その日の午後、裕基は就活関連の資料をプリントし終え、少し気分転換に外を歩こうと思い立った。就職活動が続き、面接に向けての準備や自己分析に追われていたため、どうしても気持ちが重たくなっていたのだ。
 「少し歩いてリフレッシュしよう…」
 外に出ると、冬の冷たい風が肌を撫でていく。息を白くしながら歩き出し、近くの商店街を目指す。最近はずっとスーツばかりだったため、今日はカジュアルなコートにジーンズというラフな格好だ。
 駅前の横断歩道に差し掛かり、信号が赤になったため足を止める。歩道の端に立ち、信号が変わるのを待っていると、突然、目の前にぽとりと鳩が舞い降りてきた。
 「おっと…」
 その鳩はあまりにも近すぎて、自然と一歩下がってしまう。灰色の羽に白い斑点が少し混じっている、どこにでもいる普通の鳩だが、その存在感が妙に強い。
 「なんだよ…そんなに近づかなくても…」
 鳩は少し首を傾げたまま、まるで裕基をじっと見つめている。こちらが動くと、鳩も小さく首を振って反応する。その仕草が妙に人間くさくて、思わず苦笑してしまった。
 「なんでこんなに見つめてくるんだ…」
 スマホを取り出し、ひとみにメッセージを送る。
 「信号待ちしてたら、鳩が真横に来てずっと見つめてくるんだけど…」
 すぐに返信が来た。
 「それはちょっと怖いね(笑)!もしかして、石川君が何か持ってると思ってるのかも。」
 「確かにコンビニ袋持ってるけど、食べ物入ってないんだよな。」
 「鳩って結構人懐っこい子もいるし、もしかしたら誰かに餌付けされてるのかもね。」
 「なるほど…でも、なんか圧がすごいんだよ。」
 「ふふ、鳩に圧かけられる石川君、なんか可愛いかも。」
 その言葉に少し照れながら、もう一度鳩の方を見る。まだじっとこちらを見ている。羽を少し膨らませ、まるで「早く何かくれ」とでも言っているかのようだ。
 「いや、何も持ってないんだってば…」
 そう小声で言ってみたが、鳩は相変わらず無表情で、ただじっと見つめてくる。その視線がなんだか哲学的にさえ感じられ、妙に心を見透かされているような気分になる。
 「なんでこんなに見つめられてんだ、俺…」
 信号が青に変わり、歩き始めると、鳩は名残惜しそうに一歩下がった。そのまま後を追ってくるかと思いきや、再び歩道に戻り、他の通行人を観察し始めた。
 「なんだったんだ、あの鳩…」
 その奇妙な出会いに少し戸惑いを覚えながら、スマホを取り出しひとみに報告する。
 「鳩、信号変わったらあっさりどっか行ったよ。」
 「なんか面白いね!まるで石川君をテストしてたみたい。」
 「確かに、なんか試されてる気がしたよ。」
 「もしかして、面接の練習相手だったとか?」
 「それはないだろ…でも、あの目力は面接官並だったな。」
 ひとみの冗談に少し笑いがこぼれ、気持ちが軽くなった。さっきまでの気詰まりな感じが少し和らぎ、歩きながら自然と鼻歌が出る。
 「なんかさ、鳩ってあんなに真剣な顔するんだな。」
 「うん、案外真面目な子が多いのかもね。」
 「次に会ったら、もうちょっと余裕を持って対応するよ。」
 「ふふ、石川君が鳩に緊張しないでね!」
 そのやり取りがなんだか愛おしく感じられ、自然と歩みが軽くなった。考えてみれば、普段何気なく通り過ぎている道端でも、こうして意識を向ければ色々な出会いがあるのだと気づかされた。
 「今日はちょっと変な日だな…」
 商店街のベンチに腰を下ろし、ようやく深呼吸をする。少し肌寒さを感じながらも、なぜか心が温かい。鳩との偶然の出会いと、ひとみとの会話が、普段の何気ない日常を少しだけ特別なものに変えてくれた。
 「何気ないことでも、こうして共有できるっていいな。」
 そう思いながら、ふと空を見上げると、また別の鳩が悠々と飛んでいくのが見えた。少し不思議な気分になりながらも、今日はこれで良かったのかもしれないと思えた。
 「次からは、もう少し鳩に優しく接してみようかな。」
 そんな小さな決意を胸に、スマホをしまって立ち上がった。日常の些細な出来事が、こうして少しずつ自分の心を軽くしてくれる。それがわかるだけで、今日はなんだか特別な一日になった気がした。
 終