朝起きて歯を磨くために鏡を見たら、両目がボッコリ腫れていた。

 ブスすぎ。

 転校初日からこんな顏だと思われたら嫌だ。
 私は居間に置かれたL字型ソファに寝そべって氷嚢を目に当てた。

「熱でもあるの?」

 荷ほどきしていない段ボールがあふれたキッチンから、ママがのんきに声をかけてくる。
 
(何がアイランドキッチンよ。まるでゴミ屋敷だわ。)

 私は心の中で皮肉った。
 ママが広くて素敵と言ったキッチンを見るまでには、いったい何日かかるのだろう。

 たまに、ママの鈍感力がどうしようもなく腹が立つときがある。
 そう、あのときだって…。

 私は素早くソファから立ちあがって氷嚢を冷凍庫に投げ入れた。

「なんでもない。」

 私は部屋の全身鏡でまぶたの腫れをチェックして、アイメイクを諦めた。
 その代わりに前髪のコテを丁寧にかけて割れがないようにしたり、唇にピンクのティントを乗せて表情が明るく見えるようにした。

 注文した制服の刺繍が間に合わず、しばらく前の学校の制服を着ていかなきゃならないけど、前の学校の制服のスカート丈は足がキレイに見えるように調整しているから、これでいいかとも思う。 

 可愛いから、良し。

 初対面の人たちに好印象を持ってもらうための努力を惜しむわけにはいかない。

 今までの転校した経験から、私はそれを学んでいた。

 明るく・清楚に・謙虚に・流行りには敏感に。
 これがあれば、新しい学校生活は大体イケる。

 私は完璧に演出された鏡の自分にニッコリ笑った。

 私は女優。
 仮面をつけて歩けば、誰にも傷つけられたりしない。

 そう自分に言い聞かせておけば、今日も一日頑張れる。

 私は作り笑いを顔に貼り付けたまま、見慣れない自分の部屋を出た。
 
 ♢
 
 三森学園は広々とした木の匂いのする校舎だった。

 本当は開校三十年以上の歴史がある中学校だけど、二年前に建て替え工事が行われて小中一貫の新校舎になったらしい。

 といううんちく(・・・・)は、今日初めて会った担任にチュートリアルしてもらった。

 ただ、教室にエアコンがないと聞いた私はすごく驚いた。

「夏はどうするんですか?」

「扇風機があるから大丈夫だよ。」

 私は苦笑いした。
 扇風機が冷風を出さないのは中学生でも分かるのに。

 熱中症になって授業中に倒れたら、都会に帰れるかな?
 いや、帰る前に死ぬかフツーに。

 私は頭の妄想で自分が倒れる場面を思い描き、自虐に満ちた笑みを浮かべた。

 いっそ、本当にそうなればいいのに。

 ♢

 先生に紹介されて教壇に立った私は、ノーマルセーラー服の素朴な女子たちと詰襟の学ラン姿の粗野な男子たちに圧倒されていた。

(田舎の学校恐るべし!)

 女子はノーメークに校則通りの髪型、どちらかというとショートカットの髪型の子が多く見える。
 男子は化粧水やリップとは無縁どころか鼻の下に濃いヒゲが生えていたり、坊主がそのまま伸びたような髪型に無頓着そうな子ばかりだ。

(今どき、ノーメイクとかヒゲはありえないってゆーか…もしかして私、浮いてる?)

「田中アオです。宜しくお願いします。」

 ドキドキしながら無難な挨拶を済ませてお辞儀すると、拍手とともにヒソヒソと小声で話す声が耳に刺さった。

「スカート、短くね?」
「絶対にスッピンじゃないよね?」

 異質な嘲笑に不快な囁き。

 しくじった。
 このクラスは、今まで生きてきた世界と完全に『清楚』と『流行り』の観念がズレている。

 私は席と席の間の通路を歩く間、口角とうつむきそうな顏を下げまいと必死だった。

(あとは明るさと謙虚を維持していくしかない。)

 先生に指定された一番後ろの席に着くと、前に座っていた女子が急に振り向いた。

「二年一組にようこそ!
 私は佐藤ヒカリだよ。」

「ああ、はじめまして。
 田中アオです。」

「さっき聞いたから知ってるし!」

 ヒカリはキャハハと快活に笑った。
 唇と頬にピンクのチークを入れているヒカリは、女子目線から見ても可愛い子だった。

 色素が薄いせいか髪も日に透けて茶色く見えるし、可愛いピンク色のカーティガンを合わせたセーラー服の着こなしもスマートで、他の女子より垢ぬけて見える。

 何より、ノリが良さそう。
 私は嬉しくなって、演技じゃなく明るい声を出した。

「さんづけじゃなくて、アオって呼び捨てでいいよ。」

「分かった。
 私もヒカリって呼んでね。」

 どう見ても、ヒカリは一軍女子だ。

 私は心からホッとして前を向いたヒカリのセーラーの襟を見つめた。

(あれはなんだろう?)
 
 セーラー服の襟に動物の毛のようなモノを見つけた私はヒカリに指摘するか迷ったけど、初対面の人に言われるのは嫌かと思って思いとどまった。

 ♢ 

 昼休み。
 推しのアイドルが同じ事務所で意気投合した私とヒカリは、マシンガントークを展開した後に笑い合っていた。

(初対面から素で話が合うなんて、最高。
 今までの学校の友だちを超える仲良しになれるかも⁉)

 私はすぐにヒカリをよっ友からゆる友にランクアップさせた。

「都会から来たから、最初クラスに入ったときはビックリしたでしょ?」

 ヒカリが意味ありげに含み笑いをしながらブッコんできた。
 
 なんとなくその意味合いは察したけど、私はすっとぼけて聞き返す。

「何が?」

「あんまり大きい声ではいえないけど…うちのクラスのこと。
 みんなダサすぎて。」

「確かに。」
 とは言えないから、私は曖昧に誤魔化した。

「そうかな?」

「いいんだよ、気をつかわなくて。事実だし。
 うちのクラスって女子も男子も物静かな人が多いんだよねー!
 だからアオみたいにファッションやアイドルの話ができる子が来てくれて、ホントに嬉しいよ。」

 もしかしたら、ヒカリ以外のクラスメイトとは仲良くなれないかもしれない。

 そう思いながら、ヒカリが私に本心で忠告してくれている気がして嬉しかった。

(そうだ。今なら聞けるかも。)

 私はそれとなく気になっていたことをヒカリに聞いた。

「ヒカリって、ペットとか飼ってる?」

「えーなんにも飼ってないよ。うちはママが猫アレルギーなんだ。」 

「そっか。」 

(洋服のファーとかが抜けただけなのかもしれない。
 放っておいてもそのうち風で取れるよね?)

 私は、そうやって自分の好奇心に蓋をした。

 その好奇心の蓋がのちに、軋轢を生むとは知らずに。