その日の夕方、裕基は説明会を終えて駅に向かっていた。会場が少し遠かったせいか、普段よりも疲れが増している。歩きながら、ひとみから届いたメッセージを確認する。
 「説明会、お疲れ様!どうだった?」
 少し笑顔がこぼれる。こうして誰かが気にかけてくれることが、思った以上に心強い。
 「ありがと。ちょっと緊張したけど、なんとか無事に終わったよ。今から帰るところ。」
 「よかった!気をつけて帰ってね。」
 その言葉に励まされながら、電車に乗り込んだ。ラッシュの時間帯ではないが、座席はほとんど埋まっている。運よく一つ空いた席を見つけて腰を下ろすと、隣にはスーツ姿の中年男性が座っていた。
 「ふう、少し休めそうだ…」
 リュックを足元に置き、スマホを手に取ってひとみに返信しようとしたその時だった。隣の男性が新聞を広げ、肘をぐいっと張り出してきた。裕基の肩に肘が少しぶつかり、自然と体を縮こませる。
 「…狭いな…」
 男性は新聞を読むのに夢中で、こちらに気づいている様子もない。肘が座席の境界を越えてきており、裕基はますます窮屈な思いをする。
 「どうしよう…注意すべきか?」
 少し考えたが、面倒ごとを避けたい気持ちが勝って、結局は何も言えなかった。体をさらに寄せてスペースを作ろうとするが、今度は自分が端に押しやられ、座席から半分ほど体がはみ出す形になる。
 「これじゃ、座ってる意味ないじゃないか…」
 車内が揺れるたびに、男性の肘がこちらに迫ってくる。なんとかスペースを確保しようとするが、相手が無意識に広げているためか、一向に改善されない。仕方なく、スマホを操作するのも諦めて、ただ窓の外を見つめた。
 その時、またスマホが震えた。ひとみからのメッセージが届いている。
 「帰りの電車、大丈夫?混んでない?」
 裕基は少し苦笑しながら、正直に返信する。
 「電車はそんなに混んでないんだけど、隣の人が肘を広げすぎてて、めっちゃ狭いんだよ…どうしよう。」
 すぐにひとみからの返信が来た。
 「それ、あるある!私もたまにやられるよ。無理に押し返すとトラブルになりそうだし、困るよね…」
 「そうなんだよ。なんか、こっちが遠慮しちゃってさ。」
 「ちょっとだけ姿勢を変えて、相手に気づいてもらうとか?それか、スマホを使うふりして肘を少し動かしてみるとか。」
 裕基はそのアイデアに少しだけ希望を見出し、スマホをわざと肘の近くで持ち替えてみた。すると、男性が少しだけ肘を引っ込めた。作戦が効いたのかと安心したのも束の間、次のページをめくるタイミングで再び肘が広がってきた。
 「やっぱりダメか…」
 またしても狭いスペースに押し込められ、肩を縮める。だが、先ほどより少しはマシになった気もする。
 「少しだけ距離ができた。でも、まだ狭いな…」
 ひとみに報告すると、「少しでもスペースできたなら良かったね。あんまり無理しないでね。」という返信が届いた。彼女の気遣いに、心がほっと和む。
 駅に近づくアナウンスが流れ、ようやく男性が席を立った。広がっていたスペースが一気に戻り、ようやくゆったりと座れるようになった。
 「解放された…」
 少しだけ体を伸ばし、ようやくリラックスできる。改めてスマホを手に取り、ひとみに報告する。
 「隣の人が降りたよ。やっと広くなった…」
 「良かった!石川君、狭いとすぐ疲れちゃうから、帰ったらゆっくり休んでね。」
 「うん、ありがとう。」
 電車が動き出し、ようやく窮屈さから解放された裕基は、座席に深く腰掛けた。周りを見ると、他の乗客たちもそれぞれの空間でくつろいでいる。さっきまでの窮屈さが嘘のように、肩が軽くなった気がする。
 「やっぱり、自分のスペースが確保できるって大事だよな…」
 窓の外に目をやると、夕焼けが街をオレンジ色に染めている。もうすぐ最寄り駅に着く頃だ。今日も一日、なんとか乗り切ったという充実感と疲労感が入り混じり、自然と目を閉じる。
 ひとみから再びメッセージが来た。
 「今度、一緒に帰れる時があったら、私が隣に座ってあげるね。そうすれば、狭くないでしょ?」
 その言葉に、思わず胸が熱くなった。
 「それ、いいな。三木さんとなら、きっと居心地良さそうだ。」
 「ふふ、約束ね。」
 そんな何気ないやり取りが、今日一日の疲れを忘れさせてくれる。次にひとみと帰るときは、きっともっとリラックスできるだろう。そう考えながら、裕基は電車の揺れに身を委ね、心地よい帰り道を楽しんだ。
 終