四〇三号室の住人は既に出て行った後で、俺は高校二年生の残りの半年間を過ごすことになる部屋のドアをゆっくりと開けると、押してきた台車ごと中に足を踏み入れた。
(……黒瀬君、大丈夫だったかな?)
初めて同士の初体験。当然事がスムーズに進むはずがなかった。「やり方は知ってる」と豪語していたにも関わらず、黒瀬はずっと痛みを我慢しているかのようにぎゅっと目をつぶっていた。
(それがまた色っぽくて良かったんだけど……)
こんなことならもっと早く、こちらから告白しておけばよかった。せっかくずっと同じ部屋で過ごしていたのに、もうこんなチャンス二度とめぐって来ないだろう。
(残りのチャンスは高校三年生になってからの二回だけど、同じ人間ともう一度同室になれる確率ってどれくらいなんだろう……)
俺は小さくため息をつくと、台車に乗せていた段ボール箱を床に下ろし始めた。
寮の二人部屋は入り口から入って左右にそれぞれ机とベッドが配置されていて、右側を自分のテリトリーにするか左側にするかは住人同士で相談して決める。別にどちらでも大差ないのだが、なんとなく俺は左側の机に自分の荷物を置いた。黒瀬と半年間過ごした部屋でも、俺は左側を選んでいた。特に理由は無いんだけど。同室になるはずの小宮はなかなか来ないし、勝手に俺はどちら側を使うか決めさせてもらうことにした。
段ボールの中身を机に出していると、寮でつかっている筆箱に付けた赤いガラスのキーホルダーがカチャリと机に当たって音を立てた。
(……やっぱり、引っ越し手伝いに行こうかな。いやでも黒瀬君の荷物段ボール一箱だけだし、もうとっくに終わってるかも)
むしろガチャガチャと荷物の多い小宮を手伝うべきかもしれない。なかなかここに上がってこないのも、物が多すぎて荷造りが終わっていないからかもしれなかった。
(ったく、最初から最後まで世話の焼けるやつだな)
その時、扉がガチャリと開いて、ようやく相方が四〇三号室に入って来た。
「遅かったじゃないか。勝手に左側……」
そう言いながら振り返った俺は、予想していた小動物のような小宮の代わりに長身の浅黒い男が立っていることに驚いて、思わず手に持っていた教科書を足の上に落としてしまった。
「痛って!」
「大丈夫か?」
黒瀬は持ってきた段ボール箱を右側の机に置くと、かがんで俺が落とした教科書類を拾い上げてくれた。
「えっ、黒瀬君、どうしてここに? 引っ越しは?」
「今からだろ」
黒瀬はこともなげにそう言うと、持ってきた段ボールを手で指し示した。
「えっ? でも黒瀬君は二階だろ? ていうか小宮は?」
「小宮は二階」
黒瀬はそう言いながら、段ボール箱を開いて中身を机に出し始めた。
「小宮と部屋を替わってもらったんだ」
「ええっ?」
「あいつだって半年前に同じことをしたんだから、俺に何か言える筋合いなんてないだろ」
た、確かに。
「あいつ白石と同じ部屋になって、いろいろ助けてもらえると思って喜んでたみたいだけど、俺がちょっと優しく言ったらすぐに大人しく部屋交換してくれたよ」
珍しく黒瀬が悪そうな笑みを浮かべていたため、俺も思わずつられて笑顔になっていた。
「そんなに優しく言ったんだ」
「なんであんなに怯えていたのか皆目見当が付かないけどな」
黒瀬がベッドに腰を下ろしたため、俺はすぐに黒瀬の隣に移動して黄緑色のカーテンをシャッと閉めた。
「おい! 今はまだ……」
「キスだけはだめ?」
さっきは切羽詰まって余裕がなくて、キスをするのをすっかり忘れていたのだ。
「……いいけど、本当にそれだけだからな」
「分かってるって」
初めてのキス、初めての体験、初めての気持ち。全てが真新しくて新鮮で、生まれたての若葉のように瑞々しく、喜びに満ち溢れている。
「……これからまた半年間よろしくね」
「……うん」
見上げた黒瀬の瞳は艶っぽく濡れていて、目の前の俺に対する愛情に満ちているような気がした。半年前の刺すような鋭い視線とは雲泥の差だ。そんな一つ一つの黒瀬のギャップが、俺を骨抜きにして虜にしていく。
「半年もあれば、きっと俺上手になると思うから」
「お前そればっかりかよ」
「ち、違うよ! 別にそんなつもりで言ったんじゃないけど、さすがにさっきはダメダメだったと思ったから……」
慌てて弁解する俺を見て、黒瀬は心からおかしそうにふふっと笑った。
「分かってるって。まぁ、お手柔らかに頼むわ」
終わり
(……黒瀬君、大丈夫だったかな?)
