何をやっているかって? 見ての通りゴミ出し当番である。でも、フェンスの向こうから鋭い目でこちらを睨んでいるように見える浅黒い長身イケメンに向かって、そんな生意気な口をきけるはずがなかった。
「え……黒瀬、君!?」
「そうだけど?」
 喋った! 記念すべき黒瀬との最初の会話であった。まさか向こうから話しかけてくるなんて!
「く、黒瀬君こそ何してるの?」
「俺? 朝練だけど」
 そうか、彼がいつも俺より先に登校していたのは、陸上部の朝練があったからなのか。黒瀬の癖のある黒髪は既にびっしょりと濡れていて、俺にゴミ出しを押し付けて出て行った野球部員の二人よりよっぽど真面目に部活に参加していることが伺えた。
「今日はゴミ出し当番の日じゃないだろ?」
「え、なんで知ってるの?」
 思わず思ったことをそのまま口に出して尋ねると、黒瀬は「何言ってんだこいつ?」と言わんばかりの目でジロリと俺を見た。
「俺とお前、同室だから一緒の当番なんだけど」
「あ、そうだよね、アハハハ」
 黒瀬の視線がますます鋭くなってくるような気がして、俺は慌てて弁解した。
「と、友達に代わってくれって頼まれてさ。今日の宿題がまだできてなかったらしくて」
「じゃあ俺たちが当番の日はそいつが代わってくれるのか?」
 鋭い所を突かれて、俺は思わず言葉に詰まってしまった。代わってくれる……わけがないな。
「……代わってあげたんじゃなくて、俺が引き受けたんだ」
 より誤解を招きにくい言葉に言い直すと、黒瀬は眉根に皺を寄せて厳しい表情を作った。
「お前、そうやってなんでも引き受けてるけど、あいつのこと好きなのか?」
「……え?」
 あいつって、誰のこと? ていうか何の話?
「あのちっこいやつだよ。部屋替えの時、お前がクジ交換してやってたやつ」
「えっ!?」
 部屋替えの時に不正を働いてたの、普通にバレてた! しかもゴミ出しを引き受けてやった相手も小宮だとなぜか知ってるし。そっちも気になったが、そんなことよりも先に重大な誤解を解かなければならない。
「違うよ! 別に小宮が特別だからとかそんなんじゃなくて、俺は誰が相手でも同じことをするよ」
「そうやっていい人ぶってたら人に好かれるとでも思ってるのか? 残念だけど、そういうやつは他人にいいように利用されるだけで、誰もお前に感謝したりなんかしないぜ」
 黒瀬の言葉は冷たくてまっすぐで、限りなく真実に近かった。だから俺もまっすぐに彼を見返して、心の内を正直に言葉にした。
「別に人に好かれたくてやってるわけじゃないよ。感謝くらいはして欲しいけど。俺はただ、ヒーローになりたかっただけで……」
「ヒーロー?」
 しまった! うっかり言わなくてもいいのに中二病発言までしてしまった! 目の前の黒瀬の目の温度はもはや氷点下に近い。完全にドン引きされている。
「こ、子供の頃、戦隊モノのヒーローになるのが夢だったんだ。だけど割と早い段階でヒーローレンジャーにはなれないことに気がついたんだ」
 ヒーローレンジャーとは、俺が子供の時に朝の八時から放送されていた戦隊番組の名称である。
「良かったよ、今でもなりたいんだとか言い出さなくて」
「ヒーローってさ、やってることって敵を倒して人々を安心させてあげることだろ? 誰かをホッとさせてあげることぐらいなら俺でもできるんじゃないかって、その時同時に気が付いてさ。だから別に誰かのためにやってるんじゃなくて、これは子供の頃からの夢を叶えたい俺のただの自己満足なんだよ」
 黒瀬は相変わらず奇妙な生き物を見るかのような目で俺のことをじっと見ていたが、最終的に「キモッ」と一言だけ吐き捨て、そのままくるりと踵を返してグラウンドの真ん中へ戻って行ってしまった。黒瀬が去った後、俺は足の力が抜けて思わずその場にヘナヘナと座り込んでしまった。
 な、何とか言葉を交わすことができた。見た目通り、噂通りの辛辣さだったが、全く会話にならない相手というわけでもなかった。初日は俺と話すつもりなんか全然なさそうだったのに、何かしらの心境の変化でもあったのだろうか?

 親元を離れ、寮で生活する俺たちは、ある程度のことは親がやっておいてくれる自宅生とは違ってやらなければならない家事がいくつかあった。食事は朝夕二食付きで、昼食は購買や学食を利用するので料理をする必要はなかったが、ゴミ捨てや共用部分の掃除は当番で回って来るし、自分達の部屋も誰かが掃除してくれるわけではなかったため、何もしなければ当然埃が溜まっていくことになる。
 とはいえ掃除というのは、最悪数日間忘れていても致命傷になることはない。なんか最近やたら髪の毛が落ちてるんだけど? と気づいてから着手しても大した問題ではない。同居人が極度の潔癖症でもなければ。
 だが、忘れると致命傷になり得る家事が一つだけ存在した。
 その日、はっと目が覚めた俺は、黄緑色のカーテンの外が白々と明けていることに気が付き、全身からさあっと血の気が引いていくのを感じた。
(嘘だろ? 五分だけの仮眠のつもりだったのに……)
 筆音による精神攻撃で夜の勉強時間に全く集中できないため、俺は難しい宿題は黒瀬が勉強を終えてから取り組む作戦に出ていた。それまでは簡単にできる宿題をこなしたり、こっそり漫画を読んだりしてやり過ごすのだ。それで最近就寝時間が遅くなって寝不足気味だったのだが、昨日はどうしても眠気に勝てず、五分だけ布団に入ってから家事をやろうとしてそのまま寝過ごしてしまったのだ。
 ーーやばい、洗濯物を洗濯カゴに入れっぱなしだった!
 黒瀬との会話が必要になり得るシチュエーションについて、小宮と話していた内容を思い出して頂きたい。確かこう言っていたはずである。「洗濯物が生乾きで臭うとか」
 しかも体操服! 一晩干しておけば十分乾く速乾生地の体操服だが、洗濯カゴに入れっぱなしでは当然濡れたままだ。今日の体育で必要だってのに。ああ昨日の俺、なんで最重要の必須家事を後回しになんかしたんだ!
 慌ててシャッとカーテンを開けた俺は、ベッドの足元に置かれた洗濯カゴを見てピタリと動きを止めた。
 あれ? カゴの中身空っぽなんだけど。え、まさか寝ぼけてそもそも洗濯機から出してすらなかったとか?
 慌ててランドリールームに駆け込んだが、どの洗濯機も蓋が空いていて中身は空っぽだった。おかしいな、と首を傾げながら歩いていてふと窓の外に目をやった時、見覚えのある下着が洗濯バサミで吊られているのが目に入った。
 ーーあれ、俺のパンツじゃね?