あの後、リオーネは急に紅茶を用意してくると言い残し、一人工房を後にした。
 赤らめた顔はそのまま。褒められて恥ずかしくなって、ちょっと場所を変えたかったのかもしれない。

 再び独りになった俺は、ふとさっき頭に浮かんだ少女のことを思い出す。
 初仕事とは思ってないけど、誰かのために作業をしたあの日の俺。

「師匠は、彼女にも会っているんだろうな」

 王都オルロードにいるからこそ、間違いなく二人は再会したはず。
 だけど、残念ながら今の俺の記憶じゃ、師匠と顔を合わせる彼女の顔を思い浮かべることはできなかった。

 あれから六年。あの子はどんな風に成長したんだろうか。
 じわりと聞こえていた苦しみの声から感じる想いを和らげてくれた思い出に、俺はすがるようにそのまま思いを馳せた。

   § § § § §

 俺が十四才の時。
 オルバレイア王国の国王、バルエイド=オルディスの王妃、フレデリカ=オルディスが崩御されたという一報は、この小さなポラナの島にも伝わっていた。

 レトの町で師匠と買い出し中、一報を聞いたあの人は少し寂しそうな顔をした。
 その時は何となく声を掛けづらくて、理由を聞くことなんてできなかったんだけど。それから数カ月後。俺はその理由を知ることになった。

 ある日。
 師匠の工房を、質素な身なりにふさわしくない三人の人物が訪れた。

 東洋の国、ジャラスの国出身であり、オルバレイア王の守護神と言われるほどの実力者。若き刀士、セイルさん。
 亡くなった王妃の執事を努めていたという、初老の紳士という言葉がふさわしいガルベストさん。
 そして、国王と王妃の娘。第一王女、フレア=オルディス。

 工房を訪ねてきた後、クロークのフードを取って、フレアを見た時の衝撃は相当だった。
 長く綺麗な澄んだ青白い髪。幼さが残りながらも、気品溢れる整った彼女の顔立ちや立ち姿は、初めて王族に会ったにも関わらず、こういうものなんだなって理解させるだけの説得力があった。
 
 こんな辺鄙な場所に似つかわしくない三人が、お忍びでここを訪れた理由。
 それはフレアの口から語られた。

「父、オルバレイアの命で参りました。父と母が()()()()()、メルゼーネ様。どうか父のため、魂灯(カンテラ)をお創りいただけないでしょうか」

 俺と同い年と思えない、彼女の凛とした態度。
 真っ直ぐ向けられた髪と同じ色の瞳に、師匠はため息を漏らし頭を掻いていたっけ。

 ちなみに俺はといえば、只々唖然としていた。
 師匠が王族と知り合いだなんて知らなかったからこその驚きもあったけど、それ以上に、国王がわざわざこんな遠方に王女を向かわせ依頼をしてきたことのほうが衝撃的だったから。
 そして同時に、俺は王族にまで頭を下げさせる、魂灯(カンテラ)職人の凄さを実感したんだ。

「ったく。あいつは昔っから人使いが荒いんだから。ま、昔馴染みだ。良しとするかい」

 珍しく依頼料の話を先にすることなく、呆れ笑いを浮かべ了承した師匠。
 結局どれだけの額で仕事を請け負ったのか、俺が知る機会はなかったけれど、流石に知り合いとはいえ相手が相手。決して安く済んだとは思ってない。

 実際に出来上がったのも、薔薇や百合などを装飾であしらった豪華な魂灯(カンテラ)
 この工房にある物だけじゃなく、過去に師匠の創ってきた宝珠灯(ランタン)魂灯(カンテラ)と比較しても類を見ない出来だったんだ。恐ろしい額で取引されたに違いない。

 一月強掛けて創られ、国王に納められた魂灯(カンテラ)
 実はその裏で、師匠はもうひとつの魂灯(カンテラ)制作の依頼を請けたのは、王女一行がここに来て数日後のことだった。

