ミーンミーンと全身を震わせながら鳴くセミの声が耳に響き、青空のキャンパスを背景に立体的で真っ白な雲が眩しい夏休みがやってきた。部活の無い寮生たちは長期休暇を実家で過ごす者が多かったが、部活やその他の理由で寮に残る生徒たちももちろんいた。
「え、白石今年の夏休みは実家に帰らないの?」
ボストンバッグに教科書やら勉強道具を詰め込んで、帰省の準備に勤しんでいた友野が驚いたように俺に問いかけた。
部活動に所属していない俺は去年は夏休み中丸々実家に帰っていたのだが、今年はできる限り寮に残ることにしたのだ。
「どうして? 家に帰れば好きな時間に寝起きできるし、勉強時間や門限も無いのに」
どうしてかって? それは当然、部活のある黒瀬が寮に残ることを知っているからである。
「実家に帰ると勉強しなくなるからさ。自分に追い込みかけようと思って。俺ら来年は受験じゃん?」
「マジか~。白石のくせに意識高い発言しちゃって」
まぁ、全くの嘘ではない。勉強も大事だよ。八割がたはやましい理由だけど。
実家に帰る友野との別れを惜しんでから友野の部屋を出て三〇一号室に戻ると、勉強机に向かっていた黒瀬がこちらを振り返った。
「友野、今日から実家に帰るんだって」
「お前は帰らないのか?」
「うん、来年受験だし、ちゃんと勉強しようと思って」
「そうか」
「黒瀬君はずっと部活?」
「ああ。帰省するのは閉寮日だけだ」
うちの学校の寮には、月に一度閉寮日という寮自体が閉鎖される日が設けられていて、その日は全ての寮生が実家に帰ることを義務付けられている。夏休み期間中もそれは例外ではなく、今年の七月は月末の土日で、八月はお盆期間がそれに該当した。
(学校がないから午前中の勉強時間はずっと部屋で一緒だろ? 午後は黒瀬は部活に出ちゃうけど、帰ってきたら一緒に食堂行って、お風呂も一緒に……)
お風呂も一緒に!?
ガンッ! と机に頭を打ち付ける音が部屋中に響き渡り、黒瀬が驚いて再び勉強机に落としていた視線を俺に戻した。
「どうした?」
「いや、ごめん……何でもない」
好きな人と一緒にお風呂って、入っても大丈夫なの?
思えば部活をやっている黒瀬と俺は生活リズムが異なるため、一緒に大浴場へ行ったことが今まで一度も無かった。
(やばいぞ。そんなことちっとも考えてなかった。ていうか俺の好きって、そういう好きであってるのかな?)
好きの相手が女子ならば難しいことは何も考えなくて済んだのだが、相手が男となると気になることがいくつかあった。
(俺は黒瀬のこと、本当にそういう意味で好きなんだろうか? 同じ男としてかっこいいとか、憧れや羨望の感情とごっちゃになってたりしないのかな?)
そういう意味で好きなのならば、当然次のステップに進むことに対する欲が生まれてくるはずだ。
(そうなった時、俺は一体どっちなんだ? 上か? それとも下なのか?)
ピリリリリリッ! と鋭いスマホの着信音が、バイブの振動と共に俺の机で鳴り響いて、デリケートな話題について真剣に悩んでいた俺は心臓が飛び出しそうなほど仰天した。
「ぎゃあっ!」
「お前、本当に大丈夫か?」
「だだだ、大丈夫。あ、母さんからだ」
緑色の通話ボタンを指先でタップすると、聞きなれた実家の母親の声がスマホのスピーカーから聞こえてきた。
「もしもし、望? 母さんだけど」
「久しぶり。珍しいね、かけてくるの」
「あんた夏休みは寮で過ごすとか言うから、一応帰ってくる日を確認しようと思って。たしかお盆が閉寮期間だったのよね?」
「うん、あと七月は月末ね」
「えっ!」
母親が急に驚いたように大声を上げたため、俺はキーンとする耳を押さえながらスマホを数センチ顔から遠ざけた。
「え、何? そんな驚くようなことだった?」
「あんた、七月も寮閉鎖されるの?」
「そうだよ。去年もそうだったでしょ?」
「去年のことなんてもう覚えてないわよ」
母親はスマホの向こうで困ったようにう~んと唸った。
「いや、てっきりお盆が長いから夏休みの閉寮はそこだけだと勘違いしちゃって、七月は帰ってこないと思ってたから……」
「思ってたから?」
「お父さんが金曜日から休みを取って、母さんたち沖縄旅行に行くことにしちゃったのよ」
なんだ、そんなことか。
「いいよ、子供じゃないんだから。一人で家で過ごすよ」
「それがせっかく家に誰もいなくなるから、海外旅行者にお部屋を貸すことにしちゃってね。ほらあれ、なんていうんだっけ? エアビーなんとかっていうやつ?」
ーー何だって?
