生街に行くと溶け込んでしまいそうだと言っていた。
二種類の制服を眺めて、ああ、わたしの人生は遠回りだったと自覚する。
・・・
わたしがあの日見たもの。
キャンパスライフならではの光景だった。そんなシチュエーションを見かけると、仲睦まじい姿だと感じたり、そっとしてあげようと思うかもしれない。
だけど、わたしはそのどちらも選べなかった。
この話をするには、少し遡っていかないといけなかった。
学校の帰り道に、歩にお弁当を作っていいか聞いた日だ。
帰宅したわたしは、さっそくお母さんに明日のメニューを聞いた。するとしょうが焼きだと教えてくれる。ロースの一枚肉かと思ったら、バラ肉をふんだんの野菜と炒めたものだった。わたしのお気に入りの方。
内心は高騰する野菜の価格に不安を覚えているけれど、欠かすことなく食卓に並んでくれる。これが我が家の味。
「......あら、どういう風の吹き回しかしらね」
お母さんがわたしを見てくすくすと笑う。もう明日のメニューを聞いてくるなんて珍しいから、と添える。
表情に出ていただろうか、さっそくバレてしまっていた。わたしは思いの外はやく打ち明けた。惣菜ばかりだと身体を壊してしまうと不安になるから、食べてほしいんだ。
「じゃあ、あなたもはやく起きるのよ。メインくらいは作りなさい」
「もちろん、分かってるって」
すると、お母さんは食器棚からとても大きなタッパーを出してくる。
いやいや、大きいって。スポーツマンじゃないんだから。
「いくら歩でも、こんなに食べきれないって」
わたしはすぐ隣にある一回り小さいものを出した。これならいいだろう。
「それにしても、ちゃんと歩くんと仲良くしてるのね」
なにをいきなり言うんだろう。そんな直球な話をするなんて思いもしなかった。面を食らったわたしは、冷蔵庫の扉を開けたまま硬直してお母さんの方を見つめる。
「そりゃそうでしょ。急にお弁当を作りたいなんて言うからなにかと思ったけど、安心するものね」
「当たり前でしょ、だってわたしたちは......」
......幼なじみなんだから。こう言おうと思っていたのに、つい口が閉じてしまった。
ほんとうにそれだけの間柄なんだろうか、どんな風に言い表せばよいのだろうか。つい自問自答してしまう。
知らぬ間に、顔に朱色が差してしまった。
「それにしても、未香はいろいろ言い出すのが急なのよ。高校のことを言うときなんて、驚いたわよ」
買い物の片付けをしながらお母さんは昔の話題を繰り出してくる。
「その話はもういいでしょ」
もう止めてほしい話題なのに、場に出される度にわたしの心に釘を差す。
ついぶっきらぼうに返して、わたしは部屋に戻っていく。
そして、あくる日。
お昼休みの時間になったのに歩はいなかった。もちろん学校には来てるからなんだろうと思う。彼とそこそこ仲の良い生徒に聞いてみた。
「森野なら、まだ図書館にいると思うけど」
「え? 図書館?」
さっきまで授業の調べものでみんなして使っていたと思うけど。
彼にしては珍しかった。この時間は貴重な読書タイムだから、いつもすぐに片付けてはいちばんといっていいくらいに食べだしているのに。
「まあ、とにかくありがとう」
これは仕方ないと行ってみるしかなかった。
図書館は最上階の廊下の突き当たりにある。
階段を一歩ずつ昇っていく。歩を進めるたびにわたしの胸は期待で膨らんでいた。誰かのためにお弁当を作るなんてはじめてだし、もしかしたら一緒にランチだってできるかもしれない。そしたら味の感想を聞いて、たくさん自慢しよう。
そして、いちばん上の階に登ったときだ。
ふっと心がざわめいた。
わたしが迎えに行く必要があるのかな。彼が戻ってくるのを待てば良いのではないかと思った。教室の中で渡すことになるけれど、それでも堂々としていればいい。付き合ってはいないんだから、幼なじみなんだから。
彼の邪魔をしてしまうのかな。授業のついでになにか本を借りたのかもしれない。彼のことだから、それでも変ではなかった。もし彼が本を読みたい素振りを見せたら、お弁当を渡すだけにして戻ろう。不本意だけど、彼の楽しみを邪魔するわけにはいかないから。
心がざわついて仕方がない。
なぜかよく分からない。
それでも、わたしは一緒にお弁当を食べたいから、行かないといけないんだ。
図書館の前で足を止めた。
......ん? 誰かの声が聞こえる。扉の向こう側であるこちらまでもよく通る声だ。
わたしは杏ちゃんの声なら明瞭に聞き取れる自信がある。
たまたまふたりでいるだけなんだろうか。ちょっとした不安を覚えて扉を開けた。
「ああ、佐倉!」
わたしの目に映ったのは、もちろん歩の姿。
「未香じゃん、どうしたのー?」
「......なんで、杏ちゃんまでいるのよ」
ここに彼女も一緒にいるなんて思いもしなかった。よりにもよって、ふたりはノートを広げていた。こんなところで、こんな時間に、勉強しているなんて。
「別に勉強してるわけじゃないよ。ちょっとノート写させてもらおうと思って」
