……やっぱりか。
俺は魂視を封じ、魂の記憶が流れてくるのを止めた。
ペンダントから流れ込んできた、刻まれれていた魂の記憶。
そこにあったのは、リオーネの父親が絶望する感情ばかり。残念ながら、彼女を想う気持ちすら空回りした、濃紺色に相応しい想いだけしか視えなかった。
レトにある酒場でも、たまにああいった賭け事に興じる人達を見かける事はある。でもそれは身内同士のお遊び。大金を賭けるような真似はしていない。
だけど、流れ込んできた記憶を見る限り、リオーネの父親は楽しげに遊んでいるようには見えなかった。
つまり、彼は相手に嵌められて借金を背負い、船で働くことになったんだろう。
仕事をしている最中の記憶がなかったのは、多分ペンダントを外して仕事に出ていたからか。
ただ、視えた記憶通りであれば、肉体的にも精神的にも追い詰められ、それでも何とか働きリオーネに仕送りを続け、結果として心が病んでしまったように視えた。
……これを、リオーネに視せるのか?
俺はそのままベッドに身を預けるとぐっと奥歯を噛み、改めて片手に持ったペンダントを見つめた。
正直、この魂の想いを見せたくはない。
ただ、現時点で希望を感じさせるような、救いのある魂の記憶が流れ込んでくることはなかった。
普通、物に籠もる魂の想いが隔たることは稀だ。
人は楽しいこと。苦しいこと。いろいろな想いを経験する。そこにある想いがより強いものほど、物に魂は宿りやすい。
だからこそ、想いの強さはあれど様々な想いが視える事が多いけれど、それでもより強い想いっていうのは物に強く残りやすいし、何なら他の魂すらも覆い尽くし、それらをかき消すほどに強く残る事もある。
幼い頃見た暴君の魂が最たる例。そして、リオーネの父親の魂もまた、そちら側だったって事なのかもしれない。
リオーネも、ある程度の覚悟はしている。
だけど、ここまでの想いを視る覚悟をしているかといえば別だろう。
それでも全ての魂の想いを伝えるのが、正しいことなんだろうか?
きっと、師匠なら迷いなくそうするんだろうけど……。
ベッド脇のサイドボードにペンダントを置くと、両手を頭の下に回し、天井をぼんやりと見つめる。
リオーネが来た日に感じた予感は当たっていた。
ただ、俺もここまで酷いことになっているとは思わなかった。
苦しんだ末に選んだ死。
リオーネを想うが故の、歪んだ心が生みだした結末。
そこに彼女が救われる要素なんて皆無。想いを視せても、間違いなく後悔と哀しみしか残らないだろう。
だけど、既に魂灯創りは始まっている。
……俺は、どうすればいいんだろうか。
この先に進めば、彼女は父親の形見を失う。その先で失敗した事にもできるけど、リオーネの手元に何も残らない。そんな選択をしてもいいんだろうか?
それは、魂灯職人として正しいんだろうか?
夜の作業のために寝るべきなのに。眠気は消え失せ、残ったのは迷いだけ。
どうする? どうすればいい?
