放課後、相良と一緒に材料のダンボールを集めに資材置き場へ向かった時のことだった。
「あれ、友紀じゃん」
 ピクリと反応した相良につられて声のした方を振り返った瞬間、並々ならぬオーラに圧倒されて、俺は思わず眩しいものでも見るかのように目を細めた。
「あ、紀香ちゃん……」
 出た! 読モで可愛い学年のマドンナ、矢口紀香!
「何? ダンボール取りに来たの? うちらが取りに来たので最後みたいよ」
「あ、そ、そうなんだ……」
「なんか別の組の男子がスーパー行ったら貰えるから行ってくるとか言ってたけど」
 なんとなくボヤッとしている相良の顔に比べて、矢口の目はくっきりと縁が黒く、まつ毛もクルンと跳ね上がっている。頬の血色も良く、瞼もまるで濡れたようにキラキラと輝いていた。
(すごいな、目の上がピンク色でキラキラしてるなんて、読モのオーラはやっぱり違うんだな)
 たまに他人のオーラが見える人間がいるみたいだが、矢口級のオーラなら自分のような一般人の目にも見えてしまうらしい。
「分かった、ありがとう。それじゃ行こっか、白石君」
「あ、ちょっと待ってよ」
 そそくさと退散しようとした相良の背中に、矢口が呼び止めるように声をかけてきた。
「寛人に聞いたよ。友紀、純也君に乗り換えたんだって?」
「えっ?」
 この話題を振られることを覚悟していたのか、相良は表向きは動じることなく黙っていた。つまり驚いた声を上げてしまったのは、他でもないこの俺であった。
「え、あんた誰?」
「あ、いや……」
 驚いたのは相良の話ではない。矢口が黒瀬を呼んだ、その呼び方に単純に驚いたのだ。
(純也君だって?)
 なんて馴れ馴れしい! いや、別に俺がそんなことで怒る必要なんてさらさら無いはずなんだけど、なんでだろう? ああ、なんなんだこのモヤモヤとした気持ちは!
「あ、同じクラスで寮生の白石君。今黒瀬君と同じ部屋なんだって」
「へえ〜、そうなんだ」
 矢口はあからさまに興味なさげに俺のことはスルーすると、再び話題を相良の方へ戻した。
「寛人すごい落ち込んでたよ。友紀ともっと深い仲になりたかったから、退寮になったのだって別に後悔してなかったのにって」
「私は……」
「ていうか友紀、うちに対しても恩知らずじゃない? 寛人に頼まれて、うちがついでに純也君と寛人が仲悪いって噂流してやったおかげで、あんたたちの秘密が公にならずに済んでるっていうのにさ。うちがまだ純也君のこと好きなの知ってるでしょ?」
 矢口はそう言いながら、意味深な視線をいちモブである俺に向けて投げかけてきた。
(ほらほら、なんの話してるのか気になるでしょ〜? とでも言いたげな視線だな)
 残念でした。その話、全部知ってます。
(そうか、黒瀬が藤沢を寮から追い出したって噂を流したのは矢口さんだったのか)
 しかも彼女の口調からして、その他の悪い噂を流した張本人も彼女で間違いなさそうだった。
「それでどうするの? 純也君に告白でもする? まあうちでも一回振られてるし、友紀じゃあ望み薄だと思うけどね」
 あ、流石にもう告白済みだってことまでは知らないのか。まあ黒瀬がそんなことを言いふらすはずもないし、当然といえば当然か。
「じゃあね、まあせいぜい頑張って」
 矢口はそう言って勝ち誇ったような笑みを浮かべると、取り巻きにダンボールを持たせて自分たちの教室へと帰っていった。
「……行こっか、白石君」
 矢口が資材置き場を離れて少ししてから、相良が思い出したかのようにポツリと呟いた。
「あ、うん、そうだね」
 気まずい雰囲気で廊下を並んで歩き、誰もいない吹き抜けスペースに差し掛かったところで、相良がようやく口を開いた。
「白石君、さっきの話知ってた?」
「え?」
「私が黒瀬君のこと好きだって話」
 それはつまり、同室の黒瀬から何か聞いているかという質問であった。
「う、ううん! 知らなかった。ていうか相良さんが藤沢君と付き合ってたことすら知らなかった」
「そっか、良かったぁ」
 相良のホッとしたような表情を見て罪悪感に胸がチクリとしたが、告白シーンを盗み聞きしていただなんて言えるはずがなかった。
「誰にも言わないよ。約束する。もちろん黒瀬君にも」
 既に告白済みなのは知っていたが、俺は知らないふりをして相良にそう約束した。
「ありがとう」
 相良はふーっと息を吐くと、先ほどとは打って変わって柔らかい表情で俺のことを見た。
「去年私と寛人君、黒瀬君と紀香ちゃんと同じクラスだったの。クラスのみんな、紀香ちゃんが黒瀬君のことを好きで、振られた後に悪い噂流してるのも知ってたけど、誰も紀香ちゃんに睨まれたくなかったし、黒瀬君に相手にしてもらえないのも分かってたから、みんな黒瀬君に近づかなくなったんだ。私にとっても黒瀬君は遠い存在だったし、寛人君と付き合うことになったから去年は全然関わることがなくて。でもちょっと色々あって、クラスも一緒になったらやっぱり黒瀬君いいなって再確認した。ほら、白石君がカツアゲされそうになった時も助けてくれたよね?」
 カツアゲ、とまではいかないが、確かにやり方が違うだけで似たような状況だったかもしれない。
「そうだね、確かにかっこよかった。同室になった時、最初はどうなることかと思ったけど、全然思ってたよりいいやつだった」
「良かった。白石君は分かってくれてるみたいで」
 何だその言い方は。なんで自分の方が黒瀬の理解者ぶってるんだ? 確かに去年同じクラスだったかもしれないけど、自分だって矢口の流言に乗っかって黒瀬を疎外していた連中の一員だったくせに。
 なぜか無性にむしゃくしゃした気分だった。今すぐ相良の近くから離れたくて、俺は必死で頭をフル回転させて言い訳を絞り出していた。
「……そういえば、寮のゴミ捨て場にもダンボールがあったかもしれない。俺ちょっと見てくるから、相良さんは先に教室戻っててくれる?」
「あ、それなら私も……」
「いや、寮生以外はあんまり入らない方がいいから」
 つい棘のある言い方をしてしまった。相良は一瞬傷ついたような表情をしたが、すぐに笑顔を取り繕うと「それじゃ、お願いします」と言って一人で教室へと向かった。
(はぁ、何もあんな言い方しなくたって良かったのに……)
 今までこんなことなかったのに、どうも最近の俺の心はなぜだかままならない。イライラしたりモヤモヤしたり、今まで静かだったはずの湖面がずっとザワザワと波打っているみたいだ。
 こないだ相良の告白シーンを目撃したゴミ捨て場へ向かっていると、入り口付近で何やら言い争うような男の声が聞こえてきた。
(え、あれってもしかして……?)