「白石君お願い! 僕の引いたクジと交換してくれない?」
ああ、やってるやってる。早速堂々と不正行為。
俺は食堂の隅でスマホをいじるフリをしながら、小さくため息をついた。
高校一年生の時点で、俺の周囲からの評判は地に落ちたも同然だった。そこまで悪いことをしたつもりはなかったんだが。どうも怒らせてはいけない人間を怒らせてしまったらしい。おまけに生まれつき無表情で近寄りがたい雰囲気を醸し出しているせいで、自ら悪評に説得力を持たせてしまっていた。
(まあ今更だし、別にどうだっていいんだけど)
とはいえ俺も一応は心を持った人間であって、あからさまな嫌悪を陰で向けられていると分かると当然ストレスを感じてしまう。誰だっけあいつ。確か小宮とかいうやつだったか? 俺と同室になるのが嫌なのは分かるけど、せめてそういうのは本人に分からないように隠れて交渉する気遣いを見せてくれよ。ていうか頼まれているやつだって俺と同室なんて嫌に決まってるだろ? 一体どうするつもりなんだ?
「ありがとう! 一生恩に着るよ!」
(あいつは確か……)
白石望。嫌な顔一つせず、笑顔で小宮とクジを交換してやっていた。いったいどんな交渉をしたんだろう?
(金かな? それともなんかの当番を引き受けてもらったとか?)
何にせよ、悪名高い俺と同室にされてしまって、哀れなやつだ。
「あ、もう終わったんだ。早いね。俺なんかまだ……」
白石は気を遣っているのか、引っ越ししてすぐに他愛のない世間話を振ってきていたが、俺はそれには答えずシャッとカーテンを閉めて彼との間にさっそく壁を作った。
部屋が一緒だからといって、別に仲良くする必要なんかない。お互い干渉せず、居ないものとして生活すれば、日々は問題なく過ぎて行くはずなのである。
実家ほどではないが、まあまあな田舎にあるうちの高校の寮の裏手は山になっていて、朝のグラウンドはそこの木々の吐き出した空気が風に乗って運ばれてきてすがすがしい気分になる。朝早く起きるのは正直しんどいが、軽く汗を流せば気だるい眠気もすぐに吹き飛ぶ。こんな花曇りの朝でも、走れば気分は爽快である。
「白石ってマジでアホだよな~」
トラックの端で休憩しているとき、不意に自分と関わりのありそうな人間の名前が聞こえてきて、俺は思わず声のした方を振り返った。朝練はとっくに始まっているというのに、遅れてやってきた野球部員が二人、野球部の集団に加わろうと歩いてくるところだった。
(こんな時間にやってきて怒られないところを見ると、補欠ですらない下っ端ってとこか)
「小宮なんて助けてやったって、絶対恩義とか感じないタイプなのにな」
「まあ小動物っぽいし、昔から可愛がられて育ったんだろ。やってもらって当たり前みたいなとこあるよな」
「ていうかそもそもゴミ捨て小宮に押し付けようとしたのお前だろ?」
「去年いた野球部の他の先輩もあんな感じで、暇そうなやつに寮の当番押し付けてたんだ。伝統みたいなもんだよ」
くだらない。お前ら絶対俺にはそんなこと頼まないだろ。自分より弱そうな人間に仕事を押し付けて、恥ずかしくはないんだろうか?
「まあでも白石がいてくれて助かったよ。あれ以上小宮がごねたら面倒くさいことになってたし」
「ああいうアホにも使い道はあるってことだよな」
どうやら俺と同室の白石は、また小宮の面倒ごとを引き受けてやったらしい。
(別に俺には関係ないことだけど……)
寮のゴミ捨て場はグラウンドの端とフェンス一枚で隔てられた場所にあり、気を付けて見ているとやがて見覚えのある姿がゴミ捨て場をうろつき始めた。
(……小動物がいない。白石一人か?)
まさか、小宮のやつ助けてもらったにもかかわらず、白石一人にゴミ捨てを押し付けて自分はさっさとトンズラしたってのか?
「おい、おい、白石!」
同室のやつと話をするつもりなんてなかったのに、思わず声をかけてしまった。
「……代わってあげたんじゃなくて、俺が引き受けたんだ」
やっぱりゴミ捨て一人で押し付けられてる。どうしてそこまであいつの面倒ごとを引き受けてやるんだ? ひょっとしてあいつのことが好きなのか?
「別に人に好かれたくてやってるわけじゃないよ。感謝くらいはして欲しいけど。俺はただ、ヒーローになりたかっただけで……」
ヒーローってなんだ? 急に何を言い出すんだこいつは。
「こ、子供の頃、戦隊モノのヒーローになるのが夢だったんだ。だけど割と早い段階でヒーローレンジャーにはなれないことに気がついたんだ」
ヒーローレンジャーか。確かに俺もそんなのに憧れた時代があった。もっとも年齢が一桁の時代だけどな。
とりあえず白石は中二病を患っている、他人に感謝されたい欲の強いイタイ男子高校生だということが良く分かった。見た目そんな感じじゃないのに、キモい男だったんだな。俺は思ったことをそのまま告げて、くるりと白石に背を向けた。
まあでも、他人に仕事を平気で押し付ける連中や、俺みたいに他人に無関心なやつに比べたら、自分が満足したいだけの理由で相手に何も求めずに人助けを行う、あいつの方がよっぽど優しい人間だけどな。
白石は夜遅くまで勉強していることが多い。しかしクラスでの様子を見ている限り、そこまで勉強が得意であるようには見えない。単に要領が悪いのろまなのだろうか?
