「好き」って、思ってるのに言えないとき、
その言葉だけが、口の中でずっと渦を巻いている気がする。

何度も舌の先まで上ってくるくせに、
最後の最後で、どうしても喉を通らない。

そんな自分が、少しだけ悔しかった。

「紬、今日は静かだな」

放課後、駅近くのコインパーキング脇。
自販機の横で、缶ココアを手にした晴くんが言った。

「……うん、ちょっと、いろいろ考えてた」

「重たいやつ?」

「……ううん。伝えたいのに、伝えきれないことの話」

「……言葉にならないやつ?」

「うん。そんな感じ」

彼は、それ以上何も聞かなかった。
缶の口を静かに開けて、ふっと小さく息をついた。

その沈黙が、やさしかった。

歩き慣れた道をふたりで歩く。
会話は少なくても、不安はなかった。

ふと、歩道橋の下に差し掛かったとき、
僕は立ち止まって彼の袖を引いた。

「晴くん」

「ん?」

「……ここ、ちょっと暗いね」

「そうだな。街灯の影、落ちてる」

「……ねえ」

「ん?」

「……いま、少しだけ、抱きしめてもらってもいい?」

その瞬間、彼の目がすこしだけ見開かれた。

驚きと、ほんの少しの戸惑い。
でもすぐに、目元が緩んで、
彼は一歩、僕の方へ近づいた。

「いいの?」

「……うん。言葉で言えないから、
 それ以外の方法で“伝えてみたい”って、思った」

それは、僕にとってとても大きな一歩だった。

彼の腕が、そっと僕の背中に回る。

肩に、腰に、やさしく添えられるようなぬくもり。

抱きしめられるなんて、
ずっと遠い世界のことだと思ってた。

でも今、こうして触れられていることで――
“ここにいてもいい”と、ちゃんと肯定されている気がした。

「……紬、ちっちゃいな」

「……晴くんが大きいんだよ」

「いや、お前が守りたくなるサイズなだけ」

その言葉に、喉がきゅっと詰まった。

涙は出ない。
でも、胸の奥が、じんとあたたかい。

「ほんとに、伝わる?」

「伝わる。
 言葉で言ってくれたら嬉しいけど、
 今日の“ぎゅっ”は、それと同じくらい嬉しい」

「……よかった」

マスクは、外してなかった。

でも、彼の胸元に頬を寄せるようにして、
その温度を肌越しに感じていた。

こんなふうに誰かに触れて、
触れ返される感覚は、初めてだった。

「……ありがとう、晴くん」

「うん。俺も、ありがとう」

ほんの数秒だったけれど、
その抱擁は僕の中で、ずっと続いているようだった。

家に帰って、ベッドに沈み込みながらスマホを開いた。

LINEの通知はなかった。
でも、僕はひとことだけ打った。

ことば、まだ言えないけど
きょう、ほんとうにありがとう

数分後、通知が鳴る。

ことばより、あったかかったから大丈夫
またぎゅってしていい?

そのひとことで、涙がこぼれた。

“好き”って、言えなかったけど――
でも、“好きだよ”って、
きっと彼に届いていた気がした。