ゴミ捨て場に近づくにつれて、既視感のある背中が再び俺の目に飛び込んできた。
(あ、やっぱり黒瀬だ)
なんで俺は毎回同じ場所に呼び出される黒瀬にエンカウントする羽目になるんだろう?
「おまえ、俺がちょっと隙を見せた隙に友紀に手ぇ出しただろ!」
そしてこの声にもしっかり聞き覚えがあった。相良の元カレで去年退寮になった藤沢寛人である。
「いや、別に相良さんとは何も無いんだけど」
「嘘つけ! 教室で友紀がお前に挨拶したのを見たやつがいるんだ。お前ら付き合ってんだろ?」
いや、なんで挨拶しただけで付き合っていることになるんだ? しかもちゃんとその人の話最後まで聞いたのか? その時無視されたんだぞ、相良さん。
「……お前のその理論だと、俺は俺に挨拶してきた女子全員と付き合っていることになるんだが」
「揚げ足とってんじゃねぇよ! 俺の言いたいこと分かってんだろ? 去年一年間友紀からお前に挨拶したところなんか見たことなかったんだぞ! どう考えても親密な関係に発展してんだろうが!」
なるほど、決して論理的な意見ではないが、感情に任せた推察の割には良い所を突いている。まあ相良からの一方的な好意が増したというだけの話ではあったが。
「……じゃあ相良さんが俺に好意を持ってるかもしれないということは認めるとしても、それに対して俺は何の反応もしてないってことは分かってくれるか?」
「ほら見ろ! 告られたことを認めたな!」
全く、野球部のクラスメイトといい藤沢といい、どうしてうちの寮生(元寮生も含める)はこうも話の通じない連中ばっかりなんだ?
女子の告白シーンとは違って全く気を使う必要など無いと判断した俺は、ザッザッと遠慮なく靴音を立てながら二人の前に姿を現した。
「二人とも何やってんだよ?」
「あれ、白石?」
黒瀬が驚いたような表情でこちらを振り返り、藤沢は血走った目でギロリと俺のことを睨みつけてきた。
「文化祭の看板用のダンボールを探しに来たんだけど……」
「ああ? なにノコノコ出てきてんだよ? 空気読めや!」
なんで俺がお前の因縁に付き合って空気を読んでやる必要があるんだ? そういう自分勝手な所に愛想尽かされたんじゃないのか?
「ダンボールまだこっちに残ってたと思うけど」
「あ、ありがとう」
「さっさとゴミ持って失せろや!」
俺は一旦ダンボールを確保した後、藤沢の命令には従わずにつかつかと二人の間に割って入った。
「ところで何を揉めてるの? 相良さんと話したいなら、俺同じ看板作成係だから一緒に来る?」
俺の提案に、藤沢は一瞬躊躇するようにたじろいだ。
「いや、俺は……」
「直接元カノと話す勇気も無いくせに、黒瀬に八つ当たりしたってしょうがないだろ?」
「何だと?」
俺の指摘にカチンときたのか、藤沢はメンチを切るように俺にずいっと近づいて来た。
「凡人のくせに舐めた口きいてんじゃねえぞ!」
凡人か。確かに俺は凡人の自覚があるが、それを藤沢に言われるのは違う気がした。凡人とは、黒瀬のように圧倒的に人を惹きつける力を持った人間と比べた時に初めて適切に使われる言葉であって、ただのイキっているだけのチャラ男に使われても不名誉なだけだ。
「舐めた口とかじゃなくて、俺の言ってる事なんか間違ってるか?」
「何だと?」
「それが理解できないから、相良さんに振られたんじゃないの?」
パアンッ! と音がした瞬間、目から火花が飛び散るような衝撃と共に、俺はその場に勢いよく倒れ込んだ。
(痛って!)
コンクリートの地面に叩きつけられるようについた手のひらと一緒に、藤沢に張られた左頬がジンジンと痛んでいる。
頬っぺたを引っ叩かれた! まるで漫画みたいに!