その日珍しく白石が早くベッドに入っていたので、気になってちらりと後ろを振り返った時、俺は見てはいけないものを目にしてしまった。
(あ、こいつ、洗濯籠そのままにして眠ってやがる!)
これは、朝起きた時に絶望するやつじゃないか。
こいつに親切にしてやる義理など全くない。でも、洗濯籠に積み上げられた濡れた衣服たちがまるでこちらをじーっと見ているような気がして気になってしょうがない。「見~た~な~」とでも呪いの言葉をかけられているかのようだ。
『見たのに、気づいたのに、放っておくのか~?』
(ああもう、分かったって!)
別に白石に親切にするのが目的じゃない。洗濯物の無言の圧に耐えきれなかっただけだ!
「ありがとう。俺カゴに入れっぱなしで寝ちゃってさ。焦って起きたからすごくホッとしたよ」
このやりとりをするのが嫌だったんだ。別に俺はいい人でも何でもないのに、こうやって感謝される感じがすごくむず痒くて、いたたまれない。
「黒瀬君、シャーペンの音がすごくうるさいんだって? 白石それで集中できなくて、わざわざ時間をずらして宿題やってるんだよ」
白石の元同室だという友野に言われてはっとした。マジで? 俺のシャーペンの音、そんなにうるさかったのか? 俺自身があんまり音に敏感じゃないから、他人がペンの音を気にすることがあるなんて全く気が付かなかった。一年の前半同室だったやつは大丈夫だったんだろうか? 藤沢はすぐにいなくなったから関係ないけど。
(ていうかうるさいならうるさいって言えよ!)
いや、言えなかったのか。相手が俺だから。
(いやでもあいつ、俺意外の人間から言われたことでもなんでも断らずに引き受けてるし……)
嫌なことは嫌だとはっきり言えばいいのに。ていうか言え! 例え俺意外の人間が相手だったとしても。
何なんだ、この腹が立つような、モヤモヤとした感情は?
ああ、やってるやってる。早速堂々と不正行為。
俺は食堂の隅でスマホをいじるフリをしながら、小さくため息をついた。
高校一年生の時点で、俺の周囲からの評判は地に落ちたも同然だった。そこまで悪いことをしたつもりはなかったんだが。どうも怒らせてはいけない人間を怒らせてしまったらしい。おまけに生まれつき無表情で近寄りがたい雰囲気を醸し出しているせいで、自ら悪評に説得力を持たせてしまっていた。
(まあ今更だし、別にどうだっていいんだけど)
とはいえ俺も一応は心を持った人間であって、あからさまな嫌悪を陰で向けられていると分かると当然ストレスを感じてしまう。誰だっけあいつ。確か小宮とかいうやつだったか? 俺と同室になるのが嫌なのは分かるけど、せめてそういうのは本人に分からないように隠れて交渉する気遣いを見せてくれよ。ていうか頼まれているやつだって俺と同室なんて嫌に決まってるだろ? 一体どうするつもりなんだ?
「ありがとう! 一生恩に着るよ!」
(あいつは確か……)
白石望。嫌な顔一つせず、笑顔で小宮とクジを交換してやっていた。いったいどんな交渉をしたんだろう?
(金かな? それともなんかの当番を引き受けてもらったとか?)
何にせよ、悪名高い俺と同室にされてしまって、哀れなやつだ。
「あ、もう終わったんだ。早いね。俺なんかまだ……」
白石は気を遣っているのか、引っ越ししてすぐに他愛のない世間話を振ってきていたが、俺はそれには答えずシャッとカーテンを閉めて彼との間にさっそく壁を作った。
部屋が一緒だからといって、別に仲良くする必要なんかない。お互い干渉せず、居ないものとして生活すれば、日々は問題なく過ぎて行くはずなのである。
実家ほどではないが、まあまあな田舎にあるうちの高校の寮の裏手は山になっていて、朝のグラウンドはそこの木々の吐き出した空気が風に乗って運ばれてきてすがすがしい気分になる。朝早く起きるのは正直しんどいが、軽く汗を流せば気だるい眠気もすぐに吹き飛ぶ。こんな花曇りの朝でも、走れば気分は爽快である。
「白石ってマジでアホだよな~」
トラックの端で休憩しているとき、不意に自分と関わりのありそうな人間の名前が聞こえてきて、俺は思わず声のした方を振り返った。朝練はとっくに始まっているというのに、遅れてやってきた野球部員が二人、野球部の集団に加わろうと歩いてくるところだった。
(こんな時間にやってきて怒られないところを見ると、補欠ですらない下っ端ってとこか)
「小宮なんて助けてやったって、絶対恩義とか感じないタイプなのにな」
「まあ小動物っぽいし、昔から可愛がられて育ったんだろ。やってもらって当たり前みたいなとこあるよな」
「ていうかそもそもゴミ捨て小宮に押し付けようとしたのお前だろ?」
「去年いた野球部の他の先輩もあんな感じで、暇そうなやつに寮の当番押し付けてたんだ。伝統みたいなもんだよ」
くだらない。お前ら絶対俺にはそんなこと頼まないだろ。自分より弱そうな人間に仕事を押し付けて、恥ずかしくはないんだろうか?
