高校二年生の春がやって来た。入学したての一年生のこの頃は、新しい環境や初めての友達、全てが真っ白で新鮮な緊張に包まれていた。一年間の高校生活を経験済みの現在は、去年みたいに全身が泡立つような緊張を覚えるといったことはない。強いて言うならクラス替えの結果が気になるくらいか。自宅から通学する一般生にとっては、の話だが。
「白石君お願い! 僕の引いたクジと交換してくれない?」
蒼白な顔で自分の引いたクジを握りしめ、詰め寄るように駆け寄って来た同じ寮に住む同級生の小宮圭太に、俺、白石望は驚いて、思わず自分の持っていたクジを取り落としそうになった。
「ちょっと落ち着けって! 一体どうしたんだよ? 一回引いたクジの交換は禁止されてるだろ?」
「白石君知らないの? そんなの建前でみんなこっそり交換してるんだよ」
嘘だろ? そんな不正が既にこの小さな共同体の中でも蔓延っていただなんて!
学生寮に住む俺たち寮生にとって、半年に一度行われる部屋替えはビッグイベントだ。クラス替えなんかとは訳が違う。普通なら家族としか共有しないようなプライベート空間で、半年もの間一緒に暮らすことになるのだ。薔薇色の高校二年生生活のスタートは、この相部屋の相手にかかっていると言っても過言ではなかった。
「白石君の相手誰だった?」
「山田だけど」
「やったぁ! 山田君優しいもんね」
やったぁ! って何だ? まだ交換してやるなんて一言も言ってないんだけど。まぁ正式には。
「小宮は誰と一緒だったの?」
「それが聞いてよ、あの黒瀬君と一緒になっちゃって!」
黒瀬君!
俺は恐る恐る後ろを振り返り、現在クジ引きが行われている会場である寮の食堂の隅っこで、不機嫌そうな表情でスマホをいじっている黒瀬をチラリと盗み見た。
黒瀬純也。陸上部に所属する日に焼けた高身長イケメン。少し癖のある黒髪の下の目は切れ長の二重で、いつも鋭く相手を睨みつけるように尖っているにも関わらず、どことなく涼やかで品があった。すっと高い鼻の下に配置された形の良い薄い唇、よく少女漫画で見かけるワイルド系の王子様みたいな容姿のため、入学したての頃は学校中の女子生徒の羨望を一身に集める存在であった。
しかしこの一年間で、彼に対する評価は『ワイルド系王子』から『顔だけのクズ』に変わっていった。今では男子生徒もほとんど近寄らない、悪名高い男子高校生としてその名を轟かせる存在となったのである。
「藤沢君が退寮に追い込まれたのって、同じ部屋だった黒瀬君のせいなんでしょ? 無理だよ僕そんな人と半年間も一緒だなんて!」
去年、うちの寮から二名の退寮者が出たのだが、そのうちの一人が黒瀬と同室だった藤沢寛人であった。黒瀬と藤沢はあまり仲が良くなく、噂では一人で悠々と二人部屋を占領したかった黒瀬の圧力によって、藤沢はやむなく寮を出ざるを得なくなったのだとか。
「ていうか僕も黒瀬君に嫌われてる気がするし、絶対追い出そうとするに決まってる! うち貧乏だから下宿なんて親に許してもらえないし、追い出されたら退学になっちゃうよ〜」
黒瀬に嫌われていない人間など、そもそもうちの高校にいるのだろうか? 俺だって去年はクラスも違ったし、寮で当番が被ることもなかったから、正直一度も関わり合いになったことがなかった。
みんな俺のことをバカだと思うだろうけど、しかし俺はその場ですぐに小宮と自分のクジを交換してやった。
「ありがとう! 一生恩に着るよ!」
相手のほっとしたようなこの笑顔が嬉しくて、ついついいつも手を差し伸べてしまう。
小宮は俺がやっぱり返せと言い出すのを恐れるかのように、交換したクジをしっかり握りしめて逃げるようにその場を去っていった。小動物のような動きの彼と入れ替わりに、去年半年間相部屋だった友人の友野優一がこちらに向かって歩いて来る。
「なんかまた頼まれて断れなかったみたいに見えたけど、誰と一緒の部屋になったんだ?」
「黒瀬君」
「えっ?」
友野は軽く目を見開くと、やはり思った通り呆れたような表情を浮かべた。
「まったく何やってんだよ。お前も退寮になりたいのか?」
「俺なら大丈夫だよ」
身長、普通。顔、普通。取り立てて特徴のない平凡な見た目、それが俺の容姿だ。強いて特徴を上げるなら、人が良さそう、無害そうとよく言われるタレ目くらいだろうか。
「藤沢ってチャラ男代表みたいな感じだったし、いかにも黒瀬が嫌いそうなタイプじゃん。小宮は小動物っぽくて潰されそうだし。でもこの俺を見て? どこからどう見ても隙のないこの平凡さ。いじめる気なんて全く起きないだろ?」
「いじめるっていうか、普通に利用されそう。てか既に小宮にいいように利用されてんじゃん」
「俺が自分の意思で引き受けたんだからいいんだよ」
半分本心で、残りの半分は精一杯の強がりだ。
怖いよ、黒瀬純也。正直言って内心生まれたての子鹿のようにガクブルしてる。反社の父親から逃げ出した母親に女手一つで育てられたとか、か弱い女子供にも容赦なく手をあげる乱暴者だとか、気に食わない相手はどんな手段を使ってでも消そうとするサイコパスだとか……とにかく悪い噂の尽きない相手なのだ。
友野にはああ言ったものの、本当に俺、大丈夫かな?
