「大陸との定期船って、次は何時来るんでしょうか?」
夜。夕食後にテーブルについたまま三人で談笑をしている最中、俺の向かいに座っていたリオーネが、真面目な顔でそう尋ねてきた。
「確か明日じゃなかったっけ?」
「ああ。そのはずだけど」
彼女の隣に座るリセッタと顔を見合わせ、記憶違いがないことを確認していると。
「私、その便で家に帰ろうと思います」
リオーネは表情を変えず、そう口にした。
無事に魂灯も出来上がったし、彼女にはもうこの島に滞在する理由もない。
俺からすると腑に落ちる言葉だったけれど、リセッタはそうじゃなかった。
「えーっ! もう帰っちゃうの!? どうして?」
彼女が思った以上に驚いたせいか。リオーネが一瞬目を丸くしたけど、すぐに笑顔になる。
「もう魂灯も創ってもらいましたし、長居するのはご迷惑かなって」
「別に気にしなくって大丈夫だよ。リセッタもリオーネさんといるの楽しいし。ね? お兄ちゃんもそうでしょ?」
さらっと相槌を要求してきたリセッタ。だけど俺は相槌を打たず、眉間に皺を寄せた。
「おいおい。ここはお前の家じゃないんだぞ。何勝手な事言ってるんだよ」
「それはわかってるけど。お兄ちゃんだって、リオーネさんがいても気にしないでしょ?」
「あのなぁ。確かに俺は気にしない。だけどリオーネさんは気にするだろ。ずっと居候なんて肩身が狭いし、なんなら毎日お前にも来てもらってるんだ。ダルバさんに迷惑をかけてるって罪悪感もあるかもしれないし」
リセッタ自身、こうやってみんなで家に泊まるなんて機会がなかったから、楽しくって仕方ないのかもしれない。
だけど、流石にそれは身勝手だし、考えがなさすぎる。
「んぐ……ま、まあ、そうかもしれないけど……」
俺の言葉を聞き、途端に彼女の歯切れが悪くなる。
流石に納得いく理由ではあったってことだろう。
リセッタを横目で見ていたリオーネは、ふっと優しく微笑むと、彼女に顔を向ける。
「私といて楽しいって言ってくれるのは嬉しいです。でも、セルリックさんが話してくれたように、私にはセルリックさんやダルバさんに申し訳ない気持ちもあるんです」
「むー。別にお兄ちゃんやお父さんなんかに、そんな気遣いいらないのに」
リオーネの諭すような言葉にも、拗ねた顔で駄々をこねるリセッタ。
ほんと。こいつはしっかりしている時と、子供っぽい時の落差が激しい。
わがままになると、案外手を付けられないしな。
「ごめんなさい。でも、今度はちゃんと自分でお金を貯めて遊びに来ますから」
「……ほんとに?」
「はい」
リセッタが上目遣いで問いかけると、リオーネは優しく微笑みながら頷く。
同い年のはずなのに、この時ばかりはまるで姉妹みたいに見える。
リセッタがお節介を焼く時は、立場が逆転してるけど。
でもある意味、二人は親しい友達になれた証拠なのかもしれない。
「そうだ」
と。何かを思い出したリオーネが、服のポケットから取り出した物を俺とリセッタの前に置いた。
「え? 何これ?」
「私が装飾したペンダントです」
リセッタはそれを見たことはない。だけど、俺は勿論これを知っている。
この間彫っていたアーセラの彫り物。それを綺麗に加工して、ペンダントにした物だ。
ただ、あの時作っていたのはひとつだけ。ってことは、あの短時間でこれを作り終えたってことか。
リオーネがこれを作れる時間は、リセッタが合流してから、夕食が出来上がり呼びに行くまでの二、三時間の間。
リセッタが合流し家に戻る途中、リオーネから少し工房を借りて作業したいと申し出があったんだ。
それなら邪魔にならないようにって、俺とリセッタは家で夕食を仕込んだりして過ごし、食事の準備を終えるまでリオーネを一人にさせてたんだけど。一度作っていた物とはいえ、これだけの業物をあっさり複製するなんて。
彼女は本当に才能の塊だな。
「お二人へのお礼になればと思って作ったんですけど」
「すっごーい! これってアーセラ?」
「はい」
「すごく繊細に彫られてる! お兄ちゃん。これ凄すぎない!?」
「ああ。確かに凄いな」