俺は以前より強くなった迷いを抱え、思考の迷宮から抜け出せないまま、ベッドの上で悩み続けた。
この先の未来に、希望を見いだせないまま。
§ § § § §
夕方には予定通りリセッタが家に来たらしく、今日もリオーネと二人で夕食を用意してくれて、俺はぼ考え事をしたまま食事の時間を過ごしていた。
「お兄ちゃん、大丈夫?」
あまりにこっちがぼんやりしていたせいだろうか。
向かいに座るリセッタが、少し心配そうな顔でこっちを見た。
「ん? ああ。慣れない時間に寝ようとしたもんで、ちょっと眠気が抜けないだけだ」
普段なら二人といる時には普段通りを装うけど、今の自分にはそこまでの余裕がなかった。
それでもこんな返事をしてごまかしたけど、実際には一睡もしていない。
スプーンでスープを口に放りこみながらも、考えていることはこの先の事だけ。
「お疲れなら、明日ゆっくり続きをしたほうがいいんじゃないですか?」
リオーネもリセッタに釣られて不安げな顔をする。
正直、そうする判断もあると思ったけど、俺は首を横に振った。
「いえ。リセッタも心配してましたけど、仕事が長引けばリオーネさんが滞在する期間が長くなります。今は三人で過ごしてますし、二人きりだったとしても、何か変なことをする気はないです。だけど、それでリオーネさんの心が安らぐわけじゃないでしょうから」
「あの、私のことは気にしなくても大丈夫ですよ?」
「それはお互い様です。ちゃんと仕事までにしゃきっとしますから。大丈夫ですよ」
気遣ってくれるのは嬉しい。
ただ、それでも俺は無理やり前に進むべく、そう言葉にした。
俺は魂灯職人なんだ。仕事を請けた以上、最後までやりきるんだ。
そんな、空元気にも似た覚悟を決めようと、必死になりながら。
§ § § § §
食事の後片付けを二人に任せ、俺は一足先にペンダントを持ったまま工房に戻ると、作業用クロークを纏い作業台の前に立ち、魂砂錬成の準備に取り掛かった。
作業台の脇に置いた食器皿程度の大きさの、そこの浅い透き通った硝子の器。
その中に、昨日買った純砂を均しながら入れた後、上に蓋をするようにシフターを置く。
これは魂灰を撹拌し、下に落とすための物。
錬成の時にペンダントをその上に置き、少しずつ魂灰に変えていくんだ。
……逃げるな。セルリック。
準備をしている最中に感じたのは、研磨の時に覚えた手の違和感。
自分の弱気を表すような異変に、俺は唇を噛むと無言で首を振る。
最後にペンダントをシフターの上に置き、器側の準備は完了。次は魔方陣の準備だな。
俺は一度作業台を離れると、背後の壁にある棚の引き出しから、台座に乗った小さな白い水晶をむっつ、順番に作業台の上に移した。
これは作業台に小さな魔法陣を描くための触媒。魂砂の錬成には必須の魔道具だ。
それらを作業台の上で正六角形の形に配置した後、中央にさっき準備したガラスの器をそっと置いた。
「ふぅ……」
重い気持ちを吐き捨て、じっとペンダントを見る。
俺はこの先これに刻まれた魂の記憶を、作業の間、ずっと視続けることになる。
流石に直接触れた時よりも視え方は弱い。だけど、長時間その想いに晒されるんだ。心を強く持たないと。
──「心が弱かったら、魂灯職人としてやっていけないからね。あんたがそれでも職人を目指すってなら、覚悟しな」
ふと頭の浮かんだ、師匠の凛とした表情と真剣な眼差し。
魂視を制御できるようになった後。あの人が俺に、魂灯職人を目指すのか尋ねた時に掛けられた言葉だ。
ここから先、魂砂を錬成する工程は、職人の心が弱いと失敗する。
決して甘くない魂の記憶と向き合う必要があるからこそ、師匠は俺に覚悟を問い、俺はあの人に職人になると告げた。
だからこそ教えてもらえた、魂との向き合い方。ここで揺らげば魂灯の出来の心配以前の問題だ。
そう。俺は師匠の背中を追うと決めた。
なら、できるところまで進んでからどうすべきか考えろ。この工程は、まだ通過点なんだから。
「お待たせしました」
工房の扉が開く音とほぼ同時に、そっちから聞こえたリオーネの声に、俺は内心どきりとする。
まったく。彼女がここに来るのがわかってたのに驚くとか、流石に気が張り過ぎだ。もう少し心に余裕を持て。
「早いですね。リセッタは?」
一呼吸置いた俺は、平静を装い振り返る。
「はい。セルリックさんの作業開始が遅れてもいけないからと、残りの家事を引き受けてくださってます」
へぇ。リセッタの奴。随分気を回してやってるんだな。
リオーネの両親のことを知ってから一変した態度。こういった気遣いや優しさは、あいつの良いところだな。後で礼はするとして、今は彼女の厚意に甘えよう。
「そうですか。じゃあ、作業を始めましょうか」
「はい。よろしくお願いします」
俺の言葉を聞き、リオーネがちょっと緊張した顔を見せたのは、きっと形見が見納めになるからだろう。
……形見の代わりになる物を、ちゃんと用意してやらないと。
後戻りする理由を口にできないよう、俺はそう決意すると彼女に無言で頷いた。
俺は魂視を封じ、魂の記憶が流れてくるのを止めた。
ペンダントから流れ込んできた、刻まれれていた魂の記憶。
そこにあったのは、リオーネの父親が絶望する感情ばかり。残念ながら、彼女を想う気持ちすら空回りした、濃紺色に相応しい想いだけしか視えなかった。
レトにある酒場でも、たまにああいった賭け事に興じる人達を見かける事はある。でもそれは身内同士のお遊び。大金を賭けるような真似はしていない。
だけど、流れ込んできた記憶を見る限り、リオーネの父親は楽しげに遊んでいるようには見えなかった。
つまり、彼は相手に嵌められて借金を背負い、船で働くことになったんだろう。
仕事をしている最中の記憶がなかったのは、多分ペンダントを外して仕事に出ていたからか。
ただ、視えた記憶通りであれば、肉体的にも精神的にも追い詰められ、それでも何とか働きリオーネに仕送りを続け、結果として心が病んでしまったように視えた。
……これを、リオーネに視せるのか?
