作業を開始してから少しして、リセッタが工房にやってきた。

 今まであいつに魂灰(ソウルアッシュ)を創る工程を見せたことはない。
 そのせいだろう。リオーネから羽ペンが魔方陣を描く光景について話を聞いた瞬間。

「うわぁ。それ見たかったなー。お兄ちゃん! 今度絶対見せてよね!」

 なんて、めちゃくちゃ羨ましそうに言ってきた。
 仕事や鍛錬がなければすることのない、魂砂(ソウルサンド)の錬成。早々見せる機会があるかはわからないけど。

「ああ。そのうちな」

 なんて言葉で濁しておいた。

 その後、俺がずっと魔力(マナ)を維持して魂昇炎(アセンディングフレア)を絶やさず作業をしている間、リセッタは作業机の近くに椅子を持ってきてリオーネと色々談笑して過ごしていたけれど。二時間もすると、途中から目に見えてリセッタの欠伸が増えてきた。

「お前も働き詰めで疲れてるんだ。少しは休んだらどうだ?」
「そうですよ。こちらに来てからも、ずっと家事をしてたんですし」
「せっかくみんなといるんだもん。もう少し起きてたい……ふわぁ……」

 俺達二人の言葉に、ぼんやり夢心地な顔でまたあくびするリセッタ。それを見て、俺とリオーネは顔を見合わせ苦笑いする。

「リセッタさん。明日もありますから。ね?」
「うーん。流石にもう限界。悪いけど家で休んでくるね」
「ああ」

 椅子から立ち上がり、大きく伸びをしたリセッタは、眠そうな目をしながらも、少し真面目な顔で俺を見た。

「お兄ちゃん。リオーネさんに手は出さないこと。わかった?」
「おいおい。俺は仕事中だぞ。そんな事できるわけないだろ?」
「ふーん。仕事がなかったら、手を出しちゃうんだ?」
「そんな事は言ってないだろ。ったく」

 まったく。相変わらず信用なしかよ。
 すぐさま白い目を向けてくるリセッタに、俺は少しふてくされた顔をする。
 っていうか、寝ぼけてるせいなのか。下手に絡んでくるのはちょっと面倒くさいな。

 俺の顔をじーっと見ていたリセッタ。けど、少しすると、ふっとあいつらしい笑顔を見せる。

「ごめんごめん。リセッタはお兄ちゃんのことちゃんと信じてるから。ふわぁ……」

 ちょっとだけ普段通りの反応したものの、あっさり欠伸にかき消される。

「リオーネさん。何かあったら起こしてくれる? リセッタも手伝うから」
「はい。まずはゆっくりお休みください」
「ありがと。お兄ちゃんも。お仕事頑張ってね」
「ああ。お休み」
「お休みなさい」

 リセッタは最後にもう一度俺達に笑顔を向けると、欠伸を堪えるように口に手を当てながら工房を去っていった。

「よほどお疲れだったんですね」
「ですね。家でもここでも色々やってましたし、俺達に気を遣ってもいるでしょうし」

 暫く扉をじっと見ていたリオーネは、こちらに顔を向けると作業台の上のペンダントに目をやる。

「少しずつ、砂みたいになってきましたね」
「はい。これが魂灰(ソウルアッシュ)です」

 ペンダントは未だに形をなしているし、焦げたりもしていない。
 ただ、角や紐の一部は素材の色をそのままに、まるで砂のような灰となり崩れ落ちている。
 今のところは順調。このまま続けていけば、朝方にはペンダントはすべて灰になるだろう。

「リオーネさんもお疲れでしょうし、無理はなさらないでくださいね」
「はい。辛くなったら休みますね」

 俺の申し出に、リオーネが小さく微笑む。
 だけど、何となくその表情の裏にあるであろう決意を感じる。
 きっと、彼女は眠ることはない。最後まで見届けるつもりだって。

 俺達の会話が、そこで途切れた。
 さっきまではリオーネとリセッタの話を聞いたりもしていて、随分と気が紛れていたけど、沈黙が覆ったことでさっきまであまり意識せずに済んでいた、リオーネの父親の魂を再び強く感じだす。

 ずっとこの記憶に当てられているのもあって、決して心は軽くない。
 とはいえ、弱音吐いてる場合じゃない。この先まだまだ長いんだ。しっかりしないと。

「あの。少しお話を伺ってもいいですか?」

 静けさに慣れようと心を奮い立たせていると、リオーネが突然そう尋ねてきた。
 ん? 何の話だろうか?

