その朝、裕基はカーテンを開けた途端、窓ガラスを叩く雨粒を見てげんなりした。天気予報を見ていなかったため、雨が降るとは思っていなかったのだ。急いで傘を探し、玄関の傘立てから少し古びた黒い折り畳み傘を取り出した。
 「これ、まだ使えるかな…」
 傘を広げてみると、多少骨が曲がっているが、なんとか使えそうだ。今日は就職活動のため、スーツを着て出かけなければならない。雨の日にスーツが濡れるのは避けたかったが、こればかりは仕方ない。
 「よし、急がないと…」
 駅へ向かう道のりは、アスファルトが雨で光り、水たまりがあちこちにできている。足元を気にしながら歩き、なるべく濡れないように慎重に足を運んでいた。
 「今日は面接もあるし、靴が濡れるのは勘弁してほしいな…」
 途中、大きな水たまりが目の前に現れた。どう見ても飛び越えるには無理がある。左側には生垣、右側には歩道が狭くなっている箇所があり、どうにかして避けるしかない。
 「ここは慎重に…」
 歩幅を小さくして、できるだけ水たまりの端を通り抜けようとするが、バランスを崩しそうになり、結局反対側の歩道の端に飛び乗った。
 「ふぅ、なんとかセーフ…」
 ホッとした瞬間、予期せぬ出来事が起きた。歩道の縁石に溜まっていた雨水が、思いのほか深く、足を踏み込んだ瞬間に靴がズブッと沈んだ。
 「うわっ、冷たっ!」
 慌てて足を引き抜くが、右足の革靴が完全に濡れてしまった。しかも、スーツの裾にも飛沫がかかり、ダークグレーの布地が微妙に色濃くなっている。
 「マジかよ…ここが深かったなんて…」
 濡れた靴が足にまとわりつき、不快感が広がる。まだ駅まで少し距離があり、この状態で歩き続けるのは辛い。仕方なく、少し歩道の端で立ち止まり、靴を見下ろす。水が滴り落ち、つま先部分が完全にしぼんでいる。
 「最悪だ…」
 ため息をつきながら、スマホを取り出し、ひとみにメッセージを送る。
 「水たまり避けたのに、別の場所で靴がびしょ濡れになった…」
 すぐに返信が来た。
 「ええっ、それはショックすぎるね…雨の日ってほんと予測できないよね。」
 「完全に油断してたよ。大きい水たまりは避けたのに、足元の段差にやられた…」
 「それ、私もやったことある!細い道の脇って意外と水が溜まってるんだよね。」
 「そうそう。もう、靴下まで冷たくて気持ち悪い…」
 「面接があるなら、近くのコンビニで靴下買った方がいいかもね。」
 そのアドバイスにハッとする。確かに、このまま濡れた靴下で面接に行ったら不快感で集中できない。近くのコンビニを探し、駅前にあることを思い出して歩き出す。
 「三木さん、ありがとう。コンビニ寄ってくる。」
 「うん、無理しないでね!」
 駅前のコンビニに駆け込み、靴下コーナーで無難な黒のビジネスソックスを手に取った。レジで会計を済ませ、トイレを借りて急いで履き替える。
 「やっと快適になった…」
 濡れた靴はそのままだが、靴下が乾いただけでかなり気持ちが楽になった。念のためティッシュで靴の中を拭き取り、できる限り水気を取る。少し冷たさは残っているが、濡れたままよりはマシだ。
 ひとみにメッセージを送る。
 「無事に靴下買えた。まだ靴が濡れてるけど、気持ちは少し楽になったよ。」
 「良かった!乾いた靴下だけでも、だいぶ違うよね。」
 「うん、三木さんが言ってくれなかったら、そのまま行ってたかも。」
 「ふふ、石川君が無事に行けそうで安心した!」
 電車がホームに到着し、乗り込むと空いている席に腰を下ろした。車内の温かさが心地よく、ようやくホッとする。濡れた靴の不快感はまだ残っているが、ひとみのおかげで何とか乗り切れそうだ。
 「今日はこれで乗り切れるかな…」
 窓の外を見ると、相変わらずの土砂降り。天気予報を確認してこなかった自分を少し反省しながらも、こうしてトラブルを笑い飛ばせるひとみの存在が心強い。
 「面接がんばってきます。」
 「応援してるよ!石川君なら大丈夫。」
 そのメッセージを胸に、濡れた足を気にしながらも、少しだけ前向きな気持ちになれた。こうした小さなトラブルがあるたびに、自分一人じゃないと実感できることが救いだった。
 「よし、気持ち切り替えていこう。」
 次の駅で降りる準備をしながら、自然と笑みがこぼれる。雨の日の小さな不運も、誰かと共有できるだけで軽くなる。それが、ひとみの存在の大きさを改めて感じさせた瞬間だった。
 終