手が、痺れている?
研磨台から光吸石を離し一度ローテーブルに戻すと、俺は自分の両掌を見た。
ゆっくり手を握り、開くのを何度か試したけど、動きがぎこちないなんてことはない。
ただ……なんだろう。じんわりと指の芯から感じる何かがある。
過去に研磨の作業をしている時、こんな感覚を覚えたことはない。
実際、この工程は宝珠灯制作でも普通にするし、なんなら昨日やった原石を切り出す作業のほうが、経験が少ないくらい。
──「ほんと。あんたの研磨は一級品だね。言う事なしだ」
師匠が出かける前。あの人に頼まれ調光珠と光吸珠の研磨を頼まれた時、出来上がった宝珠を見ながら珍しくそう褒めてくれた師匠。
でも、それくらいには俺だってこの作業に自信があるし、手慣れていると思ってる。
勿論、寝不足なんてこともない。
昨日はほんと疲れていたんだろう。風呂をあがり掃除まで済ませてからベッドに入ったんだけど、いともあっさり眠りに落ちたのか。次に目覚めたのは朝だった。
夢なんかも見ず熟睡できたし、朝の目覚めもすっきり良好。リオーネ達がいなかったら、朝の家事も捗ってたと思う。
体が硬くなってるのか?
俺は一旦その場で立ち上がると、軽く体を曲げたりして体をほぐす。
そして、改めて両掌を見ると……少し、震えていた。
……ったく。
俺は自分に幻滅しながら大きくため息を漏らすと、一旦作業をそのままに、工房の外に足を運んだ。
今朝も雲のほとんどない快晴の星空。
暁月も普段同様、神秘的な円を描き空に昇っている。
工房の庭の端で咲く、ふんわりと柔らかな光を帯びた白輝花もまたいつも通り。
普段と違うのは俺だけか。
朝はリオーネ達と過ごしていたからそんな事を考えることすらなかったし、すっかり忘れていたつもりだった。
でも、心の内では常に感じていたのかもしれない。迫っている魂砂錬成の時の事を。
見て見ぬふりをしたかった感情に気づき、俺はもう一度ため息を漏らすと、ぎゅっと両手を握り、ゆっくりと星空を見上げた。
今までの魂砂の錬成で、ここまで緊張をしたことはない。
その理由の殆どは、あくまで試作品として作っていたから。
誰かの為に創っていない魂灯だったからこそ、刻まれた魂に対して他人事であれたってのは間違いなくある。
一度だけ、人のために魂砂の錬成を経験したこともあるけど、その時だってこんな緊張はしなかった。
ただ、あれはその宝石の付いた首飾りに込められた魂が、とても優しい色をしていたからだ。
……もしかすると、師匠は今回の仕事で、俺にこう伝えたいのかもしれない。
──「仕事ってのは、簡単じゃないんだよ」
って。
師匠が依頼内容を聞いて、魂灯制作の依頼を断った姿なんて見たことがない。
依頼された物にどんな想いが篭っていようとも、あの人はその魂をそのまま視せる魂灯を創り続けた。
師匠くらいの人ともなれば、仕事なんて選べるはずなのに。
……師匠も、最初はこうやって悩み、緊張したんだろうか。
今のあの人を見ても、そんな雰囲気は微塵もない。ただ、師匠は過去を語りたがらなくって、あの人がどんな風に魂灯職人になり、今に至ったのかを俺はまったく知らない。
そういう話を聞いていれば、今回も少しは心構えができただろうか?
……まあ、今更か。
流石に師匠が話したくないことを無理やり聞こうとは思わなかったし、俺がその選択をして今があるだけ。
もしかしたら、師匠はこうやって俺に機会を与え、自分で考えることで学ばせようと思ったのかもしれないしな。
にしても、流石に初仕事にしては重すぎだとは思うけど……なんて。
受けたのは俺なんだ。それを師匠のせいにするのはよくないか。
「あれ? セルリックさん。どうしたんですか?」
突然背後から届いたリオーネの声に、俺の体が一瞬こわばった。
仕事を請けている。それを改めて感じたから。
……いいか。もう、依頼人である彼女を不安にさせるな。
昨日だって仕事の最善を尽くしていないのかって不安にさせたんだ。これ以上依頼人を不安がらせてどうする。信用を失うぞ。
心の中にいる弱気な自分を無理やり鼓舞し、柔らかな笑顔を心がけながら振り返る。
「ちょっと息抜きに、空を見てました」
「そうなんですね。お邪魔しちゃいましたか?」
「いいえ。そろそろ仕事を再開しようと思ってたので。リオーネさんの家事は終わりましたか?」
「はい。一応リビングも軽くお掃除しましたが、あまり綺麗になっていなかったらごめんなさい」
「大丈夫ですよ。俺なんてかなり雑にやるんで、いつも師匠に小言を言われてましたから」
何気ない会話をしながら、笑顔を交わす俺達。
リオーネの表情も穏やか。俺の心の内に気づいている様子はなさそうか。
「それじゃ、工房に入りましょうか」
「あ、その前にひとつ、ご相談があるんですが」
「相談ですか?」
ん? 一体何だ?
