「――“好き”って、どうして言えないんだろう」

スマホのメモに残した言葉を見つめながら、
僕はひとりごとのように、つぶやいた。

もう、晴くんへの気持ちは明らかだった。
毎日のように一緒にいて、
手をつないで、抱きしめられて、
あたたかくて、安心して――それでも、“好き”だけはまだ言えなかった。

どうしてなのか。

ずっと、自分でも答えがわからなかった。

でもある日、ふと思った。

(晴くんに好きって言う前に、自分が自分を好きになれてないのかもしれない)

マスクの奥に隠してきた自分。
誰にも見せたくなかった顔。
過去に嘲笑された、自分の「素顔」。

それを、いまは彼の前でだけなら、
ようやく見せられるようになってきた。

でも、もしも。
“彼の前だけ”という限定のままだったら――
それって、結局は“まだ隠れている”のと同じなんじゃないかって、思った。

教室の窓際、ある日の昼休み。

たまたまマスクを机に置き忘れて、気づかずにいた。

クラスメイトがふいに言った。

「……小野くん、今日マスクしてないんだ?」

「……あ。そう、ちょっと忘れちゃって」

いつもなら、すぐに着け直していたはずだった。

でも、その日は不思議と――
着けなきゃ、という気持ちにならなかった。

「……似合ってるよ」

ぽつりと、誰かが言った。

驚いた。
でも、それは嫌な意味じゃなかった。

馬鹿にするような視線ではなくて、
ただ「ちゃんと見てるよ」っていう、穏やかなまなざしだった。

その瞬間、
胸の奥がすこし、熱くなった。

それから少しずつ、
僕は“必要がなければマスクをしない”日を作るようになった。

晴くんに話したわけじゃない。

誰に宣言するわけでもない。

でも、たぶんこれは、僕にとっての――小さな革命だった。

ある放課後、晴くんとすれ違ったとき。

「あれ、今日はノーマスク?」

「……うん。忘れたんじゃなくて、自分で“着けない”って選んだ」

「そっか」

彼は、すごく優しい顔をしてうなずいた。

「いいじゃん。紬がそう思えるようになったなら、それが一番だよ」

「……晴くんがいたから、そう思えるようになったよ」

「でも、決めたのは紬自身。
 それは、すごく大事なことだと思う」

その言葉に、ふと胸がきゅっとなった。

ちゃんと見てくれてる。
でも、依存させない。
僕の“自立”を信じてくれる。

それが、なにより嬉しかった。

夜、鏡の前でマスクを着けていない自分の顔を見つめた。

もう、“怖い”とは思わなかった。

まだちょっとぎこちないけど、
でも、“この顔でも大丈夫だ”って、思えるようになってきた。

「――好きって、言える日、きっと来る」

鏡に向かってそう呟いた。

誰のためでもない、自分の声で。