俺はそのままベッドに身を預けるとぐっと奥歯を噛み、改めて片手に持ったペンダントを見つめた。
正直、この魂の想いを見せたくはない。
ただ、現時点で希望を感じさせるような、救いのある魂の記憶が流れ込んでくることはなかった。
普通、物に籠もる魂の想いが隔たることは稀だ。
人は楽しいこと。苦しいこと。いろいろな想いを経験する。そこにある想いがより強いものほど、物に魂は宿りやすい。
だからこそ、想いの強さはあれど様々な想いが視える事が多いけれど、それでもより強い想いっていうのは物に強く残りやすいし、何なら他の魂すらも覆い尽くし、それらをかき消すほどに強く残る事もある。
幼い頃見た暴君の魂が最たる例。そして、リオーネの父親の魂もまた、そちら側だったって事なのかもしれない。
リオーネも、ある程度の覚悟はしている。
だけど、ここまでの想いを視る覚悟をしているかといえば別だろう。
それでも全ての魂の想いを伝えるのが、正しいことなんだろうか?
きっと、師匠なら迷いなくそうするんだろうけど……。
ベッド脇のサイドボードにペンダントを置くと、両手を頭の下に回し、天井をぼんやりと見つめる。
リオーネが来た日に感じた予感は当たっていた。
ただ、俺もここまで酷いことになっているとは思わなかった。
苦しんだ末に選んだ死。
リオーネを想うが故の、歪んだ心が生みだした結末。
そこに彼女が救われる要素なんて皆無。想いを視せても、間違いなく後悔と哀しみしか残らないだろう。
だけど、既に魂灯創りは始まっている。
……俺は、どうすればいいんだろうか。
この先に進めば、彼女は父親の形見を失う。その先で失敗した事にもできるけど、リオーネの手元に何も残らない。そんな選択をしてもいいんだろうか?
それは、魂灯職人として正しいんだろうか?
夜の作業のために寝るべきなのに。眠気は消え失せ、残ったのは迷いだけ。
どうする? どうすればいい?