「え……ちょ、マジで? じゃあ俺も沖縄に……」
「今からじゃもうチケット取れないわよ」
「え~! じゃあ俺どうすればいいんだよ?」
「ビジネスホテルにでも泊まる?」
そんな、何が悲しくて無駄なお金を払って必要もないのにビジネスホテル泊なんかしなければならないのか。
「どうした? 何かトラブルか?」
「あ、黒瀬君……」
ひとまず母親との通話は終了して、俺は黒瀬に先ほどの母親との会話内容を説明した。
「びっくりだよな。うちの親、昔からちょっと抜けてる所はあったけど、まさか息子の存在を忘れて沖縄旅行を計画するなんて」
「家族旅行だなんて、仲いいんだな」
「まあそうだね。両親も仲いいし、弟もひどい反抗期とかは無かったかな」
「だからお前みたいなお人好しが育ったんだな」
「あれ、もしかしてちょっと馬鹿にしてる?」
「馬鹿になんかしてない。褒めてるんだよ」
黒瀬と会話するようになって最近気が付いたことがある。黒瀬はあまり冗談を言わない。その口から出てくる言葉は基本的に心の内そのもので、真剣で、誠実なのだ。だからこそ彼の言葉は俺の心の琴線に触れ、今みたいにむず痒い気分にさせるのだ。
「黒瀬君……」
「行くところが無くて困ってるなら、俺と一緒に実家帰るか?」
「……え?」
俺と一緒に帰るって、一体どういうこと?
「うちの実家に泊ればいい」
「え、白石今年の夏休みは実家に帰らないの?」
ボストンバッグに教科書やら勉強道具を詰め込んで、帰省の準備に勤しんでいた友野が驚いたように俺に問いかけた。
部活動に所属していない俺は去年は夏休み中丸々実家に帰っていたのだが、今年はできる限り寮に残ることにしたのだ。
「どうして? 家に帰れば好きな時間に寝起きできるし、勉強時間や門限も無いのに」
どうしてかって? それは当然、部活のある黒瀬が寮に残ることを知っているからである。
「実家に帰ると勉強しなくなるからさ。自分に追い込みかけようと思って。俺ら来年は受験じゃん?」
「マジか~。白石のくせに意識高い発言しちゃって」
まぁ、全くの嘘ではない。勉強も大事だよ。八割がたはやましい理由だけど。
実家に帰る友野との別れを惜しんでから友野の部屋を出て三〇一号室に戻ると、勉強机に向かっていた黒瀬がこちらを振り返った。
「友野、今日から実家に帰るんだって」
「お前は帰らないのか?」
「うん、来年受験だし、ちゃんと勉強しようと思って」
「そうか」
「黒瀬君はずっと部活?」
「ああ。帰省するのは閉寮日だけだ」
うちの学校の寮には、月に一度閉寮日という寮自体が閉鎖される日が設けられていて、その日は全ての寮生が実家に帰ることを義務付けられている。夏休み期間中もそれは例外ではなく、今年の七月は月末の土日で、八月はお盆期間がそれに該当した。
(学校がないから午前中の勉強時間はずっと部屋で一緒だろ? 午後は黒瀬は部活に出ちゃうけど、帰ってきたら一緒に食堂行って、お風呂も一緒に……)
お風呂も一緒に!?
ガンッ! と机に頭を打ち付ける音が部屋中に響き渡り、黒瀬が驚いて再び勉強机に落としていた視線を俺に戻した。
「どうした?」
「いや、ごめん……何でもない」
好きな人と一緒にお風呂って、入っても大丈夫なの?
