マスクの下のキミは、誰よりも綺麗だった

人って、どんな時に「まぶしい」って感じるんだろう。

日差しの強い午後?
反射した水面?
白すぎるノートのページ?

それとも――
誰かの、飾らない笑顔?

「ねえ、紬」

晴くんが、昼休みに唐突にそう呼びかけてきた。

ふいに名前を呼ばれるだけで、いまだに心がざわめく。
慣れたようで、慣れない。
でも、そのざわめきが、少しずつ心地よくなってきている。

「今日さ、晴れてるし、放課後ちょっと寄り道しね?」

「……また、公園?」

「今日はね、違う」

そう言って彼が見せたのは、スマホの画面だった。

マップアプリにピンが打たれていて、
そこには“市立図書館・分館”の文字。

「……図書館?」

「うん。こないだ、話してたじゃん。
 “誰も見てない時間が好き”って。あそこ、夕方は空いてて静かだよ」

思い出した。
以前、何気なく口にした僕の好きな場所。
晴くんは、それをちゃんと覚えていた。

「……いいよ」

その一言に、自分でも驚くほどすんなり応じていた。

でも、その日はそれくらい、空がよく晴れていた。

夕方の図書館は、本当に静かだった。

窓から差し込む光が、カーペットの上で細長い影をつくっている。
人の気配はほとんどなくて、
それぞれが思い思いのページをめくっているだけの、静かな空間。

「ここ、なんか好きなんだよな」

晴くんがそう言いながら、棚の間を歩いていく。

「図書館、来るんだ?」

「たまに。実は俺、読書する。意外?」

「……ちょっと」

「まあね、派手に見えるしな」

彼は、そう言って笑ったけど、
その笑いにはどこか影があった。

「ねえ、紬」

「……なに?」

「俺さ、たまに自分でもわかんなくなるんだよね。
 “ほんとの俺”って、どれだったっけって」

その言葉に、ページをめくる手が止まった。

「学校の俺は、いつも明るくて、軽くて。
 でも、たまにそれがすげぇ疲れる」

彼は、窓際のソファに腰を下ろし、天井を見上げて言った。

「誰にでも合わせられる自分が、“便利”だって思われるのが嫌でさ。
 本音なんか言ったら、みんな引くだけだしって思ってた」

その“みんな”の中に、僕もいたのかもしれない。

でも、彼が少しずつ、僕にだけ“違う顔”を見せてくれているのは、
きっと、僕が「引かない」と信じてくれてるからだ。

だから、今度は――僕の番だった。

「晴くんって……」

「ん?」

「……晴れてる人、だと思ってた。最初は。
 でも、たぶん、違う。
 晴れてるように“見せてる”だけで、本当は――」

言葉に詰まる。
でも、言い切らなきゃいけない気がして。

「――夕方みたいな人、だと思う」

彼が、少しだけ目を見開いた。

「夕方?」

「明るいけど、どこかさみしくて。
 でも、優しい色で、静かで。
 ……僕は、好きです。そういうの」

その一言に、彼はゆっくりと笑った。
いつもの笑いじゃなく、
どこか深く、照れたような笑みだった。

「……なんか、ズルいな。紬のそういうとこ」

「……え?」

「その静かさで、いちばん響くこと言ってくるの、ほんと反則」

図書館の空気が、すこしだけ揺れた気がした。
まるで夕方の光が、僕たちの距離にも影を落としたように。

帰り道、並んで歩く。

沈黙が、ずっと続いていたけれど、
それがまったく苦ではなかった。

「……今日の紬の言葉、けっこうまぶしかった」

「……晴れてたから?」

「うん。
 でも、晴れてる日より、まぶしかった」

ふと、夕焼けの中で彼が言ったその一言が、
今日いちばんの“光”になった。

僕の声が、誰かにとってまぶしくなれたなら。

それはきっと、
僕がこの世界のどこかに“ちゃんと存在している”ってことだ。

それだけで、今日は眠れる気がした。