「ねえ、花蓮さん。教えてほしいんだけど......」
わたしは、<カフェ・サクラ>の扉を開けると間髪入れずに語り掛けた。
いつものテーブル席に座っている彼女はちらりとこちらを見て、視線だけで目の前の席に座るよう促した。
わたしもその誘いに乗っていく。
理沙さんは何も入れずに紅茶を差し出してくれて、控室に戻っていった。彼女なりのやさしさだろう。
「未香はミルクを入れる?」
促されたわたしは、首を横に振った。ミルクが混ざってしまっては朱色の美味しさが分からない。すっきりとした味わいを感じたい。
「いいえ、今日はストレートがいいんです」
混じり気なしの感情で話し合いたいな。貴女の言葉で語ってほしい、そのために今日は来たんだから。
「それで、なにを聞きたいの?」
花蓮さんがわたしに聞いてきた。
紅茶を一口飲んで、喉をあたためる。その感触がなくならないうちに、わたしは語り始めた。
・・・
「花蓮さん、前に言ってましたよね。"桜の木の根元にはなにが埋まっているのか"って」
彼女はなにも言わない。
けれども、少し頷いてくれた。
「わたし、あの後ずっとその言葉が残っていて......。それで、調べたんです」
彼女はまだこちらを見つめたままだ。
わたしはここで、一呼吸置いた。
「とある有名な文学作品に載っているようです。桜の木に下には死体があるっていう書き出しからはじまる作品が」
「......そう」
花蓮さんは一言だけ口にすると、次の質問をしてきた。
「じゃあ、その作品の中で、なんで桜の木は赤いの?」
「亡くなった人の身体から出る液体を、大樹が吸っていくから」
......そうね、正解よ。目の前に座る人物はこちらを向いてウインクする。けれども、わたしはそれを受け流した。
まっすぐに前だけを見つめて、わたしは話を続ける。
「......ねえ、花蓮さん。わたしの答えを聞くためじゃないでしょう? なにか言いたいんでしょう?」
......あの問いをすること自体に、意味があるんでしょう? 貴女の想いを聞かせて。そう瞳で伝えた。
彼女も紅茶をひとくちだけ飲んだ。
「聞いてくれるかしら、ひとりの女のか弱い人生を......」
わたしは無意識に背筋を伸ばした。
雨が降り出したようだ。窓ガラスに当たるものは、少しずつよじれていく......。
・・・
花蓮さんは瞳を伏せるようにして話しだした。
「もちろん、死体が埋まっているというのは、作品から逸話よ。生と死、日本の陰陽。わが国ならではのデカダンスを表現した美意識のあふれるもの」
わたしの読んだ解説文とある程度似ている。彼女が続きを語るのを、集中して待っている。
「わたしは大学を卒業してからすぐに結婚したの。理沙も祝福してくれたわ。とくべつ洒落たプロポーズじゃなかったけれど、カフェの窓際の席で、陽だまりのあたたかさが私たちを包んでいたのをよく覚えている」
素敵な出来事だ、なんて美しいんだろう。
「昼下がりの時間は、次第に夜に変わっていくでしょう。でも、私の幸せはとつぜんくずれていった......」
わたしはそのままの姿勢を崩さずに聞いている。喉を潤したかったけれど、どこか紅茶を飲むのもはばかれるような気がした。
「私、ひとりだけ子どもを産んだの。それは幸せの気持ちでいっぱいだったわね。ずっとそれが続くんだと思ってた......。それなのに、事故で亡くなってしまったのよ」
「そうだったんですね......」
わたしも軽く頭を下げた。こういうときなんて言うんだろう。ご愁傷さまとか言うんだっけ。悲しいですねなんて、大まかに拾い上げてよかったんだっけ。
社会人だったらもう少し気の利いた言葉が出てくるだろうと、あれこれと無駄なことを考えてしまう。ああ、どうしよう。
ふと思いついたことがあった。けれども、聞いてしまってよいのだろうか。逡巡しているうちに、彼女が聞きたいことを話しだしてしまった。
「......子どもは私たちの影響をよく受けてて、自然の風景なんかも好きだったの。だから私、夫の実家に帰省したときに散歩させてあげてたんだ」
......なぜか胸騒ぎがする。散歩というキーワードが胸を刺す。
