「……野球部の二人に唐揚げパン買ってくるよう頼まれちゃってさ、白石君ついでに買ってきてくれない?」
 この手の人間というのはどうも際限なくつけあがっていくようだ。野球部の二人しかり、この小動物の小宮もしかり。
「俺今から購買行ってくるけど、手持ちが足りないから先にお金渡しておいてくれない?」
「そうなん? じゃあ小宮が持ってるって言ってたから、小宮に借りてってよ。俺たち今日五千円札しか持ってなくてさ」
 そしてこの白石のお人好しも、とどまることを知らないらしい。全く、お前は常に誰かのヒーロー気取りでいたいらしいが、お前が困っている時にお前を助けてくれるヒーローは一体どこにいるっていうんだ?
「俺も今から購買行くから、ついでに買ってきてやるよ」
 気付いたら体が勝手に動いていた。クラスのやつらとなんか、しかも軽蔑にしか値しないような人間となんか、絶対に関わり合いになるつもりなんかなかったのに。
「白石の昼飯買いに行くついでだから、お前らのお使いも一緒にまとめてしてきてやるよ」
 くそみたいな底辺の連中に、わざわざ俺から声をかけてしまった。案の定野球部の二人はこそこそと逃げるように自分たちで昼飯を調達しに行ったようだ。期待通りの反応だったが、胸糞が悪いことに変わりはない。でもなんだか白石がほっとしたような表情をしている気がしたから、俺はそれで充分満足だった。
 なるほど、白石がヒーローになりたがる気持ちが少しだけ分かった気がする。相手のほっとしたような顔を見るのは悪い気分じゃない。まあ俺の場合は、不特定多数の人間が相手ってわけじゃない気がするけど。

 パアンッ! と音がした瞬間、白石がゴミ捨て場の地面にどさりと倒れこんだ。助け起こさなければ、と思ったが、全身がかっと熱くなるような怒りが沸いて、気が付いた時には腕を藤沢に向かって振り上げた状態で白石に後ろから羽交い絞めにされていた。
「左頬を張られたら、右頬も差し出しなさい!」
 こいつ、またなんかやばい事口走ってないか?
「暴力はダメだよ」
 先に頬を張られたのはお前なんだぞ。しかもお前は何の関係も無いのに。
 それでも白石が本気で望んでいないと分かっていたから、俺はゆっくりと白石に引っ張られるがままに振り上げていた腕を下ろした。
 白石の頬が腫れている。しかもどんどん熱が上がるように赤みが増して、痛々しい事この上ない。
(俺のせいで……)
 みっともなかったけど、声が震えるのを押さえられなかった。なんでお前はそんなにもお人好しなんだ? ヒーローになりたいからって、そこまで体を張る必要なんかあるのか? ていうか別に俺のために体を張らなくたって、お前の自尊心を満たしてくれる対象なんて他にいくらでもいるじゃないか。頼むから俺のために傷ついたり、不利益を被るような真似はしないでくれ。
 頼むから、俺の情緒をこれ以上掻き乱すような真似をするのはやめてくれ。

 白石が俺の忠告を素直に聞くはずなんかないって分かっていたけど、それでも俺の怒りがおさまることはなかった。
(今回ばっかりはあまりにも酷い!)
 何なんだ? 自分で漫才がやりたいって立候補したんだろ? それなのに直前になって緊張したのか何だか知らないけど、その尻拭いをお人好しにさせるなんて、一体どういう了見だ?
(それを二つ返事で快諾する白石も白石だ! お人好しを通り越して、もはや救いようのない間抜けだとしか思えない!)
 文化祭に参加するつもりなど塵ほども無かったのだが、白石のことが気になって仕方がなかった俺は、柄にもなく派手に飾り付けられた入り口をくぐって、学生たちが青春の一ページを満喫している空間に足を踏み入れることとなった。
 案の定、白石のステージは悲惨なことになっていた。当たり前だ。当日いきなり原稿を渡されて、数行のやり取りができただけでも十分褒めるに値することだと思う。
(だから言わんこっちゃない……)
 セリフの出てこなくなった白石は、キラキラの衣装を身につけたまま、汗をダラダラと流しながらステージの上で棒立ちになっていた。うん、間抜け以外の何物でもない。
 でもなんだろう。必死にステージを繋ごうと隣で何かまくし立てている相方を完全に無視して、一人魂が抜けたように放心状態で突っ立っている様は、背負っている哀愁が妙にシュールで、俺は腹をくすぐられるようにジワジワと笑いが込み上げてくるのを感じていた。
(……ぶっ!)
 誰も笑っていないこの空間で、俺だけ笑っているのは明らかにおかしい。でも、笑ってはいけないと考えれば考えるほど笑いとは制御が難しくなるもので、俺は堪えきれずに肩を小刻みに震わせ始めた。
(あっ……)
 目の前にいたカップルが出て行ったタイミングで、信じられないという表情をした白石と目が合った。そりゃあそうだ。この漫才の一体どこに、こんなにツボるポイントがあったって言うんだ?
 他の誰にも賛同してもらえることはないだろうけど、俺にはあったんだ。ツボるポイントが。
 セリフを忘れて呆然と舞台に棒立ちになっている姿は、他の観客の目にはただただ間抜けにしか映らなかっただろう。でも俺の目には、その姿はとても勇敢で、ヒーローのあるべき鮮やかな姿として美しく力強く映っていたことは確かだった。

「うちの実家に泊ればいい」
 俺は自分の性癖を自覚してから、自分の家に友達を招いたことは一度も無かった。母親もそれを知っていたので、白石のことを話した時は非常に驚いていた。
「え、もしかしてその人彼氏なの?」
「違うよ。ただの同室の友達。でも信用できるやつだから」
 中一の時、俺は自分が同性愛者であることに気が付いた。昨今珍しい話でもないし、両親に話すことにそこまでの抵抗は無かった。俺は両親に愛されていると信じていたからだ。
 母親は俺の思っていた通りに俺のことを愛してくれていたが、父親は少し違ったようだ。
「純一に悪影響があるかもしれないだろ?」
「あなた、そんな言い方って無いんじゃないの?」
 父は俺が兄に何かするんじゃないかと恐れて、ちょうど高校進学を控えていた兄を連れて市内に引っ越してしまった。
 父の反応は中一の俺にはショックだったが、純一兄さんとは今でもそこそこ連絡を取り合う仲だ。
「え、純也、お前寮に入るのか?」
「ああ、この辺高校無いし。父さんの所は嫌がられるだろ?」
「寮って男子寮なのか? 相部屋なんだろう?」
「当たり前だろ」
「それって大丈夫なのか?」
「大丈夫だよ」
 俺はネコだから、物好きなタチが奇跡的な確率で同室にならない限り、不祥事を起こすことはまずあり得ない。
 とはいえ男友達を家に連れて来れば間違いなく母親にそういう目で見られることは分かりきっていたし、面倒を承知で家に呼びたいような人間もいなかったため、今までずっと誰も家に呼んでこなかったのだ。
 そういう意味では、白石は俺にとって特別な人間だった。俺は同性愛者だから、男だったらアリかナシかという目で見ることはどうしても避けられない。白石は全然アリだと思う。でもこいつは誰に対しても優しいお人好しなだけだから、俺に脈ありというわけではないだろう。それでもよかった。たとえ脈がなかったとしても、こいつは俺のテリトリーに入れてもいい人間だと思えたから。