小さな頭、柔らかい唇、震えるまつ毛。記念すべき瞬間を一つたりとも見逃すまいと、柚月は必死になっていた。我ながら器用に葵の体をソファの上で跨ぐ。呼吸を乱しながら瞼を開いた葵は、息苦しさからか涙を溢した。舐めたらきっと格別に甘いだろうと思ったのにそうしなかったのは、怖がらせたくなかったからだ。勿体無いなと思いながら、自分の手で涙を拭ってやった。
Tシャツの裾に手をかけた時も、葵はされるがままにじっとしていた。葵はどこまで知っているのだろう。見るからにウブだし、恋人同士のあれやこれを知っているはずがない。知った上でこうして身を任せてくれているのだとしたらそれはそれでくるものがあるけれど、まだ付き合って一月と少しなのだ。
色々な考えが頭を支配するものの、なんとか精神を統一する。葵のお腹を合法的に見られるこの瞬間、余計なことは考えたくないのだ。
いよいよTシャツを捲ると、そこは一言で言えば絶景だった。真っ白でふわふわツルツルしていそうなそこにはうっすら腹筋がついていて、綺麗な形の臍がある。爽やかで、瑞々しくて、それなのに色っぽい。あまりの絶景に、くらりと眩暈がした。気がつけば、葵の腹部に手を伸ばしていた。ふわふわツルツル、それは想像通りで、温かくて気持ちがいい。ぴくりと反応されたら、もう限界だった。ドキドキと心臓がうるさい。頭に血がのぼって、おかしくなりそうだ。
「葵くん、ごめん。やっぱり無理だ」
これ以上は、どう考えても紳士でいられない。見るだけでなんて終わりそうになかった。とっくに許される前に触れてしまっているし、葵を傷つけてしまうようなことがあれば柚月は自分を許せない。
「……柚月?」
「ごめんね、ありがとう」
捲ったTシャツを下ろして、胸の辺りで組まれていた腕を掴んで引っ張り起こしてやる。すると軽い葵はすんなりと上体を起こした。でも、その表情は戸惑っているように見える。
「葵くん、ごめ」
「悪かったよ、色気がなくて」
謝る柚月の言葉を遮って、葵が拗ねたようにそう言った。顔を背けて床の辺りを睨みつけている。色気がないなんて、そんなこと言っていない。なんなら色気の大爆発だとすら思ったほどだ。でもそれを正直に言ったら、葵がどう思うだろうか。葵が好きなかっこいい柚月ではいられないかもしれない。柚月が次の言葉を探していたら、唐突に葵がTシャツを脱ぎ始めた。
「あ、葵くん!?」
脱いだTシャツが弧を描いて宙を飛んでいく。目の前に上半身裸の葵がいると思うと、柚月はTシャツの行方を追うことしかできなかった。
「柚月」
名前を呼ぶ葵に反応できずにいると、右腕を引っ張られる。そこでゆっくりと葵に視線を向けると、眩しいほど白い肌が煌めいていた。今すぐに押し倒してやりたいところをグッと堪えて、Tシャツに視線を向ける。
「あ、葵くん、服放り投げないよ」
Tシャツを拾いに行こうとソファから降り立つと、葵が柚月の腰に抱きついてくる。
「葵くん!?」
「柚月、ごめん。俺が男だから」
「え?」
柚月が振り返ると、葵は腰から腕を外してソファの上でしょんぼりと落ち込んでいるように見える。
「色気もないし、柔らかくもないし、胸もない。肩すらセクシーじゃないなって言われたから、それくらい知ってるよ」
「言われたって、誰に?」
「……春」
あの男、葵の親友のふりをしておいて、どういうつもりだろうか。柚月が憤っていると、葵はモゾモゾと動いて胸を隠すように腕を組んだ。
「こうやれば女の子に見えないかな」
「葵くん」
「こうやって寄せてみようかな」
「葵くん」
「俺って顔は可愛いからさ、でも筋肉が邪魔だな」
「葵くんってば」
我慢の限界で、多少強引に葵をソファに押し倒した。コロンと転がった葵は目をパチパチとさせていて、その顔でさえも最高に可愛くてたまらない。改めて体を跨いで上から見下ろすと、柚月の体はゾワゾワと鳥肌が立った。衝動のままに胸を隠し続ける葵の腕を解いて、顔の横に押さえつけてやる。
「ゆ、柚月」
「葵くんは可愛い。色気たっぷりだよ」
「そんなことあるわけないだろ」
「セクシーすぎて、俺はもう我慢できない」
「本当?」
「本当」
