仕事は好きだ。
子供の頃からプラモデルでも何でも作るのが好きだった。
だから工業系の専門学校に行き、設計者となった。
正直、職場は激務だったし、ブラック企業と言われたら否定できない……いや、土日がない時点でアウトだ。
それでも仕事が好きだったから頑張った。
同僚とも上司とも関係性は良かったと思っていたし、これからも愚痴を言い合いながらも仕事を続けるんだとも思っていた……そう、過去形である。
色々あったのだが、端的に言うと、上司はとんでもないミスをやらかした。
そして、そのミスを僕のせいにされた。
何がひどいって、そのプロジェクトに僕はまったく関わっていなかったことだ。
ミスをしようがないのである。
しかし、上司は僕のせいにし、同僚もかばうどころか上司についた。
後はもうほとんど覚えていない。
ただただ絶望の中で懲戒解雇となったことだけは覚えている。
しかも、悪いことは続くもので親が詐欺に騙されて、借金を負ってしまった。
なんでこんなことになるんだと思いつつも、次の就職先を探しながら日雇いのバイトに明け暮れた。
しかし、同業の世界は狭いもので懲戒解雇されたという悪名を知っている同業の会社が 僕を雇ってくれることはなかった。
再就職先が見つからないという焦りと親の借金返済や生活を守るために寝る間も惜しんで働いた。
もちろん、そんな生活が長く続くはずもない。
僕は深夜の交通整理員をしている時に頭がぼーっとなり、車に――
「やめなさい。もういいからやめなさい……」
窓台から夜の空を眺めている白猫が止めてきた。
「まだ話の途中なんだけど……」
「いいから一度話を止めなさい。あんた、顔が真っ青よ」
そう言われて、横を向き、鏡を見てみる。
そこには豪華なベッドに腰かけ、上等な服を着た少年が顔を真っ青にしながら項垂れていた。
「思い出したくないことなんだろうね」
「当たり前でしょ」
まあ、そうだろう。
これは僕の前世の記憶だ。
とてもではないが、幸福だったとは言えない。
「もっとやりようがあったんだとは思うよ。会社だってもっと戦えばあんな不当なことにはならない。親だって……」
極端な話、僕には関係ないことだ。
少なくとも、あんなになるまで頑張らないといけない理由はない。
「あんた……って言っていいのかしら? とにかく、その男は病んでたんでしょ。そのブラック企業とやらの激務で精神的に病み、正常な判断ができなかったのよ」
そうかもしれない。
いや、そうなんだろう。
「バカだね」
「何とも言えないわ。少なくとも、賢いとは言えないわね」
エリーゼは優しいな……
「エリーゼ、おいで」
「ハァ……」
白猫のエリーゼはため息をつくと、窓台から飛び降りる。
そして、こちらにやってくると、僕の膝の上に飛び、丸まった。
「エリーゼは本当に可愛いね」
そう言いながらのエリーゼの背中を撫でる。
「当たり前でしょ。私は世界で一番……えー……泣かないでよ」
「ごめん」
「使い魔に謝んな。それにあんたは3男坊とはいえ、貴族の子でしょ。泣くんじゃないわよ」
「うん……」
裾で涙をぬぐう。
「ごめん。話が逸れた」
「いや、いいけど……でも、急に前世の記憶が蘇ったって言われて、説明をし始めたら真っ青な顔で泣き出された私の身にもなってね」
エリーゼは優しいな……
「それは本当にごめんだよ。逆の立場ならオロオロとして何もできないと思う」
「私もそうだったからずっと外を見ていたのよ。こいつ、ヤバい薬でもやったかって思ったもん」
やってません。
「ちょっとまだ頭が混乱してる。でも、大事な話はここからなんだよ」
「大事って?」
「エリーゼ、僕の名前を言ってみて」
「あんたの? 私の下ぼ……ご主人様のウィルでしょ。ウィリアム・アシュクロフト」
うーん、下僕って思ってる……
いや、これはいい。
猫はそんなものだ。
「僕はその名前に覚えがあるんだよ」
「そりゃあんたの名前だしね」
「いや、違うんだよ。ウィリアム・アシュクロフトは前世でも一部の中で有名だった」
「は?」
エリーゼが呆ける。
無理もない。
「ウィリアム・アシュクロフトは前世であったゲームのドラグニアファンタジーに出てくる中ボスなんだよ。しかも、口だけでクソ雑魚過ぎるって有名なウィリアム様(笑)」
他のゲームで弱いボスが出てきてもウィリアム様(笑)よりかはマシって言われるくらいだ。
「雑魚……」
エリーゼが『確かに雑魚だな、こいつ……』って顔をしている。
「僕、ゲームの世界に転生したのかな?」
「私に言われてもね……あんたはそのゲームとやらをやったの?」
「やった」
それも何回も。
ゲームが好きだったし。
「じゃあ、そのクソ雑魚の顔も知ってるでしょ」
確かに知っている。
いかにも悪そうな男だった。
だが……
「ウィリアムは中年だったよ」
そう答えて鏡を見る。
そこにはどう見ても15歳の僕が写っていた。
だが、確かにどこか面影があるような気がした。
「仮に……仮によ? ゲームの世界に転生したとして、このままいけばあんたはどうなるの?」
「ゲームの主人公、すなわち、勇者に討たれるね。ウィリアムは悪い貴族で住民に重税を課したり、女性を侍らかして好き勝手やっていた悪い貴族だから」
典型的な悪役貴族だったはずだ。
「つまりあんたはこのままいけば死ぬわけね……」
「気になる点もあるけどね」
「言ってみなさい」
「もし、そうなるなら僕がこの家を継ぐってことになる。兄上達がいるのに?」
僕には兄が2人いる。
仲ははっきり言って良くないし、ほとんどしゃべらないレベルだけど。
「こればっかりはわからないわよ。あのボンクラ共が死ぬかもしれないし、親があんたを選ぶかもしれない」
うーん……どうだろ?
