その日の午後、裕基は週末恒例の買い出しに出かけた。自炊を心掛けるようにしてから、まとめ買いをするのが習慣になりつつある。スーパーに着くと、入り口に並んだショッピングカートを一つ取り出し、そのまま店内へと進んだ。
 「今日は何を作ろうかな…」
 カートを押し出そうとした瞬間、違和感を感じた。片方の車輪が妙に重く、思ったように進まない。カートが斜めに傾きながら、ギシギシと音を立てて動く。
 「これ、絶対ハズレのやつだ…」
 もう一度押し直してみるが、やはり片方の前輪がうまく回っていない。カートの下を覗き込んでみると、どうやら車輪にビニール袋が絡まっているらしい。
 「くっそ、誰だよビニール放置したやつ…」
 カートを交換しようかとも思ったが、すでに店内に入ってしまっているため、わざわざ戻るのも面倒だった。仕方なく、そのまま使うことにし、少し力を入れて押していく。
 「うーん、まっすぐ進まない…」
 店内を歩きながら、カートが右に引っ張られる感覚に苦戦する。曲がるたびにギシギシと音がして、周りの客が少しだけ振り返るのが気まずかった。野菜コーナーにたどり着き、トマトとレタスをカゴに入れる。次に肉コーナーに移動しようとすると、右側に強く引かれて思わず足を踏み外しそうになった。
 「なんでこんな日に限って…」
 スマホを取り出して、ひとみにメッセージを送る。
 「スーパーのカートが片方だけ動きづらくて、めっちゃ右に引っ張られる…」
 すぐに返信が来た。
 「わかる!私もこの前、同じように片輪だけ動かないカートに当たって、すごく大変だったよ。」
 「これ、どうにかならないかな。力入れすぎて腕が疲れてきた…」
 「うーん、あんまり引っ張っても直らないし、私の時は途中で諦めて交換しに戻ったよ。」
 「やっぱりそうか。でも、もうだいぶ買い物進んじゃってるし、戻るのも面倒で。」
 「そっか、じゃあ、コツは片方の車輪を少し持ち上げて押すことかな。」
 「なるほど!片輪浮かせばまっすぐ行けるかも。」
 アドバイスを試してみようと、少しカートを傾けて片輪を持ち上げると、なんとかまっすぐ進めるようになった。揺れながらも前に進むカートに少し安堵し、なんとか肉コーナーに到着した。
 「やっぱり、三木さんのアドバイスってすごいな…」
 スマホにもう一度メッセージを送る。
 「片輪浮かせてみたら、なんとか進めたよ!ありがとう。」
 「良かった!ちょっと不安定かもしれないけど、力が入りすぎない分マシかな。」
 「ほんとに。なんでこういう時に限って変なカートに当たるんだろう。」
 「でも、石川君って、こういう小さなトラブルにもちゃんと向き合うよね。」
 「それ、褒めてる?」
 「もちろん!私なら最初から諦めちゃうかも。」
 「いや、三木さんならちゃんと工夫してそうだけどな。」
 そんなやり取りが妙に楽しく、少し疲れていた気持ちが和らいだ。面倒なカートも、こうして相談できる相手がいるだけで軽く感じる。
 肉を選び、鮮魚コーナーにも立ち寄りながら、少しずつカゴがいっぱいになっていく。片輪浮かせた状態での操作にはまだ慣れないが、最初の頃に比べればスムーズに動かせるようになった。
 「なんとか、これで全部揃ったかな。」
 レジに並び、カートを押しながら順番を待つ。まだ右に引っ張られるが、もう気にしないことにした。やっとのことで会計を終え、袋詰めをしていると、隣にいた中年男性が同じように片輪が動かないカートで苦戦しているのが見えた。
 「仲間だな…」
 思わずクスッと笑ってしまい、少しだけ気持ちが軽くなる。誰にでもこういうことは起こるのだと、自分だけが不運なわけじゃないと感じられた。
 「帰ったら、三木さんに報告しよう。」
 重たい買い物袋を両手に提げ、アパートに戻ると、スマホにひとみからのメッセージが届いていた。
 「無事に買い物終わった?腕、疲れてない?」
 「なんとか帰ってきたよ。腕がパンパンだけど、面白い経験だったかも。」
 「ふふ、それを笑いに変えられる石川君がすごいよ。」
 「いや、三木さんがいたからだよ。一人だったら多分イライラしてた。」
 「そう言ってもらえると嬉しい!お疲れ様、ゆっくり休んでね。」
 その言葉に、自然と肩の力が抜けた。いつもなら些細なトラブルでイライラしがちだが、こうして共有できる相手がいることで、少しだけ心に余裕が持てた気がする。
 「今日はこれで良かったかもな。」
 夕食の準備をしながら、今日の出来事を振り返る。ちょっとしたハプニングも、こうして笑い話にできるのは、誰かと繋がっているからこそだ。少しずつ前向きになっていく自分を感じながら、夜の静けさが心にしみていった。
 終