私は三ヶ月前からある食べ物がやめられない。
それはミント味の飴玉だ。口の中に入れれば広がるミント特有の爽快感と共に彼の匂いも思い出す。
このミントの飴は淡い緑色の袋に入っていて20個ほどで298円で売っているが、人気がないのか売り切れていたことは一度もない。
私はミントの飴を一粒口に含んだまま、自宅アパートから十分ほどのところにある海辺にきていた。
スニーカーに砂が入るのも気にせずザクザクと砂浜を歩いていき、テトラポッドの上に登って沈みゆく夕陽を見つめる。
つい三ヶ月ほど前までは、ここが私と元カレの聡太とのお決まりのデート場所だった。
『優羽、別れよ』
オレンジ色の優しい夕焼けの色を見つめていれば聡太の声が波の音と共にふいに聴こえてきて、耳を塞ぎたくなる。
聡太とは大学のサークルで知り合った。付き合って半年で同棲を始めた。そして聡太から別れを切り出されて運命の恋が終わった。
いや、運命だと思って溺れていたのは私だけだ。
「……別れる運命だったってことよね」
もし運命なんてものがこの世に存在するのであれば、それは間違いなく不確かで曖昧で誰にもわからないってことだ。
だから、私が勝手に運命の恋だと思い込んでいたけど、それは実は全くはじめから違うモノだったのだろう。
溢れそうな涙をぐっと喉に押し込めば、ミントの香りが鼻からツンと抜けていく。
「聡太、禁煙できたかな」
このミントの飴を始めに見つけて買ってきたのは私だった。喘息持ちのクセに聡太が煙草をやめられないからだ。
煙草を吸いたくなったら代わりにこの飴をと渡した時、聡太はくしゃっと笑って私にありがとうと言ってくれた。
あと聡太には最後まで言えなかったが、私が聡太にこのミントの飴を渡したのには理由があった。
それはミントの花言葉だ。
──『かけがえのない時間』
私にとって聡太と過ごした時間はかけがえのない時間であり宝物だった。
「本当に……大好きだったよ」
過去形にしたのは、そうでもしないと聡太に電話をかけてしまいそうだから。
終わったんだと自分に言い聞かせるように吐き出した言葉は波に攫われて消えていく。
私はため息をひとつ吐き出してからスマホを取り出すと、聡太の番号を消去した。
そして波音が静かに聞こえてくる海をじっと見つめた。
聡太は強面でコーヒーはいかにもブラックと見せかけて、クリープは絶対二つ必要で砂糖はまるまる一本いれる甘党だった。
体温が高いくせにわざと寒いと言っては寝る前、私にくっついてきて甘えるようにベッドに誘った。
片付け下手で散らかすのが得意なくせに、スーパーの袋はきちんと三角に折ってキッチンの引き出しにちゃんと入れるほど貴重面なところがあって、洗濯は私に任せきりにする代わりに、洋服や靴下やはきちんと裏返すことなく脱いで、洗いやすくしてくれたり、さりげなくお風呂掃除をしてくれたりと気遣いのできる人だった。
甘いセリフなんて滅多に言わないけれど、でも眠る前はいつも同じ言葉を私の耳元で囁いてくれた。
「嘘つき。ずっと一緒にいようって言ったじゃん」
私はいつからか、聡太との不確かな未来を勝手に夢見るようになっていた。ずっと二人でこれからも思い出を積み重ねていつか家族になるんだなんて、そんな想いを抱いてしまっていた。
別れるとき、聡太は見たこともないくらい辛く悲しそうな表情だった。
『ごめん。限界』
理由を聞きたかったけど、辛そうな聡太を前に何も言えなかった。でもなんとなく理由はわかった。
きっと私のことが重荷になったんだと思う。
思い返せば、聡太とのLINEが途絶えただけでなぜだが不安になってよく電話した。漠然とした不安から眠る前、訳もなく涙が出て聡太を困らせたりした。
時々、感情の起伏が抑えられなくて聡太にキツイ言葉を使ったり、聡太を試すような質問をしたりもした。
だって好きだったから。
どうしようもなく好きだった。
けれど好きだけじゃ難しい。
きっと愛してると言われてもそれだけじゃ満たされない。どれだけ抱き合っても想いを伝え合っても、別の人間だから全部を分かり合うことは不可能だから。
私はどこからかきっと聡太の全部を欲しがりすぎたのだと思う。
愛はミントが土に根を張り繁殖していくように、一度根を張れば強欲に心のままに、どこまでも増殖していくモノなのかもしれない。
でもね、もっと私を知って欲しかった。悪いところは叱ってくれて良かったし、面倒な時は素直にそう言って欲しかった。
心が疲れてしまう前に、もっと言葉にしてほしかった。何も言わなくても無理に言葉を探さなくても、私が困らせたときは私をただ抱きしめてくれたらそれで良かった。
「……聡太……っ」
ミントの味が口内から消えて、私の両目から涙が溢れ出した。かけがえのない時間はもう願っても泣いても戻ってこない。
泣くのは今日で終わりにしよう。
そう思って聡太と初めてキスをしたこの海に来たけれど、まだ難しいかもしれない。何をしていてもどこにいても私はこのミントの匂いと共に聡太を思い出す。
どうしたって頭の片隅から離れない。
忘れられない。
私は口の中にもう何個目かわからないミントの飴を放り込むと、コロンと転がす。
やっぱり聡太を思い出して苦くて切なくなる、でも到底やめられそうもない。
ミントのような私の恋は、まだしばらく私の心から消えてなくなったりはしないだろう。
それでいい。だってミントの飴はまだたくさん残っている。なくなればまた買えばいい。
飽きるほどに食べて涙が枯れ果てた時、ようやく私はこのミントの匂いがする恋を手放せる、そんな気がした。
