高校二年生の名前がびっしり並んだ掲示板の前。黒の学ランや白いラインのセーラー服姿の学生たちが、キャッキャと興奮気味に騒ぎ立てながら自分や友人、それに気になるあの人の名前を、期待に胸を躍らせながら探している。
「あ、あった。俺一組だ」
「マジか〜、俺の名前一組には無さそうだわ。今年はクラス別みたいだな」
友野は残念そうにそう言うと、再び目を皿のようにして掲示板のどこかにあるはずの自分の名前を探し始めた。友野とは去年は寮の部屋もクラスも一緒だったのに、今年はどちらも一緒にはなれなかった。
「あ、一組だ」
「え! やっぱりあった?」
「いや、俺じゃなくて、黒瀬君」
ーーなんですと?
「……白石、去年誰か学校の偉い人を怒らせるようなことした?」
「偉い人どころか、購買のおばちゃんですら怒らせた覚え無いんだけど」
「じゃあ神様だな。どこかの神様にきっと失礼なことして怒らせちゃったんだ」
「ええっ? そうなの?」
そんな、神様。もし俺に何か失礼な行いがあったのなら謝ります。でもなにもこんな陰湿なやり方で仕返ししてこなくたってよかったじゃないですか。
「白石は同じクラスに他に知り合いいそう?」
「えっと、一年の時のクラスメイトが何人かいて、寮生では小宮と三木と斉藤が一緒だな。あ、野球部の連中もいる。友野は?」
「俺も一応去年のクラスメイトと……あ、直接知り合いってわけじゃないけど、矢口さんがいる」
「えっ、あの読モって噂の?」
矢口紀香は派手な顔立ちと勝気な性格で、俺たちの学年のカースト上位に君臨する女子高生だ。
「よかったな、可愛い女子と同じクラスになれて」
「いや、可愛い女子と同じクラスでも俺たちにはなんの関係もないだろ」
「俺たちってなんだよ! 俺は関係あるかもしれないだろ?」
「自他共に認めるトップオブ平凡白石のくせに、なに身分不相応な夢見ちゃってんの?」
「お前知らないの? 最近の平凡ってのは結構モテるんだぞ!」
そんな軽口を叩きながら、俺たちは階段を上がって二年生の教室が並ぶ二階の棟に入り、そこで名残惜しげに手を振って別々の部屋にそれぞれ足を踏み入れた。
学校の敷地内にある学生寮に住む寮生は、教室までの所要時間約三分。通学という一点においては、圧倒的に他の自宅生よりも有利だ。案の定、二年一組の教室内はほとんどガラガラで、クラス替えの結果が知りたくて早く来過ぎた生徒の姿が数名ちらほら見えるくらいだ。
(黒瀬……は、まだ来てないのか)
朝起きた時、黒瀬のベッドの周りの黄緑色のカーテンは閉まったままだった。寮の早朝点呼の時にはきちんと中庭に出て来ていたのだが、いつのまに起きていつのまに出ていったのか全く分からなかった。
やがて新しいクラスメイトたちがどんどん教室に集まってきて、始業のチャイムがもう少しで鳴りそうだというタイミングになってようやく、黒瀬は二年一組に姿を現した。
「お、おはよう」
顔だけのクズとはいえ、いかんせんその顔が良すぎるため、怖いながらもお近づきになりたいと思っている女子は一定数存在するらしい。そしてクラスが一新されたこのタイミングこそ、まさに人間関係を一から構築するのに最も相応しい時期と言えた。
だがしかし、頬を紅潮させながら勇気を振り絞って挨拶したにも関わらず、黒瀬はまるで何も聞こえなかったかのように完全にその女子を無視して通り過ぎ、バンとカバンを机に置いてドサリと席に腰掛けた。他の女子生徒たちがクスクスと笑い、無視された女子生徒は今にも泣き出しそうな表情で俯いたまま席に着いた。
これは酷い。いくら自分の興味の無い相手だからって、あんな風に無視したら女の子が恥をかくに決まってるじゃないか! もし挨拶されたのが俺だったら、相手がどんなに俺の好みから外れていたとしても、その場は女の子の顔を立てて笑顔で挨拶を返すだろう。ていうか挨拶されたのに無視するとか、そもそも人間としてどうなんだ? あぁ、世の女性は皆、俺みたいに平凡だけど優しい常識人に恋するべきなのだ。それなのにいつの世も、危険な香りのする一匹狼だとか、ただしイケメンに限るとかいう注釈付きで地雷系男子に恋する乙女が後を絶たないのはどうしたことか。
