高校に寮を作る目的は学校によって様々だと思う。例えばスポーツの強豪校なら、有望な生徒たちの生活の一切を管理してスポーツ漬けにし、新たなアスリートの育成に全力を注ぐことができる。何もない広大な大自然の中に学校を作って、そこでしかできない様々な体験を売りにする学校もあるだろう。うちの学校はそのどちらでもなく、単純に通える距離に高校の無い田舎に住む地方の学生のために作られた、学費の安いそこそこの進学校という立ち位置であった。
「ちょっと遠いけど、大丈夫か?」
「ううん。俺の方こそ、本当に泊めてもらって大丈夫なのかな?」
「母さんがいいって言ってたから大丈夫だろ」
七月の月末の金曜日、俺は部活を終えた黒瀬と一緒に、寮が閉鎖される前に荷物をまとめて黒瀬の実家に向かって出発した。
(ど、どうしよう。誘われるがままに実家にお邪魔することになったけど、これはいわゆるラブコメで言うお泊りイベントであって……)
いや、普段から常に同じ部屋でお泊りしてるようなものなんだけど。なんだろう、この特別感は。
「一時間に一本しか出てないローカル線乗り継いでいくしかないから、二時間ぐらいかかるんだけど」
「うちも似たようなもんだよ。同じ県内とは思えないよね」
「やっぱり一時間に一本?」
「いや、一日に三本」
「やばいなそれ」
「廃線になってないだけマシだよ」
ローカル線の緑色の座席に座って、ゆっくりと流れていく田舎の風景を眺めながら、好きな人と電車で二人旅。
(なんか青春って感じするなぁ)
「そういえば黒瀬君、兄弟はいないの」
「兄が一人いた」
「へぇ、うちと同じ男兄弟……」
いた? 今過去形を使わなかったか? あ、家にはもういないってことかな。
「あ、じゃあお兄さんもう大学生なのか。もしかして社会人だったりする?」
「たぶん働いてるんじゃないかな」
なんだよ、その含みのある言い方は。すごく気になるじゃないか。
(……いや、黒瀬に悪気はないんだ。こいつは思わせぶりな態度とか取るような人間じゃない。思ったことをそのまま口にしてるだけなんだ)
つまり、本当に兄の進路について知らないということである。
(大学で家を出たっきり、家には寄り付かなくなったのかな? 俺の家では俺の就職先を弟が知らないなんて事態は絶対にあり得ないんだけど。母さんが間違いなくしゃべるし)
それぞれの家庭には違った人種の人間がいて、それぞれの事情を抱えているということなのだろう。
高校のある場所は田舎ながらも、徒歩圏内にコンビニやスーパー、電車の駅まで存在するそこまで不便ではない土地だったが、寮生の実家のある場所は大体は辺鄙で不便など田舎であると相場は決まっていた。電車に乗っている時間と同じくらい乗り継ぎに時間をかけながらようやく黒瀬の実家に一番近い最寄り駅に着くと、駅前の開けた場所に停まっていた黒色の軽自動車から髪の長い女性が下りてきて、黒瀬に向かって手を振った。
「純也!」
「あれ、うちの母親」
黒瀬にそう紹介されて、俺は慌てて女性に小走りに近寄ってぺこりと頭を下げた。
「は、初めまして! 黒瀬君と同室の白石望です」
「こんにちは、白石君。純也からいつも話は聞いてるよ」
え、うそ、マジで? 黒瀬、一体俺のことどんな風に親に話してるんだろう?
「なんかセリフも知らないのに、漫才の相方に当日抜擢されたんだって?」
よりにもよってその話?
「すごいお人好しだよね。一度会ってみたかったんだ~」
なんだかよく分からないけど、印象はそこまで悪くはなさそうである。俺は内心ほっと息をつきながら、黒瀬に促されるままに軽自動車の後部座席に乗り込んだ。
黒瀬の実家は最寄駅から車で二十分ほどの、山間の集落にひっそりと建つ一軒家だった。車で二十分かかる時点で最寄りと言っていいのか怪しいところだが、ど田舎では特に珍しいことでもなかった。
「大変だったね。まさか家族旅行に一人だけ置いて行かれるなんて、まるでクリスマスの映画みたい」
本当にその通りである。
「何もない所だけどゆっくりしてってね」
「ありがとうございます」
黒瀬の家の玄関は、彼の母親が言う通り本当に何もなかった。綺麗に整理整頓されているとか、そういう次元の綺麗さではない。本来あることを期待されている何かが足りないような、そんな寒々しい違和感を感じてしまうほどのレベルだった。そしてその違和感は玄関だけにとどまらず、家の内部にも感じられるものだった。
(なんていうか……淋しい?)