表情を緩めて、自分の中で最高にかっこいいと思う顔をしてみせる。するとすぐに葵はホワホワと表情を溶かした。それがあまりにも可愛くてたまらない。生まれながらに顔が良くて良かった。その惚けた顔をずっと見ていたいけれど、葵に柚月の気持ちをわからせるために首元に顔を埋める。スンスンと匂いを嗅ぐと、甘くてフルーツみたいな香りがした。昔抱きしめた時は綿菓子みたいな匂いがしたのに、こうやって近づくとこんなに甘く香るのか。人生の半分を損していた気分だ。
「ゆ、柚月?くすぐったいよ」
「舐めていい?」
「え?ひゃっ!」
舐めると尚更甘い。可愛い声も聞けたことだし、そろそろ本気になっても良いだろうか。首元から顔を上げて葵の目を覗き込むと、今にも涙が溢れそうになっていた。慌てて葵の名前を呼ぼうとすると、その前に葵が「俺」と呟いた。
「貧相な男だって言われたんだ」
「え、丸山くんに?」
まさか春がそんなことを言うはずないと思いながら尋ねたら、案の定葵も首をゆっくりと横に振った。
「バイト先で、俺を襲った男に、言われた。こんな貧相な体の男、襲うはずないって」
一瞬で頭に血がのぼったけれど、話には続きがありそうだから黙っておく。怒りで呼吸はどんどん荒くなって、でも唇を噛んで必死で耐えた。
「だから、不安だったんだ。それなのに、柚月は受け入れてくれたんだと思ったら、俺は」
瞬きと共に涙がはらりと溢れた。今度は我慢せずに唇で掬い取る。きゅっと目を瞑った葵は嬉しそうにはにかんだ。
「俺は柚月のことがもっと好きになった」
その言葉があまりにも柚月の心にヒットして、その可愛い唇に思い切りキスをした。ああ、可愛い。可愛くて可愛くて、今までこの子はどうやって生きてきたのだろう。一頻りキスをしていたら、途中で肩をトントンと叩かれた。仕方なく唇を離すと、目の前の葵は酸素を取り込むことに必死になっている。だからその間に、柚月は自分のシャツのボタンを上から一つずつ外していく。余裕ぶっているけれど、どうしても手が震えてしまう。それに笑いながら葵の顔を見ると、葵はなぜだかむっと唇を突き出していた。
「俺も、そういうシャツにすれば良かった」
「葵くんも?なんで」
「その方が色っぽいじゃん」
そんなものかなと思いながら、葵が白いシャツをはだけさせている様子を想像したら最高だった。
「葵くんは、今度ね」
余裕ぶりながらそう言ったけれど、内心は是非とも着て欲しい。ゆっくりボタンを外していたら最後の一つは葵が手をかけてくれて、その手の辿々しさがまた最高だった。でも最終的にシャツを脱ぎ捨てる前に少し迷いが生まれる。葵は、男である柚月をどう思うのだろうか。
「葵くんは、女の子より俺が好きだよね」
不安を隠してそう聞くと、葵はポカンとしてから数秒後、コテンと首を傾げた。
「女の子と比較したことなかった。そもそもアイドルだから恋はしないって決めてたから」
「それなのに、俺としてくれてるの?」
「そうだよ。ありがたいだろ」
その言葉に思わず笑みが溢れる。ありがたくて、心が幸せで苦しい。こんなの生まれて初めてだった。自信を持って、シャツを脱ぎ去った。床に落としたそれを、葵が目で追っている。それが悔しくて、柚月は葵の胸の上にピタリと体をくっつけた。シャツに嫉妬するだなんてどうかしているけれど、葵は柚月の恋人なのだから仕方がないだろう。
「葵くん」
葵がゆっくりと柚月を見上げた。至近距離に、震えるまつ毛と瞳の奥がよく見える。
「柚月の肌、気持ち良い」
頭を殴られたかのような衝撃に、意識が持っていかれないように必死になった。一言一言の破壊力が凄まじい。
「気持ちいね」
「うん」
惚けた顔に呻き声をあげそうになりながら、柚月はもう一度葵にキスをした。頭を撫でて、少しだけと決めて肌に触れる。最高に気持ち良くて、キスの合間に漏れる子犬のような声が可愛い。
しばらくそうして楽しんで、歯を食いしばりながら柚月は葵の上から退いた。もっともっと、やろうと思えばいくらでもできるけれど、葵はお腹を空かせているに違いないのだ。
「さて、じゃあご飯にしようか」
葵が放り投げたTシャツを拾いに立つと、葵も起き上がった気配がした。いつの日か、腰が抜けて立てないほど可愛がってみせるから覚悟して欲しい。
「ほら、冷えるから着て」
