目的地に向かう足取りが重くなったのは、俺に対する興味を感じ取ったからだ。

「アニメとかゲームのキャラが私服とか浴衣とか着てるのを見たい、新規グッズが欲しいって気持ち、なんかわかった気がする。そういうのってファンを楽しませる戦略だって冷めた目で見てたけど、推しのいろいろな姿を拝める機会なんてあればあるほどありがたいよな」

 適当に同意してやりたいが、夏祭りの話題の後に言ってくるのは浴衣姿が見てみたいというリクエストにしか聞こえない。
 上織の違う一面を知りたいというなら、アシストくらいはしてやれる。けれど、小薗が期待しているのはここにいない思い人の浴衣姿ではなさそうである。
 俺の勘違いではないと裏付けるように、小薗が言葉を継ぎ足した。
 策を弄している風で、ズバンとど真ん中に投球してくるのはこいつの良さであり欠点だった。

「黄青埼が浴衣で来てくれるなら、オレもそうしよっかな」

 狙う相手がぶれぶれで逆に清々しい。
 先読みしすぎで空回りしているだけかと危ぶんだけれど、小薗は俺の季節限定スチルを欲しがっている。
 
 誰かに気持ちを向けられるのが初めてということもない。 
 面倒ごとの回避なら、これまで同様うまくやれるはずなのに、踏み込みの一歩が大きすぎて脳内がエラーを起こす。
 迂闊にときめくほどおめでたく出来ていない。
 恋なんて、あの母さんでさえ制御出来なかったものに溺れたくはなかった。

 上織に惚れてるくせに、俺にも関心がある小薗は誠実な男じゃない。
 本命に近づくための手段だとしたら、たちが悪すぎる。
 周りが放っておかないほど俺が綺麗だったり、可愛かったらよろめくのも仕方ないけれど、かわいいと絶賛してくれるのは身内だけだ。

 堅実と言えば聞こえがいいが、保身がすべてで計算高い。そんな俺にまっとうな相手が思いを捧げてくれるわけがない。

 案内されなくても場所は把握していた拠点地候補のスペースに着いた時、俺の頭の中は目まぐるしく働いていた。
 自転車通学で体力を育んできたはずなのに、この程度の移動で心臓がうるさい。
 借りてきた鍵を使い室内に入った小薗は、閉め切っていた窓を全開にして俺を隣に招く。

「ここからの眺め、オレは最高に気に入ってるから見せたかった」

 誇らしげに告げる小薗が俺に見せてくれたのは、敷地内の木々や花々が絵みたいに収まる絶景だった。
 
「図書館の司書さんも奏美の卒業生でさ。図書館がA棟の最上階なら最高の読書環境だったのにって話してた。大人数の部室にするには狭いけど、オレたちにはちょうどいいとだろ?」

 指と指で小さなキャンバスを作った小薗は窓の外の景色を切り取ってみせる。
 今はまだ咲いてない花たちも四季が移るたびに俺たちの目を楽しませてくれるだろう。
 家族に関することをズケズケと聞かれるのは好きじゃない。他者の事情も知らずに意見を押し付ける人間には嫌悪を感じることも多かった。

 奏美高等学校が誇る『彩のプロムナード』は、俺がこの学校を選んだ理由のひとつに入っている。
 それを知ってるはずもないのに、窓の外の景色を賞賛されたら、警戒心なんて簡単にゆるんでしまう。

 母の恋が家族という形で結実しなかったのは、相手に別の相手がいるせいじゃないかと俺はずっと考えていた。
 誰かに奪われる運命を辿るなら、人を好きになったり心を明け渡してしまうのが怖くなる。

 小薗の一番は俺じゃない。

 言い聞かせるように胸の内でつぶやいておかないと、流されてしまいそうだった。
 俺はこいつの恋愛の相談役で、同好会の仲間。
 ポジションは確定しているのに、はにかむような笑みを見せる小薗は好意をまき散らしてくる。
 周りの好感度を一定に保たないとクリアできないゲームではないのだから、攻略対象を広げるのはやめてもらいたかった。

 真正面から見ても横から見ても整った顔をしている人間は粗がない。
 気を抜くと留まってしまいそうになる視線を窓の外に逃がして、俺はここへ連れてこられた目的を思い出す。

「同好会の教室は美鷹と小薗で決めて良かったのに、俺の意見も尊重してくれるんだな。階段上がってくるのはそうきつくないから、眺望を重視してここにするのは賛成だ」

 吹いてきた風に髪を乱され、指で整えようとした俺を見て小薗が優しく笑う。

「こんな高いとこまで、花って飛んでくるんだな」

 花びらを取ろうとしてのばされた指先が髪に触れる。 
 取り除かれた白い花は小薗の大きな手のひらに比べて小さいものだった。

「……プロムナードのコデマリっぽいな」

 植物名を特定しようとした俺に、小薗はやんわり訂正してくる。

「プロムナードの白い花は雪柳だと思う。コデマリはまるっこい形で咲くから。あ、でもよく似てるから遠目だとわからないかも」

 間違っていたことを気にするとでも思ったのか、小薗は慌てて言葉を付け足した。

「詳しいんだな」
「姉ちゃんの趣味がドライブとカメラなんだ。アシスタントがいるとかなんとか言われて、植物園とかよくつきあわされてたから、見て回る時間がけっこうあってさ。さっきの話の続きだけど、雪柳も開花時期は終わってるから、これはジューンベリーっぽいかも」

 花びらがまた風にさらわれるのを待つように、小薗は窓の外で手のひらを開く。小さな花がどこへ運ばれたか見えなかったけれど、手を引っ込めるまで数秒しかかからなかった。
 開けた窓をバックに立っているだけなのに、漫画の見開きみたいに絵になるのは造形が良すぎるからだ。
 まっすぐに向けられる視線のせいで、胸が騒ぐし、言葉に出来ない感情がせり上がってくる。

「黄青埼を退屈させないように解説もつける。だから、今度、オレと一緒に回ってくれたら」

 投球ペースが落ちない小薗に、俺は目を丸くする。
 物事を俯瞰して、安全圏から皆を眺めるタイプなのに、勢いで押してくるのは意外だった。