最後に見たのはまだ完成前。だからこそ、より繊細で美しく彫り込まれたアーセラの姿は、目を奪うのに十分。
俺もこれだけの才能があれば、宝珠灯制作でもう少し自信が持てるんだけどなぁ。
「どうか、お二人に受け取っていただきたいんですが……」
「やった! ありがとう! お兄ちゃんもちゃんと貰ってあげてね!」
「勿論だよ。リオーネさん。ありがたくいただきます」
「はい。お二人共、ありがとうございました」
俺がペンダントを手に取ると、彼女は微笑みながら頭を下げた。
二人っきりの会話で、これを魂灯の報酬としたからこそのお礼か。
その話をリセッタにはしていないからこそ、敢えてそこには触れず、素直に受け取った。
でも正直な話、この時点で十分に高値が付きそうな気がする。
ダルバさんに見せたら驚くんじゃないだろうか。
まあ、売る気なんて更々ないし、大事にするけどさ。
リオーネから貰ったペンダントを眺めがら、俺は自然に目を細めた。
§ § § § §
翌日。
銀月が昇り始めた昼過ぎ。俺達三人は港に停泊している、この島と大陸を結ぶ大型の連絡船に乗るための桟橋の上に立っていた。
空は雲ひとつない星空。
水面には海星魚が輝いていて本当に綺麗だし、風もとても穏やか。絶好の船旅日和だな。
普段通りの私服を着た俺やリセッタに
対し、リオーネは工房を訪ねてきた時と同じコートを纏い、左手に旅行鞄を手にしている。
あの日と違うところがあるとすれば、もう一方の手に持っているのが宝珠灯ではなく、俺が創った魂灯ってこと事くらいか。
「セルリックさん。リセッタさん。本当にお世話になりました」
「こっちこそ! 今度遊びに来たら、リオーネさんの故郷の料理、色々教えてね」
「はい。是非」
「あと、家に着いたら手紙も送ってね。リセッタもちゃんと返事を送るから」
「わかりました」
リオーネが会釈すると、間髪入れずに話しまくるリセッタ。
しんみりさせたくないって決めたんだろう。あいつは寂しさを堪え、必死に笑顔を見せている。
リセッタに微笑んだリオーネが、今度は俺の方を見ると表情を変えた。
「セルリックさん」
「はい」
「私、ひとつ決めたことがあります」
真剣味のある力強い瞳で見つめてくる彼女に、俺も目を逸らさずに視線を交わす。
「私、宝珠灯の装飾職人を目指そうと思います」
「え? 宝珠灯の? どうして?」
俺の言葉を代弁するように、リセッタが先に疑問の声を上げる。
「私はあの工房で、メルゼーネ様の素晴らしい装飾を色々目にできました。その経験を活かしたいと思ったのがひとつ。そしてもうひとつは……」
そこで言葉を切ったリオーネが、大きく深呼吸をした後、改めて俺をじっと見つめ、こう口にした。
「いつか、セルリックさんに恩返しできるように」
「恩返し……ですか」
ぽつりとそう漏らした俺に、彼女は小さく頷く。
「はい。セルリックさんが装飾に自信が持てない時、私にその技術があれば、あなたのお力になれるかも。そう思ったんです」
俺の力になれる、か。
この言葉には、色々な想いが込められているように感じる。
昨日話した、有名になれば彫り物の価値があがるって話もそうだし、今こうやって口にした話もきっと本音。彼女のことだ。俺に技術を教えたいとまで思っている可能性だってある。
これだけの腕がある子が知り合いにいれば、確かに俺にとっても心強い。
そして何より、父親の思いも知った上で、本人が職人になると決めたんだ。
だったら、他人の俺がとやかく言う必要はないな。
「そうですか。頑張ってください。応援しています」
「はい。ありがとうございます」
しっかりと頷くリオーネの真剣な表情は悪くない。
ただ、やっぱりあまり堅苦しいままお別れってのも性に合わない。
「リオーネさんの腕ならきっと、食べるのに困らないとは思いますが。もし露頭に迷いそうになったら、俺が雇ってもいいですよ」
「え? 本当ですか?」
冗談交じりに口にした一言。それを聞いた瞬間、リオーネの表情が一変した。
見間違いじゃなければ、あからさまに嬉しそうな表情を見せているけど……。
「え、ええ」
俺、そこまで喜ばれるようなことを言ったか?