思わずもう一度振り返った瞬間、浅黒い顔の中に光る黒い瞳とバチリと一瞬目が合ってしまった。ヤバいと思った瞬間、黒瀬はすぐに興味を無くしたかのようにフイッと目を逸らした。
(あっぶね、怖いと思ってるのバレたかと思った!)
できることなら、このまま卒業まで視線を合わすことなく平穏に高校生活を終えたいものだが、相部屋になってしまった以上そういうわけにもいかない。
台車に乗せた荷物をカラカラと押して、高校二年生の期間の半分を過ごすことになった三〇一号室へ運び入れる。ダンボールを開けて中身を出していると、同じくダンボール箱を一つ抱えた黒瀬も部屋に入って来た。
「あ、こんにちは……」
思わずかしこまったセリフを吐いた俺を一瞥した後、黒瀬は一言も喋らずに持って来たダンボール箱を開けて荷解きを始めた。あれ? もしかして今、無視された?
後から入って来たにも関わらず、両手で抱えられるダンボール箱一つ分しか荷物を持って来なかった黒瀬はすぐに引越しを完了させていた。
「あ、もう終わったんだ。早いね。俺なんかまだ……」
シャッ! とベッド周りのカーテンを閉められて、俺は愛想笑いを浮かべていた口元を思わずヒクリと硬直させた。病院のベッド周りを囲むものと似た黄緑色のこのカーテンは、相部屋内で唯一ルームメイトからの視線を遮ることのできるアイテムだった。
ーーさっそく物理的に遮断された!
「白石君お願い! 僕の引いたクジと交換してくれない?」
蒼白な顔で自分の引いたクジを握りしめ、詰め寄るように駆け寄って来た同じ寮に住む同級生の小宮圭太に、俺、白石望は驚いて、思わず自分の持っていたクジを取り落としそうになった。
「ちょっと落ち着けって! 一体どうしたんだよ? 一回引いたクジの交換は禁止されてるだろ?」
「白石君知らないの? そんなの建前でみんなこっそり交換してるんだよ」
嘘だろ? そんな不正が既にこの小さな共同体の中でも蔓延っていただなんて!
学生寮に住む俺たち寮生にとって、半年に一度行われる部屋替えはビッグイベントだ。クラス替えなんかとは訳が違う。普通なら家族としか共有しないようなプライベート空間で、半年もの間一緒に暮らすことになるのだ。薔薇色の高校二年生生活のスタートは、この相部屋の相手にかかっていると言っても過言ではなかった。
「白石君の相手誰だった?」
「山田だけど」
「やったぁ! 山田君優しいもんね」
やったぁ! って何だ? まだ交換してやるなんて一言も言ってないんだけど。まぁ正式には。
「小宮は誰と一緒だったの?」
「それが聞いてよ、あの黒瀬君と一緒になっちゃって!」
黒瀬君!