「おい!」
どすの効いた鋭い声にハッと顔を上げると、長身の黒瀬がいつの間にか俺の前に立ち塞がるように仁王立ちになって、今まさに藤沢に向かって腕を振り上げている所だった。
「ちょっと待て!」
怯えたようにその場に立ちすくむ藤沢の前で、俺は慌てて後ろから黒瀬の背中にしがみついた。
「左頬を張られたら、右頬も差し出しなさい!」
「は?」
「非暴力不服従!」
藤沢がヤバい人間を見るような目つきで俺を見ていたが、俺は構わず振り上げられていた黒瀬の腕をそっと引っ張って体の横に下ろした。
「暴力はダメだよ」
「お前が暴力を受けたんだろ?」
「このくらい何ともないよ」
セコい藤沢のことだ。もし黒瀬に殴られでもしたら、きっと何倍にも誇張した噂を学校中に流そうとするに決まっている。強力なインフルエンサーである矢口と組んでいるのだから余計に厄介だ。
「この事は相良さんには黙っておくからさ。そんなにヨリを戻したいなら、直接彼女と話してみるしかないと思うよ。こんなところで黒瀬君相手に時間を無駄になんかしてないでさ」
一瞬カッと頭に血が上って思わず手が出てしまったが、やはり先に手を出したのはまずかったと冷静になってようやく気がついたらしい。藤沢はチラッと一瞬俺の方を見てから、コソコソと逃げるようにその場を離れて行った。
(はぁ、ようやくどっか行ってくれたみたいだな……)
「白石!」
黒瀬が怒っているような心配しているような、どっちつかずの表情で肩越しに振り返って俺の名を呼んだため、俺は掴んでいた黒瀬の手を離して肩をすくめた。
「黒瀬君だって分かってるだろ? あそこで藤沢に手を出したら面倒な事になっただろうって」
「でも……お前、頬腫れてんぞ」
「え、嘘」
慌てて張られた左頬に触れようとした瞬間、さっと腕を伸ばした黒瀬の指先が先にすっと俺の顔に触れた。
「ほら、ここ」
ドクン、と心臓が小さく跳ねて、触れられた頬にジンジンと熱が上がってくるような心地がした。
(ん? 何だこれ? ドクンって?)
「どんどん赤く熱くなってきてる。早く保健室に行った方がいい」
それは多分、藤沢に叩かれたせいじゃない。だってこんなに頬が熱を帯び始めたのは、黒瀬の指先が触れた後からだ。
何なんだ、これ。
「白石?」
ジンジンと痛む頰につられるように、顔全体もジワジワと熱くなってきた。ヤバい、黒瀬の言う通り、早く保健室に行った方がいいかもしれない。あんな風に叩かれる機会なんか滅多にないから、体が驚きすぎて過剰反応を起こしているみたいだ。
「悪いな、俺のせいで」
人を寄せ付けない表情とは裏腹に、黒瀬の声は微かに震えていて、彼が内心の動揺を隠せずにいる様子が伺えた。
(へぇ、こんな声も出せるんだ……)
きっと大多数の人間が知らないであろう、人間味のある黒瀬の声。その中に親愛の情があることをうっかり勘違いしてしまいそうになる。
(危ない危ない。俺がもし女子だったら、こんなギャップ見せられた暁には一発でノックアウトだろ)
俺、男で良かった。いや、良かったってどういうことだ?
「お、俺、相良さんが待ってるからもう行くわ」
「ちゃんと保健室行けよ」
「分かってるって」
俺は段ボールの束を拾い上げると、そそくさと黒瀬の側を後にした。教室に近づいた頃、俺は前回告白シーンを目撃してしまった日に、なぜ自分が黒瀬を探していたのか今更ながらに思い出した。
(そういや教室で野球部の連中にパシられそうになった時、助けてもらったお礼を言おうと思ってたんだった)
結局お礼は言えずじまいで、その代わり俺の中で黒瀬に対するある種の感情が着実に積み上がってきていることに、この時の俺はまだ気付けずにいたのだった。
(あ、やっぱり黒瀬だ)
なんで俺は毎回同じ場所に呼び出される黒瀬にエンカウントする羽目になるんだろう?