「エリーゼはどう思う?」
「まずだけど、この家の評判が相当悪いのは確かね」
え? そうなの?
「悪いんだ……」
「女性を侍らかしているかは知らないけど、現在の当主、つまりあんたの父親は住民に重税を課しているし、住民から怖がられている。周囲からも近寄りがたい領地って思われているわね」
そ、そうなんだ……
「知らなかった……」
「まあ、あんたはね……屋敷から出ないし、部屋に引きこもって勉強ばかりしているボンボンじゃない」
裕福な家に生まれたんだよな、一応……
「うーん、ということはすでにバッドエンドに片足を突っ込んでいるわけだ」
「そうかもね。でも、まずはこの世界が本当にあんたが知っているゲームの世界なのかを確認するところでしょ」
確かにそうだ。
「ちょっと待ってね」
膝にいるエリーゼを抱えると、部屋の壁にかけられた大陸の地図を見る。
「この町がアルゼリー……この国はショーン王国……隣国のフォン、シーン帝国、グレイア共和国、さらには南のリット王国……合ってるね。というか、この地図自体を見たことある」
やっぱりドラグニアファンタジーだ。
「そう……」
「信じられない?」
「私が信じられないと思う点は1点。あんたがその悪い貴族になるの? 真面目で大人しいあんたが? 確かに今の家はひどいもんだけど、あんたが家を継げば善政を敷きそうなもんだけど」
うーん……
「こればっかりはわからないよ。数十年後のことだし」
僕自身が悪に染まるかもしれない。
もしくは、善政を敷こうとしても上手くいかないパターンもある。
政治なんかしたことないし。
「私は? 使い魔である私はそのゲームに出ていないの?」
実は出てくる。
でも、言いにくかったから言わなかった。
「シーン帝国で売られているね。買ったら仲間にできるんだ。結構、強いんだよ? さすがエリーゼ!」
「おい……それって、私を捨ててるだろ」
そんな気はする。
「いや、エリーゼが僕を見捨てたのかも……」
「使い魔が主人を捨てるか! 捨てるのはあんたでしょ! さいてー! ゴミ野郎! あんなに愛した使い魔を捨てるんだ!」
愛した(撫でた)けども……
「僕、このままだとそうなるのかな?」
「女を侍らかしてるんでしょ? きっと私が邪魔になったのよ。それで雑魚一人で勇者と戦って負ける。ざまあないわ」
エリーゼがいてくれたらもっと強敵だったろうな。
「色々とマズいね」
「そうならないようにすればいいじゃない。まずは私を捨てないことね」
「エリーゼを捨てるわけないじゃないか。こんなに可愛いのに」
「ふ、ふん! どうだか!」
ツンデレみたいなことを言って、尻尾をピンと伸ばしている。
非常に可愛い。
「でもさ、たとえ、エリーゼがいてくれてもこのままだとマズい気がするんだよ」
「まあ、そうよね。悪い貴族になって、勇者に討たれるんでしょ?」
嫌だよ。
「僕はさ、平穏に生きたいんだよ」
「あんたはそうよね。気楽な3男坊でのほほんと生きてきた。それに前世が……」
そう、前世が非常に平穏とは遠かった。
「普通が良いんだよ。別に貴族じゃなくてもいい。普通に働いてエリーゼと一緒に暮らす。それだけで最高じゃない?」
「……そうかもね」
エリーゼがぷいっと顔を逸らした。
この子、本当にツンデレみたいだな。
「エリーゼ、僕、この家を出ようと思う」
「本気で言ってる? アシュクロフト家は大きいわよ? 家督を兄に譲ったとしても一生遊んで暮らせるわ」
アシュクロフト家はこの国ではかなり大きい領地貴族だ。
3男坊とはいえ、その直系の子ならどこにでも就職できるし、何なら適当な村や町をもらってそこで何もせずに暮らせる。
「この地を離れるべきだと思うんだ。もっと言うと、危ないところにも行きたくない。実はドラグニアファンタジーは邪竜がラスボスなんだけど、そのラスボスが町を滅ぼしたりするんだよ。それを勇者が倒すゲームなんだ」
「なるほどね。ここは?」
「ここはその道中で仲間が増える町だね。とある少女のお姉さんがウィリアムの屋敷に連れていかれたからそれを救うって話。ウィリアムを倒すとその少女が仲間になるわけ」
結構、強い魔法使いだった。
「あんた、最低ね。女を侍らかすって、強制じゃないの」
うーん、僕なんだよなー……
「そうならないように家を出ようって言ってるんだよ。僕、自分が怖いよ」
女性を侍らかすって何?
僕、彼女どころか友達もいないし、猫しか知らないよ?
「そうねー……わかったわ。私も家を出るっていうのは賛成。この家にいてもどうしようもないし、それなら良いところで一緒に……い、一緒に暮らしましょうか……ふんっ!」
何、この子? すんごい可愛いんだけど。
こんなに可愛い子を捨てるバカは誰だ?
「よし、そうなったら計画を考えよう」
「家出でいいでしょ」
「穏便に家を出たいんだよ」
追手が来るかもしれないし。
「できるかしら?」
どうだろ?
「ちょっと父上に話してくるよ」
「認めてくれるかしらねー? まあ、行ってきなさい。方法は色々あるし、また考えればいいわ」
「わかった」
僕はエリーゼをベッドに起き、部屋を出ると、父上の部屋に向かった。