「俺の部屋こっちな」
木の階段を上りながら黒瀬がこちらを振り返ったため、俺は慌てて彼の後について二階の黒瀬の部屋に足を踏み入れた。
(こ、これが黒瀬の、黒瀬が子供時代を過ごしたという部屋なのか……)
寮の三〇一号室とは違って、実家の黒瀬の部屋は意外に色んなもので溢れていた。机の上や壁際の本棚には、図鑑や参考書の他に少年漫画がずらりと並び、子供の頃のお気に入りのおもちゃだったのか、ロボットや戦隊モノのヒーローのソフビがプラスチックのカラーボックス内にぎゅうぎゅうに詰め込まれている。数年前の日付のままのカレンダーには当時放映されていた特撮映画の写真が付いていて、すっかり色褪せているにも関わらず特別な絵画の一枚でもあるかのようにその場に堂々と居座っていた。
(すごい。知られざる黒瀬の幼少期の思い出だ。学校中の女子たちが聞いたら泣いて喜ぶんじゃないだろうか……)
さらに女子たちが発狂して喜びそうな代物を発見して、俺は黒瀬の机にぐっと顔を近づけた。色褪せたカレンダーに比べるとだいぶ新しい写真が一枚、きちんと写真立ての中に収められた状態で机の上に飾られている。何となく見覚えのある髪の長い綺麗な女性が、これまた面影のある少年の横で嬉しそうに笑っている。少年の横には彼の兄らしき頭ひとつ背の高い少年が肩を並べて立ち、さらにその横には長身の眼鏡をかけた男性が写っていた。
おそらく黒瀬が小学生くらいの頃の家族写真だ。
(可愛い!)
幼い頃の黒瀬は、あの漫才の時を彷彿とさせる無邪気な笑顔で四角いフレームの中に収まっていた。彼の父親と兄も微笑んでいて、確かに机の上に飾っておきたくなるほど幸せそうな家族写真であった。
「これ、お兄さんとお父さん?」
ボストンバッグから勉強道具を取り出していた黒瀬は、俺の声に机の方をチラッと振り返った。
「そう」
「あ、どうしよう。俺が持ってきたお土産、女の人が好きそうなものしか無かった。やっぱりお父さんにはお酒のおつまみとかが良かったかな?」
「必要ない。親父はいないから」
「え?」
黒瀬は机の上の父親の写真を一瞥すると、吐き捨てるように付け加えた。
「俺が中学生の時に、兄貴を連れて出て行ったから」
「ちょっと遠いけど、大丈夫か?」
「ううん。俺の方こそ、本当に泊めてもらって大丈夫なのかな?」
「母さんがいいって言ってたから大丈夫だろ」
七月の月末の金曜日、俺は部活を終えた黒瀬と一緒に、寮が閉鎖される前に荷物をまとめて黒瀬の実家に向かって出発した。
(ど、どうしよう。誘われるがままに実家にお邪魔することになったけど、これはいわゆるラブコメで言うお泊りイベントであって……)
いや、普段から常に同じ部屋でお泊りしてるようなものなんだけど。なんだろう、この特別感は。
「一時間に一本しか出てないローカル線乗り継いでいくしかないから、二時間ぐらいかかるんだけど」
「うちも似たようなもんだよ。同じ県内とは思えないよね」
「やっぱり一時間に一本?」
「いや、一日に三本」
「やばいなそれ」
「廃線になってないだけマシだよ」
ローカル線の緑色の座席に座って、ゆっくりと流れていく田舎の風景を眺めながら、好きな人と電車で二人旅。
(なんか青春って感じするなぁ)
「そういえば黒瀬君、兄弟はいないの」
「兄が一人いた」
「へぇ、うちと同じ男兄弟……」
いた? 今過去形を使わなかったか? あ、家にはもういないってことかな。
「あ、じゃあお兄さんもう大学生なのか。もしかして社会人だったりする?」
「たぶん働いてるんじゃないかな」
なんだよ、その含みのある言い方は。すごく気になるじゃないか。
(……いや、黒瀬に悪気はないんだ。こいつは思わせぶりな態度とか取るような人間じゃない。思ったことをそのまま口にしてるだけなんだ)
つまり、本当に兄の進路について知らないということである。
(大学で家を出たっきり、家には寄り付かなくなったのかな? 俺の家では俺の就職先を弟が知らないなんて事態は絶対にあり得ないんだけど。母さんが間違いなくしゃべるし)
それぞれの家庭には違った人種の人間がいて、それぞれの事情を抱えているということなのだろう。
高校のある場所は田舎ながらも、徒歩圏内にコンビニやスーパー、電車の駅まで存在するそこまで不便ではない土地だったが、寮生の実家のある場所は大体は辺鄙で不便など田舎であると相場は決まっていた。電車に乗っている時間と同じくらい乗り継ぎに時間をかけながらようやく黒瀬の実家に一番近い最寄り駅に着くと、駅前の開けた場所に停まっていた黒色の軽自動車から髪の長い女性が下りてきて、黒瀬に向かって手を振った。
「純也!」
「あれ、うちの母親」
黒瀬にそう紹介されて、俺は慌てて女性に小走りに近寄ってぺこりと頭を下げた。
「は、初めまして! 黒瀬君と同室の白石望です」
「こんにちは、白石君。純也からいつも話は聞いてるよ」
え、うそ、マジで? 黒瀬、一体俺のことどんな風に親に話してるんだろう?