 仕事ぶりを見たいと言うフレアの願いで、共に工房にいた三人
 師匠が工房で本体の制作を始めた矢先。

「メルゼーネ様。どうか、私《わたくし》にも魂灯(カンテラ)をお創りいただけませんでしょうか?」

 突如フレアが意を決して口にした言葉に、驚いたのは師匠だけじゃなかった。

「フ、フレア様。流石に我等も、先立つ物を持っておりません」
「その通り。流石にそれは横暴ですよ」

 動揺しながらも口調を崩さないガルベストさんと、思わず素が出たセイルさん。
 フレア自身も、それが無礼とわかっていたんだろう。緊張を隠せずに師匠に向き合っていたけれど、型を削り出していた手を止めたあの人は、何かを見定めるかのように、しばらく無言で彼女を見つめていた。

「で。どれで魂灯(カンテラ)を創ろうってんだい?」
「はい。こちらにございます」

 フレアが自らのポーチから取り出した布づつみ。
 それを開くと姿を見せたのは、銀色に輝く髪留めだった。
 少しの間、遠間にブローチを眺めていた師匠は、ため息をひとつ()くと。

「そうだねぇ。フレア。あんたが本気でそう願うなら、セルリックに頼んでみな」

 突然彼女にそう告げたんだ。
 当時の戸惑いは今でも忘れない。だって、どう頑張ったって俺は見習いの域を出ていなかったんだから。

「し、師匠! 流石にそれは荷が重いです! 大体この間創った本体だって、ダメ出しされたばかりじゃないですか!」

 流石に俺の技術力じゃ、こんな依頼を請けられるはずがない。
 慌てて言い訳をした俺に、師匠はあの人らしい笑顔とともにこう言った。

「なーに。本体はちゃんとあたしが用意するし、依頼の交渉事もあたしがする。あんたは手伝いで魂砂(ソウルサンド)だけ創りゃいい。簡単だろ?」
「で、であれば、師匠が仕事を請けるか決めたほうが──」
「見ての通り、あたしゃ忙しいんだ。あんたが決めな。あんたが請けるなら、あたしはフレアに合った本体を作るだけ。勿論あんたの腕を理解して手伝いを任すんだ。魂砂(ソウルサンド)の出来にとやかく言わないよ」

 当時、この言葉を聞いて強く思った。そんなの気休めにもならないって。
 正直気後れしていたし、内心断りたい気持ちでいっぱいだった。
 だけど。

「……セルリック様。どうか、お受けいただけないでしょうか」

 フレアが目を潤ませ、こっちに不安そうな顔を見せてきた時、喉元まででかかった断りの言葉を飲み込んでしまった。

「ほ、本気ですか?」
「はい。どうか、お願いします」

 何とか口にした言葉に、真剣な言葉と共に頭を下げたフレア。
 結局俺は、言い出せなかった言葉を改めて口にすることができないまま。

「……わかりました。何とか、やってみます」

 どこか弱気な気持ちを抱えたまま、自信なさげにそう答えてしまったんだ。

 俺とフレアの話がまとまり、師匠が三人に依頼料に関係する、ある条件をつけたんだけど、それはなんとも奇妙なものだった。

「ひとつ。フレアにはセルリックの仕事をすべて見せるけど、セイルとガルベイルは立ち会わないこと。ふたつ。流石に弟子が緊張で潰れてもいけないからね。あたしと同じく、あんた達を王族とその従者としては扱わず、馴れ馴れしくさせてもらうこと。みっつ。フレアだけはあたしの家で居候して過ごすこと。あんた達二人はレトの宿だ。どうだい?」

 今思い返しても、なんともおかしい話だ。
 魂砂(ソウルサンド)の錬成に関してはフレアだけ見られるってのは、彼女が依頼主だから納得だし、馴れ馴れしくって部分もまあ助かる。
 だけど、フレアだけ家で居候する必要なんてなかったはずだしな。