Tシャツを拾い上げて振り返ったその時だった。これは柚月の妄想なのかと思う景色が待っていた。柚月のシャツを羽織って、どこかワクワクと柚月を見上げる葵は、何がしたいのだろう。
「柚月」
「う、うん」
「どう思う?」
右肩だけはだけさせて柚月に見せつけてくるその様子は、とんだ小悪魔だ。
「もちろん可愛いよ」
「可愛いだけ?」
「……葵くん」
「なんだよ」
「俺がどれだけ我慢してると思う?」
葵のTシャツを右手に提げて、ずんずんソファに近づく。少し驚いた様子の葵は、きっと何もわかってない。柚月がどれだけ葵のためを思っているのか、そして葵がどれほど魅力的なのか。
「葵くんは、最高に色っぽいよ。可愛いだけじゃない」
葵の右肩にキスを落とすと、ピクリと体が跳ねたことがわかった。はあ、と息を吐いて、シャツの前を閉じてやる。
「あんまり意地悪しないで」
「意地悪?」
「そうだよ。あんまり意地悪すると食べちゃうよ」
自分は葵のTシャツを身につける。少し小さいけれど、葵の匂いがして良い気分だ。ふと葵から熱心に見つめられていることに気がついた。見つめ返しながら「ん?」と言ってみると、葵はせっかく閉じたシャツの前をガバリと開いた。
「そのつもりだから良いよ」
柚月は思わず天井を見上げた。全く、信じられない。
「お願い、勘弁して」
これ以上はもう無理だ。柚月は葵をそのままに、アイランドキッチンの向こう側へ逃げ込んだ。
「柚月?」
無垢な葵の声が聞こえてくるけれど、もうこの際無視するしかない。カレーの入った鍋を火にかける。
「柚月ー」
無視だ、無視。そうしないと、葵を傷つけてしまうかもしれないし、結果的に柚月も傷つくだろう。
「柚月、食べて良いってば」
「……」
「柚月、俺も我慢してるよ」
「……」
「柚月のことが大好きだもん」
「……」
「じゃあ、チューだけでもさ。もう一回、しよ」
なんだかイライラしてきた。もう知らない。柚月はせっかくつけた火を消して、ぎゅっと目を瞑った。
「どうなっても知らないからね」
「どうなってもいいよ。柚月になら、全部あげる」
葵がそれを言い切るかのうちに、柚月はソファへ近づいた。その間にTシャツは乱暴に脱ぎ捨てる。それからソファにいる葵に半ば掴みかかる勢いで、その唇に噛みついた。
Tシャツの裾に手をかけた時も、葵はされるがままにじっとしていた。葵はどこまで知っているのだろう。見るからにウブだし、恋人同士のあれやこれを知っているはずがない。知った上でこうして身を任せてくれているのだとしたらそれはそれでくるものがあるけれど、まだ付き合って一月と少しなのだ。
色々な考えが頭を支配するものの、なんとか精神を統一する。葵のお腹を合法的に見られるこの瞬間、余計なことは考えたくないのだ。
いよいよTシャツを捲ると、そこは一言で言えば絶景だった。真っ白でふわふわツルツルしていそうなそこにはうっすら腹筋がついていて、綺麗な形の臍がある。爽やかで、瑞々しくて、それなのに色っぽい。あまりの絶景に、くらりと眩暈がした。気がつけば、葵の腹部に手を伸ばしていた。ふわふわツルツル、それは想像通りで、温かくて気持ちがいい。ぴくりと反応されたら、もう限界だった。ドキドキと心臓がうるさい。頭に血がのぼって、おかしくなりそうだ。
「葵くん、ごめん。やっぱり無理だ」
これ以上は、どう考えても紳士でいられない。見るだけでなんて終わりそうになかった。とっくに許される前に触れてしまっているし、葵を傷つけてしまうようなことがあれば柚月は自分を許せない。
「……柚月?」
「ごめんね、ありがとう」
捲ったTシャツを下ろして、胸の辺りで組まれていた腕を掴んで引っ張り起こしてやる。すると軽い葵はすんなりと上体を起こした。でも、その表情は戸惑っているように見える。
「葵くん、ごめ」
「悪かったよ、色気がなくて」
謝る柚月の言葉を遮って、葵が拗ねたようにそう言った。顔を背けて床の辺りを睨みつけている。色気がないなんて、そんなこと言っていない。なんなら色気の大爆発だとすら思ったほどだ。でもそれを正直に言ったら、葵がどう思うだろうか。葵が好きなかっこいい柚月ではいられないかもしれない。柚月が次の言葉を探していたら、唐突に葵がTシャツを脱ぎ始めた。
