長い時間、ひたすらに打刀(うちがたな)を振るい続け、調魂(ちょうこん)まで済ませた頃には全身汗だくになっていた。
 普段ならもっと早く終わるであろう魂刻(こんこく)を、いつも以上に慎重に、これだけの時間やり続けたせいで、刀を持つ手が重い。

 これ以上続けるのは流石に厳しい。
 だが、ここまでの疲労と引き換えに生まれた、薄っすら淡い橙色の光を放ち宙を舞う純砂(ピュアサンド)。その姿を見て、俺は充分に満足した。

 あの後も苦悩の魂を削ぎ続け、もう少しだけ見つけた希望ある魂。
 その光は決して強くはなかったけれど、それでも調魂(ちょうこん)で何とか純砂(ピュアサンド)に魂を刻み込むことはできた。
 すべての魂を削ぎ、刻み終わった今、もう宙を舞う魂灰(ソウルアッシュ)は存在しない。

 ……これでいいな。
 剣に込めていた魔力(マナ)を解放し魂刻武器(ソウルエングレイバー)を解除すると、いつもの姿に戻った折れた片手剣。それを鞘に戻し、ぱちりと指を鳴らす。
 音を合図に、純砂(ピュアサンド)がまるで意思を持つかのように、硝子の器の中に流れ落ちていく。
 そして、最後の一粒が器に戻るのを見届けた俺は、魂視(ソウルビジョン)を封じた。

 硝子の器に入った砂の光は失われたものの、純砂(ピュアサンド)だった物は、ほんのりと薄い橙色に染まっている。それこそが魂砂(ソウルサンド)となった証。

「ふぅ。良かった……」

 気の抜けた俺はその場に尻もちを突くと、砂で汚れるのなんて関係なしに、砂浜の上に両手を広げ仰向けに寝転がった。
 空にはいつの間にか雲の谷間ができ、そこから幾らかの星が見える。
 作業に夢中で、こんな天候の変化にも気づかなかった。
 ただ、その星空が魂刻(こんこく)を終えた満足感と共に、俺に清々しい気持ちを与えてくれたのは確かだ。

   § § § § §

 聖刻陣(ホーリーエングレイブ)の中で、光がない頭上を暫く空を眺めているうちに、残りの雲もだんだんと晴れていき、満天の星空が広がった。
 光の壁越しに見れば、紅月(レッドムーン)も随分と南に傾いているのが見てとれる。

 もう少しすれば夜明けか。そんなに時間が経っていたのか。
 魂刻(こんこく)にここまで時間が掛かったのは、流石に初めてだな。
 自然と浮かんだ笑みと共に、俺は上半身を起こした。
 
 二日連続で徹夜。しかもずっと魔力(マナ)を使い続けていたから、倦怠感が半端ない。
 とはいえ、朝になっても俺が家に戻ってなかったら、起きてきたリセッタ達を不安にさせる。無理してでもそろそろ帰らないとな。

 重い体に鞭打ち何とか立ち上がった俺は、軽く魔道着に付いた砂を払うと硝子の器に歩み寄り、それに蓋をしてから聖刻陣(ホーリーエングレイブ)を解除した。
 光の柱と壁を失い、一気に暗がりに戻った砂浜。とはいえ、今は星空の輝きもあって、来た時よりも多少明るさを感じる。

「さて。行くか」

 俺は心地よい潮風を感じながら、その場で腰紐に宝珠灯(ランタン)をぶら下げ、両手で硝子の器を抱えると、立ち上りゆっくりと砂浜を後にした。

 紅月(レッドムーン)がここまで沈み始めれば、魔物(デモニア)達や動物達の凶暴化も随分と収まっているはず。
 だからといって、何かが襲ってこないとも限らない。
 警戒を怠らずに街道を目指している途中、蝙蝠達がいた場所を通る。
 既に無感覚(ナムレス)が解けたであろう、蝙蝠達の姿は既にない。まだ残っていたら面倒だったし、これはこれで助かった。

 ……ん? あれは?
 もうすぐ街道という所まで来た所で、一度足を止める。
 朝起きるにはまだかなり早い。それなのに、街道の先、丘の上に見える家の窓からは、既に灯りが漏れていた。
 まさか、もう起きてるんだろうか。
 俺は少し驚きっつ、街道に出るとゆっくり丘の上を目指した。