ツンツン、と背中をつつかれたので振り返ると、後ろの席に座っていた小宮が小声で話しかけてきた。
「白石君、黒瀬君と一緒に登校しなかったの?」
「うん、なんかいつの間にかいなくなってて」
「そうなんだ。彼、部屋でもあんな感じなの?」
俺は昨日の出来事をゆっくりと思い返してみた。うん、俺しか喋ってないな。
「あんな感じだよ。無視されたとしても、全く心を痛める必要はないね」
「一体何考えてるんだろうね」
「自分はお前らとは違う、みたいな感じでお高くとまってるとか? まあそっちが求めてないなら、俺から積極的に話しかけるつもりはないけど」
友野としたみたいに、消灯時間が過ぎてからも真っ暗な部屋の中で話に花を咲かせたり、休日の自由時間に一緒に出かけて遊んだりすることはできないかもしれないが、こんな風にお互い干渉せずに自分達のテリトリーを守りながら暮らすというのも案外悪くないかもしれない。
「人には色んなタイプがあるからさ。まあ半年間の話だし、お互い居ないものと割り切って暮らすのが得策かもね」
黒瀬との同居生活について、非常に建設的な意見を述べたつもりだったのだが、小宮は明らかに賛成しかねるといった表情で俺のことをじっと見ている。
「それって全く話さずに半年間過ごすつもりってこと?」
「そういうことになるかな。相手が俺と話したがってないのに、俺から話しかける必要はないだろ?」
「そんなに上手くいくもんかなぁ。一緒に過ごしてたら、絶対会話が必要になるタイミングってあると思うんだけど」
なんだ小宮、今日はずいぶんと生意気じゃないか。今更部屋を交換される心配はないからと思ってどうやら強気な発言に出ているようだな。
「大丈夫だって。友野や他の寮生だって同じ建物に住んでるんだから、何か助けがいる時はそっちを頼ればいいし」
「でも黒瀬君自身に頼む必要があるときだってあるかもしれないよ? 臭い靴下放置してるとか、洗濯物が生乾きで臭うとか」
臭い話ばっかりだな。
「男子高校生なんて基本的に臭いもんだろ。それくらい我慢できるよ」
「僕は臭くないけどね」
「要は半年間我慢すれば済む話ってことさ」
しかし、そんな大口を叩いたにも関わらず、その晩すぐに俺の理想の計画は崩れ去ることとなった。
「あ、あった。俺一組だ」
「マジか〜、俺の名前一組には無さそうだわ。今年はクラス別みたいだな」
友野は残念そうにそう言うと、再び目を皿のようにして掲示板のどこかにあるはずの自分の名前を探し始めた。友野とは去年は寮の部屋もクラスも一緒だったのに、今年はどちらも一緒にはなれなかった。
「あ、一組だ」
「え! やっぱりあった?」
「いや、俺じゃなくて、黒瀬君」
ーーなんですと?
「……白石、去年誰か学校の偉い人を怒らせるようなことした?」
「偉い人どころか、購買のおばちゃんですら怒らせた覚え無いんだけど」
「じゃあ神様だな。どこかの神様にきっと失礼なことして怒らせちゃったんだ」
「ええっ? そうなの?」
そんな、神様。もし俺に何か失礼な行いがあったのなら謝ります。でもなにもこんな陰湿なやり方で仕返ししてこなくたってよかったじゃないですか。
「白石は同じクラスに他に知り合いいそう?」
「えっと、一年の時のクラスメイトが何人かいて、寮生では小宮と三木と斉藤が一緒だな。あ、野球部の連中もいる。友野は?」
「俺も一応去年のクラスメイトと……あ、直接知り合いってわけじゃないけど、矢口さんがいる」
「えっ、あの読モって噂の?」
矢口紀香は派手な顔立ちと勝気な性格で、俺たちの学年のカースト上位に君臨する女子高生だ。
「よかったな、可愛い女子と同じクラスになれて」
「いや、可愛い女子と同じクラスでも俺たちにはなんの関係もないだろ」
「俺たちってなんだよ! 俺は関係あるかもしれないだろ?」
「自他共に認めるトップオブ平凡白石のくせに、なに身分不相応な夢見ちゃってんの?」
「お前知らないの? 最近の平凡ってのは結構モテるんだぞ!」
そんな軽口を叩きながら、俺たちは階段を上がって二年生の教室が並ぶ二階の棟に入り、そこで名残惜しげに手を振って別々の部屋にそれぞれ足を踏み入れた。