初めて同士の初体験。当然事がスムーズに進むはずがなかった。「やり方は知ってる」と豪語していたにも関わらず、黒瀬はずっと痛みを我慢しているかのようにぎゅっと目をつぶっていた。
(それがまた色っぽくて良かったんだけど……)
こんなことならもっと早く、こちらから告白しておけばよかった。せっかくずっと同じ部屋で過ごしていたのに、もうこんなチャンス二度とめぐって来ないだろう。
(残りのチャンスは高校三年生になってからの二回だけど、同じ人間ともう一度同室になれる確率ってどれくらいなんだろう……)
俺は小さくため息をつくと、台車に乗せていた段ボール箱を床に下ろし始めた。
寮の二人部屋は入り口から入って左右にそれぞれ机とベッドが配置されていて、右側を自分のテリトリーにするか左側にするかは住人同士で相談して決める。別にどちらでも大差ないのだが、なんとなく俺は左側の机に自分の荷物を置いた。黒瀬と半年間過ごした部屋でも、俺は左側を選んでいた。特に理由は無いんだけど。同室になるはずの小宮はなかなか来ないし、勝手に俺はどちら側を使うか決めさせてもらうことにした。
段ボールの中身を机に出していると、寮でつかっている筆箱に付けた赤いガラスのキーホルダーがカチャリと机に当たって音を立てた。
(……やっぱり、引っ越し手伝いに行こうかな。いやでも黒瀬君の荷物段ボール一箱だけだし、もうとっくに終わってるかも)
むしろガチャガチャと荷物の多い小宮を手伝うべきかもしれない。なかなかここに上がってこないのも、物が多すぎて荷造りが終わっていないからかもしれなかった。
(ったく、最初から最後まで世話の焼けるやつだな)
その時、扉がガチャリと開いて、ようやく相方が四〇三号室に入って来た。
「遅かったじゃないか。勝手に左側……」
そう言いながら振り返った俺は、予想していた小動物のような小宮の代わりに長身の浅黒い男が立っていることに驚いて、思わず手に持っていた教科書を足の上に落としてしまった。
「痛って!」
「大丈夫か?」
黒瀬は持ってきた段ボール箱を右側の机に置くと、かがんで俺が落とした教科書類を拾い上げてくれた。
「えっ、黒瀬君、どうしてここに? 引っ越しは?」
「今からだろ」
黒瀬はこともなげにそう言うと、持ってきた段ボールを手で指し示した。
「えっ? でも黒瀬君は二階だろ? ていうか小宮は?」
「小宮は二階」
黒瀬はそう言いながら、段ボール箱を開いて中身を机に出し始めた。
「小宮と部屋を替わってもらったんだ」
「ええっ?」
「あいつだって半年前に同じことをしたんだから、俺に何か言える筋合いなんてないだろ」
た、確かに。
「あいつ白石と同じ部屋になって、いろいろ助けてもらえると思って喜んでたみたいだけど、俺がちょっと優しく言ったらすぐに大人しく部屋交換してくれたよ」
珍しく黒瀬が悪そうな笑みを浮かべていたため、俺も思わずつられて笑顔になっていた。
「そんなに優しく言ったんだ」
「なんであんなに怯えていたのか皆目見当が付かないけどな」
黒瀬がベッドに腰を下ろしたため、俺はすぐに黒瀬の隣に移動して黄緑色のカーテンをシャッと閉めた。
「おい! 今はまだ……」
「キスだけはだめ?」
さっきは切羽詰まって余裕がなくて、キスをするのをすっかり忘れていたのだ。
「……いいけど、本当にそれだけだからな」
「分かってるって」
初めてのキス、初めての体験、初めての気持ち。全てが真新しくて新鮮で、生まれたての若葉のように瑞々しく、喜びに満ち溢れている。
「……これからまた半年間よろしくね」
「……うん」
見上げた黒瀬の瞳は艶っぽく濡れていて、目の前の俺に対する愛情に満ちているような気がした。半年前の刺すような鋭い視線とは雲泥の差だ。そんな一つ一つの黒瀬のギャップが、俺を骨抜きにして虜にしていく。
「半年もあれば、きっと俺上手になると思うから」
「お前そればっかりかよ」
「ち、違うよ! 別にそんなつもりで言ったんじゃないけど、さすがにさっきはダメダメだったと思ったから……」
慌てて弁解する俺を見て、黒瀬は心からおかしそうにふふっと笑った。
「分かってるって。まぁ、お手柔らかに頼むわ」
終わり