そもそも路頭に迷うなんて、絶対嫌だと思うんだけど。
「私、その日の為に、しっかり腕を磨きますね」
……ん?
「えっと、流石に露頭に迷うなんてこと──」
「そろそろ出港します。乗船されるお客様は、
急ぎ船にお乗りください」
俺の言葉を遮った船員の言葉に、リオーネははっとする。
「では、お二人ともお元気で」
「うん!」
「リオーネさんも気をつけて」
「はい。では、また」
ぺこりと会釈をした彼女は、長い栗毛色の髪を靡かせ、俺達に背を向けると他の乗客に交じり、斜めに掛かった乗船用の橋を渡って船に乗り込んでいく。
船に乗ったリオーネは、そのまま船の後方の甲板にある手すりの側に立ち、こちらに笑顔を見せた。
船に掛けられていた橋が外され、畳んでいた帆が張られると、汽笛と共にゆっくりと船が進み始める。
「またねぇっ!」
金髪の髪を振り乱す勢いで、大きく手を振るリセッタに、リオーネも鞄を下ろした手を大きく振り応える。
そんな彼女の姿は船と共に遠ざかり、魂灯の灯りや想いも離れていき。やがて、海の向こうに姿を消した。
「……行っちゃったね。リオーネさん」
「……そうだな」
言いそびれた言葉なんて忘れるくらい、あっさりと切なさが心を支配し、俺はリセッタとしんみりと言葉を交わす。
……これが今生の別れになるかもしれない。そんな可能性もあるけれど、再会を誓ったんだ。不安になるだけ野暮だな。
「さて。じゃ、俺達も帰るか」
「そうだね」
俺が顔を向けると、慌てて涙を拭ったリセッタが笑顔になる。
敢えて泣いていた事には触れず、俺達は並んで桟橋を歩き始め、陸に戻った所で互いに向き合う。
「あーあ。でもこれでお兄ちゃんの家に泊まれないなぁ」
「ここ数日、十分楽しんだだろ。それより、そろそろ家の仕事をしっかり手伝ってやれよ」
「そうする。本当はもう少しお兄ちゃんと一緒にいたかったけど、お父さんに愚痴愚痴言われそうだし」
露骨に不満を示すように大きなため息を漏らすリセッタに、俺は肩を竦めた。
「それじゃ。お兄ちゃん、またね」
「ああ。またな」
名残惜しそうな顔をしながら、リセッタが俺に背を向け町の商店街に向け歩き出す。
そして俺もまた、彼女に背を向け町の外に歩き出した。
……そういや、ここ最近リオーネに灯りを任せっきりだったから、宝珠灯を持ってくるのを忘れてたな。
まあ、別にこの時間だし、なくたって問題はないけど。
町を出て一気に暗くなった街道を、俺は一人歩いて行く。
最近ここを通る時には、大体リオーネが一緒だった。
そのせいか。そよぐ風や虫の音が、どこか色褪せたように感じる。
……ったく。感傷的になりすぎだ。
彼女は俺にとっての仕事相手。いなくて当然
なんだぞ。師匠とは違うんだから。
そういえば。
あの時に掛けられた師匠の言葉がなかったら、魂灯を創る決意もできなかった。ほんと、あの人様様──。
「あっ」
しまった。
思わず足を止めた俺は、その場で思わず自嘲し頭を掻いた。
同じ道を歩む必要はない。
そう言ったのは確かに師匠だ。
だけど、それはあくまで夢の中での話。
つまり、俺は実際に師匠に言われた事のない言葉を根拠に、決意を固め仕事をしてたって事になる。
──「セルリック。あんた、そんなにあたしが恋しかったのかい?」
この話をしたら、絶対あの人はにやにやしながら弄ってくるに違いない。
まあ、今回の初仕事は師匠が無理矢理俺に仕事を回してきたとはいえ、報酬の話とか調魂の内容とか、色々突っ込まれる内容が多いのは確かだし、どうせ根掘り葉掘り聞かれるんだ。今更か。
俺はその場で振り返ると、月を反射しキラキラと輝く海に目を向けた。
どっちにしたって、師匠が戻ってこなきゃ話もできないよな。
けど、あの人は一体、何時になったら帰ってくるんだ?