思わずそう問いかけると、彼女はおずおずとその内容を話してくれたんだけど、別に何ら仕事に支障もなさそうだったし、素直に承知することにした。
§ § § § §
再び研磨台に向き合い、黙々と仕事を進める中。さっきまでと違い、工房の中で聞こえる音が増えた。
研磨の音に交じり時折耳に届く、コンコンコンという木槌を打つ音や、ジャリッと木を彫る音。
音を奏でる主は、勿論リオーネだ。
すっかり存在を忘れていた、彼女が昨日の買い出しで購入した堅木。
リオーネは今、作業机に座り、それを愛用の彫刻刀と木槌を使って彫っている。
──「あの。工房で木を細工したいんですが」
──「細工……」
──「はい。何もしていないと腕が鈍りそうで。勿論、お掃除や後片付けはちゃんとしますんで」
さっき受け入れた相談事はこの話。
装飾学校で学んだリオーネの腕に興味があったから、出来上がった物を見せてくれるならって条件は出したけど、彼女も素直にそれを飲んでくれて、今この状況になっている。
宝珠灯の装飾は金属を叩いたり彫ったりするから、木を削る独特の音はこれまた心地よい。
そのお陰だろうか。さっき感じていた手の違和感をそれほど感じる事もなく、俺は順調に仕事を進められている。
「……ふぅ。これでよし」
既に光吸珠ふたつは作業を終え、今研磨していたひとつ目の魔光石も、無事先の尖った細い六角柱の調光珠に姿を変えた。
近くの宝珠灯の光にかざすと、原石だった時よりもより透明感が出ている。見た目に傷もないし、これで問題はないな。
「そちらも研磨できたんですか?」
「ええ。見てみますか?」
「はい。是非」
俺は調光珠を持ったまま立ち上がると、手を止めたリオーネのいる作業机まで持っていく。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
調光珠を彼女に渡してやると、さっきの俺と同じように、調光珠越しに近くの宝珠灯の灯を覗き込む。
「さっき見た光吸珠よりも透き通っていて、すごく綺麗ですね」
「ええ。あっちは元々黒が基調なので、どうしても透明度が落ちますからね」
こういう時にリオーネが目をキラキラさせているのは、やっぱり彼女の職人魂がくすぐられるからだろうか。
ただ、もうすぐ形見を手放さないといけない身ながら、それを一切感じさせない表情なのは、正直ほっとしている。
そういえば、彼女の作業は進んでいるんだろうか。
俺は作業机に乗っている、リオーネが彫っている木に目をやった。
四角い堅木の表面には、菱形の向きに交差した手にそれぞれ槌、手斧を持った一人の女性らしき姿が彫り始められている。
多分これは、職人の女神アーセラだろう。
炭蝋で彫る当たりを付けたような形跡もない中で、この短時間に見ただけでそう分かるだけの出来栄えにするなんて、師匠ですら難しいと思う。
彼女の父親が才能を感じたのも、あながち間違ってなかったのかもしれない。
「あ、あの。変でしたか?」
俺が細工に魅入っていたのが気になったのか。
少し不安げな声を出したリオーネに、俺は笑顔で首を横に振る。
「そんな事はないですよ。これ、アーセラですよね?」
「はい。わかりますか?」
「ええ。この短時間でそう分かるくらい彫れるなんて。本当に凄いですね」
素直にそんな感想を漏らすと、おずおずと話していたリオーネが、まるでさっきの俺を真似るように首を横に振り。
「いえ。セルリックさんのほうが凄いですよ」
笑顔でそう口にした。
研磨台から光吸石を離し一度ローテーブルに戻すと、俺は自分の両掌を見た。
ゆっくり手を握り、開くのを何度か試したけど、動きがぎこちないなんてことはない。
ただ……なんだろう。じんわりと指の芯から感じる何かがある。
過去に研磨の作業をしている時、こんな感覚を覚えたことはない。
実際、この工程は宝珠灯制作でも普通にするし、なんなら昨日やった原石を切り出す作業のほうが、経験が少ないくらい。
──「ほんと。あんたの研磨は一級品だね。言う事なしだ」
師匠が出かける前。あの人に頼まれ調光珠と光吸珠の研磨を頼まれた時、出来上がった宝珠を見ながら珍しくそう褒めてくれた師匠。
でも、それくらいには俺だってこの作業に自信があるし、手慣れていると思ってる。
勿論、寝不足なんてこともない。
昨日はほんと疲れていたんだろう。風呂をあがり掃除まで済ませてからベッドに入ったんだけど、いともあっさり眠りに落ちたのか。次に目覚めたのは朝だった。
夢なんかも見ず熟睡できたし、朝の目覚めもすっきり良好。リオーネ達がいなかったら、朝の家事も捗ってたと思う。
体が硬くなってるのか?
