スクールカースト上位の人間には色んなタイプがいると友野は言っていたが、二年一組の上位層に所属するのは、同じ寮生でゴミ捨てを小宮に押し付けようとしていたあの野球部の二人組だ。
次の日の昼休憩、昼飯を買いに行くのに財布を取り出そうとカバンを漁っていると、パタパタと足音がして悲痛な表情の小宮がこちらにやってくるのが目に入った。
「白石君、今から購買行くところ?」
「そうだけど、小宮も行く? あれ、でも小宮はいつもは学食派だよな?」
「それが、野球部の二人に唐揚げパン買ってくるよう頼まれちゃってさ、白石君ついでに買ってきてくれない?」
あ、これは良くないぞ。
俺は小宮の肩越しにちらっと野球部の二人に目をやった。二人とも尊大な態度で自分たちの席に座ったまま、ニヤニヤとこちらを見ている。
「……お金は受け取った?」
「なんかツケにしといてって言われた」
ツケって、一体いつの時代の商慣習だよ! たかが唐揚げパンの三百円もすっと出さないなんて、この二人、だんだんやることがエスカレートしてきてないか?
「ついでに買ってきてもいいけど、お金は先に受け取らないとダメだ。多分忘れたとか言って返してくれなくなるぞ」
「じゃあ白石君言ってきてよ」
何なんだ小宮。お前もちょっと俺に対して態度がエスカレートしてきてないか?
しかし怯えた様子の小宮を放っておくわけにもいかないので、俺は勇気を出して野球部の二人のところへ談判に向かった。
「あれ、白石じゃん」
とぼけたような声で牽制するようにいきなり声をかけられたが、俺は負けじと両足を踏ん張って二人と対峙した。
「俺今から購買行ってくるけど、手持ちが足りないから先にお金渡しておいてくれない?」
「そうなん? じゃあ小宮が持ってるって言ってたから、小宮に借りてってよ。俺たち今日五千円札しか持ってなくてさ」
アホ小宮!
「いや、でも二人の分を買ってくるのに小宮に借りるってのは……」
「頼むよ白石。俺ら昼休憩も練習あるし、足腰温存しときたいのよ。ほら、早くいかないと売り切れちゃうって!」
全く、この二人はまるで話が通じない。自分たちが優位だと傲っていて、下位の俺たちと話し合う気なんかそもそもないのだから当然なのだろうが。
焦らすような言葉の圧に押されて、俺は仕方なくくるりと教室の出口の方を振り返った。
(俺の昼飯代を使えばとりあえずは足りるから……)
ぬうっ、と目の前に鋭い目つきの黒い影が立ち塞がっていて、俺は危うく尻餅をつきそうになった。
「うわっ!」
「俺も今から購買行くから、ついでに買ってきてやるよ」
「え?」
驚く俺の目の前に、黒瀬は綺麗に日に焼けた右手をさっと差し出してきた。
「人数多いしいくらかかるか分からないから、とりあえず五千円よこせよ」
「えっ、ごめん、五千円は持ってなくて……」
「そうか、じゃあお前の分よこせ。ちょうど持ってんだろ?」
黒瀬は細身だが、背が高いし筋肉質なので、詰め寄られると結構な圧があった。ただでさえ滅多に喋らない上に背中に悪名を背負っている彼は、ある意味カースト外の異質な存在であり、上位に所属していると自惚れている野球部員たちも黒瀬の前では大きな顔をできずに戸惑っている様子だ。
「……いや、別に黒瀬君に行ってもらわなくても……」
「なんでだよ。足腰温存したいだけなら別に誰が買いに行ったっていいだろ?」
「いや、でも……」
「俺白石に最近迷惑かけたばっかりだったから、ちょうど何か罪滅ぼししたいと思ってたんだ。白石の昼飯買いに行くついでだから、お前らのお使いも一緒にまとめてしてきてやるよ」