2024.4.13
それはミント味の飴玉だ。口の中に入れれば広がるミント特有の爽快感と共に彼の匂いも思い出す。
このミントの飴は淡い緑色の袋に入っていて20個ほどで298円で売っているが、人気がないのか売り切れていたことは一度もない。
私はミントの飴を一粒口に含んだまま、自宅アパートから十分ほどのところにある海辺にきていた。
スニーカーに砂が入るのも気にせずザクザクと砂浜を歩いていき、テトラポッドの上に登って沈みゆく夕陽を見つめる。
つい三ヶ月ほど前までは、ここが私と元カレの聡太とのお決まりのデート場所だった。
『優羽、別れよ』
オレンジ色の優しい夕焼けの色を見つめていれば聡太の声が波の音と共にふいに聴こえてきて、耳を塞ぎたくなる。
聡太とは大学のサークルで知り合った。付き合って半年で同棲を始めた。そして聡太から別れを切り出されて運命の恋が終わった。
いや、運命だと思って溺れていたのは私だけだ。
「……別れる運命だったってことよね」
もし運命なんてものがこの世に存在するのであれば、それは間違いなく不確かで曖昧で誰にもわからないってことだ。
だから、私が勝手に運命の恋だと思い込んでいたけど、それは実は全くはじめから違うモノだったのだろう。
溢れそうな涙をぐっと喉に押し込めば、ミントの香りが鼻からツンと抜けていく。
「聡太、禁煙できたかな」
このミントの飴を始めに見つけて買ってきたのは私だった。喘息持ちのクセに聡太が煙草をやめられないからだ。
煙草を吸いたくなったら代わりにこの飴をと渡した時、聡太はくしゃっと笑って私にありがとうと言ってくれた。
あと聡太には最後まで言えなかったが、私が聡太にこのミントの飴を渡したのには理由があった。
それはミントの花言葉だ。
──『かけがえのない時間』
私にとって聡太と過ごした時間はかけがえのない時間であり宝物だった。
「本当に……大好きだったよ」
過去形にしたのは、そうでもしないと聡太に電話をかけてしまいそうだから。
終わったんだと自分に言い聞かせるように吐き出した言葉は波に攫われて消えていく。
私はため息をひとつ吐き出してからスマホを取り出すと、聡太の番号を消去した。
そして波音が静かに聞こえてくる海をじっと見つめた。
聡太は強面でコーヒーはいかにもブラックと見せかけて、クリープは絶対二つ必要で砂糖はまるまる一本いれる甘党だった。
体温が高いくせにわざと寒いと言っては寝る前、私にくっついてきて甘えるようにベッドに誘った。
片付け下手で散らかすのが得意なくせに、スーパーの袋はきちんと三角に折ってキッチンの引き出しにちゃんと入れるほど貴重面なところがあって、洗濯は私に任せきりにする代わりに、洋服や靴下やはきちんと裏返すことなく脱いで、洗いやすくしてくれたり、さりげなくお風呂掃除をしてくれたりと気遣いのできる人だった。
甘いセリフなんて滅多に言わないけれど、でも眠る前はいつも同じ言葉を私の耳元で囁いてくれた。
「嘘つき。ずっと一緒にいようって言ったじゃん」
私はいつからか、聡太との不確かな未来を勝手に夢見るようになっていた。ずっと二人でこれからも思い出を積み重ねていつか家族になるんだなんて、そんな想いを抱いてしまっていた。
別れるとき、聡太は見たこともないくらい辛く悲しそうな表情だった。
『ごめん。限界』
理由を聞きたかったけど、辛そうな聡太を前に何も言えなかった。でもなんとなく理由はわかった。
きっと私のことが重荷になったんだと思う。
思い返せば、聡太とのLINEが途絶えただけでなぜだが不安になってよく電話した。漠然とした不安から眠る前、訳もなく涙が出て聡太を困らせたりした。
時々、感情の起伏が抑えられなくて聡太にキツイ言葉を使ったり、聡太を試すような質問をしたりもした。
だって好きだったから。
どうしようもなく好きだった。
けれど好きだけじゃ難しい。
きっと愛してると言われてもそれだけじゃ満たされない。どれだけ抱き合っても想いを伝え合っても、別の人間だから全部を分かり合うことは不可能だから。
私はどこからかきっと聡太の全部を欲しがりすぎたのだと思う。
愛はミントが土に根を張り繁殖していくように、一度根を張れば強欲に心のままに、どこまでも増殖していくモノなのかもしれない。
でもね、もっと私を知って欲しかった。悪いところは叱ってくれて良かったし、面倒な時は素直にそう言って欲しかった。
心が疲れてしまう前に、もっと言葉にしてほしかった。何も言わなくても無理に言葉を探さなくても、私が困らせたときは私をただ抱きしめてくれたらそれで良かった。
「……聡太……っ」
ミントの味が口内から消えて、私の両目から涙が溢れ出した。かけがえのない時間はもう願っても泣いても戻ってこない。
泣くのは今日で終わりにしよう。
そう思って聡太と初めてキスをしたこの海に来たけれど、まだ難しいかもしれない。何をしていてもどこにいても私はこのミントの匂いと共に聡太を思い出す。
どうしたって頭の片隅から離れない。
忘れられない。
私は口の中にもう何個目かわからないミントの飴を放り込むと、コロンと転がす。
やっぱり聡太を思い出して苦くて切なくなる、でも到底やめられそうもない。
ミントのような私の恋は、まだしばらく私の心から消えてなくなったりはしないだろう。
それでいい。だってミントの飴はまだたくさん残っている。なくなればまた買えばいい。
飽きるほどに食べて涙が枯れ果てた時、ようやく私はこのミントの匂いがする恋を手放せる、そんな気がした。
2024.4.13



