美術部の活動時間はあっという間に終了した。
 思っていたよりも楽しく初日を過ごした私は、ヒカリのマネをして画材道具を片付けていた。

(ほとんど喋り倒して絵なんて描いてないけど、これなら毎日来ても良さそう。)

 ヒカリと自分の漫才みたいな掛け合いを思い出して笑いをこらえていると、急に美術教室の後方の引き戸がガラリと開いて、一斉にみんなが入り口に注目した。

 背が高くて色白で長髪の男子が目を丸くして教室を見渡している。

「もうみんな帰るの?」

「いやいや、あんたが遅すぎるのよハルト!」

 ヒカリが頭のてっぺんから出したような高い声を出してハルトと呼んだ男子に駆け寄った。

「何やってたの?」

「六時間目から居眠りしていたら、今まで寝てた。」

「ありえなーい!」

「誰も起こしてくれねーし。」

「クラスで嫌われてるんじゃね?」

「俺のクラスの奴ら、みんな地獄に堕ちろ!」

 目に涙を溜めて笑ったあと、ヒカリが私を振り返った。

「ねぇアオ、これがハルトだよ。
 ヤバいヤツでしょ。」

「はぁ。」

 急に話をフラれた私は、つい気のない返事をしてしまった。
 
 ヒカリがハルトと話している間がつまらなくて、思わず素が出てしまった。

 清楚系JCはもうムリでも、明るさと謙虚だけは死守しなければ! 

 取り繕うように私は猫なで声を出した。

「はじめまして。ヒカリと同じクラスの田中アオです!」

 ハルトは少し首を傾げてから、ポンと手を打ってリアクションした。

「ああ、ウワサの転校生だ!」

 ウワサの?

「もしかしてアオが可愛すぎて、もう噂になったのかなぁ?」

 ヒカリの言葉にハルトは肩をすくめた。

「アイドル並みに可愛い都会のギャルが転校してきたって聞いたんだ。
 でも別に、普通だね。」 

 普通?
 わたしの笑顔は凍りついた。

「もー、相変わらず失礼なヤツ!
 気にしないでねアオ。」

 すかさずヒカリがフォローしてくれたけど、ハルトが追撃してきた。

「悪い意味じゃなくて、俺の好みじゃないだけ。」

 私は恥ずかしさで全身が熱くなった。

(コレな!
 初対面で好みじゃないとか、失礼にも程があるでしょ。
 こーゆーオトコは苦手!)

 って言いたいのをグッとこらえて、ヘラヘラと作り笑いを浮かべている私。

 あーあ。
 一瞬でも、見た目に心が奪われて損した。 
 
 田舎に来て、私が初めて楽しく過ごした部活の時間は、一人の残念イケメンによってサイアクな記憶になった。

 ♢

 ヒカリのおかげで順調に見えた新生活に暗雲が立ち込めたのは一か月後だった。

 いつものようにくだらない話をして部活を終えた後、私たちは野ざらしのバス停でいつものように時刻に遅れるバスを待っていた。

 大きなピンク色の夕焼けを背に、急にヒカリが手を合わせて片目を閉じた。

「ゴメンね、アオ。」

「え、何?
 どしたの?」

 嫌な予感。

「実は私の家、農家なんだ。
 五月はすごく忙しいの。
 家の手伝いで学校を休みがちになるけど、よろしくね。」

「エーッ!」

 私は大きな声をあげた。

「休みがちって、いつまで?」

「水田の手伝いだから、六月には復学するんだ。」

「ヒカリが居なかったら、私困るよ。」

 途方に暮れた私は、蚊の鳴くような細い声で呻いた。

「私のおじいちゃんがね、病気で透析をしてるの。
 透析って知ってる?」

 私は横に首を振った。

「血を全部入れ替えなきゃならないから、週に一回通院してるんだ。」

 血を入れ替える?
 私は想像を上回る説明に驚いた。

「大丈夫なの?」

「今のところは。
 でも、来年は分からない。
 おじいちゃんを家で介護をしながら働いているお母さんの代わりに、私が畑を手伝わないと。」

「そうだったんだ。」

 そんな世界があるなんて知らなかった。
 私はひたすら自分の無知を恥じた。

 今まで自分のことばっかり考えて生きてきたけど、誰かのために生きている人もこの世の中にはたくさん居る。

 そして、その一人がヒカリなんだ。
 
「エライね、ヒカリは。」

 私は胸を詰まらせながら気の利いた言葉を探したけど、あまり素敵な文章は浮かばなかった。

「そんなことないよ。」

「私にできることがあったら、何でも言ってね。学校が休みの時に田植えでも草刈りでも何でもするから。」

「ありがとう。じゃあ、良かったら毎週ノート見せてくれる?
 メールに写真添付してくれたらサイコー。」

 私はヒカリの手を取ってうなずいた。

「顔が見たいから家まで届けるよ。」

「えッ、そんなの悪いよ。」

「大丈夫。私、予定ないから。」

「めっちゃ良い人!
 ありがとう、アオ!」

 私たちは固いハグを交わした。