流石に店を放り出し過ぎだと思うけど。
まさか。そのまま戻らないで、工房を継がせるなんて事ないだろうな?
……いや、それは流石に考え過ぎか。
どちらにしろ、当面帰って来ないなら、しばらく店番として頑張るしかないもんな。
ほんと、気まぐれな師匠を持つと、弟子の方が大変だ。
とはいえ、そうぽんぽん魂灯の仕事が舞い込んでくるわけじゃないし、のんびり店番をしながら師匠を待つとするか。
しばらくぼんやりと海を見ていた俺は、踵を返し、再び丘の上を目指し歩き出す。
師匠メルゼーネの工房を、留守の間あずかる。そんな普段通りの生活に戻るために。
──ただ。
この時はまだ、思ってもいなかった。
ここから俺が、魂灯職人として歩み続ける事になるなんて。
夜。夕食後にテーブルについたまま三人で談笑をしている最中、俺の向かいに座っていたリオーネが、真面目な顔でそう尋ねてきた。
「確か明日じゃなかったっけ?」
「ああ。そのはずだけど」
彼女の隣に座るリセッタと顔を見合わせ、記憶違いがないことを確認していると。
「私、その便で家に帰ろうと思います」
リオーネは表情を変えず、そう口にした。
無事に魂灯も出来上がったし、彼女にはもうこの島に滞在する理由もない。
俺からすると腑に落ちる言葉だったけれど、リセッタはそうじゃなかった。
「えーっ! もう帰っちゃうの!? どうして?」
彼女が思った以上に驚いたせいか。リオーネが一瞬目を丸くしたけど、すぐに笑顔になる。
「もう魂灯も創ってもらいましたし、長居するのはご迷惑かなって」
「別に気にしなくって大丈夫だよ。リセッタもリオーネさんといるの楽しいし。ね? お兄ちゃんもそうでしょ?」
さらっと相槌を要求してきたリセッタ。だけど俺は相槌を打たず、眉間に皺を寄せた。
「おいおい。ここはお前の家じゃないんだぞ。何勝手な事言ってるんだよ」
「それはわかってるけど。お兄ちゃんだって、リオーネさんがいても気にしないでしょ?」
「あのなぁ。確かに俺は気にしない。だけどリオーネさんは気にするだろ。ずっと居候なんて肩身が狭いし、なんなら毎日お前にも来てもらってるんだ。ダルバさんに迷惑をかけてるって罪悪感もあるかもしれないし」
リセッタ自身、こうやってみんなで家に泊まるなんて機会がなかったから、楽しくって仕方ないのかもしれない。
だけど、流石にそれは身勝手だし、考えがなさすぎる。
「んぐ……ま、まあ、そうかもしれないけど……」
俺の言葉を聞き、途端に彼女の歯切れが悪くなる。
流石に納得いく理由ではあったってことだろう。
リセッタを横目で見ていたリオーネは、ふっと優しく微笑むと、彼女に顔を向ける。
「私といて楽しいって言ってくれるのは嬉しいです。でも、セルリックさんが話してくれたように、私にはセルリックさんやダルバさんに申し訳ない気持ちもあるんです」
「むー。別にお兄ちゃんやお父さんなんかに、そんな気遣いいらないのに」
リオーネの諭すような言葉にも、拗ねた顔で駄々をこねるリセッタ。
