気づいたら、紬がマスクをつけていない日が“当たり前”になっていた。

「おはよう」と言い合うたび、
はにかんだ笑顔が、ちゃんと見える。

教室でも、廊下でも。
もう、誰かの視線を過剰に避けることはない。

その変化を、俺は誰よりも喜んでいた。

……はずだった。

「小野くん、ほんとに綺麗な顔してるよね」
「目もだけど、肌がつるつるなのがすごい」
「隠してたの、もったいなかったねー!」

そんな声が、最近は当たり前のように耳に入る。

悪意はない。
むしろ好意のある反応だ。

だけど、それが妙に、胸の奥をざわつかせる。

(……なんで、こんなにそわそわすんだ)

たぶん、俺だけじゃなくなったからだ。

“俺だけが知っていた紬”が、
今は、みんなの目に映るようになっている。

紬が、男子数人と廊下で話しているのを見かけた。

なにげない話。
プリントのこととか、休み時間のこととか。

でも、楽しそうに笑うその表情を見た瞬間――
胸の奥に、ちいさな棘みたいなものが刺さった。

(……俺のときと、同じ顔してる?)

そんなはず、ないのに。

でも、ふとした仕草や言葉の響きが、
誰に向けられているかを考えてしまう。

その日、待ち合わせの時間。
紬が五分遅れてきた。

「ごめん、図書室でちょっと話してて」

「……誰と?」

「クラスの男子。図書委員一緒で」

「……そっか」

自分でも、声が尖っていたのが分かった。
だけど、それを止められなかった。

(どうしてこんなことで、イライラしてるんだ)

(俺、独占欲強いのか?)

帰宅してからも、もやもやが取れなかった。

紬の変化は、間違いなく嬉しい。
むしろ、それを願っていたはずだった。

でも――
その“変化”が、自分の手の届かないところにも広がっていくのが、怖かった。

“好き”って言われてないから?

それとも――
「お前は俺のものだ」なんて、
一度も言えなかったから?

スマホを見ると、紬からのLINE。

今日はごめんね。
何かあった? 晴くん、元気なかった気がする

本当は、全部言いたかった。
嫉妬してるとか、不安になってるとか。
でも――

大丈夫。ちょっと寝不足なだけ。
紬が謝ることじゃないよ

そう返して、
画面を見つめながら、
小さく息を吐いた。

(俺の気持ち、ちゃんと伝えないと)

「見せたくない」って言葉じゃなくて、
「俺だけを見ててほしい」っていう本音を。

そうじゃないと、
このまま少しずつ、
紬との距離が開いていく気がして、怖かった。