ちょっと不幸な彼の就活

 その日の夕方、裕基は会社説明会を終え、帰りの電車に乗り込んだ。説明会では、企業の理念や働き方についての説明が中心で、実際の仕事内容がいまいちピンとこなかったが、とにかく一つずつ経験を積んでいくしかないと自分に言い聞かせていた。
 「今日もなんとか乗り切れたか…」
 席が空いていたため、運良く座ることができた。いつも混雑している時間帯なので、これはラッキーだ。カバンからお気に入りの文庫本を取り出し、ページを開く。最近読み始めた青春小説で、登場人物たちが夢に向かって奮闘する姿が印象的だった。
 「今日は続きが気になってたんだよな…」
 電車がゆっくりと発車し、揺れもほとんど感じない。久しぶりに静かに読書ができそうだと期待しながら、主人公が仲間と衝突しながらも自分を見つめ直すシーンを読み進める。
 しかし、数ページ進んだあたりで、突然電車が大きく揺れた。
 「うわっ…」
 思わず手を突き出して本を落とさないように支える。揺れが収まったと思ったら、またもやガタンと大きく揺れ、車内の人たちがバランスを崩している。吊革に掴まっている人たちも、一斉に体を持ち直すようにして踏ん張っている。
 「何だこれ…今日はやけに揺れるな。」
 もう一度本を開こうとするが、揺れが止まらず、文字がまともに読めない。ページがぶれぶれで、文が目に入ってこない。
 「今日は静かに読めると思ったのに…」
 再びカバンに本をしまおうとしたその瞬間、さらに大きな揺れが襲い、今度は本が膝から滑り落ちた。
 「しまった…!」
 急いで拾い上げようと身をかがめたが、その瞬間、電車が再び激しく揺れ、頭が座席の背にぶつかる。
 「いてっ…」
 なんとか本を拾い上げ、座り直すが、もう読む気力が失せていた。次の駅で降りる人たちが立ち上がるときも、やけに揺れが続き、みんなが不安そうな顔をしている。
 「今日は運が悪いな…」
 スマホを取り出し、ひとみにメッセージを送る。
 「電車で本読もうと思ったら、めっちゃ揺れて読めない…」
 すぐに返信が来た。
 「あるある!私もこないだ、通勤中に本読んでたら、急ブレーキでページが折れちゃった…」
 「そうなんだよ。今日は特に揺れがひどくて、全然集中できない。」
 「こういう時って、無理に読もうとすると余計酔っちゃうんだよね。」
 「確かに、少し気持ち悪くなってきたかも…」
 「じゃあ、無理せずに音楽でも聴きながらリラックスしたら?本はまた落ち着いた時に読めばいいし。」
 その提案に納得し、カバンからイヤホンを取り出す。いつもお気に入りのプレイリストを再生すると、少しずつ気分が落ち着いてきた。柔らかなピアノの音が流れ、揺れの不快感が少しずつ和らいでいく。
 「確かに、この方が気が楽だな…」
 スマホを見ながら、もう一度ひとみに報告する。
 「音楽聴き始めたら、少し落ち着いたよ。ありがとう。」
 「良かった!無理して読むより、気分転換する方がいいよ。」
 「さっきまで必死に本読もうとしてた自分がバカみたいだ。」
 「石川君って、つい頑張りすぎちゃうところあるよね。でも、そういうところが真面目で素敵だと思うよ。」
 その言葉に少し照れながら、自然と笑顔がこぼれる。確かに、どんな状況でも完璧にこなそうとして、自分を追い詰める癖があるのかもしれない。そんな自分を受け入れつつ、時には気を抜くことも大事だと感じた。
 「三木さんがそう言ってくれると、なんか気が楽になるよ。」
 「ふふ、焦らないでね!電車の揺れも、そのうち止むから。」
 音楽に身を任せ、窓の外を眺めると、夕日がゆっくりと沈みかけている。揺れがまだ続いているが、イヤホン越しに聞こえる音楽が心を和ませてくれる。隣の席に座っている学生が教科書を広げているが、やはり揺れで苦戦しているようだ。
 「今日はこんな日なのかもしれないな…」
 少しだけ目を閉じ、ゆっくりと呼吸を整える。焦らないことで、心が自然と落ち着いていく。いつも無理にやろうとしていたことが、かえって自分を縛っていたのかもしれない。
 「もう少し、ゆったり構えてもいいのかな。」
 目的の駅に近づき、電車がゆっくりと減速を始めた。揺れも少し収まり、自然と気持ちが晴れてくる。今日も一日頑張った自分を少しだけ褒めながら、駅に到着する音が心地よく響いた。
 「次からは、無理せずにその時できることをやればいい。」
 そんな小さな気づきが、今日の一番の収穫だったかもしれない。音楽が耳に残り、自然と足取りが軽くなった。誰かに支えられていることで、少しずつ心が解放されていくのを感じながら、裕基は穏やかな気持ちで家路についた。
 終