「おまえ、俺がちょっと隙を見せた隙に友紀に手ぇ出しただろ!」
そしてこの声にもしっかり聞き覚えがあった。相良の元カレで去年退寮になった藤沢寛人である。
「いや、別に相良さんとは何も無いんだけど」
「嘘つけ! 教室で友紀がお前に挨拶したのを見たやつがいるんだ。お前ら付き合ってんだろ?」
いや、なんで挨拶しただけで付き合っていることになるんだ? しかもちゃんとその人の話最後まで聞いたのか? その時無視されたんだぞ、相良さん。
「……お前のその理論だと、俺は俺に挨拶してきた女子全員と付き合っていることになるんだが」
「揚げ足とってんじゃねぇよ! 俺の言いたいこと分かってんだろ? 去年一年間友紀からお前に挨拶したところなんか見たことなかったんだぞ! どう考えても親密な関係に発展してんだろうが!」
なるほど、決して論理的な意見ではないが、感情に任せた推察の割には良い所を突いている。まあ相良からの一方的な好意が増したというだけの話ではあったが。
「……じゃあ相良さんが俺に好意を持ってるかもしれないということは認めるとしても、それに対して俺は何の反応もしてないってことは分かってくれるか?」
「ほら見ろ! 告られたことを認めたな!」
全く、野球部のクラスメイトといい藤沢といい、どうしてうちの寮生(元寮生も含める)はこうも話の通じない連中ばっかりなんだ?
女子の告白シーンとは違って全く気を使う必要など無いと判断した俺は、ザッザッと遠慮なく靴音を立てながら二人の前に姿を現した。
「二人とも何やってんだよ?」
「あれ、白石?」
黒瀬が驚いたような表情でこちらを振り返り、藤沢は血走った目でギロリと俺のことを睨みつけてきた。
「文化祭の看板用のダンボールを探しに来たんだけど……」
「ああ? なにノコノコ出てきてんだよ? 空気読めや!」
なんで俺がお前の因縁に付き合って空気を読んでやる必要があるんだ? そういう自分勝手な所に愛想尽かされたんじゃないのか?
「ダンボールまだこっちに残ってたと思うけど」
「あ、ありがとう」
「さっさとゴミ持って失せろや!」
俺は一旦ダンボールを確保した後、藤沢の命令には従わずにつかつかと二人の間に割って入った。
「ところで何を揉めてるの? 相良さんと話したいなら、俺同じ看板作成係だから一緒に来る?」
俺の提案に、藤沢は一瞬躊躇するようにたじろいだ。
「いや、俺は……」
「直接元カノと話す勇気も無いくせに、黒瀬に八つ当たりしたってしょうがないだろ?」
「何だと?」
俺の指摘にカチンときたのか、藤沢はメンチを切るように俺にずいっと近づいて来た。
「凡人のくせに舐めた口きいてんじゃねえぞ!」
凡人か。確かに俺は凡人の自覚があるが、それを藤沢に言われるのは違う気がした。凡人とは、黒瀬のように圧倒的に人を惹きつける力を持った人間と比べた時に初めて適切に使われる言葉であって、ただのイキっているだけのチャラ男に使われても不名誉なだけだ。
「舐めた口とかじゃなくて、俺の言ってる事なんか間違ってるか?」
「何だと?」
「それが理解できないから、相良さんに振られたんじゃないの?」
パアンッ! と音がした瞬間、目から火花が飛び散るような衝撃と共に、俺はその場に勢いよく倒れ込んだ。
(痛って!)
コンクリートの地面に叩きつけられるようについた手のひらと一緒に、藤沢に張られた左頬がジンジンと痛んでいる。
頬っぺたを引っ叩かれた! まるで漫画みたいに!
