「これからすぐに作業するんですか?」

 リオーネの質問に、俺は首を横に振る。

「あ、いえ。リオーネさんには悪いんですが、ちょっと昼寝をしてきてもよいですか?」
「え? それは構いませんけど。もしかして、お疲れですか?」

 唐突に昼寝なんて言い出したせいだろう。リオーネが少し心配そうな顔をする。
 実の所、結構神経を使ってるし、まったく疲れがないとは言わない。だけど、それだけの理由で昼寝しようとは思ってはいない。

「いえ。実は魂砂(ソウルサンド)の錬成は、夜やるほうが効率がいいんですよ」
「そうなんですか?」
「はい。しかも、作業も結構時間が掛かるんですよ。それこそ、徹夜を覚悟しないといけないくらいなので、今のうちに仮眠しておきたいなと」

 彼女に説明した内容に、勿論嘘はない。

 魂砂(ソウルサンド)の錬成には、ふたつの工程がある。
 ひとつは、魂の刻まれた物から魂を抽出しやすくするために、魂灰(ソウルアッシュ)に変える工程。そしてもうひとつが、魂灰(ソウルアッシュ)に刻まれている魂を純砂(ピュアサンド)に刻み直し、魂砂(ソウルサンド)にする工程だ。

 これらはどちらも魂術(ソウルスペル)を駆使する必要があるんだけど、実は魂術師(ソウルウィザード)に関わる力は、普段の魔術(マナスペル)と異なる異質な力らしい。
 そのせいなのか。魔物(デモニア)達同様、紅月(レッドムーン)が昇っている時間帯に、より力が強くなるんだ。

 勿論、魂術師(ソウルウィザード)の力は昼間でも使えるし、魂砂(ソウルサンド)の錬成もできる。実際、師匠は昼間でも普通に作業をしていた。
 ただ、俺はその点ではまだまだ未熟。魂灰(ソウルアッシュ)を生み出す作業を朝から作業したとしても半日以上。それこそ銀月(イブニングムーン)が沈む頃まで掛かってしまうし、それだけ疲弊もする。
 だから、徹夜であってもより時間の短くて済む、夜に作業をしたいんだ。

「そうなんですね。わかりました」

 説明に納得がいったのか。素直にリオーネは頷いてくれる。
 とはいえ、ネックレスを預かった矢先、昼寝なんて言い出したんだ。そこは誤解されないようにしないと。

「あと、ネックレスは作業前に色々と確認したいこともあるので、このまま預からせてもらいますね」
「わかりました。ちなみに、できればもう少しこの場所をお借りしてもいいですか?」

 さらりと返事をしたリオーネは、逆にこんな質問をしてきた。
 その理由は何となく察してる。

「さっきの細工の続きですか?」
「はい。もう少し頑張りたいんですが」

 本来なら、工房でお客一人だけにするなんてしない。師匠の宝珠灯(ランタン)を始め、貴重な物もそれなりにあるしな。
 とはいえ、リオーネなら信頼できるし問題はないだろう。

「わかりました。看板は閉店にしておきますが、もし間違って誰か尋ねてきたら、今日は休みだって伝えてくれますか?」
「はい。お手数をおかけしてすいません」
「いえ。それでは」
「はい。ゆっくり休んでくださいね」

 リオーネの屈託のない笑顔に、俺も釣られて笑みを浮かべると、作業用クロークを壁に掛け直し、そのまま一人工房を後にした。

   § § § § §

 家の自室の扉を閉め、ベッド脇のサイドボードに乗っている宝珠灯(ランタン)に炎を灯すと、そのままベッドに腰を下ろした。
 さっきリオーネに見せた笑顔はとうに消え、心にも穏やかな気持ちなんてない。あるのは強い緊張感だけ。
 そんな中。ゆっくりとポケットから彼女から預かったペンダントを取り出し、じっと見つめた。

 寝る前にネックレスの確認をするだけなら、工房で済ませることもできる。
 ペンダントを先に預かった理由としては弱い。リオーネにそこを突っ込まれなかったのは、本当に助かったな。