俺は恐る恐る後ろを振り返り、現在クジ引きが行われている会場である寮の食堂の隅っこで、不機嫌そうな表情でスマホをいじっている黒瀬をチラリと盗み見た。
黒瀬純也。陸上部に所属する日に焼けた高身長イケメン。少し癖のある黒髪の下の目は切れ長の二重で、いつも鋭く相手を睨みつけるように尖っているにも関わらず、どことなく涼やかで品があった。すっと高い鼻の下に配置された形の良い薄い唇、よく少女漫画で見かけるワイルド系の王子様みたいな容姿のため、入学したての頃は学校中の女子生徒の羨望を一身に集める存在であった。
しかしこの一年間で、彼に対する評価は『ワイルド系王子』から『顔だけのクズ』に変わっていった。今では男子生徒もほとんど近寄らない、悪名高い男子高校生としてその名を轟かせる存在となったのである。
「藤沢君が退寮に追い込まれたのって、同じ部屋だった黒瀬君のせいなんでしょ? 無理だよ僕そんな人と半年間も一緒だなんて!」
去年、うちの寮から二名の退寮者が出たのだが、そのうちの一人が黒瀬と同室だった藤沢寛人であった。黒瀬と藤沢はあまり仲が良くなく、噂では一人で悠々と二人部屋を占領したかった黒瀬の圧力によって、藤沢はやむなく寮を出ざるを得なくなったのだとか。
「ていうか僕も黒瀬君に嫌われてる気がするし、絶対追い出そうとするに決まってる! うち貧乏だから下宿なんて親に許してもらえないし、追い出されたら退学になっちゃうよ〜」
黒瀬に嫌われていない人間など、そもそもうちの高校にいるのだろうか? 俺だって去年はクラスも違ったし、寮で当番が被ることもなかったから、正直一度も関わり合いになったことがなかった。
みんな俺のことをバカだと思うだろうけど、しかし俺はその場ですぐに小宮と自分のクジを交換してやった。
「ありがとう! 一生恩に着るよ!」
相手のほっとしたようなこの笑顔が嬉しくて、ついついいつも手を差し伸べてしまう。
小宮は俺がやっぱり返せと言い出すのを恐れるかのように、交換したクジをしっかり握りしめて逃げるようにその場を去っていった。小動物のような動きの彼と入れ替わりに、去年半年間相部屋だった友人の友野優一がこちらに向かって歩いて来る。
「なんかまた頼まれて断れなかったみたいに見えたけど、誰と一緒の部屋になったんだ?」
「黒瀬君」
「えっ?」
友野は軽く目を見開くと、やはり思った通り呆れたような表情を浮かべた。
「まったく何やってんだよ。お前も退寮になりたいのか?」
「俺なら大丈夫だよ」
身長、普通。顔、普通。取り立てて特徴のない平凡な見た目、それが俺の容姿だ。強いて特徴を上げるなら、人が良さそう、無害そうとよく言われるタレ目くらいだろうか。
「藤沢ってチャラ男代表みたいな感じだったし、いかにも黒瀬が嫌いそうなタイプじゃん。小宮は小動物っぽくて潰されそうだし。でもこの俺を見て? どこからどう見ても隙のないこの平凡さ。いじめる気なんて全く起きないだろ?」
「いじめるっていうか、普通に利用されそう。てか既に小宮にいいように利用されてんじゃん」
「俺が自分の意思で引き受けたんだからいいんだよ」
半分本心で、残りの半分は精一杯の強がりだ。
怖いよ、黒瀬純也。正直言って内心生まれたての子鹿のようにガクブルしてる。反社の父親から逃げ出した母親に女手一つで育てられたとか、か弱い女子供にも容赦なく手をあげる乱暴者だとか、気に食わない相手はどんな手段を使ってでも消そうとするサイコパスだとか……とにかく悪い噂の尽きない相手なのだ。
友野にはああ言ったものの、本当に俺、大丈夫かな?
思わずもう一度振り返った瞬間、浅黒い顔の中に光る黒い瞳とバチリと一瞬目が合ってしまった。ヤバいと思った瞬間、黒瀬はすぐに興味を無くしたかのようにフイッと目を逸らした。
(あっぶね、怖いと思ってるのバレたかと思った!)
できることなら、このまま卒業まで視線を合わすことなく平穏に高校生活を終えたいものだが、相部屋になってしまった以上そういうわけにもいかない。
台車に乗せた荷物をカラカラと押して、高校二年生の期間の半分を過ごすことになった三〇一号室へ運び入れる。ダンボールを開けて中身を出していると、同じくダンボール箱を一つ抱えた黒瀬も部屋に入って来た。
「あ、こんにちは……」
思わずかしこまったセリフを吐いた俺を一瞥した後、黒瀬は一言も喋らずに持って来たダンボール箱を開けて荷解きを始めた。あれ? もしかして今、無視された?
後から入って来たにも関わらず、両手で抱えられるダンボール箱一つ分しか荷物を持って来なかった黒瀬はすぐに引越しを完了させていた。
「あ、もう終わったんだ。早いね。俺なんかまだ……」
シャッ! とベッド周りのカーテンを閉められて、俺は愛想笑いを浮かべていた口元を思わずヒクリと硬直させた。病院のベッド周りを囲むものと似た黄緑色のこのカーテンは、相部屋内で唯一ルームメイトからの視線を遮ることのできるアイテムだった。
ーーさっそく物理的に遮断された!


