「去年俺が半年間藤沢と同室だったのは知ってるだろ?」
「うん」
「俺と一緒の部屋に住んでた頃、藤沢は相良さんと付き合ってたんだけど、藤沢のやつ、俺たちの部屋に相良さんを入れやがったんだ」
「えっ!」
 全国どこの学生寮でも大体同じ規則を設けているはずなのだが、うちの寮でも異性を寮に入れることに関しては厳格な罰則規定があった。
「じゃ、じゃあ、二人が退寮になったのって、藤沢が相良さんを部屋に入れたからだったの?」
「そうだ」
 嘘だろ? チャラ男代表みたいな見た目してるとは思ってたけど、まさか本当に破ってはいけないルールを破るほどいい加減なやつだったとは!
 いや、この際二人のことは自業自得で片付けられるとして、納得のいかないことが一つだけあった。
「……黒瀬君、藤沢が退寮になった理由、みんながなんて噂してるか知ってる?」
「知ってるよ。俺と馬が合わなくて出てったってことになってんだろ?」
「いや、そんな生優しい感じじゃないよ! 黒瀬君が一人で部屋を使いたかったから、いじめて藤沢を追い出したって俺は聞いたよ!」
「なんだそれ。まあ別に理由なんてなんでもいいんだけど」
 呑気にそう言いながら手作りサンドイッチをかじる黒瀬の横顔を見ながら、なぜだか俺の方が怒りが湧き上がってイライラしてきた。
「なんでそんなに呑気にしてられるんだよ! あいつら自分が悪くて退寮になってるのに、みんな黒瀬君のせいだと勘違いしてるんだよ? しかも結構な酷い理由で!」
「別に俺は元々評判悪かったし、そこに悪い噂が一つ加わったところでどうってこと無い。藤沢のことはどっちかって言うと本当に嫌いだったし。でも男の部屋に入ったせいで退寮になったなんて知れたら、相良さんは結構キツいんじゃないかな。女子のコミュニティってよく分かんないけど、そういうのが人間関係に影響して学校来られなくなったりしても困るし」
 俺は黒瀬が教室で相良の挨拶を無視したように見えた時のことを思い出した。その時俺は一体何を思ったんだっけ?
 ーーいくら自分の興味の無い相手だからって、あんな風に無視したら女の子が恥をかくに決まってるじゃないか!
 違う。全然違った。黒瀬は女の子が恥をかくようなことを平気でするような人間ではなかったのだ。むしろ女の子が恥をかかないように、自分から進んで泥を被ってやるような人間だったのだ。
 ああ、やっぱりかっこいいな、こいつ。相良さんが藤沢から乗り換えるのも当然だ。男の俺でも惚れそうだもの。
 しかし相良も相良だ。自分は黒瀬に守られておいて、いけしゃあしゃあと「好きです」だなんて。本当に好きなら黒瀬の悪い噂を払拭するぐらいしたらどうなんだ?
「お前も災難だったな」
「えっ?」
「俺みたいな悪い噂の人間と同室にさせられて」
「いや……!」
「それに俺、他人に言われて初めて気が付くこと結構多いんだ。相良さんの挨拶無視したのも全然気付かなかったし、シャーペンの音でお前を悩ませてたのも知らなかった」
「そんなの全然いいって!」
 思わず大声でそう言った俺を、黒瀬は驚いたような表情で見つめてきた。
 そんなの全然いい。見た目によらず少し抜けているだけで、他人を傷つけるつもりなんて一ミリも無い。同室になったおかげで、誰も知らない黒瀬の一面を知ることができた。俺だけが知っている、可愛らしい黒瀬の一面。その事実だけで、俺はなんだかふわふわと浮ついた気分になるのを止められなかった。
(本当のことをみんなに伝えて黒瀬の誤解を解きたいけど、それで相良さんの立場が悪くなったら、わざわざ自分が悪者になってまで黒瀬が彼女を庇った努力が無駄になってしまう)
 それに、心のどこかでみんなには隠しておきたいと思っている自分がいた。
(本当の黒瀬を知ったら、ハイエナのように色んな人間がこぞって寄って来てしまうんじゃないか?)
 せっかく俺が見つけた原石なのに、それが宝石だと明らかになった瞬間他人に横取りされるなんてたまったもんじゃない。
 正統派ヒーローにあるまじき、少し歪んだ感情が、この時初めて俺の中に生まれて胸の中にモヤモヤと広がっていった。
(一体なんだろう、この気持ちって……?)

 文化祭といえば秋に開催している高校が大多数を占めるが、俺たちの高校はなぜか毎年初夏に行っている。
「今年の文化祭なんだけどさ、俺漫才やりたい!」
 文化祭の相談時間としてあてがわれた授業の一コマで、寮生仲間で友野と同室の三木英二が元気にそう発言した。
「え〜、漫才ってハードル高くない?」
「まあでも盛り上がるよね」
「漫才するメンバーと裏方メンバー以外はメイド喫茶でもして、漫才見てもらいながら飲み物提供するとかいいんじゃない?」
「どうせやるなら漫才喫茶にしようよ」
「俺らは部活優先にしたいから、負担少ない役にしてもらえない?」
「オッケー! じゃあ野球部の人たちは裏方ね」
 メインの漫才は三木と斉藤という寮生同士のクラスメイトが組んで行うことになり、みな各々やりたい仕事を受け持って、文化祭の相談は特に揉めることもなくスムーズに終了した。
「白石君、看板作りだよね」
「うん」
 俺は特にやりたいこともなかったため、最後まで余っていた看板作りの役を仰せつかることとなった。
「じゃあ放課後早速始めちゃおうか」
「あれ、相良さんも看板作りだっけ?」
「えっ、白石君ボーッとしてたの? 看板作り、私と白石君だけだよ」
 しまった。どうせ余り物でいいと思ってちゃんと話を聞いていなかった。
「あ、うん、ごめん。そういえばそうだったね。じゃあ放課後作り始めようか」
 別に俺が彼女に何かされたわけではなかったが、相良の顔を見ているとなんだか胸の奥にしこりがあるような、微かにだが不快な気分になってしまう。
(はぁ、こんなことならちゃんと話し合いに参加しておくんだった……)
「あ、そういえば黒瀬君は?」
「えっ?」
 思わず思ったことが口から出てしまい、相良がドキッとしたような表情でチラリと俺を見る。
「あっ、いや、その、俺ら同室だから気になって……」
「あ、そっか、そうだよね」
 俺の言い訳を聞いて、相良はホッとしたように表情を緩めた。
「黒瀬君は何でも屋さんになったよ」
「何でも屋さん?」
「そう。準備で手が足りないところがあったらヘルプに入るの。でも当日は参加したくないから、準備の手伝いだけだって」
 そんな役割があったのか?
「まぁでも誰も怖がって頼まないだろうから、実質何もしない人かな」
「……」
 まあそれが本人のたっての希望というのなら、俺が何か気を回す必要などないのだろう。
「どうする? 私たち二人だけだし、黒瀬君に手伝ってもらう?」
「いや、いいよ」
 考える間もなく俺は即答した。相良が不思議そうな表情で俺を見ていたが、そんなことなどどうでも良かった。
 自分でもどうしてここまでキッパリと言い切ったのかよく分からない。でも、黒瀬のことを好きだと言う女子と、黒瀬を一緒に活動させるのはなんとなく嫌な気分だった。