「ええ。構いませんけど。どんな話ですか?」

 素直にそう答えると、彼女は少し真剣な顔になった。

「あの……セルリックさんは今回初仕事だって言ってましたけど。お仕事以外で以前、誰かのために魂灯(カンテラ)を創られたことはないんですか?」

 以前、か……。

「えっと、あるにはありますね。師匠から話を振られて、魂砂(ソウルサンド)だけ創ったことが」
魂砂(ソウルサンド)だけ、ですか?」
「ええ。師匠が魂灯(カンテラ)の仕事を受けている最中、依頼人の代理の人が自分も魂灯(カンテラ)を創ってほしいとお願いしてきたことがあって、師匠がその時俺に魂砂(ソウルサンド)だけ創らせたんです」

 頭に浮かんだのは、俺と同い年の、俺なんかが絶対持ち合わせない気品を持った一人の少女。確か、俺が十四の時だったよな。
 当時の記憶が鮮明に蘇り、少し懐かしい気持ちが蘇る。

「それって、セルリックさんの仕事じゃないんですか?」

 リオーネがそう質問してくる気持ちはわかる。
 師匠からの依頼とはいえ、仕事をしたように思えるしな。
 だけど……。

「いえ。そうは思ってないですね」

 俺は魔方陣に魔力(マナ)を流し続けながら、小さく笑った。

「何故ですか?」
「ひとつは、リオーネさんのように、俺に直接仕事を依頼されたわけじゃないから。そしてもうひとつは、自分が職人としてお金を手にしていないから、ですかね」
「え? 仕事をしたのにですか?」
「そりゃ、師匠の手伝いでしかないですから。勿論、後で師匠から仕事料は貰いました。だけど、あれは手間賃じゃなく心付けみたいな物。普段、工房の手伝いをしている範疇でしかなかったので、仕事をしたって感覚はないですね」

 リオーネの考えと違ったのか。彼女は少し驚いた顔をした。

「そうなんですか。私だったら、それを初仕事って言ってしまいそうです」
「きっとそれが普通ですよ」
「そうでしょうか?」
「ええ。考え方が違うだけで、どちらが間違っているってことはないと思いますし」

 こっちの言葉に、彼女はまだ腑に落ちないといった顔をしている。
 でもまあ、こういうのは本当にこだわりの範囲でしかない。
 実際さっきの話だって、俺からすれば宝珠灯(ランタン)選びや宝珠(オーブ)の研磨すらしていないんだ。
 魂灯(カンテラ)職人の初仕事というのは流石におこがましい。

 ……あ。そういえば。

「リオーネさんって、これから装飾職人を目指されるんですか?」

 ふと思い浮かんだ質問を口にしてみると、少し考え込んでいたリオーネさんがはっとしてこっちを見た。

「実は、まだちょっと決めかねてます」
「そうなんですか。村で仕事の当ては?」
「一応。学校卒業後は、ご近所のサラさんが営む食堂の手伝いをしていたので」
「あー。確かにあれだけの料理が作れるんですし、それも天職かもしれませんね」
「そ、そんな。私の料理なんて大したことありませんよ」

 リオーネは俺の言葉を両手を振り慌てて否定した。

「いえ。この間の塩洞(えんどう)焼きもすごく美味しかったですし、リセッタの教えたソースもきちっと作れてましたから。自信を持っていいですよ。俺が保証します」
「そ、そうですか。だと、いいんですけど……」

 素直な褒め言葉を素直に受け止めてはくれたんだろう。少し顔を赤くし、その場で小さくなる彼女。
 ただ、俺はそれだけで言葉を終わらせなかった。

「ただ、余計なお節介かもしれませんけど。リオーネさんは装飾職人を目指してみてもいいと思いますよ」
「え? どうしてですか?」

 またも少し驚いたリオーネに、俺は真剣な顔を向ける。

「いや。昼間に彫っていた職人の女神アーセラも、今ここにあるペンダントも本当に素晴らしい出来だと思いますし、十分に才能や技術もあります。そんなリオーネさんが職人にならないのは、ちょっと勿体ないなと思いまして」

 これもまた正直な感想だ。
 彼女には絶対に才能がある。装飾や細工に関してなら、師匠と肩を並べるのも時間の問題だろう。
 それをふいにするのは少し勿体ないし、リオーネの父親だってきっと、彼女の才能を見出し、より素晴らしい技術を学ばせようと思ったんじゃって思うし。

 未だペンダントから、そういった父親の想いは感じられない。だけど、彼もきっとそんな想いを持っていたんじゃないか。
 勝手な思い込みかもしれない。だけど、俺がそう信じているからこそ、敢えてそんな言葉を投げかけた。

 恥ずかしいのか。考え込んでいるのか。
 顔を赤らめたまま目を伏せていた彼女は、しばらく無言でいたけれど。

「……そうですね。セルリックさんにも褒めていただけましたし、少し考えてみます」

 少ししてリオーネが顔を上げると、はにかみながら小さく頷いたんだ。