俺は以前より強くなった迷いを抱え、思考の迷宮から抜け出せないまま、ベッドの上で悩み続けた。
この先の未来に、希望を見いだせないまま。
§ § § § §
夕方には予定通りリセッタが家に来たらしく、今日もリオーネと二人で夕食を用意してくれて、俺はぼ考え事をしたまま食事の時間を過ごしていた。
「お兄ちゃん、大丈夫?」
あまりにこっちがぼんやりしていたせいだろうか。
向かいに座るリセッタが、少し心配そうな顔でこっちを見た。
「ん? ああ。慣れない時間に寝ようとしたもんで、ちょっと眠気が抜けないだけだ」
普段なら二人といる時には普段通りを装うけど、今の自分にはそこまでの余裕がなかった。
それでもこんな返事をしてごまかしたけど、実際には一睡もしていない。
スプーンでスープを口に放りこみながらも、考えていることはこの先の事だけ。
「お疲れなら、明日ゆっくり続きをしたほうがいいんじゃないですか?」
リオーネもリセッタに釣られて不安げな顔をする。
正直、そうする判断もあると思ったけど、俺は首を横に振った。
「いえ。リセッタも心配してましたけど、仕事が長引けばリオーネさんが滞在する期間が長くなります。今は三人で過ごしてますし、二人きりだったとしても、何か変なことをする気はないです。だけど、それでリオーネさんの心が安らぐわけじゃないでしょうから」
「あの、私のことは気にしなくても大丈夫ですよ?」
「それはお互い様です。ちゃんと仕事までにしゃきっとしますから。大丈夫ですよ」
気遣ってくれるのは嬉しい。
ただ、それでも俺は無理やり前に進むべく、そう言葉にした。
俺は魂灯職人なんだ。仕事を請けた以上、最後までやりきるんだ。
そんな、空元気にも似た覚悟を決めようと、必死になりながら。
§ § § § §
食事の後片付けを二人に任せ、俺は一足先にペンダントを持ったまま工房に戻ると、作業用クロークを纏い作業台の前に立ち、魂砂錬成の準備に取り掛かった。
作業台の脇に置いた食器皿程度の大きさの、そこの浅い透き通った硝子の器。
その中に、昨日買った純砂を均しながら入れた後、上に蓋をするようにシフターを置く。
これは魂灰を撹拌し、下に落とすための物。
錬成の時にペンダントをその上に置き、少しずつ魂灰に変えていくんだ。
……逃げるな。セルリック。
準備をしている最中に感じたのは、研磨の時に覚えた手の違和感。
自分の弱気を表すような異変に、俺は唇を噛むと無言で首を振る。
最後にペンダントをシフターの上に置き、器側の準備は完了。次は魔方陣の準備だな。
俺は一度作業台を離れると、背後の壁にある棚の引き出しから、台座に乗った小さな白い水晶をむっつ、順番に作業台の上に移した。
これは作業台に小さな魔法陣を描くための触媒。魂砂の錬成には必須の魔道具だ。
それらを作業台の上で正六角形の形に配置した後、中央にさっき準備したガラスの器をそっと置いた。
「ふぅ……」
重い気持ちを吐き捨て、じっとペンダントを見る。
俺はこの先これに刻まれた魂の記憶を、作業の間、ずっと視続けることになる。
流石に直接触れた時よりも視え方は弱い。だけど、長時間その想いに晒されるんだ。心を強く持たないと。
──「心が弱かったら、魂灯職人としてやっていけないからね。あんたがそれでも職人を目指すってなら、覚悟しな」
ふと頭の浮かんだ、師匠の凛とした表情と真剣な眼差し。
魂視を制御できるようになった後。あの人が俺に、魂灯職人を目指すのか尋ねた時に掛けられた言葉だ。
ここから先、魂砂を錬成する工程は、職人の心が弱いと失敗する。
決して甘くない魂の記憶と向き合う必要があるからこそ、師匠は俺に覚悟を問い、俺はあの人に職人になると告げた。
だからこそ教えてもらえた、魂との向き合い方。ここで揺らげば魂灯の出来の心配以前の問題だ。
そう。俺は師匠の背中を追うと決めた。
なら、できるところまで進んでからどうすべきか考えろ。この工程は、まだ通過点なんだから。
「お待たせしました」
工房の扉が開く音とほぼ同時に、そっちから聞こえたリオーネの声に、俺は内心どきりとする。
まったく。彼女がここに来るのがわかってたのに驚くとか、流石に気が張り過ぎだ。もう少し心に余裕を持て。
「早いですね。リセッタは?」
一呼吸置いた俺は、平静を装い振り返る。
「はい。セルリックさんの作業開始が遅れてもいけないからと、残りの家事を引き受けてくださってます」
へぇ。リセッタの奴。随分気を回してやってるんだな。
リオーネの両親のことを知ってから一変した態度。こういった気遣いや優しさは、あいつの良いところだな。後で礼はするとして、今は彼女の厚意に甘えよう。
「そうですか。じゃあ、作業を始めましょうか」
「はい。よろしくお願いします」
俺の言葉を聞き、リオーネがちょっと緊張した顔を見せたのは、きっと形見が見納めになるからだろう。
……形見の代わりになる物を、ちゃんと用意してやらないと。
後戻りする理由を口にできないよう、俺はそう決意すると彼女に無言で頷いた。