「なんかセリフも知らないのに、漫才の相方に当日抜擢されたんだって?」
よりにもよってその話?
「すごいお人好しだよね。一度会ってみたかったんだ~」
なんだかよく分からないけど、印象はそこまで悪くはなさそうである。俺は内心ほっと息をつきながら、黒瀬に促されるままに軽自動車の後部座席に乗り込んだ。
黒瀬の実家は最寄駅から車で二十分ほどの、山間の集落にひっそりと建つ一軒家だった。車で二十分かかる時点で最寄りと言っていいのか怪しいところだが、ど田舎では特に珍しいことでもなかった。
「大変だったね。まさか家族旅行に一人だけ置いて行かれるなんて、まるでクリスマスの映画みたい」
本当にその通りである。
「何もない所だけどゆっくりしてってね」
「ありがとうございます」
黒瀬の家の玄関は、彼の母親が言う通り本当に何もなかった。綺麗に整理整頓されているとか、そういう次元の綺麗さではない。本来あることを期待されている何かが足りないような、そんな寒々しい違和感を感じてしまうほどのレベルだった。そしてその違和感は玄関だけにとどまらず、家の内部にも感じられるものだった。
(なんていうか……淋しい?)
「俺の部屋こっちな」
木の階段を上りながら黒瀬がこちらを振り返ったため、俺は慌てて彼の後について二階の黒瀬の部屋に足を踏み入れた。
(こ、これが黒瀬の、黒瀬が子供時代を過ごしたという部屋なのか……)
寮の三〇一号室とは違って、実家の黒瀬の部屋は意外に色んなもので溢れていた。机の上や壁際の本棚には、図鑑や参考書の他に少年漫画がずらりと並び、子供の頃のお気に入りのおもちゃだったのか、ロボットや戦隊モノのヒーローのソフビがプラスチックのカラーボックス内にぎゅうぎゅうに詰め込まれている。数年前の日付のままのカレンダーには当時放映されていた特撮映画の写真が付いていて、すっかり色褪せているにも関わらず特別な絵画の一枚でもあるかのようにその場に堂々と居座っていた。
(すごい。知られざる黒瀬の幼少期の思い出だ。学校中の女子たちが聞いたら泣いて喜ぶんじゃないだろうか……)
さらに女子たちが発狂して喜びそうな代物を発見して、俺は黒瀬の机にぐっと顔を近づけた。色褪せたカレンダーに比べるとだいぶ新しい写真が一枚、きちんと写真立ての中に収められた状態で机の上に飾られている。何となく見覚えのある髪の長い綺麗な女性が、これまた面影のある少年の横で嬉しそうに笑っている。少年の横には彼の兄らしき頭ひとつ背の高い少年が肩を並べて立ち、さらにその横には長身の眼鏡をかけた男性が写っていた。
おそらく黒瀬が小学生くらいの頃の家族写真だ。
(可愛い!)
幼い頃の黒瀬は、あの漫才の時を彷彿とさせる無邪気な笑顔で四角いフレームの中に収まっていた。彼の父親と兄も微笑んでいて、確かに机の上に飾っておきたくなるほど幸せそうな家族写真であった。
「これ、お兄さんとお父さん?」
ボストンバッグから勉強道具を取り出していた黒瀬は、俺の声に机の方をチラッと振り返った。
「そう」
「あ、どうしよう。俺が持ってきたお土産、女の人が好きそうなものしか無かった。やっぱりお父さんにはお酒のおつまみとかが良かったかな?」
「必要ない。親父はいないから」
「え?」
黒瀬は机の上の父親の写真を一瞥すると、吐き捨てるように付け加えた。
「俺が中学生の時に、兄貴を連れて出て行ったから」