 俺が調べたかったこと。
 それは、このペンダントに込められた魂の確認だ。

  錬成の工程をリオーネが見たいと言ってくる可能性は十分ある。
 勿論、立ち会いを断る選択肢もあるけど、彼女にとっては形見を失う瞬間。であれば、せめてそこには立ち会わせてやりたいし、申し出があれば受け入れるつもりだ。

 ただ、錬成の作業を開始すれば、魂視(ソウルビジョン)の力と製法の関係で、俺も自然と刻まれた魂の詳細を理解する事になる。
 もしその場で魂の記憶がより苦悩に満ちたものだったと知って、俺がそレを顔に出せば、きっとリオーネを不安にさせるに違いない。
 だからこそ、場所を変え先に一人で魂と向き合い、心構えをしておきたかったんだ。

 魂の色だけでなく、そこに刻まれた記憶を視るためには、その物に触れるか、錬成の工程で魂に接することが必要。
 つまり、この状況で魂視(ソウルビジョン)を解放すれば、リオーネの父親がペンダントに遺した魂の記憶をはっきりと視ることになる。

「……覚悟を、決めるか」

 そっと目を閉じ、誰に告げるでもなくぽつりと呟いた俺は、片手を胸に当て一度大きく深呼吸する。
 目を開き改めて見たペンダントは、まだ宝珠灯(ランタン)の淡い灯りに照らされているだけ。

 ……魂視(ソウルビジョン)で視た魂が、こんな色だったら良かったのにな。
 救いを求めるような想いを首を振って振り払った俺は、意を決して自身の中にある魂視(ソウルビジョン)を解き放った。

 瞬間、一気に黒に近い濃紺色の光に包まれたペンダント。
 直後、俺の中に一気に魂の記憶が流れ込んできた。希望があるようには感じられない、リオーネの父親の様々な記憶が。

   § § § § §

 ──そこは酒場か何かだろうか。
 異様な賑やかに包まれた場所の一角。カードと数百枚の銀貨が並んだあるテーブルで、顔面蒼白となった中年の男が、テーブルに力なく突っ伏した。

「はははっ。俺の勝ちか。幸運の神レシャルは、まだ俺を見捨ててなかったな」

 向かいに座る、羽振りの良さそうなコートや服を着た若い男が、突っ伏した男の側にある銀貨を手繰り寄せようと動くと、それを中年の男の手が制した。

「ま、待ってくれ! それがなかったら俺は仕事すら探せない! 頼む! もう一度! もう一度勝負してくれ!」

 必死の懇願。
 その哀れな姿に、若い男はテーブルを囲う周囲の屈強な男達と目を合わせる。

「おいおい。文無しが賭けなんぞできるわけないだろ」
「そ、そこをなんとか!  頼む!」

 必死に、テーブルに頭をつけるほど平伏した中年の男。

「じゃ、こうしようぜ。次にあんたが負けたら、この先一年俺の船で働け。勿論、あんたが勝ったらその銀貨はそのままあんたの物。これが最後の勝負だ。いいな?」
「わ、わかった!」

 若い男の提案に、中年の男は助かったと言わんばかりの顔をする。
 だけど、世間知らずな俺でもわかる。きっとこれは罠だと。
 そして再び勝負が始まった後、中年の男はまたもテーブルに突っ伏す事になった。

   § § § § §

 ──ギシギシと軋む木造の部屋。どこか遠くから聞こえる波の音。
 多分、船の中の部屋だろうか。

 炎灯(ランプ)に照らされた薄暗い部屋の隅にあるベッドに、さっきの中年の男がうなだれたまま座っていた。
 無精髭が生え、目の下にクマができた男の顔色はよくはない。

  ──「なんで、俺はこんなに苦しまなきゃいけないんだ」

 心の声が聞こえたのと同時に、絶望に打ちひしがれた顔をした男は、そのまま頭を抱える。

  ──「毎日毎日、ひたすらに荷物を運ばされ、船旅の飯を作らされ、掃除させられ、慣れない見張りまでして。まともな休みも取れず、飯だってまともな物は食えちゃいない。どうしてこうなった? 確かに金に目が眩んだ。誘惑に誘われ賭けに乗り騙された。だが、本当に俺のせいか?」