「まあでも白石がいてくれて助かったよ。あれ以上小宮がごねたら面倒くさいことになってたし」
「ああいうアホにも使い道はあるってことだよな」
どうやら俺と同室の白石は、また小宮の面倒ごとを引き受けてやったらしい。
(別に俺には関係ないことだけど……)
寮のゴミ捨て場はグラウンドの端とフェンス一枚で隔てられた場所にあり、気を付けて見ているとやがて見覚えのある姿がゴミ捨て場をうろつき始めた。
(……小動物がいない。白石一人か?)
まさか、小宮のやつ助けてもらったにもかかわらず、白石一人にゴミ捨てを押し付けて自分はさっさとトンズラしたってのか?
「おい、おい、白石!」
同室のやつと話をするつもりなんてなかったのに、思わず声をかけてしまった。
「……代わってあげたんじゃなくて、俺が引き受けたんだ」
やっぱりゴミ捨て一人で押し付けられてる。どうしてそこまであいつの面倒ごとを引き受けてやるんだ? ひょっとしてあいつのことが好きなのか?
「別に人に好かれたくてやってるわけじゃないよ。感謝くらいはして欲しいけど。俺はただ、ヒーローになりたかっただけで……」
ヒーローってなんだ? 急に何を言い出すんだこいつは。
「こ、子供の頃、戦隊モノのヒーローになるのが夢だったんだ。だけど割と早い段階でヒーローレンジャーにはなれないことに気がついたんだ」
ヒーローレンジャーか。確かに俺もそんなのに憧れた時代があった。もっとも年齢が一桁の時代だけどな。
とりあえず白石は中二病を患っている、他人に感謝されたい欲の強いイタイ男子高校生だということが良く分かった。見た目そんな感じじゃないのに、キモい男だったんだな。俺は思ったことをそのまま告げて、くるりと白石に背を向けた。
まあでも、他人に仕事を平気で押し付ける連中や、俺みたいに他人に無関心なやつに比べたら、自分が満足したいだけの理由で相手に何も求めずに人助けを行う、あいつの方がよっぽど優しい人間だけどな。
白石は夜遅くまで勉強していることが多い。しかしクラスでの様子を見ている限り、そこまで勉強が得意であるようには見えない。単に要領が悪いのろまなのだろうか?
その日珍しく白石が早くベッドに入っていたので、気になってちらりと後ろを振り返った時、俺は見てはいけないものを目にしてしまった。
(あ、こいつ、洗濯籠そのままにして眠ってやがる!)
これは、朝起きた時に絶望するやつじゃないか。
こいつに親切にしてやる義理など全くない。でも、洗濯籠に積み上げられた濡れた衣服たちがまるでこちらをじーっと見ているような気がして気になってしょうがない。「見~た~な~」とでも呪いの言葉をかけられているかのようだ。
『見たのに、気づいたのに、放っておくのか~?』
(ああもう、分かったって!)
別に白石に親切にするのが目的じゃない。洗濯物の無言の圧に耐えきれなかっただけだ!
「ありがとう。俺カゴに入れっぱなしで寝ちゃってさ。焦って起きたからすごくホッとしたよ」
このやりとりをするのが嫌だったんだ。別に俺はいい人でも何でもないのに、こうやって感謝される感じがすごくむず痒くて、いたたまれない。
「黒瀬君、シャーペンの音がすごくうるさいんだって? 白石それで集中できなくて、わざわざ時間をずらして宿題やってるんだよ」
白石の元同室だという友野に言われてはっとした。マジで? 俺のシャーペンの音、そんなにうるさかったのか? 俺自身があんまり音に敏感じゃないから、他人がペンの音を気にすることがあるなんて全く気が付かなかった。一年の前半同室だったやつは大丈夫だったんだろうか? 藤沢はすぐにいなくなったから関係ないけど。
(ていうかうるさいならうるさいって言えよ!)
いや、言えなかったのか。相手が俺だから。
(いやでもあいつ、俺意外の人間から言われたことでもなんでも断らずに引き受けてるし……)
嫌なことは嫌だとはっきり言えばいいのに。ていうか言え! 例え俺意外の人間が相手だったとしても。
何なんだ、この腹が立つような、モヤモヤとした感情は?


