その日の午後、裕基は自宅のリビングで面接準備をしていた。夏が近づき、日差しが強くなってきたせいか、部屋の中は蒸し暑い。窓を少しだけ開けて風を入れているが、空気が生ぬるく、じっとりとした汗が額に滲む。
 「暑いな…エアコンつけるか。」
 リモコンを手に取り、設定温度を26度に合わせてスイッチを入れる。エアコンがブーンと音を立てて動き始めるが、冷風が出てくるまでには少し時間がかかりそうだ。ソファに腰を下ろし、再び面接対策ノートを広げる。
 「よし、次の企業の志望動機をもう一度確認して…」
 その時、窓から冷たい風がふっと入り込み、カーテンがふわりと揺れた。心地よい冷気が部屋中を通り抜け、さっきまでの蒸し暑さが嘘のように感じられる。
 「え、急に涼しくなった…?」
 エアコンの冷風が出始めたのかと思ったが、送風口からはまだ温い風しか出ていない。どうやら外から風が入ってきたらしい。タイミングの悪さに少し苦笑しながら、リモコンを手に取ってエアコンを切る。
 「つけた意味ないじゃん…」
 ちょうどその時、スマホが震えた。ひとみからのメッセージが届いている。
 「お疲れ様!今日も面接準備してるの?」
 「うん、でも暑くてさ。エアコンつけたら、ちょうどその瞬間に涼しい風が入ってきて、無駄になっちゃった。」
 すぐにひとみから返信が来た。
 「あるある!私もよくやるよ。暑くてスイッチ入れた瞬間に風が吹き始めて、なんか自分が無駄に感じちゃうんだよね。」
 その共感に思わず笑ってしまう。普段の何気ない失敗をこうして共有できることが、裕基にとってどれだけ救いになっているかを改めて感じる。
 「本当だよな。なんでピンポイントで涼しくなるんだろうな。」
 「天気に弄ばれてるみたいだよね。でも、涼しくなったなら良かったじゃん。」
 「確かに。三木さんの言う通りだ。」
 スマホを机に置き、再びノートを広げる。冷たい風が心地よく部屋に流れ込み、さっきまでのモヤモヤした気持ちが少しだけ晴れてきた。エアコンをつけた意味はなかったけれど、結果として涼しくなったなら良しとしよう。
 ふと、ひとみとのやり取りが頭をよぎる。普段からこうして気軽に話せる関係が、日々のストレスを和らげてくれるのだと思うと、自然と笑みがこぼれた。
 「今日は面接じゃないんだろ?三木さんは何してるの?」
 少し気になってメッセージを送ると、すぐに返事が返ってきた。
 「今日はお休みだよ。久しぶりに部屋の片付けしてるけど、埃がすごくて逆に疲れてきた…」
 その光景が頭に浮かび、思わず笑ってしまう。
 「わかる。掃除始めたら、かえって散らかるパターンな。」
 「そうそう!片付けたはずなのに、なんで部屋が広がっていくのか不思議だよね。」
 「それ、あるあるすぎて笑える。」
 画面越しのやり取りが、暑さでだるかった気持ちを一気に和らげてくれる。エアコンをつけた瞬間に涼しくなるというタイミングの悪さすら、今となっては笑い話にできる。
 「じゃあ、片付け頑張れよ。俺も面接準備頑張るから。」
 「うん、お互い頑張ろうね!」
 自然と心が軽くなり、モチベーションが戻ってきた。ひとみの何気ない言葉が、自分にとってどれだけ大きな力になっているかを改めて実感する。
 窓からまた冷たい風が吹き込み、裕基は少し身をすくめた。季節が変わり始めているのを感じながら、心の中にも少しずつ余裕が戻ってきた。
 「こうして誰かと話すだけで、気持ちが楽になるんだな…」
 そんなことを考えながら、ノートをめくり、志望動機を声に出して読み上げる。風が気持ちよく流れ、少し集中力が戻ってきた。部屋の中に差し込む光がやわらかくなり、心がほぐれていく。
 エアコンをつけたタイミングがずれても、ひとみとのやり取りで気持ちが救われた。日常のちょっとした出来事も、こうして誰かと共有できることが大切なんだと感じながら、裕基はもう一度深呼吸した。
 「よし、もう一踏ん張りだ。」
 心を落ち着け、面接に向けてもう一度準備を整える。エアコンのリモコンはそのままテーブルの上に置かれ、窓からの涼しい風が部屋いっぱいに広がっていた。
 終