ほんと。こいつはしっかりしている時と、子供っぽい時の落差が激しい。
わがままになると、案外手を付けられないしな。
「ごめんなさい。でも、今度はちゃんと自分でお金を貯めて遊びに来ますから」
「……ほんとに?」
「はい」
リセッタが上目遣いで問いかけると、リオーネは優しく微笑みながら頷く。
同い年のはずなのに、この時ばかりはまるで姉妹みたいに見える。
リセッタがお節介を焼く時は、立場が逆転してるけど。
でもある意味、二人は親しい友達になれた証拠なのかもしれない。
「そうだ」
と。何かを思い出したリオーネが、服のポケットから取り出した物を俺とリセッタの前に置いた。
「え? 何これ?」
「私が装飾したペンダントです」
リセッタはそれを見たことはない。だけど、俺は勿論これを知っている。
この間彫っていたアーセラの彫り物。それを綺麗に加工して、ペンダントにした物だ。
ただ、あの時作っていたのはひとつだけ。ってことは、あの短時間でこれを作り終えたってことか。
リオーネがこれを作れる時間は、リセッタが合流してから、夕食が出来上がり呼びに行くまでの二、三時間の間。
リセッタが合流し家に戻る途中、リオーネから少し工房を借りて作業したいと申し出があったんだ。
それなら邪魔にならないようにって、俺とリセッタは家で夕食を仕込んだりして過ごし、食事の準備を終えるまでリオーネを一人にさせてたんだけど。一度作っていた物とはいえ、これだけの業物をあっさり複製するなんて。
彼女は本当に才能の塊だな。
「お二人へのお礼になればと思って作ったんですけど」
「すっごーい! これってアーセラ?」
「はい」
「すごく繊細に彫られてる! お兄ちゃん。これ凄すぎない!?」
「ああ。確かに凄いな」
最後に見たのはまだ完成前。だからこそ、より繊細で美しく彫り込まれたアーセラの姿は、目を奪うのに十分。
俺もこれだけの才能があれば、宝珠灯制作でもう少し自信が持てるんだけどなぁ。
「どうか、お二人に受け取っていただきたいんですが……」
「やった! ありがとう! お兄ちゃんもちゃんと貰ってあげてね!」
「勿論だよ。リオーネさん。ありがたくいただきます」
「はい。お二人共、ありがとうございました」
俺がペンダントを手に取ると、彼女は微笑みながら頭を下げた。
二人っきりの会話で、これを魂灯の報酬としたからこそのお礼か。
その話をリセッタにはしていないからこそ、敢えてそこには触れず、素直に受け取った。
でも正直な話、この時点で十分に高値が付きそうな気がする。
ダルバさんに見せたら驚くんじゃないだろうか。
まあ、売る気なんて更々ないし、大事にするけどさ。
リオーネから貰ったペンダントを眺めがら、俺は自然に目を細めた。
§ § § § §
翌日。
銀月が昇り始めた昼過ぎ。俺達三人は港に停泊している、この島と大陸を結ぶ大型の連絡船に乗るための桟橋の上に立っていた。
空は雲ひとつない星空。
水面には海星魚が輝いていて本当に綺麗だし、風もとても穏やか。絶好の船旅日和だな。