俺は一旦その場で立ち上がると、軽く体を曲げたりして体をほぐす。
そして、改めて両掌を見ると……少し、震えていた。
……ったく。
俺は自分に幻滅しながら大きくため息を漏らすと、一旦作業をそのままに、工房の外に足を運んだ。
今朝も雲のほとんどない快晴の星空。
暁月も普段同様、神秘的な円を描き空に昇っている。
工房の庭の端で咲く、ふんわりと柔らかな光を帯びた白輝花もまたいつも通り。
普段と違うのは俺だけか。
朝はリオーネ達と過ごしていたからそんな事を考えることすらなかったし、すっかり忘れていたつもりだった。
でも、心の内では常に感じていたのかもしれない。迫っている魂砂錬成の時の事を。
見て見ぬふりをしたかった感情に気づき、俺はもう一度ため息を漏らすと、ぎゅっと両手を握り、ゆっくりと星空を見上げた。
今までの魂砂の錬成で、ここまで緊張をしたことはない。
その理由の殆どは、あくまで試作品として作っていたから。
誰かの為に創っていない魂灯だったからこそ、刻まれた魂に対して他人事であれたってのは間違いなくある。
一度だけ、人のために魂砂の錬成を経験したこともあるけど、その時だってこんな緊張はしなかった。
ただ、あれはその宝石の付いた首飾りに込められた魂が、とても優しい色をしていたからだ。
……もしかすると、師匠は今回の仕事で、俺にこう伝えたいのかもしれない。
──「仕事ってのは、簡単じゃないんだよ」
って。
師匠が依頼内容を聞いて、魂灯制作の依頼を断った姿なんて見たことがない。
依頼された物にどんな想いが篭っていようとも、あの人はその魂をそのまま視せる魂灯を創り続けた。
師匠くらいの人ともなれば、仕事なんて選べるはずなのに。
……師匠も、最初はこうやって悩み、緊張したんだろうか。
今のあの人を見ても、そんな雰囲気は微塵もない。ただ、師匠は過去を語りたがらなくって、あの人がどんな風に魂灯職人になり、今に至ったのかを俺はまったく知らない。
そういう話を聞いていれば、今回も少しは心構えができただろうか?
……まあ、今更か。
流石に師匠が話したくないことを無理やり聞こうとは思わなかったし、俺がその選択をして今があるだけ。
もしかしたら、師匠はこうやって俺に機会を与え、自分で考えることで学ばせようと思ったのかもしれないしな。
にしても、流石に初仕事にしては重すぎだとは思うけど……なんて。
受けたのは俺なんだ。それを師匠のせいにするのはよくないか。
「あれ? セルリックさん。どうしたんですか?」
突然背後から届いたリオーネの声に、俺の体が一瞬こわばった。
仕事を請けている。それを改めて感じたから。
……いいか。もう、依頼人である彼女を不安にさせるな。
昨日だって仕事の最善を尽くしていないのかって不安にさせたんだ。これ以上依頼人を不安がらせてどうする。信用を失うぞ。
心の中にいる弱気な自分を無理やり鼓舞し、柔らかな笑顔を心がけながら振り返る。
「ちょっと息抜きに、空を見てました」
「そうなんですね。お邪魔しちゃいましたか?」
「いいえ。そろそろ仕事を再開しようと思ってたので。リオーネさんの家事は終わりましたか?」
「はい。一応リビングも軽くお掃除しましたが、あまり綺麗になっていなかったらごめんなさい」
「大丈夫ですよ。俺なんてかなり雑にやるんで、いつも師匠に小言を言われてましたから」
何気ない会話をしながら、笑顔を交わす俺達。
リオーネの表情も穏やか。俺の心の内に気づいている様子はなさそうか。
「それじゃ、工房に入りましょうか」
「あ、その前にひとつ、ご相談があるんですが」
「相談ですか?」
ん? 一体何だ?