思えば部活をやっている黒瀬と俺は生活リズムが異なるため、一緒に大浴場へ行ったことが今まで一度も無かった。
(やばいぞ。そんなことちっとも考えてなかった。ていうか俺の好きって、そういう好きであってるのかな?)
好きの相手が女子ならば難しいことは何も考えなくて済んだのだが、相手が男となると気になることがいくつかあった。
(俺は黒瀬のこと、本当にそういう意味で好きなんだろうか? 同じ男としてかっこいいとか、憧れや羨望の感情とごっちゃになってたりしないのかな?)
そういう意味で好きなのならば、当然次のステップに進むことに対する欲が生まれてくるはずだ。
(そうなった時、俺は一体どっちなんだ? 上か? それとも下なのか?)
ピリリリリリッ! と鋭いスマホの着信音が、バイブの振動と共に俺の机で鳴り響いて、デリケートな話題について真剣に悩んでいた俺は心臓が飛び出しそうなほど仰天した。
「ぎゃあっ!」
「お前、本当に大丈夫か?」
「だだだ、大丈夫。あ、母さんからだ」
緑色の通話ボタンを指先でタップすると、聞きなれた実家の母親の声がスマホのスピーカーから聞こえてきた。
「もしもし、望? 母さんだけど」
「久しぶり。珍しいね、かけてくるの」
「あんた夏休みは寮で過ごすとか言うから、一応帰ってくる日を確認しようと思って。たしかお盆が閉寮期間だったのよね?」
「うん、あと七月は月末ね」
「えっ!」
母親が急に驚いたように大声を上げたため、俺はキーンとする耳を押さえながらスマホを数センチ顔から遠ざけた。
「え、何? そんな驚くようなことだった?」
「あんた、七月も寮閉鎖されるの?」
「そうだよ。去年もそうだったでしょ?」
「去年のことなんてもう覚えてないわよ」
母親はスマホの向こうで困ったようにう~んと唸った。
「いや、てっきりお盆が長いから夏休みの閉寮はそこだけだと勘違いしちゃって、七月は帰ってこないと思ってたから……」
「思ってたから?」
「お父さんが金曜日から休みを取って、母さんたち沖縄旅行に行くことにしちゃったのよ」
なんだ、そんなことか。
「いいよ、子供じゃないんだから。一人で家で過ごすよ」
「それがせっかく家に誰もいなくなるから、海外旅行者にお部屋を貸すことにしちゃってね。ほらあれ、なんていうんだっけ? エアビーなんとかっていうやつ?」
ーー何だって?
「え……ちょ、マジで? じゃあ俺も沖縄に……」
「今からじゃもうチケット取れないわよ」
「え~! じゃあ俺どうすればいいんだよ?」
「ビジネスホテルにでも泊まる?」
そんな、何が悲しくて無駄なお金を払って必要もないのにビジネスホテル泊なんかしなければならないのか。
「どうした? 何かトラブルか?」
「あ、黒瀬君……」
ひとまず母親との通話は終了して、俺は黒瀬に先ほどの母親との会話内容を説明した。
「びっくりだよな。うちの親、昔からちょっと抜けてる所はあったけど、まさか息子の存在を忘れて沖縄旅行を計画するなんて」
「家族旅行だなんて、仲いいんだな」
「まあそうだね。両親も仲いいし、弟もひどい反抗期とかは無かったかな」
「だからお前みたいなお人好しが育ったんだな」
「あれ、もしかしてちょっと馬鹿にしてる?」
「馬鹿になんかしてない。褒めてるんだよ」
黒瀬と会話するようになって最近気が付いたことがある。黒瀬はあまり冗談を言わない。その口から出てくる言葉は基本的に心の内そのもので、真剣で、誠実なのだ。だからこそ彼の言葉は俺の心の琴線に触れ、今みたいにむず痒い気分にさせるのだ。
「黒瀬君……」
「行くところが無くて困ってるなら、俺と一緒に実家帰るか?」
「……え?」
俺と一緒に帰るって、一体どういうこと?
「うちの実家に泊ればいい」