とても罪滅ぼしをしたいと言っている人間の表情とは思えない目つきで詰め寄られて、二人の野球部員は顔を見合わせると、同時にその場でばっと立ち上がった。
「や、やっぱ俺、今日は学食にするわ」
「お、俺もそうする。黒瀬君は白石の分だけ買ってきなよ」
そう言い残すと、二人は逃げるようにそそくさと教室を出て学食へ向かって走って行った。
「……学食の券売機、五千円札は使えないと思うんだけど」
黒瀬は吐き捨てるようにそう呟くと、出て行った二人を追っていた視線を再び俺に戻した。
「それで、何買ってきたらいいんだ?」
「えっ? いや、いいよ! 自分で買ってくるから」
「じゃあ早くいかないと、欲しいパン売り切れるぞ」
「あっ!」
確かにだいぶ無駄な時間を食ってしまった。俺は慌てて教室を飛び出すと、購買に向かって走り出した。廊下を飛ぶように走っている間に先ほどのやり取りが少しずつ頭の中で整理されて、とある感情が胸の中にふつふつと湧き上がってきた。
(よ、良かったぁ〜)
全身が脱力するような、心からの安堵の感情。あのまま野球部の要求通りに動いていたら、きっとこれからも事あるごとにツケにしてくれとたかられていたに違いない。
(教室で喋ってるところなんか、先生との最低限のやり取りぐらいでしか見たことなかったのに。黒瀬、俺のこと助けてくれたのかな?)
吹き抜けの廊下に飛び出した瞬間、強く吹いてきた風がさあっと俺の前髪を後方に吹き飛ばすように流していく。視界が急にクリアになって、それと同時に俺の心の中の黒瀬が纏っていたモヤモヤとした黒い霧のイメージもさっと取り払われ、真っ暗な舞台でスポットライトを当てられているようなイメージに変化した。
(これってひょっとして、俺が昔なりたかったヒーローの姿じゃないか?)
悪人を倒して弱者を救う、誰もが思い描く理想的なヒーロー像。しかしそれは誰もがなれる姿ではない。生まれ持った容姿や雰囲気、カリスマ性など、他者を圧倒できる資質が必要だ。人は他人をキャラに当てはめて見る傾向があり、その人がキャラに合っていない行動を取ってしまうと、馬鹿にされたり嘲笑の対象になってしまう。俺が黒瀬と同じ行動を取ったとしても、凡人の俺では笑われるか相手の怒りを買うのがオチなのである。
高身長で、イケメンで、他者を寄せ付けない鋭い視線とオーラを纏う黒瀬だからこそ作り上げられる姿なのである。
(かっっっっっっこいい!!!)
いや、あの目つきの悪さや口調は正統派ヒーローとは言えない。むしろダークヒーローだ。良いじゃないかダークヒーロー! 最近流行りのダークヒーロー!
(あっ、そう言えば俺、さっきのお礼言ってなかった!)
黒瀬はいつもどこで昼食を取っているのだろう? 学食で見かけたこともないし、購買でパンを買う姿も見たことがない。そもそも何を食べているんだ?
何とかお目当ての惣菜パンを手に入れた俺は、友野に断りを入れて黒瀬を探すことにした。教室や中庭、学食も一応確認したが、どこにも黒瀬の姿は見当たらない。
(一般的にみんながご飯を食べそうな場所にいないってことは、一人で静かに過ごせる場所にきっといるんだな)
青春ドラマでど定番の屋上……は残念ながらうちの学校では施錠されていて入れないため、俺は寮の近くが怪しいと目星をつけた。あのグラウンドに面したゴミ捨て場の辺りだ。あそこなら寮生以外は入りづらいし、ゴミ捨て場に近づき過ぎなければ臭いも気にならない、一人になりたい人間の穴場スポットと言えた。
息を切らして目的の場所を目指していると、俺の予想通り遠目に背の高い人影が見えた。
(よっしゃビンゴ!)