 家に近づくほどに、しっかりと灯りが灯っているのがわかる。
 ただ、疲れのせいで理由を考えられるほど、頭が働かない。
 ぼんやりとしたまま、惰性で家まで辿り着いた俺は、器を片手に持ち直し、静かに家の扉を開けた。

「あ。お帰りなさい」
「お兄ちゃん!」

 リビングのテーブルについていたリオーネとリセッタ。
 リオーネがほっとした表情を見せる中、リセッタの方は俺を見るや否や、勢いよく立ち上がると──!?
 状況を理解する暇もなく、突然駆け寄ってきたリセッタが俺の胸に飛び込んできた。
 とっさに硝子の器を両手で頭上に掲げたから、魂砂(ソウルサンド)は無事。でも、流石に今の不意打ちは危なかった。危うく仕事が台無しになる所だ。

「リセッタ。お前──」
「良かった! 無事で良かった!」

 こっちの苦言をかき消すくらいの声で叫びながら、リセッタが俺の胸に顔を埋め泣きじゃくる。

 ……ったく。
 やっぱりお前、痩せ我慢してたんじゃないか。

「セルリックさん。無事で本当に良かった」
「ちゃんと大丈夫って言ったじゃないですか。心配しすぎですよ」

 ちょっとだけ目を潤ませながら微笑むリオーネにも、俺は苦笑する。
 俺の実力を知らない彼女が、こうやって心配するのはもっともと言えばそうなんだけど。

「そちらをお持ちしましょうか?」
「あ、はい。テーブルに置いておいてください」
「わかりました。お預かりしますね」

 未だリセッタに抱きつかれ泣かれている中、俺はリオーネの厚意に甘え、ガラスの器を手渡した。
 彼女が背を向けテーブルに向かっている間に、俺は少しだけリセッタの頭を撫でる。

「心配しすぎだって。まったく」
「うるさい! 心配をかけたお兄ちゃんが悪いの!」

 顔を見られないよう、胸に顔を埋めたまま涙を拭ったリセッタがやっと顔を上げる。涙で目を潤ませたまま。

「お帰り。お兄ちゃん」
「ああ。ただいま」

 返事をしてやると、あいつが嬉しそうに笑う。
 そして、背後に回していた手を離そうとした瞬間。

「あれ?」

 彼女が突然首を傾げた。

「ん? どうした?」
「お兄ちゃん。後ろを向いてくれる?」
「後ろ? まあ、いいけど」

 リセッタが俺から離れたのを見て、言われるがまま背を向けると。

「うわっ! 何これ!?」

 彼女から返ってきたのは、気色悪い物を見たような驚きの声だった。

「どうかしたのか?」
「お兄ちゃんの背中、めっちゃ砂まみれじゃん! 頭にまで砂が付いてるし」

 ……あ。そうか。
 戻る前に払ったつもりだったけど、汗を掻いた後だから全然取れなかったのか。

「悪い悪い」
「悪いじゃない! お兄ちゃん。外で砂を払ったら、さっさとお風呂に行って! まったく。私の服の袖まで砂が付いちゃったじゃん」

 一気に機嫌を悪くしたリセッタが不貞腐れた顔で苦言を呈し、彼女の服の袖に付いた砂を払い落とす。
 でも、流石にこれは俺に否があるし、文句を言える立場にない。

「リオーネさんはお兄ちゃんをお願い。リセッタはお風呂を温めてくるから」
「わかりました。セルリックさん。一度外に出てもらえますか? 背中を払いますんで」
「わかりました。お願いします」

 リセッタの背中を見送った俺は、リオーネの言葉に従い家の外に出た。

「ちょっと失礼しますね」

 リオーネの声を合図に、俺の背中を優しく(はた)く感触が走る。
 帰ってきた途端にバタバタとしたけれど、それが日常に戻ってきたようなように感じ、俺は内心ほっとした。

 砂が払われるのを待つ間、ぼんやりと星空を見上げる。
 ……あとは、きちっと魂灯(カンテラ)を組み立てれば、俺の初仕事は終わり。

 リオーネが父親の魂の記憶を視て、どんな気持ちになるのか。
 その時の彼女を見て、俺がどんな気持ちなるのか。
 それはまだわからない。

 ただ、今は余計なことは考えず、休むことだけ考えよう。
 やっと仕事の緊張感から解放された俺は、普段通りの日常を感じるこの瞬間に、自然と微笑んでいた。