「おい!」
どすの効いた鋭い声にハッと顔を上げると、長身の黒瀬がいつの間にか俺の前に立ち塞がるように仁王立ちになって、今まさに藤沢に向かって腕を振り上げている所だった。
「ちょっと待て!」
怯えたようにその場に立ちすくむ藤沢の前で、俺は慌てて後ろから黒瀬の背中にしがみついた。
「左頬を張られたら、右頬も差し出しなさい!」
「は?」
「非暴力不服従!」
藤沢がヤバい人間を見るような目つきで俺を見ていたが、俺は構わず振り上げられていた黒瀬の腕をそっと引っ張って体の横に下ろした。
「暴力はダメだよ」
「お前が暴力を受けたんだろ?」
「このくらい何ともないよ」
セコい藤沢のことだ。もし黒瀬に殴られでもしたら、きっと何倍にも誇張した噂を学校中に流そうとするに決まっている。強力なインフルエンサーである矢口と組んでいるのだから余計に厄介だ。
「この事は相良さんには黙っておくからさ。そんなにヨリを戻したいなら、直接彼女と話してみるしかないと思うよ。こんなところで黒瀬君相手に時間を無駄になんかしてないでさ」
一瞬カッと頭に血が上って思わず手が出てしまったが、やはり先に手を出したのはまずかったと冷静になってようやく気がついたらしい。藤沢はチラッと一瞬俺の方を見てから、コソコソと逃げるようにその場を離れて行った。
(はぁ、ようやくどっか行ってくれたみたいだな……)
「白石!」
黒瀬が怒っているような心配しているような、どっちつかずの表情で肩越しに振り返って俺の名を呼んだため、俺は掴んでいた黒瀬の手を離して肩をすくめた。
「黒瀬君だって分かってるだろ? あそこで藤沢に手を出したら面倒な事になっただろうって」
「でも……お前、頬腫れてんぞ」
「え、嘘」
慌てて張られた左頬に触れようとした瞬間、さっと腕を伸ばした黒瀬の指先が先にすっと俺の顔に触れた。
「ほら、ここ」
ドクン、と心臓が小さく跳ねて、触れられた頬にジンジンと熱が上がってくるような心地がした。
(ん? 何だこれ? ドクンって?)
「どんどん赤く熱くなってきてる。早く保健室に行った方がいい」
それは多分、藤沢に叩かれたせいじゃない。だってこんなに頬が熱を帯び始めたのは、黒瀬の指先が触れた後からだ。
何なんだ、これ。
「白石?」
ジンジンと痛む頰につられるように、顔全体もジワジワと熱くなってきた。ヤバい、黒瀬の言う通り、早く保健室に行った方がいいかもしれない。あんな風に叩かれる機会なんか滅多にないから、体が驚きすぎて過剰反応を起こしているみたいだ。
「悪いな、俺のせいで」
人を寄せ付けない表情とは裏腹に、黒瀬の声は微かに震えていて、彼が内心の動揺を隠せずにいる様子が伺えた。
(へぇ、こんな声も出せるんだ……)
きっと大多数の人間が知らないであろう、人間味のある黒瀬の声。その中に親愛の情があることをうっかり勘違いしてしまいそうになる。
(危ない危ない。俺がもし女子だったら、こんなギャップ見せられた暁には一発でノックアウトだろ)
俺、男で良かった。いや、良かったってどういうことだ?
「お、俺、相良さんが待ってるからもう行くわ」
「ちゃんと保健室行けよ」
「分かってるって」
俺は段ボールの束を拾い上げると、そそくさと黒瀬の側を後にした。教室に近づいた頃、俺は前回告白シーンを目撃してしまった日に、なぜ自分が黒瀬を探していたのか今更ながらに思い出した。
(そういや教室で野球部の連中にパシられそうになった時、助けてもらったお礼を言おうと思ってたんだった)
結局お礼は言えずじまいで、その代わり俺の中で黒瀬に対するある種の感情が着実に積み上がってきていることに、この時の俺はまだ気付けずにいたのだった。