が、近づくにつれて、黒瀬は一人でそこにいるわけではないということが分かった。思わず歩調を緩め、忍足でこっそり近付いていくと、黒瀬と向かい合って立っているセーラー服姿の女子生徒の声が聞こえてきた。
「……わ、私、黒瀬君のことが好きです!」
次の日の昼休憩、昼飯を買いに行くのに財布を取り出そうとカバンを漁っていると、パタパタと足音がして悲痛な表情の小宮がこちらにやってくるのが目に入った。
「白石君、今から購買行くところ?」
「そうだけど、小宮も行く? あれ、でも小宮はいつもは学食派だよな?」
「それが、野球部の二人に唐揚げパン買ってくるよう頼まれちゃってさ、白石君ついでに買ってきてくれない?」
あ、これは良くないぞ。
俺は小宮の肩越しにちらっと野球部の二人に目をやった。二人とも尊大な態度で自分たちの席に座ったまま、ニヤニヤとこちらを見ている。
「……お金は受け取った?」
「なんかツケにしといてって言われた」
ツケって、一体いつの時代の商慣習だよ! たかが唐揚げパンの三百円もすっと出さないなんて、この二人、だんだんやることがエスカレートしてきてないか?
「ついでに買ってきてもいいけど、お金は先に受け取らないとダメだ。多分忘れたとか言って返してくれなくなるぞ」
「じゃあ白石君言ってきてよ」
何なんだ小宮。お前もちょっと俺に対して態度がエスカレートしてきてないか?
しかし怯えた様子の小宮を放っておくわけにもいかないので、俺は勇気を出して野球部の二人のところへ談判に向かった。
「あれ、白石じゃん」
とぼけたような声で牽制するようにいきなり声をかけられたが、俺は負けじと両足を踏ん張って二人と対峙した。
「俺今から購買行ってくるけど、手持ちが足りないから先にお金渡しておいてくれない?」
「そうなん? じゃあ小宮が持ってるって言ってたから、小宮に借りてってよ。俺たち今日五千円札しか持ってなくてさ」
アホ小宮!
「いや、でも二人の分を買ってくるのに小宮に借りるってのは……」
「頼むよ白石。俺ら昼休憩も練習あるし、足腰温存しときたいのよ。ほら、早くいかないと売り切れちゃうって!」
全く、この二人はまるで話が通じない。自分たちが優位だと傲っていて、下位の俺たちと話し合う気なんかそもそもないのだから当然なのだろうが。
焦らすような言葉の圧に押されて、俺は仕方なくくるりと教室の出口の方を振り返った。
(俺の昼飯代を使えばとりあえずは足りるから……)
ぬうっ、と目の前に鋭い目つきの黒い影が立ち塞がっていて、俺は危うく尻餅をつきそうになった。
「うわっ!」
「俺も今から購買行くから、ついでに買ってきてやるよ」
「え?」
驚く俺の目の前に、黒瀬は綺麗に日に焼けた右手をさっと差し出してきた。
「人数多いしいくらかかるか分からないから、とりあえず五千円よこせよ」
「えっ、ごめん、五千円は持ってなくて……」
「そうか、じゃあお前の分よこせ。ちょうど持ってんだろ?」
黒瀬は細身だが、背が高いし筋肉質なので、詰め寄られると結構な圧があった。ただでさえ滅多に喋らない上に背中に悪名を背負っている彼は、ある意味カースト外の異質な存在であり、上位に所属していると自惚れている野球部員たちも黒瀬の前では大きな顔をできずに戸惑っている様子だ。
「……いや、別に黒瀬君に行ってもらわなくても……」
「なんでだよ。足腰温存したいだけなら別に誰が買いに行ったっていいだろ?」
「いや、でも……」
「俺白石に最近迷惑かけたばっかりだったから、ちょうど何か罪滅ぼししたいと思ってたんだ。白石の昼飯買いに行くついでだから、お前らのお使いも一緒にまとめてしてきてやるよ」
とても罪滅ぼしをしたいと言っている人間の表情とは思えない目つきで詰め寄られて、二人の野球部員は顔を見合わせると、同時にその場でばっと立ち上がった。
