「そのマスク、ずっと外さないの?」

聞かれたのは、唐突だった。

昼休み、コンビニ帰りの教室。
ジュース片手に戻ってきたクラスメイトが、
僕の顔を見てそう言った。

軽い調子。悪意はなかった――たぶん。
でも、その言葉は僕の中で、
明確に“過去”とつながっていた。

「……風邪予防、です」

喉が詰まりそうになりながら、それだけ返した。

彼は「ああ、そっか」と頷いて、また自分の席に戻っていった。
特に深い意味なんてなかったのだろう。
それでも僕は、しばらくノートの文字が読めなかった。

マスクをするようになったのは、中学の春だった。

新学期、クラス替え、スマホ。
全部が一度に変わった春。

僕の顔が、“自分の知らない場所”で切り取られて、
誰かの笑いの種にされた。

「地味なくせに、顔だけは整ってるってウケる」
「アイドル目指せば? 無理だけどw」
「加工なしでこの顔とか、なんか腹立つ」

無数の文字と“いいね”が、僕の顔をバラバラにしていった。

そのときから、
“顔は弱点”になった。

見せると、笑われる。
見せないと、守れる。

その答えが、マスクだった。

放課後、誰にも告げずに帰ろうとした僕を、
晴くんが見つけた。

「紬!」

階段の踊り場。
いつものコンビニには寄らずに帰ろうとした僕の名前を、
彼は呼び止めてくれた。

「……どうした?」

「……なんでも、ない」

「嘘。声が、いつもと違う」

そう言われて、逃げたくなった。
だけど、逃げられなかった。

彼の目が、ちゃんと僕を見ていたから。

「……昼間、クラスの人に聞かれたんだ。
 なんでマスクしてるの、って」

「……そっか」

「軽く言っただけだと思う。深くはない。
 でも、なんか、刺さった」

「痛かった?」

「うん。少しだけ、痛かった」

晴くんは、僕のそばまで来て、言った。

「誰かの何気ない一言が、
 一番痛いとこ突いてくる時ってあるよな」

僕は、うなずいた。

「でもさ」

彼は、ポケットからミントの飴を取り出して、僕に差し出した。

「これ、今日の俺の分。甘いけど、すっきりするからさ」

「……ありがとう」

「あと――」

「うん?」

「俺、ちゃんと知ってるよ。
 紬が、マスクの奥に何を隠してるか」

その言葉に、喉が詰まりそうになった。

「……知って、どうするの?」

「何もしないよ。
 ただ、“隠してること”を知ってるってこと、伝えたかっただけ」

「……そんなの、意味ないよ」

「あるよ」

彼は、笑った。

「だって俺、紬のこと“見たい”って思ってるから」

「……」

「マスクの奥じゃなくて、
 そのままの声で、目で、表情で。
 そうやって会いたいって、ずっと思ってる」

その声が、胸の奥に届いた。

たったそれだけの言葉が、
今まで誰にももらえなかった言葉だった。

「……でも、まだ怖いよ」

「怖くていいじゃん。
 怖いままでも、俺は待てる」

そう言って、彼は少し前を歩いた。

背中を見つめながら、
僕は、そっとマスクの端に触れた。

外すつもりはなかった。
でも、触れたその指先が、
“いつか”のために動いた気がした。

それだけで、少しだけ世界がやわらかくなった。

帰宅してから、
スマホを開くと、晴くんからメッセージが届いていた。

紬のこと、ちゃんと見てたいと思ってる
だから、今日の声も目も、忘れない

その文を読んだ瞬間、
何かが胸から溢れそうになった。

「……僕はまだ、隠してるよ」

でも、その“隠してる”ことを、
隠さなくていいと思えたのは、
きっと今日が、はじめてだった。