彼女の声が頭の中に響く。明るくも間延びしたような声が、こびりついて離れない。
「ちょっとってなによ。そんなの今じゃないとダメなの」
ついわたしは反論していた。歩じゃなくて、杏ちゃんに。
「今しておかないとダメなんだよ。次の授業間に合わないし」
「そんなことって......」
頭を抱えそうになった。彼女がこんな間際まで宿題をしていないなんて。朝のうちに声をかけてくれたら良かったのに。ノートを見せるのはわたしの役目なのに。
――そして、なんで彼と一緒にいるのだろう。
そんな歩は、わたしの不安なんて気にせず語る。
「次の授業間に合わないなんて言われたら、ノート貸すでしょ。ダメとか言っている場合じゃないよ」
そりゃそうでしょうよ......。わたしは小さくこぼした。
「それより、佐倉はどうして来たの?」
ああ。そうだった。でも別にどうでも良くなっていた。冷たい口調でわたしは返す。
「お弁当! 作ったんだけどもう要らないよね。購買でパンでも買ってくれば」
「......え? もう買ってあるけど」
その言葉がとどめを刺した。
どうして作ったのか。ほんとうに作ってくるなんて思わなかった。
彼の言葉はそう言わんばかり。
わたしは駆け足で図書館を後にした。
けっきょく、その日は中庭でひとり食べた。
髪を揺らすそよ風はいつにもまして冷たかった......。
わたしは歩のことをどう思っているんだろう。
歩はわたしのことをどう思っているんだろう。
なにも見なかったことにはできなかった。
物置を開けて、そんなことを思い出した。つい衣替えをしている手が止まる。
小学校はもちろん私服だった。みんなみたいにファッションやプチプラに興味がなくて、パンツルックスだったら歩きやすいなと思った程度だった。
それが、中学校に行くとちょっとした違和感を覚えるようになる。歩くたびにスカートが揺れるし、足が肌寒いし。もちろんどんな中学校にも私服で行けるところなんてないから仕方ないのかもしれない。
それでも、人気の私学だと改めて実感するのはやはり制服のかわいらしさ。細かなブルーグレー色のチェック柄とパフスリーブのセーラー服を着たいっていう子がたくさんいたっけ。
それでも、入学できるのはほんの一握りだった。
大学までのエスカレーター式。小学校の進路では必ず声が上がるような人気校だ。そんな学校だからかもしれないけれど、入学試験のレベルが高かった。学年で何人も挑む子がいたけれど、半分以上は落ちてしまう。
はじめて着た日は、嬉しさと気恥ずかしさが混ざったような表情で写真に撮ってもらったっけ。わたしはどうしても、この学校に行きたかった......。
せっかくだから、この制服を出してみようか。
壁に制服をかけてビニールの包装を開けてみる。どこも痛んでなくて、ほんとうに丁寧に着てたんだなって思う。みんな元気いっぱいだったから、入学して一年もたたないうちに汚してしまっていた。そんな子を見るたびに、もったいないなって思っていた。
そして、今。わたしはその制服を着ていない。
となりにかかっているのは通っている高校のものだ。紺色のブレザーに青いスカート、赤いリボン。シンプルな組み合わせはとくべつ上品なデザインではないけれど、清潔感あふれる高校生だなって思う。
ほんとうのところはわからないけれど、学校側は誠実な心を育むためとか言われているらしい。
母親に言わせたら、特徴が無いのが特徴のデザインだということらしい。学生街に行くと溶け込んでしまいそうだと言っていた。
二種類の制服を眺めて、ああ、わたしの人生は遠回りだったと自覚する。
・・・
わたしがあの日見たもの。
キャンパスライフならではの光景だった。そんなシチュエーションを見かけると、仲睦まじい姿だと感じたり、そっとしてあげようと思うかもしれない。
だけど、わたしはそのどちらも選べなかった。
この話をするには、少し遡っていかないといけなかった。
学校の帰り道に、歩にお弁当を作っていいか聞いた日だ。
帰宅したわたしは、さっそくお母さんに明日のメニューを聞いた。するとしょうが焼きだと教えてくれる。ロースの一枚肉かと思ったら、バラ肉をふんだんの野菜と炒めたものだった。わたしのお気に入りの方。
内心は高騰する野菜の価格に不安を覚えているけれど、欠かすことなく食卓に並んでくれる。これが我が家の味。
「......あら、どういう風の吹き回しかしらね」
お母さんがわたしを見てくすくすと笑う。もう明日のメニューを聞いてくるなんて珍しいから、と添える。
表情に出ていただろうか、さっそくバレてしまっていた。わたしは思いの外はやく打ち明けた。惣菜ばかりだと身体を壊してしまうと不安になるから、食べてほしいんだ。
「じゃあ、あなたもはやく起きるのよ。メインくらいは作りなさい」
「もちろん、分かってるって」
すると、お母さんは食器棚からとても大きなタッパーを出してくる。
いやいや、大きいって。スポーツマンじゃないんだから。
「いくら歩でも、こんなに食べきれないって」
