春の訪れを感じさせる柔らかな陽射しが街に降り注ぎ、桜の花びらがふわりと舞う。心地よい風が吹き抜け、人々の顔にはどこか穏やかな表情が浮かんでいる。そんな中、石川裕基は人ごみの中をかき分け、就職説明会の会場へと急いでいた。
 「今日こそは…失敗しないようにしないと」
 自分に言い聞かせるように呟きながら、裕基は肩にかけたビジネスバッグを少し持ち上げる。社会人としての自分を想像しながらも、胸の中には不安が渦巻いていた。裕基はこの春、大学を卒業したばかりで、就職活動に奔走している。これまで何度も面接に挑んではいるが、結果は芳しくない。それでも、こうして前を向いて歩いている自分を少しだけ誇りに思っていた。
 裕基が駅に到着すると、ちょうど電車が滑り込んできた。扉が開き、人々が押し寄せる。何とか乗り込み、ドアの近くの手すりに掴まる。車内にはスーツ姿の若者や通勤途中の会社員たちが詰めかけていた。
 「やっぱり混んでるな…」
 心の中で愚痴を漏らしつつも、裕基はスマホを取り出し、今日の説明会の資料を確認する。だが、その時、不意に後ろから軽くぶつかられた。
 「す、すみません!」
 慌てて振り返ると、そこには少し小柄で控えめな女性がいた。三木ひとみだ。裕基は驚きのあまり目を見開く。ひとみも彼に気づき、軽く会釈した。
 「石川君…だよね?偶然だね」
 「三木さん…ほんと偶然だね。就活中?」
 ひとみは小さく頷き、バッグを抱え直した。二人は大学の同級生で、サークル活動を通じて知り合った仲だが、特に親しいというわけではない。裕基は彼女の控えめな性格を少しだけ知っている。
 「私も、今日、企業説明会に行くの。けど、緊張しちゃって…」
 ひとみが少し不安げに言うと、裕基は励ますように微笑んだ。
 「大丈夫だよ。緊張するのはみんな一緒だし、三木さんならきっと大丈夫」
 その言葉に、ひとみはほっとしたように微笑んだ。二人の間に、少しだけ柔らかな空気が流れる。しかし、その瞬間、電車がガクンと揺れ、裕基のスマホが手から滑り落ちそうになった。
 「危ない!」
 ひとみがとっさに手を伸ばし、スマホを支えた。その手の温かさに裕基は一瞬ドキリとする。ひとみも恥ずかしそうに手を引っ込めた。
 「ありがとう、三木さん」
 「う、ううん。こちらこそごめんね、ぶつかっちゃって…」
 その言葉が終わらないうちに、車内アナウンスが次の駅を告げた。裕基がふと時刻表を確認すると、乗り換えが必要な駅だった。
 「あ、次で乗り換えだ…」
 「えっ、もう?」
 二人は慌てて降りる準備をし、乗り換えのホームへと向かった。しかし、そこで問題が発生する。乗り換えようとしていた電車が、急病人対応のため運転見合わせとなっていたのだ。
 「うそだろ…」
 裕基はため息をつき、肩を落とした。ひとみも戸惑いの表情を浮かべている。急ぐ気持ちが裏切られ、二人はしばらくその場で立ち尽くしていた。
 「今日はなんだか、ついてないね…」
 裕基が苦笑すると、ひとみも微笑んだ。
 「ほんとだね。でも…こうやって一緒にいると、少しだけ安心するかも」
 ひとみの小さな声に、裕基は少しだけ救われた気がした。こんな不幸な出来事も、誰かと共有することで少しだけ軽くなるのかもしれない。裕基はそんなことを思いながら、止まっている電車を見つめた。
 終