「あ、葵くん!?」
脱いだTシャツが弧を描いて宙を飛んでいく。目の前に上半身裸の葵がいると思うと、柚月はTシャツの行方を追うことしかできなかった。
「柚月」
名前を呼ぶ葵に反応できずにいると、右腕を引っ張られる。そこでゆっくりと葵に視線を向けると、眩しいほど白い肌が煌めいていた。今すぐに押し倒してやりたいところをグッと堪えて、Tシャツに視線を向ける。
「あ、葵くん、服放り投げないよ」
Tシャツを拾いに行こうとソファから降り立つと、葵が柚月の腰に抱きついてくる。
「葵くん!?」
「柚月、ごめん。俺が男だから」
「え?」
柚月が振り返ると、葵は腰から腕を外してソファの上でしょんぼりと落ち込んでいるように見える。
「色気もないし、柔らかくもないし、胸もない。肩すらセクシーじゃないなって言われたから、それくらい知ってるよ」
「言われたって、誰に?」
「……春」
あの男、葵の親友のふりをしておいて、どういうつもりだろうか。柚月が憤っていると、葵はモゾモゾと動いて胸を隠すように腕を組んだ。
「こうやれば女の子に見えないかな」
「葵くん」
「こうやって寄せてみようかな」
「葵くん」
「俺って顔は可愛いからさ、でも筋肉が邪魔だな」
「葵くんってば」
我慢の限界で、多少強引に葵をソファに押し倒した。コロンと転がった葵は目をパチパチとさせていて、その顔でさえも最高に可愛くてたまらない。改めて体を跨いで上から見下ろすと、柚月の体はゾワゾワと鳥肌が立った。衝動のままに胸を隠し続ける葵の腕を解いて、顔の横に押さえつけてやる。
「ゆ、柚月」
「葵くんは可愛い。色気たっぷりだよ」
「そんなことあるわけないだろ」
「セクシーすぎて、俺はもう我慢できない」
「本当?」
「本当」
表情を緩めて、自分の中で最高にかっこいいと思う顔をしてみせる。するとすぐに葵はホワホワと表情を溶かした。それがあまりにも可愛くてたまらない。生まれながらに顔が良くて良かった。その惚けた顔をずっと見ていたいけれど、葵に柚月の気持ちをわからせるために首元に顔を埋める。スンスンと匂いを嗅ぐと、甘くてフルーツみたいな香りがした。昔抱きしめた時は綿菓子みたいな匂いがしたのに、こうやって近づくとこんなに甘く香るのか。人生の半分を損していた気分だ。
「ゆ、柚月?くすぐったいよ」
「舐めていい?」
「え?ひゃっ!」
舐めると尚更甘い。可愛い声も聞けたことだし、そろそろ本気になっても良いだろうか。首元から顔を上げて葵の目を覗き込むと、今にも涙が溢れそうになっていた。慌てて葵の名前を呼ぼうとすると、その前に葵が「俺」と呟いた。
「貧相な男だって言われたんだ」
「え、丸山くんに?」
まさか春がそんなことを言うはずないと思いながら尋ねたら、案の定葵も首をゆっくりと横に振った。
「バイト先で、俺を襲った男に、言われた。こんな貧相な体の男、襲うはずないって」
一瞬で頭に血がのぼったけれど、話には続きがありそうだから黙っておく。怒りで呼吸はどんどん荒くなって、でも唇を噛んで必死で耐えた。
「だから、不安だったんだ。それなのに、柚月は受け入れてくれたんだと思ったら、俺は」
瞬きと共に涙がはらりと溢れた。今度は我慢せずに唇で掬い取る。きゅっと目を瞑った葵は嬉しそうにはにかんだ。
「俺は柚月のことがもっと好きになった」
その言葉があまりにも柚月の心にヒットして、その可愛い唇に思い切りキスをした。ああ、可愛い。可愛くて可愛くて、今までこの子はどうやって生きてきたのだろう。一頻りキスをしていたら、途中で肩をトントンと叩かれた。仕方なく唇を離すと、目の前の葵は酸素を取り込むことに必死になっている。だからその間に、柚月は自分のシャツのボタンを上から一つずつ外していく。余裕ぶっているけれど、どうしても手が震えてしまう。それに笑いながら葵の顔を見ると、葵はなぜだかむっと唇を突き出していた。
「俺も、そういうシャツにすれば良かった」
「葵くんも?なんで」
「その方が色っぽいじゃん」
そんなものかなと思いながら、葵が白いシャツをはだけさせている様子を想像したら最高だった。
「葵くんは、今度ね」