思わずそう問いかけると、彼女はおずおずとその内容を話してくれたんだけど、別に何ら仕事に支障もなさそうだったし、素直に承知することにした。
§ § § § §
再び研磨台に向き合い、黙々と仕事を進める中。さっきまでと違い、工房の中で聞こえる音が増えた。
研磨の音に交じり時折耳に届く、コンコンコンという木槌を打つ音や、ジャリッと木を彫る音。
音を奏でる主は、勿論リオーネだ。
すっかり存在を忘れていた、彼女が昨日の買い出しで購入した堅木。
リオーネは今、作業机に座り、それを愛用の彫刻刀と木槌を使って彫っている。
──「あの。工房で木を細工したいんですが」
──「細工……」
──「はい。何もしていないと腕が鈍りそうで。勿論、お掃除や後片付けはちゃんとしますんで」
さっき受け入れた相談事はこの話。
装飾学校で学んだリオーネの腕に興味があったから、出来上がった物を見せてくれるならって条件は出したけど、彼女も素直にそれを飲んでくれて、今この状況になっている。
宝珠灯の装飾は金属を叩いたり彫ったりするから、木を削る独特の音はこれまた心地よい。
そのお陰だろうか。さっき感じていた手の違和感をそれほど感じる事もなく、俺は順調に仕事を進められている。
「……ふぅ。これでよし」
既に光吸珠ふたつは作業を終え、今研磨していたひとつ目の魔光石も、無事先の尖った細い六角柱の調光珠に姿を変えた。
近くの宝珠灯の光にかざすと、原石だった時よりもより透明感が出ている。見た目に傷もないし、これで問題はないな。
「そちらも研磨できたんですか?」
「ええ。見てみますか?」
「はい。是非」
俺は調光珠を持ったまま立ち上がると、手を止めたリオーネのいる作業机まで持っていく。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
調光珠を彼女に渡してやると、さっきの俺と同じように、調光珠越しに近くの宝珠灯の灯を覗き込む。
「さっき見た光吸珠よりも透き通っていて、すごく綺麗ですね」
「ええ。あっちは元々黒が基調なので、どうしても透明度が落ちますからね」
こういう時にリオーネが目をキラキラさせているのは、やっぱり彼女の職人魂がくすぐられるからだろうか。
ただ、もうすぐ形見を手放さないといけない身ながら、それを一切感じさせない表情なのは、正直ほっとしている。
そういえば、彼女の作業は進んでいるんだろうか。
俺は作業机に乗っている、リオーネが彫っている木に目をやった。
四角い堅木の表面には、菱形の向きに交差した手にそれぞれ槌、手斧を持った一人の女性らしき姿が彫り始められている。
多分これは、職人の女神アーセラだろう。
炭蝋で彫る当たりを付けたような形跡もない中で、この短時間に見ただけでそう分かるだけの出来栄えにするなんて、師匠ですら難しいと思う。
彼女の父親が才能を感じたのも、あながち間違ってなかったのかもしれない。
「あ、あの。変でしたか?」
俺が細工に魅入っていたのが気になったのか。
少し不安げな声を出したリオーネに、俺は笑顔で首を横に振る。
「そんな事はないですよ。これ、アーセラですよね?」
「はい。わかりますか?」
「ええ。この短時間でそう分かるくらい彫れるなんて。本当に凄いですね」
素直にそんな感想を漏らすと、おずおずと話していたリオーネが、まるでさっきの俺を真似るように首を横に振り。
「いえ。セルリックさんのほうが凄いですよ」
笑顔でそう口にした。


