崖から落ちたヒカリは全身を打撲したものの、一命をとりとめた。
 ただヒカリは事故の前後の記憶が曖昧で、なぜ崖から落ちたのかという状況説明ができなかった。

 このことは全国放送のトップニュースになって静かな田舎を騒がせた。
 けど、その話題とともにヒカリと藤原との不倫の噂がまことしやかに広がった。

 そのせいで藤原は季節外れの強制転勤、ヒカリは隣町に転校することになった。

 自業自得だね。

 私はスマホの画面を閉じた。  

 ♢

 朝、私は玄関で靴を履くパパを見送りに出た。

 パパは最近、定時に帰ってくる。
 ママは喜んでいるが、心なしか元気が無いように見える。
 
「何か肩についてるよ。」

「え? 何だろう。」

 パパの日に焼けた顏にしわが寄る。
 最近になって白髪染めを止めたから、急に老けて見えるようになった。

 私は白くて細長い猫の毛をパパの目の前で見せた。
 
「たぶん、シャーロットの毛。」

「コロコロしてくれ。」

「はーい。」

 私は玄関脇のシューズボックスから粘着テープを取り出してパパの肩を強めに掃除した。

「イタタ、もう少し優しくやってくれ。」
 
「思春期の女子中学生にそれはムリ。
 はい、証拠隠滅。」

 私はパパの背中を押した。

「どういう意味だ?」

「気をつけたほうがいいよ。猫の毛ってなかなか取れないから。」

「まあいいや、ありがとう。
 じゃ、行ってきます。」

「今日も遅くなるの?」

「いや、定時には帰れるよ。」

 私は満面の笑みを浮かべた。

「だよね。」

 ♢

 ヒカリが居なくなった前の席には、レイカが座った。
 いつものように後ろを振り返ったレイカがヒカリの話題を口にした。

「ヒカリ、今ごろどうしてるのかな。」

「そうだね。連絡先も変えたのか、反応ないしね。
 あ、記憶がないんだっけ?」

「なんの挨拶もなく転校しちゃったからね。こんなことになるなら、もっと相談に乗ってあげれば良かった。」

「レイカは優しいね。」

「不倫の話がしつこくて、わりと最後は冷たくしてたんだよね。」

「私も。
 でも、自業自得じゃない?」

「ま、ね。」

 ヒカリが記憶喪失になったことをいいことに、誰にもあの日の話はしていない。
 一生私のこころの中にカギをかけてしまっておく。

 ハイ、これで私とヒカリは本当の友だち。
 永遠にね。

 ♢

 昼休み、クズヤが私の机に近寄ってきた。

(今度は何を言われるんだろう?)

 私はビクビクしていたけど、予想に反してクズヤの態度は柔らかかった。

「昨日、親の用事でヒカリの家に行ったんだ。」

 私は内心ドキリとしながらクズヤの話の続きを促した。

「元気だった?」

「わりとね。
 でも、まだらに記憶がないみたいで昔のことは覚えてるけど、最近のことは何も覚えてないらしい。
 だからアンタは行かない方がいいかもと思って、言いに来た。」

 私は驚いて本音を口にした。

「クズヤって…案外優しいよね。」

 横に居たレイカが含み笑いをする。

「別に。」

 クズヤは口を尖らせながら立ち去ろうとして、私を二度見した。

「何よ。」

「アオがメイクをしていないなんて、珍しいね。」

「するだけムダでしょ。」

「夏に雪を降らせる気?
 ま、その方が可愛いよ。」
 
 ♢

 最初は苦手だったセーラー服のスカーフも、いつの間にか結ぶのが早くなった。
 最初は大嫌いだった田舎にも愛着がわいてきた。

 心を許して言い合える友だちが増えて、私はちゃんと笑えるようになった。
 メリットしか愛せなかったヘラヘラ笑うだけの少女はもういない。 

 私は、蒔かれた場所で咲き誇る花になろう。
 
 
 玉苗が美しい田んぼの横を、私は全速力の自転車で走り抜けた。
 

 <終>