散歩中の事故なんて、交通事故だと思う。そう決めつけている、頭の中で勝手に。わたしが起こした出来事とは違ってあってほしい、そう願わずにいられなかった。
聞いてしまってよいのだろうか。またしても自分に問う。けれども、彼女の話は走りだして止まらなかった。
「......それで、なにがあったんですか」
つい聞いてしまった。聞いてはいけないと分かっているにもかまわず、わたしの口は勝手だった。彼女の出来事を知りたくないと思う。けれども、知りたいとも思うから。
「散歩してたら、足を滑らせたの」
滑らせたってどこに。聞こうとしたけれど、聞く必要もなかったのかもしれない。そんなの、明白なのだから。
――花蓮さんの子どもは、川に落ちた。
残酷な出来事だ。
「きみにはこんな風にならないでほしい。急に亡くなるなんてかわいそうだから、しっかりと生きてほしいの。今悩んでいるのも大変かもしれないけれど、それは生きているから実感できるって思えないかしら?」
そうだね。きっとそうだったらいいな。
「はじめて会った日のこと、私良い子が来たんだなって直感したの。目を輝かせて桜の木を見上げていたよね。あの時の気持ちを覚えててほしい。たとえ、将来絵を描かなくても、素敵なものに触れるって大切だから」
「......うん、ありがとうございます」
わたしは会釈をして、無意識にティーカップを持った。
・・・
もしかしたらって思った。
彼女の話はここで終わりだろう。けれども、わたしはその続きを知っている。
きっと、そうなんだ。
彼女のストーリーとわたしのストーリーがつながるなんて、誰が想像できるだろうか。
出来事のリボンを結ばないでほしい。
いつの間にか、その場で固まってしまった。身体が震えて、言うことを聞かない。
うわごとみたいに無意識にしゃべり出す。もうなにを話しているのか自分でも理解できなかった。
「......わたしが見たもの」
なあにと、花蓮さんも様子をうかがう。
「......わたしが見たもの。腕を伸ばしたのにつかめなかったもの。花蓮さんのお子さん、......だと思います」
持ち上げていたティーカップをその場に落としてしまった。
どこかで雷が落ちた気がする。
わたしは、<カフェ・サクラ>の扉を開けると間髪入れずに語り掛けた。
いつものテーブル席に座っている彼女はちらりとこちらを見て、視線だけで目の前の席に座るよう促した。
わたしもその誘いに乗っていく。
理沙さんは何も入れずに紅茶を差し出してくれて、控室に戻っていった。彼女なりのやさしさだろう。
「未香はミルクを入れる?」
促されたわたしは、首を横に振った。ミルクが混ざってしまっては朱色の美味しさが分からない。すっきりとした味わいを感じたい。
「いいえ、今日はストレートがいいんです」
混じり気なしの感情で話し合いたいな。貴女の言葉で語ってほしい、そのために今日は来たんだから。
「それで、なにを聞きたいの?」
花蓮さんがわたしに聞いてきた。
紅茶を一口飲んで、喉をあたためる。その感触がなくならないうちに、わたしは語り始めた。
・・・
「花蓮さん、前に言ってましたよね。"桜の木の根元にはなにが埋まっているのか"って」
彼女はなにも言わない。
けれども、少し頷いてくれた。
「わたし、あの後ずっとその言葉が残っていて......。それで、調べたんです」
彼女はまだこちらを見つめたままだ。
わたしはここで、一呼吸置いた。
「とある有名な文学作品に載っているようです。桜の木に下には死体があるっていう書き出しからはじまる作品が」
「......そう」
花蓮さんは一言だけ口にすると、次の質問をしてきた。
「じゃあ、その作品の中で、なんで桜の木は赤いの?」
「亡くなった人の身体から出る液体を、大樹が吸っていくから」
......そうね、正解よ。目の前に座る人物はこちらを向いてウインクする。けれども、わたしはそれを受け流した。
まっすぐに前だけを見つめて、わたしは話を続ける。
「......ねえ、花蓮さん。わたしの答えを聞くためじゃないでしょう? なにか言いたいんでしょう?」
......あの問いをすること自体に、意味があるんでしょう? 貴女の想いを聞かせて。そう瞳で伝えた。
彼女も紅茶をひとくちだけ飲んだ。