 ちなみに、フレア達が島を去った時、師匠に理由を尋ねたら、あの人らしい呆れる理由を口にされた。

  ──「あんた達は同い年なんだ。恋の花咲き玉の輿にでもなりゃ、将来食い扶持に困らないと思ってね」

 去っていく船を見ながらそう言った師匠のしたり顔もまた、今でも忘れられない。
 そんなのフレアが困るに決まってるだろ。どんなお節介だ。まったく。

 結局、フレア達三人はその条件を飲み、俺は彼女の持っていた髪留めから魂砂(ソウルサンド)を創ることになった。
 今思い返すと、あの日も今のみたいな感じで、作業しながらフレアと色々な話をしたな。

 王族育ち故か。丁寧な言葉遣いは変わらない彼女だったけど、二人っきりで話してみると、意外に普通の女の子だったと思う。お陰で、途中からあんまり肩ひじ張らずに接する事ができるようになった。

 魂昇炎(アセンディングフレア)を焚きながら話したのは、お互いの私生活の話。
 正直、世界が違いすぎる城での生活の話以上に、王女故の苦労と退屈なんかを口にされた事に、かなり驚かされた。
 他にも、こうやって城の外に出たのが初めてな事や、実際の極夜地域を経験した驚き。城で見る宝珠灯(ランタン)とは違う、師匠の宝珠灯(ランタン)の出来の素晴らしさなんかも話してくれた。
 そして、王妃であり母であった、フレデリカへの想いも。

「お父様も勿論優しい方ですし、お母様が亡くなってからずっと励ましてくださった。だからこそ、私《わたくし》もそれに応えるべく、涙を見せないようにしてきました。でも……本当は、やはり寂しいのです」

 涙声になり、目を潤ませながら俺に漏らしてくれた本音。
 それを聞いて、当時の俺は微笑みを絶やさず、正直にこう伝えた。

「大丈夫です。師匠の創ってくれる魂灯(カンテラ)が、いつまでもフレデリカ様の優しくて、温かな魂を伝えてくれますから」
「本当ですか?」
「ええ。この髪留めからは、フレアへの優しさしか感じないですから」

 魂昇炎(アセンディングフレア)越しの彼女がそれを聞き、少し嬉しそうに微笑んだのを見て、感じている想いを先に伝えて良かったなと安心したのを覚えている。
 同い年とはいえ自分も小さかったから、その時々の選択が正しいのかもわからなかったし、やっぱり誰かが哀しむのはつらかったしさ。

 制作から半月ほど。
 俺が創り上げた魂砂(ソウルサンド)を使い、宝石をはめ込んだ小さなペンダントにしか見えない、フレアのためだけの特別な魂灯(カンテラ)が出来上がった。

 背面にあるボタンで炎を灯すと、優しく淡い、橙色の魂の光が溢れる。
 そこで初めて王妃の魂の記憶を視たフレアが、必死に嗚咽を堪え涙した。
 そして。

「メルゼーネ様。セルリック様。本当に、ありがとうございました」

 少しして、涙を拭いた彼女がどこかスッキリとした表情でそう口にしてくれた時。俺は師匠からの申し出を受けて、本当に良かったなと思えたんだ。

 その後も滞在している間、何かと一緒に過ごしたフレア。
 魂灯(カンテラ)を手にした後、最初にここを訪ねた時より随分明るくなった彼女。
 そんなフレアにできる限り、この島の良さを伝え過ごした日々は、俺の人生の中でも本当に特別な瞬間だったし、それ以降こういった機会なんて、今までなかったと思う。

 無事に師匠が依頼された魂灯(カンテラ)を創り終え、三人が国に帰る事になった時も、フレアは俺達との別れを惜しんで泣いてくれた。

「また、何時か会いに参りますね」
「ええ。楽しみにしてます」

 涙ながらにそう口にされたけど、相手は王女。そんなことはもうないだろうってことくらい、俺にも分かっていた。
 それでも、何時か再会できたらいいなという願いを込め、最後の言葉を交わしてから早六年。
 ほんと。月日が過ぎるのは早いもんだ。