「や、やっぱ俺、今日は学食にするわ」
「お、俺もそうする。黒瀬君は白石の分だけ買ってきなよ」
そう言い残すと、二人は逃げるようにそそくさと教室を出て学食へ向かって走って行った。
「……学食の券売機、五千円札は使えないと思うんだけど」
黒瀬は吐き捨てるようにそう呟くと、出て行った二人を追っていた視線を再び俺に戻した。
「それで、何買ってきたらいいんだ?」
「えっ? いや、いいよ! 自分で買ってくるから」
「じゃあ早くいかないと、欲しいパン売り切れるぞ」
「あっ!」
確かにだいぶ無駄な時間を食ってしまった。俺は慌てて教室を飛び出すと、購買に向かって走り出した。廊下を飛ぶように走っている間に先ほどのやり取りが少しずつ頭の中で整理されて、とある感情が胸の中にふつふつと湧き上がってきた。
(よ、良かったぁ〜)
全身が脱力するような、心からの安堵の感情。あのまま野球部の要求通りに動いていたら、きっとこれからも事あるごとにツケにしてくれとたかられていたに違いない。
(教室で喋ってるところなんか、先生との最低限のやり取りぐらいでしか見たことなかったのに。黒瀬、俺のこと助けてくれたのかな?)
吹き抜けの廊下に飛び出した瞬間、強く吹いてきた風がさあっと俺の前髪を後方に吹き飛ばすように流していく。視界が急にクリアになって、それと同時に俺の心の中の黒瀬が纏っていたモヤモヤとした黒い霧のイメージもさっと取り払われ、真っ暗な舞台でスポットライトを当てられているようなイメージに変化した。
(これってひょっとして、俺が昔なりたかったヒーローの姿じゃないか?)
悪人を倒して弱者を救う、誰もが思い描く理想的なヒーロー像。しかしそれは誰もがなれる姿ではない。生まれ持った容姿や雰囲気、カリスマ性など、他者を圧倒できる資質が必要だ。人は他人をキャラに当てはめて見る傾向があり、その人がキャラに合っていない行動を取ってしまうと、馬鹿にされたり嘲笑の対象になってしまう。俺が黒瀬と同じ行動を取ったとしても、凡人の俺では笑われるか相手の怒りを買うのがオチなのである。
高身長で、イケメンで、他者を寄せ付けない鋭い視線とオーラを纏う黒瀬だからこそ作り上げられる姿なのである。
(かっっっっっっこいい!!!)
いや、あの目つきの悪さや口調は正統派ヒーローとは言えない。むしろダークヒーローだ。良いじゃないかダークヒーロー! 最近流行りのダークヒーロー!
(あっ、そう言えば俺、さっきのお礼言ってなかった!)
黒瀬はいつもどこで昼食を取っているのだろう? 学食で見かけたこともないし、購買でパンを買う姿も見たことがない。そもそも何を食べているんだ?
何とかお目当ての惣菜パンを手に入れた俺は、友野に断りを入れて黒瀬を探すことにした。教室や中庭、学食も一応確認したが、どこにも黒瀬の姿は見当たらない。
(一般的にみんながご飯を食べそうな場所にいないってことは、一人で静かに過ごせる場所にきっといるんだな)
青春ドラマでど定番の屋上……は残念ながらうちの学校では施錠されていて入れないため、俺は寮の近くが怪しいと目星をつけた。あのグラウンドに面したゴミ捨て場の辺りだ。あそこなら寮生以外は入りづらいし、ゴミ捨て場に近づき過ぎなければ臭いも気にならない、一人になりたい人間の穴場スポットと言えた。
息を切らして目的の場所を目指していると、俺の予想通り遠目に背の高い人影が見えた。
(よっしゃビンゴ!)
が、近づくにつれて、黒瀬は一人でそこにいるわけではないということが分かった。思わず歩調を緩め、忍足でこっそり近付いていくと、黒瀬と向かい合って立っているセーラー服姿の女子生徒の声が聞こえてきた。
「……わ、私、黒瀬君のことが好きです!」