 自問自答。心に余裕があるように感じない男の考えは、そのままある方向に舵を切りかける。

「リオーネの、せいか?」

 ぽつりと呟いた直後、男は必死に首を横に振った。

  ──「違う! 俺がリオーネの才能を見て、勝手に学校に入れてやりたいと思っただけだろ! 俺が勝手に出稼ぎに行ったからこうなっただけ。あの子は悪くない! 悪いのは俺、俺なんだ! そう! 俺……つまり……」

 憤りとも、苛立ちとも思える絶望的な形相をしていた男の顔が、みるみる悲壮感に溢れていく。

「リンダ。俺のせい、なのか?」

 またもぽつりと独りごちた男。だが、勿論応える声はなく、聞こえるのは船体が軋む音だけ。
 そこにあるのは、絶望だけのように見えた。
 
   § § § § §

 ──また、同じ部屋。
 さきほどよりもやつれ、無精髭も長くなり、みすぼらしい服の袖から見える腕も随分細くなったように感じる。
 そんな男が、先程同様に薄暗い部屋で手紙を書いていた──はずだった。
 だが、見えた文章は、俺から見ても手紙なんてものじゃなかった。

『辛い。どうすればいい。生きている気がしない。
 俺はどうしてこうなったんだ。助けてくれ。リオーネ。助けてくれ』

 羽ペンでなぐり書きされた、呪詛にも感じる手紙。
 その動きが止まった後、ぽつりと手紙に涙が落ちた。
 少しずつ増えていく涙の跡。それらが文字をにじませ読めなくしていく。

「俺は、何を書こうとしてるんだ」

 生気を感じさせない疲れ切った顔の男が独りごちると、手紙を手に取り
両手でくしゃくしゃっと丸めた。

「こんなことを書いてどうする。リオーネを心配させてどうする」

 手紙を握りしめたまま、涙と共に心の声だったはずのものが、声となり漏れる。
 娘を心配させたくない。必死の抵抗だったのだろう。涙を拭い、握りしめた紙屑を後ろに投げ捨て、新しい紙をその場に置く。
 だが、そこに新たな文字が並ぶことはなく、嗚咽と涙だけが紙の上に漏れるだけ。

 ふと炎灯(ランプ)の側をちらりと横目に見た男は、側に置いたペンダントを手にし、両手で握りしめる。

「リオーネ。リンダ。助けてくれ……」

 嘆きの声と共に、男はまるで祈るようにペンダントを握リ続けた。
 いつまでも。いつまでも。

   § § § § §

 ──青空の下。
 甲板に立った男は、仕事の時間ではないのか。ぼんやりと海原を眺めていた。

 無精髭。伸び切ったボザボサの髪。服のみすぼらしさは変わらない。
 疲れ切った表情に笑顔もない。片手にペンダントを持ったそんな男の心は、波のように揺れていた。

「もうすぐ……帰れる」

  ──「帰ってもいいのか?」

「リオーネの下に」

  ──「こんな姿を見せて良いのか?」

「喜んでくれるだろうか?」

  ──「こんな姿を見たら、悲しむんじゃないか?」
 
「笑ってくれるだろうか?」

  ──「無理だ。絶対に泣くはずだ。俺を苦しめたって」

「リンダ。俺は……」

  ──「お前の下に行ったほうがいいのか?」

「あいつが悲しむくらいなら」

  ──「帰るべきではないんじゃないか?」

 漏れる言葉とは裏腹の感情。
 そこにはもう、娘に再会できるという喜びなどなかった。

「……そうだ」

  ──「ここで死んだほうが」

「あの()のためになるんじゃないか?」

 きっと、そんな事はなかったはずだ。
 リオーネは悲しんだかもしれないが、同時に喜んでもくれたに違いない。
 だが、もう男の心には、それだけの希望を見出すだけの気力はなかったんだろう。

「……リオーネ。すまない。リンダ。今、行くからな」

 最期の言葉と共に、手からすっと落ちたペンダントが甲板で跳ねる。
 と同時に、男の姿は甲板から消えていた。