学校の敷地内にある学生寮に住む寮生は、教室までの所要時間約三分。通学という一点においては、圧倒的に他の自宅生よりも有利だ。案の定、二年一組の教室内はほとんどガラガラで、クラス替えの結果が知りたくて早く来過ぎた生徒の姿が数名ちらほら見えるくらいだ。
(黒瀬……は、まだ来てないのか)
朝起きた時、黒瀬のベッドの周りの黄緑色のカーテンは閉まったままだった。寮の早朝点呼の時にはきちんと中庭に出て来ていたのだが、いつのまに起きていつのまに出ていったのか全く分からなかった。
やがて新しいクラスメイトたちがどんどん教室に集まってきて、始業のチャイムがもう少しで鳴りそうだというタイミングになってようやく、黒瀬は二年一組に姿を現した。
「お、おはよう」
顔だけのクズとはいえ、いかんせんその顔が良すぎるため、怖いながらもお近づきになりたいと思っている女子は一定数存在するらしい。そしてクラスが一新されたこのタイミングこそ、まさに人間関係を一から構築するのに最も相応しい時期と言えた。
だがしかし、頬を紅潮させながら勇気を振り絞って挨拶したにも関わらず、黒瀬はまるで何も聞こえなかったかのように完全にその女子を無視して通り過ぎ、バンとカバンを机に置いてドサリと席に腰掛けた。他の女子生徒たちがクスクスと笑い、無視された女子生徒は今にも泣き出しそうな表情で俯いたまま席に着いた。
これは酷い。いくら自分の興味の無い相手だからって、あんな風に無視したら女の子が恥をかくに決まってるじゃないか! もし挨拶されたのが俺だったら、相手がどんなに俺の好みから外れていたとしても、その場は女の子の顔を立てて笑顔で挨拶を返すだろう。ていうか挨拶されたのに無視するとか、そもそも人間としてどうなんだ? あぁ、世の女性は皆、俺みたいに平凡だけど優しい常識人に恋するべきなのだ。それなのにいつの世も、危険な香りのする一匹狼だとか、ただしイケメンに限るとかいう注釈付きで地雷系男子に恋する乙女が後を絶たないのはどうしたことか。
ツンツン、と背中をつつかれたので振り返ると、後ろの席に座っていた小宮が小声で話しかけてきた。
「白石君、黒瀬君と一緒に登校しなかったの?」
「うん、なんかいつの間にかいなくなってて」
「そうなんだ。彼、部屋でもあんな感じなの?」
俺は昨日の出来事をゆっくりと思い返してみた。うん、俺しか喋ってないな。
「あんな感じだよ。無視されたとしても、全く心を痛める必要はないね」
「一体何考えてるんだろうね」
「自分はお前らとは違う、みたいな感じでお高くとまってるとか? まあそっちが求めてないなら、俺から積極的に話しかけるつもりはないけど」
友野としたみたいに、消灯時間が過ぎてからも真っ暗な部屋の中で話に花を咲かせたり、休日の自由時間に一緒に出かけて遊んだりすることはできないかもしれないが、こんな風にお互い干渉せずに自分達のテリトリーを守りながら暮らすというのも案外悪くないかもしれない。
「人には色んなタイプがあるからさ。まあ半年間の話だし、お互い居ないものと割り切って暮らすのが得策かもね」
黒瀬との同居生活について、非常に建設的な意見を述べたつもりだったのだが、小宮は明らかに賛成しかねるといった表情で俺のことをじっと見ている。
「それって全く話さずに半年間過ごすつもりってこと?」
「そういうことになるかな。相手が俺と話したがってないのに、俺から話しかける必要はないだろ?」
「そんなに上手くいくもんかなぁ。一緒に過ごしてたら、絶対会話が必要になるタイミングってあると思うんだけど」
なんだ小宮、今日はずいぶんと生意気じゃないか。今更部屋を交換される心配はないからと思ってどうやら強気な発言に出ているようだな。
「大丈夫だって。友野や他の寮生だって同じ建物に住んでるんだから、何か助けがいる時はそっちを頼ればいいし」
「でも黒瀬君自身に頼む必要があるときだってあるかもしれないよ? 臭い靴下放置してるとか、洗濯物が生乾きで臭うとか」
臭い話ばっかりだな。
「男子高校生なんて基本的に臭いもんだろ。それくらい我慢できるよ」
「僕は臭くないけどね」
「要は半年間我慢すれば済む話ってことさ」
しかし、そんな大口を叩いたにも関わらず、その晩すぐに俺の理想の計画は崩れ去ることとなった。