わたしはすぐ隣にある一回り小さいものを出した。これならいいだろう。
「それにしても、ちゃんと歩くんと仲良くしてるのね」
なにをいきなり言うんだろう。そんな直球な話をするなんて思いもしなかった。面を食らったわたしは、冷蔵庫の扉を開けたまま硬直してお母さんの方を見つめる。
「そりゃそうでしょ。急にお弁当を作りたいなんて言うからなにかと思ったけど、安心するものね」
「当たり前でしょ、だってわたしたちは......」
......幼なじみなんだから。こう言おうと思っていたのに、つい口が閉じてしまった。
ほんとうにそれだけの間柄なんだろうか、どんな風に言い表せばよいのだろうか。つい自問自答してしまう。
知らぬ間に、顔に朱色が差してしまった。
「それにしても、未香はいろいろ言い出すのが急なのよ。高校のことを言うときなんて、驚いたわよ」
買い物の片付けをしながらお母さんは昔の話題を繰り出してくる。
「その話はもういいでしょ」
もう止めてほしい話題なのに、場に出される度にわたしの心に釘を差す。
ついぶっきらぼうに返して、わたしは部屋に戻っていく。
そして、あくる日。
お昼休みの時間になったのに歩はいなかった。もちろん学校には来てるからなんだろうと思う。彼とそこそこ仲の良い生徒に聞いてみた。
「森野なら、まだ図書館にいると思うけど」
「え? 図書館?」
さっきまで授業の調べものでみんなして使っていたと思うけど。
彼にしては珍しかった。この時間は貴重な読書タイムだから、いつもすぐに片付けてはいちばんといっていいくらいに食べだしているのに。
「まあ、とにかくありがとう」
これは仕方ないと行ってみるしかなかった。
図書館は最上階の廊下の突き当たりにある。
階段を一歩ずつ昇っていく。歩を進めるたびにわたしの胸は期待で膨らんでいた。誰かのためにお弁当を作るなんてはじめてだし、もしかしたら一緒にランチだってできるかもしれない。そしたら味の感想を聞いて、たくさん自慢しよう。
そして、いちばん上の階に登ったときだ。
ふっと心がざわめいた。
わたしが迎えに行く必要があるのかな。彼が戻ってくるのを待てば良いのではないかと思った。教室の中で渡すことになるけれど、それでも堂々としていればいい。付き合ってはいないんだから、幼なじみなんだから。
彼の邪魔をしてしまうのかな。授業のついでになにか本を借りたのかもしれない。彼のことだから、それでも変ではなかった。もし彼が本を読みたい素振りを見せたら、お弁当を渡すだけにして戻ろう。不本意だけど、彼の楽しみを邪魔するわけにはいかないから。
心がざわついて仕方がない。
なぜかよく分からない。
それでも、わたしは一緒にお弁当を食べたいから、行かないといけないんだ。
図書館の前で足を止めた。
......ん? 誰かの声が聞こえる。扉の向こう側であるこちらまでもよく通る声だ。
わたしは杏ちゃんの声なら明瞭に聞き取れる自信がある。
たまたまふたりでいるだけなんだろうか。ちょっとした不安を覚えて扉を開けた。
「ああ、佐倉!」
わたしの目に映ったのは、もちろん歩の姿。
「未香じゃん、どうしたのー?」
「......なんで、杏ちゃんまでいるのよ」
ここに彼女も一緒にいるなんて思いもしなかった。よりにもよって、ふたりはノートを広げていた。こんなところで、こんな時間に、勉強しているなんて。
「別に勉強してるわけじゃないよ。ちょっとノート写させてもらおうと思って」
彼女の声が頭の中に響く。明るくも間延びしたような声が、こびりついて離れない。
「ちょっとってなによ。そんなの今じゃないとダメなの」
ついわたしは反論していた。歩じゃなくて、杏ちゃんに。
「今しておかないとダメなんだよ。次の授業間に合わないし」
「そんなことって......」
頭を抱えそうになった。彼女がこんな間際まで宿題をしていないなんて。朝のうちに声をかけてくれたら良かったのに。ノートを見せるのはわたしの役目なのに。
――そして、なんで彼と一緒にいるのだろう。
そんな歩は、わたしの不安なんて気にせず語る。
「次の授業間に合わないなんて言われたら、ノート貸すでしょ。ダメとか言っている場合じゃないよ」
そりゃそうでしょうよ......。わたしは小さくこぼした。
「それより、佐倉はどうして来たの?」
ああ。そうだった。でも別にどうでも良くなっていた。冷たい口調でわたしは返す。
「お弁当! 作ったんだけどもう要らないよね。購買でパンでも買ってくれば」
「......え? もう買ってあるけど」
その言葉がとどめを刺した。
どうして作ったのか。ほんとうに作ってくるなんて思わなかった。
彼の言葉はそう言わんばかり。
わたしは駆け足で図書館を後にした。
けっきょく、その日は中庭でひとり食べた。
髪を揺らすそよ風はいつにもまして冷たかった......。
わたしは歩のことをどう思っているんだろう。
歩はわたしのことをどう思っているんだろう。
なにも見なかったことにはできなかった。