余裕ぶりながらそう言ったけれど、内心は是非とも着て欲しい。ゆっくりボタンを外していたら最後の一つは葵が手をかけてくれて、その手の辿々しさがまた最高だった。でも最終的にシャツを脱ぎ捨てる前に少し迷いが生まれる。葵は、男である柚月をどう思うのだろうか。
「葵くんは、女の子より俺が好きだよね」
不安を隠してそう聞くと、葵はポカンとしてから数秒後、コテンと首を傾げた。
「女の子と比較したことなかった。そもそもアイドルだから恋はしないって決めてたから」
「それなのに、俺としてくれてるの?」
「そうだよ。ありがたいだろ」
その言葉に思わず笑みが溢れる。ありがたくて、心が幸せで苦しい。こんなの生まれて初めてだった。自信を持って、シャツを脱ぎ去った。床に落としたそれを、葵が目で追っている。それが悔しくて、柚月は葵の胸の上にピタリと体をくっつけた。シャツに嫉妬するだなんてどうかしているけれど、葵は柚月の恋人なのだから仕方がないだろう。
「葵くん」
葵がゆっくりと柚月を見上げた。至近距離に、震えるまつ毛と瞳の奥がよく見える。
「柚月の肌、気持ち良い」
頭を殴られたかのような衝撃に、意識が持っていかれないように必死になった。一言一言の破壊力が凄まじい。
「気持ちいね」
「うん」
惚けた顔に呻き声をあげそうになりながら、柚月はもう一度葵にキスをした。頭を撫でて、少しだけと決めて肌に触れる。最高に気持ち良くて、キスの合間に漏れる子犬のような声が可愛い。
しばらくそうして楽しんで、歯を食いしばりながら柚月は葵の上から退いた。もっともっと、やろうと思えばいくらでもできるけれど、葵はお腹を空かせているに違いないのだ。
「さて、じゃあご飯にしようか」
葵が放り投げたTシャツを拾いに立つと、葵も起き上がった気配がした。いつの日か、腰が抜けて立てないほど可愛がってみせるから覚悟して欲しい。
「ほら、冷えるから着て」
Tシャツを拾い上げて振り返ったその時だった。これは柚月の妄想なのかと思う景色が待っていた。柚月のシャツを羽織って、どこかワクワクと柚月を見上げる葵は、何がしたいのだろう。
「柚月」
「う、うん」
「どう思う?」
右肩だけはだけさせて柚月に見せつけてくるその様子は、とんだ小悪魔だ。
「もちろん可愛いよ」
「可愛いだけ?」
「……葵くん」
「なんだよ」
「俺がどれだけ我慢してると思う?」
葵のTシャツを右手に提げて、ずんずんソファに近づく。少し驚いた様子の葵は、きっと何もわかってない。柚月がどれだけ葵のためを思っているのか、そして葵がどれほど魅力的なのか。
「葵くんは、最高に色っぽいよ。可愛いだけじゃない」
葵の右肩にキスを落とすと、ピクリと体が跳ねたことがわかった。はあ、と息を吐いて、シャツの前を閉じてやる。
「あんまり意地悪しないで」
「意地悪?」
「そうだよ。あんまり意地悪すると食べちゃうよ」
自分は葵のTシャツを身につける。少し小さいけれど、葵の匂いがして良い気分だ。ふと葵から熱心に見つめられていることに気がついた。見つめ返しながら「ん?」と言ってみると、葵はせっかく閉じたシャツの前をガバリと開いた。
「そのつもりだから良いよ」
柚月は思わず天井を見上げた。全く、信じられない。
「お願い、勘弁して」
これ以上はもう無理だ。柚月は葵をそのままに、アイランドキッチンの向こう側へ逃げ込んだ。
「柚月?」
無垢な葵の声が聞こえてくるけれど、もうこの際無視するしかない。カレーの入った鍋を火にかける。
「柚月ー」
無視だ、無視。そうしないと、葵を傷つけてしまうかもしれないし、結果的に柚月も傷つくだろう。
「柚月、食べて良いってば」
「……」
「柚月、俺も我慢してるよ」
「……」
「柚月のことが大好きだもん」
「……」
「じゃあ、チューだけでもさ。もう一回、しよ」
なんだかイライラしてきた。もう知らない。柚月はせっかくつけた火を消して、ぎゅっと目を瞑った。
「どうなっても知らないからね」
「どうなってもいいよ。柚月になら、全部あげる」
葵がそれを言い切るかのうちに、柚月はソファへ近づいた。その間にTシャツは乱暴に脱ぎ捨てる。それからソファにいる葵に半ば掴みかかる勢いで、その唇に噛みついた。