「聞いてくれるかしら、ひとりの女のか弱い人生を......」
わたしは無意識に背筋を伸ばした。
雨が降り出したようだ。窓ガラスに当たるものは、少しずつよじれていく......。
・・・
花蓮さんは瞳を伏せるようにして話しだした。
「もちろん、死体が埋まっているというのは、作品から逸話よ。生と死、日本の陰陽。わが国ならではのデカダンスを表現した美意識のあふれるもの」
わたしの読んだ解説文とある程度似ている。彼女が続きを語るのを、集中して待っている。
「わたしは大学を卒業してからすぐに結婚したの。理沙も祝福してくれたわ。とくべつ洒落たプロポーズじゃなかったけれど、カフェの窓際の席で、陽だまりのあたたかさが私たちを包んでいたのをよく覚えている」
素敵な出来事だ、なんて美しいんだろう。
「昼下がりの時間は、次第に夜に変わっていくでしょう。でも、私の幸せはとつぜんくずれていった......」
わたしはそのままの姿勢を崩さずに聞いている。喉を潤したかったけれど、どこか紅茶を飲むのもはばかれるような気がした。
「私、ひとりだけ子どもを産んだの。それは幸せの気持ちでいっぱいだったわね。ずっとそれが続くんだと思ってた......。それなのに、事故で亡くなってしまったのよ」
「そうだったんですね......」
わたしも軽く頭を下げた。こういうときなんて言うんだろう。ご愁傷さまとか言うんだっけ。悲しいですねなんて、大まかに拾い上げてよかったんだっけ。
社会人だったらもう少し気の利いた言葉が出てくるだろうと、あれこれと無駄なことを考えてしまう。ああ、どうしよう。
ふと思いついたことがあった。けれども、聞いてしまってよいのだろうか。逡巡しているうちに、彼女が聞きたいことを話しだしてしまった。
「......子どもは私たちの影響をよく受けてて、自然の風景なんかも好きだったの。だから私、夫の実家に帰省したときに散歩させてあげてたんだ」
......なぜか胸騒ぎがする。散歩というキーワードが胸を刺す。
散歩中の事故なんて、交通事故だと思う。そう決めつけている、頭の中で勝手に。わたしが起こした出来事とは違ってあってほしい、そう願わずにいられなかった。
聞いてしまってよいのだろうか。またしても自分に問う。けれども、彼女の話は走りだして止まらなかった。
「......それで、なにがあったんですか」
つい聞いてしまった。聞いてはいけないと分かっているにもかまわず、わたしの口は勝手だった。彼女の出来事を知りたくないと思う。けれども、知りたいとも思うから。
「散歩してたら、足を滑らせたの」
滑らせたってどこに。聞こうとしたけれど、聞く必要もなかったのかもしれない。そんなの、明白なのだから。
――花蓮さんの子どもは、川に落ちた。
残酷な出来事だ。
「きみにはこんな風にならないでほしい。急に亡くなるなんてかわいそうだから、しっかりと生きてほしいの。今悩んでいるのも大変かもしれないけれど、それは生きているから実感できるって思えないかしら?」
そうだね。きっとそうだったらいいな。
「はじめて会った日のこと、私良い子が来たんだなって直感したの。目を輝かせて桜の木を見上げていたよね。あの時の気持ちを覚えててほしい。たとえ、将来絵を描かなくても、素敵なものに触れるって大切だから」
「......うん、ありがとうございます」
わたしは会釈をして、無意識にティーカップを持った。
・・・
もしかしたらって思った。
彼女の話はここで終わりだろう。けれども、わたしはその続きを知っている。
きっと、そうなんだ。
彼女のストーリーとわたしのストーリーがつながるなんて、誰が想像できるだろうか。
出来事のリボンを結ばないでほしい。
いつの間にか、その場で固まってしまった。身体が震えて、言うことを聞かない。
うわごとみたいに無意識にしゃべり出す。もうなにを話しているのか自分でも理解できなかった。
「......わたしが見たもの」
なあにと、花蓮さんも様子をうかがう。
「......わたしが見たもの。腕を伸ばしたのにつかめなかったもの。花蓮さんのお子さん、......だと思います」
持ち上げていたティーカップをその場に落としてしまった。
どこかで雷が落ちた気がする。


