登校してすぐ、肌に刺さるような視線を感じた。

階段を上がるたび、廊下を歩くたびに、
誰かの目がこちらを追ってくる。
そしてすぐに逸らされる。

「昨日のあれ、絶対桐ヶ谷くんだったよね」
「私服、えげつなかったよ……ピアスにフードって、あれ本人?って思った」
「しかも隣、小野くんだったんだよ。制服、同じだったもん」
「え、小野くんってマスクしてないとめっちゃイケメンじゃない?」
「え、てか、付き合ってんの……?」

休み時間の教室、廊下、階段の踊り場。
そこらじゅうに“噂”が流れていた。

目撃者ははっきりと言っていた。
隣にいたのは、小野紬。マスクを外していた状態だった。

僕はもう、隠れていなかった。
それが何よりの証拠になった。

教室の席に着いても、空気は落ち着かない。

女子たちがひそひそとスマホを見せ合い、
男子たちが廊下で、
「桐ヶ谷、地味に隠してたなあ」「小野、実はモテる側だった説ある」などと話していた。

(……想像してたより、ずっと大きくなってる)

晴くんの「もう一つの顔」が注目されているのはもちろん。
でも、思っていた以上に、僕自身の“変化”にも周囲は敏感だった。

晴くんとは、まだ言葉を交わせていなかった。

目は合った。
でも、彼は何も言わずに通り過ぎた。

その背中が、少しだけ遠く感じた。

放課後。
彼の方からのメッセージがなかった。

僕は黙って校門へ向かい、
彼が来るのを待った。

やがて制服姿の晴くんが現れ、少し驚いたように言った。

「……いたんだ」

「うん。……会いたかった」

言ってから少しだけ頬が熱くなる。

でも、逃げずに言えたことに、心が静かに満ちた。

川沿いの遊歩道。
いつもの道が、今日は不思議と長く感じた。

お互い、何をどう話せばいいか分からない沈黙が続いた。

ようやく、僕が口を開く。

「……晴くん、昨日のこと、後悔してる?」

彼は少し黙って、遠くを見た。

「うーん……後悔ってほどじゃないけど、“ああ、ついにバレたか”って感じかな」

「……バレて、どうだった?」

「正直、しんどい。学校で“桐ヶ谷くん=爽やか”って思われてたこと、“嘘だったんだ”って空気になっててさ」

少し笑った彼の横顔は、いつもより静かだった。

「でも、紬の隣にいたのは、作ってない俺だったし。それを見られて困るなら、もう隠す必要ないかなって思った」

「……ごめん。僕が……」

「謝らないで」

彼がピタリと足を止める。

「俺が、紬と一緒にいたくてそうしてたんだ。誰に何言われてもいい。ただ――紬が、俺の隣にいるのがつらくなるのは、嫌だなって思ってる」

僕の胸の奥に、決定的なものが落ちた。

誰がなにを言おうと、
“僕の隣にいたい”って言ってくれる人がいる。

それだけで、十分だ。

「……僕も、言いたいことがあって」

「うん」

「ずっと言いたかったけど、タイミング逃してた」

少し息を吸い込んで、彼の目をまっすぐ見た。

「僕、晴くんが好きです」

言った瞬間、風がひとつ通り過ぎた。

沈黙。

でも、怖くはなかった。

彼が微笑んだ。

「それ、今、一番聞きたかった」

「……うん」

「俺も、紬が好きだよ」

やっと。
ようやく、ちゃんと“名前”をつけられた気がした。