普段通りの私服を着た俺やリセッタに
対し、リオーネは工房を訪ねてきた時と同じコートを纏い、左手に旅行鞄を手にしている。
あの日と違うところがあるとすれば、もう一方の手に持っているのが宝珠灯ではなく、俺が創った魂灯ってこと事くらいか。
「セルリックさん。リセッタさん。本当にお世話になりました」
「こっちこそ! 今度遊びに来たら、リオーネさんの故郷の料理、色々教えてね」
「はい。是非」
「あと、家に着いたら手紙も送ってね。リセッタもちゃんと返事を送るから」
「わかりました」
リオーネが会釈すると、間髪入れずに話しまくるリセッタ。
しんみりさせたくないって決めたんだろう。あいつは寂しさを堪え、必死に笑顔を見せている。
リセッタに微笑んだリオーネが、今度は俺の方を見ると表情を変えた。
「セルリックさん」
「はい」
「私、ひとつ決めたことがあります」
真剣味のある力強い瞳で見つめてくる彼女に、俺も目を逸らさずに視線を交わす。
「私、宝珠灯の装飾職人を目指そうと思います」
「え? 宝珠灯の? どうして?」
俺の言葉を代弁するように、リセッタが先に疑問の声を上げる。
「私はあの工房で、メルゼーネ様の素晴らしい装飾を色々目にできました。その経験を活かしたいと思ったのがひとつ。そしてもうひとつは……」
そこで言葉を切ったリオーネが、大きく深呼吸をした後、改めて俺をじっと見つめ、こう口にした。
「いつか、セルリックさんに恩返しできるように」
「恩返し……ですか」
ぽつりとそう漏らした俺に、彼女は小さく頷く。
「はい。セルリックさんが装飾に自信が持てない時、私にその技術があれば、あなたのお力になれるかも。そう思ったんです」
俺の力になれる、か。
この言葉には、色々な想いが込められているように感じる。
昨日話した、有名になれば彫り物の価値があがるって話もそうだし、今こうやって口にした話もきっと本音。彼女のことだ。俺に技術を教えたいとまで思っている可能性だってある。
これだけの腕がある子が知り合いにいれば、確かに俺にとっても心強い。
そして何より、父親の思いも知った上で、本人が職人になると決めたんだ。
だったら、他人の俺がとやかく言う必要はないな。
「そうですか。頑張ってください。応援しています」
「はい。ありがとうございます」
しっかりと頷くリオーネの真剣な表情は悪くない。
ただ、やっぱりあまり堅苦しいままお別れってのも性に合わない。
「リオーネさんの腕ならきっと、食べるのに困らないとは思いますが。もし露頭に迷いそうになったら、俺が雇ってもいいですよ」
「え? 本当ですか?」
冗談交じりに口にした一言。それを聞いた瞬間、リオーネの表情が一変した。
見間違いじゃなければ、あからさまに嬉しそうな表情を見せているけど……。
「え、ええ」
俺、そこまで喜ばれるようなことを言ったか?
そもそも路頭に迷うなんて、絶対嫌だと思うんだけど。
「私、その日の為に、しっかり腕を磨きますね」
……ん?
「えっと、流石に露頭に迷うなんてこと──」
「そろそろ出港します。乗船されるお客様は、
急ぎ船にお乗りください」
俺の言葉を遮った船員の言葉に、リオーネははっとする。
「では、お二人ともお元気で」
「うん!」
「リオーネさんも気をつけて」
「はい。では、また」
ぺこりと会釈をした彼女は、長い栗毛色の髪を靡かせ、俺達に背を向けると他の乗客に交じり、斜めに掛かった乗船用の橋を渡って船に乗り込んでいく。
船に乗ったリオーネは、そのまま船の後方の甲板にある手すりの側に立ち、こちらに笑顔を見せた。
船に掛けられていた橋が外され、畳んでいた帆が張られると、汽笛と共にゆっくりと船が進み始める。
「またねぇっ!」
金髪の髪を振り乱す勢いで、大きく手を振るリセッタに、リオーネも鞄を下ろした手を大きく振り応える。
そんな彼女の姿は船と共に遠ざかり、魂灯の灯りや想いも離れていき。やがて、海の向こうに姿を消した。
「……行っちゃったね。リオーネさん」
「……そうだな」
言いそびれた言葉なんて忘れるくらい、あっさりと切なさが心を支配し、俺はリセッタとしんみりと言葉を交わす。
……これが今生の別れになるかもしれない。そんな可能性もあるけれど、再会を誓ったんだ。不安になるだけ野暮だな。
「さて。じゃ、俺達も帰るか」
「そうだね」
俺が顔を向けると、慌てて涙を拭ったリセッタが笑顔になる。
敢えて泣いていた事には触れず、俺達は並んで桟橋を歩き始め、陸に戻った所で互いに向き合う。
「あーあ。でもこれでお兄ちゃんの家に泊まれないなぁ」
「ここ数日、十分楽しんだだろ。それより、そろそろ家の仕事をしっかり手伝ってやれよ」
「そうする。本当はもう少しお兄ちゃんと一緒にいたかったけど、お父さんに愚痴愚痴言われそうだし」
露骨に不満を示すように大きなため息を漏らすリセッタに、俺は肩を竦めた。
「それじゃ。お兄ちゃん、またね」
「ああ。またな」
名残惜しそうな顔をしながら、リセッタが俺に背を向け町の商店街に向け歩き出す。
そして俺もまた、彼女に背を向け町の外に歩き出した。
……そういや、ここ最近リオーネに灯りを任せっきりだったから、宝珠灯を持ってくるのを忘れてたな。
まあ、別にこの時間だし、なくたって問題はないけど。
町を出て一気に暗くなった街道を、俺は一人歩いて行く。
最近ここを通る時には、大体リオーネが一緒だった。
そのせいか。そよぐ風や虫の音が、どこか色褪せたように感じる。
……ったく。感傷的になりすぎだ。
彼女は俺にとっての仕事相手。いなくて当然
なんだぞ。師匠とは違うんだから。
そういえば。
あの時に掛けられた師匠の言葉がなかったら、魂灯を創る決意もできなかった。ほんと、あの人様様──。
「あっ」
しまった。
思わず足を止めた俺は、その場で思わず自嘲し頭を掻いた。
同じ道を歩む必要はない。
そう言ったのは確かに師匠だ。
だけど、それはあくまで夢の中での話。
つまり、俺は実際に師匠に言われた事のない言葉を根拠に、決意を固め仕事をしてたって事になる。
──「セルリック。あんた、そんなにあたしが恋しかったのかい?」
この話をしたら、絶対あの人はにやにやしながら弄ってくるに違いない。
まあ、今回の初仕事は師匠が無理矢理俺に仕事を回してきたとはいえ、報酬の話とか調魂の内容とか、色々突っ込まれる内容が多いのは確かだし、どうせ根掘り葉掘り聞かれるんだ。今更か。
俺はその場で振り返ると、月を反射しキラキラと輝く海に目を向けた。
どっちにしたって、師匠が戻ってこなきゃ話もできないよな。
けど、あの人は一体、何時になったら帰ってくるんだ?
流石に店を放り出し過ぎだと思うけど。
まさか。そのまま戻らないで、工房を継がせるなんて事ないだろうな?
……いや、それは流石に考え過ぎか。
どちらにしろ、当面帰って来ないなら、しばらく店番として頑張るしかないもんな。
ほんと、気まぐれな師匠を持つと、弟子の方が大変だ。
とはいえ、そうぽんぽん魂灯の仕事が舞い込んでくるわけじゃないし、のんびり店番をしながら師匠を待つとするか。
しばらくぼんやりと海を見ていた俺は、踵を返し、再び丘の上を目指し歩き出す。
師匠メルゼーネの工房を、留守の間あずかる。そんな普段通りの生活に戻るために。
──ただ。
この時はまだ、思ってもいなかった。
ここから俺が、魂灯職人として歩み続ける事になるなんて。


